§8.カッパの授業プリント例

プリント5.政治経済ランキングシリーズⅠ

※今回も前回と同様、10年ほど前に作成したプリントなのでデータ面ではかなり古く、アップデートす

 る必要があるものです。政治経済などの授業では授業の導入としてランキングシリーズのプリントを

 時折、利用してきました。そこそこ、生徒たちの反応は良かったと記憶しております。

 

2014年の初任給水準(学歴別・業種別)

 

 

事 務

技 術

大卒

209868円

209897円

短大卒

176014

179184

高卒

164149

166041

 

 前年より初任給を引き上げた企業は42.5%、据え置いた企業は56.5%であった。おそらく2015年も初任給を引き上げた企業が多かったはずである。

 大卒事務系を基準にして産業別の初任給を比較すると・・・

 製造業は「210999円」で平均より0.5%高かった。非製造業は「208543円」で0.6%、平均を下回っている。

 以下、製造業部門で初任給の高いトップ3を挙げてみる。

   1位:新聞・出版・印刷・・・219917円(+4.8%)

   2位:化学・ゴム・・・215851円(+2.9%)

   3位:紙・パルプ・・・214060円(+2.0%)

 

 さらに非製造業部門で初任給の低い順に三つ挙げてみる。

   1位:電気・ガス・・・199813円(-4.8%)

   2位:土木建設・・・203939円(-2.8%)

   3位:金融保険・・・207160円(-1.3%)

 

 非製造業の中では運輸通信は好調で+1.7%の高水準。また電気・ガスは初任給が低いものの、全体の給与水準は695万5千円ほどで業種別ではトップに君臨している。つまり電気・ガス部門は最初だけ給与水準が低いだけで長く勤務すれば順調に昇給していく業界なのである。

 ちなみに就職して二年目の年収は初任給を下回るのが普通である。これは住民税が前年の収入を基準に課されるからであり、二年目の6月から住民税(都道府県税+市町村税)が課される。その額はほぼ収入の10%となるため、二年目に多少の昇給があったとしても住民税のため、年収は初年度を下回ってしまうのである。

 

 

2014年の初任給水準(学歴別・業種別)

  )組(  )番(         

 

 

事 務

技 術

大卒

(       )円

209897円

短大卒

176014

179184

高卒

(       )円

166041

 

 2014年、前年より初任給を引き上げた企業は42.5%、据え置いた企業は56.5%であった。おそらく2015年も初任給を引き上げた企業が多かったはずである。

 大卒事務系を基準にして産業別の初任給を比較すると・・・

 製造業は「        円」で平均より0.5%高かった。非製造業部門は

       円」で0.6%、平均を下回っている。

 以下、製造業部門で初任給の高いトップ3を挙げてみる。

   1位:(           )・・・219917円(+4.8%)

   2位:化学・ゴム・・・215851円(+2.9%)

   3位:紙・パルプ・・・214060円(+2.0%)

 

 さらに非製造業部門で初任給の低い順に三つ挙げてみる。

   1位:(         )・・・199813円(-4.8%)

   2位:土木建設・・・203939円(-2.8%)

   3位:金融保険・・・207160円(-1.3%)

 

 非製造業の中では(       )が好調で+1.7%の高水準。また電気・ガスは初任給が低いものの、全体の給与水準は(         )円ほどで業種別では(    )に君臨している。つまり電気・ガス部門は最初だけ給与水準が低いだけで長く勤務すれば順調に(    )していく年功序列型賃金体系を維持している業界なのである。

 ちなみに就職して二年目の年収は初任給を(     )のが普通である。これは(      )が前年の収入を基準に課されるからであり、二年目の6月から住民税(       民税+      民税)が課される。その額はほぼ収入の

   )%となるため、二年目に多少の昇給があったとしても年収は住民税を引かれた分、初年度を下回ってしまうのである。

 

