Brand New Bible | カトケンの部屋

Brand New Bible

20代のころ、よく京都に行っていた。

友人のところへ泊めてもらい、神社仏閣を巡った。

名のあるところはほとんど見たと思う。

寂光院も火事になる前に訪ねている。

もちろん三千院と合わせて行っているが

京都の中心部からだいぶ離れていて

暑い季節だったこともあり、到着するころには

疲れ切っていたことを覚えている。

 

何年かかけて見てまわった京都。

最後に行ったのは鞍馬山だった。

京都の観光地図を見ていて真北に位置するところだけ

全く行ったことのないエリアだった。

他の場所も同様だが、平日をねらって行った。

もちろん理由は空いているからだ。

 

「山」というだけあって、当たり前だが「山道」だ。

天気も悪くない。

「終点」まで歩くと1時間かかる。

一人でとぼとぼ歩く。

前にも後ろにも誰もいない。

僕はだんだん怖くなってきた。

本当に天狗が出てきそうだ。

ここで天狗に捕まって殺されると

現世的には「心臓麻痺」とか言うことになるのだろう。

そんなことを考えながら

それでも歩を進めた。

 

向こうから人が歩いてくる。

二人連れだ。

すれ違いざまに「こんにちは」とあいさつをした。

向こうも「こんにちは」と返してくれた。

僕は少しほっとした。

しかし、次の瞬間。

振り返るとその二人がきつねになって追って来るのでは?

という思いに囚われる。

恐る恐る振り返る。

もう二人の姿はなかった。

 

山道の両側はかなり背の高い草が生えている。

足元は黄土色の土だ。

少し開けた場所に出る。

空が高い。

よく晴れているのに、なぜか暗くなってきている気がする。

全身に鳥肌が立った。

もう元の世界には戻れない、そんな気がした。

まだ見ていないスポットが残っていたが

あまりの怖さに僕はそこで道を引き返した。

 

さて、なんでこんな話になってしまったかというと「京都で神社仏閣巡り」である。

僕はその頃、クロスのペンダントをしていた。

言うまでもなく、キリスト教の象徴だ。

特に信仰している宗教もなく、こだわりもない僕が

ファッションで身に着けていた。

 

世界で起こる戦争や紛争。

かなりの部分が宗教がらみである。

信仰心の厚い人たちが殺しあうより

信仰心のない人たちが助けあう世界の方がいい気がするのは

僕に信仰心がないからだろうが

「Bland New Bible」は案外そんなところに、ころがっているかもしれない。