各種ランキングから見た日本と世界 その1

  )組(  )番(         

※このプリントは元データが失われておりますので悪しからず。

1.  格差のひどい国トップ10:(   )係数で比較(ただし国によって調査年度が違うので単純な比較はできない。141カ国対象。なおジニ係数が   %を超えると社会騒乱の恐れがあるという。)

順位

国名

ジニ係数(%)

レソト

63.2

(         )

63.1

ボツワナ

63.0

シエラレオネ

62.9

中央アフリカ

61.3

ナミビア

59.7

(     )

59.2

ホンジュラス

57.7

ザンビア

57.5

10

(        )

55.9

 

 日本は(   )位で37.9%、アメリカは45%で(   )位。格差の最も少ない国は(          )で23%。

 

2.  幸福度ランキング(2015年国連調査 158カ国対象)

幸福度トップ10

幸福度ワースト10

(      )

158

トーゴ

アイスランド

157

ブルンジ

(        )

156

(     )   

ノルウェー

155

ベナン

カナダ

154

(      )   

(        )

153

(          )

オランダ

152

ブルキナファソ

スウェーデン

151

コートジボアール

(          )

150

ギニア

10

オーストラリア

149

チャド

日本は(    )位、中国は(    )位、アメリカは15位。

 

3.  平和度指数(2009年、イギリスのエコノミスト誌調査 144カ国対象)

トップ10

順位

国名

(          )

(         )

ノルウェー

アイスランド

オーストラリア

スウェーデン

(     )

カナダ

フィンランド

10

スロベニア

平和度の低い国

144位(     )、143位アフガニスタン、142位(      )、

140位スーダン、139位コンゴ、(      )は131位

 

4.  失敗国ランキング(2007年、117カ国対象)

順位

国名

(       )

(     )

(       )

ジンバブエ

チャド

コートジボアール

コンゴ

アフガニスタン

ギニア

10

中央アフリカ

 なお(     )は13位

 

各種ランキングから見た日本と世界 その2

  )組(  )番(         

1.最新世界幸福度調査トップ10(2016年版)国連2015年調査より

 (  )内は昨年度の順位

1位

デンマーク   (3位)↑

6位

カナダ     (5位)↓

2位

スイス     (1位)↓

7位

オランダ    (7位)

3位

アイスランド  (2位)↓

8位

ニュージーランド(9位)↑

4位

ノルウェー   (4位)

9位

オーストラリア (10位)↑

5位

フィンランド  (6位)↑

10位

スウェーデン  (8位)↓

 日本は46位から53位に転落。最下位(157位)はブルンジ、156位はシリアでいずれも昨年と同順位。

2.世界人材調査トップ10(2015年)61か国対象

1位

スイス

6位

フィンランド

2位

デンマーク

7位

ドイツ

3位

ルクセンブルク

8位

カナダ

4位

ノルウェー

9位

ベルギー

5位

オランダ

10位

シンガポール

 アメリカは14位、日本は26位。日本の足を引っ張っているのは語学力の低さ

(語学力60位)、海外経験のある敏腕マネージャーの少なさ(61位)、大学の人材育成能力の低さ(57位)

OECDの指摘(2013年)では30カ国中4年連続で教育への公的支出が最下位。

 一方で親などが負担する額は4番目に高い金額。

3.労働時間ランキングトップ10(OECDによる2012年調査35カ国対象)

1位

メキシコ  年間2226時間

6位

ポーランド   1929時間

2位

韓国      2163時間

7位

イスラエル   1928時間

3位

ギリシャ    2034時間

8位

エストニア   1889時間

4位

チリ      2029時間

9位

ハンガリー   1886時間

5位

ロシア     1982時間

10位

スロバキア   1785時間

 日本は15位で1745時間、35位はオランダで1384時間

4.人間開発指数(国連2010年 169か国・地域対象)

 平均寿命、識字率、就学率、一人当たりの購買力etc.

1位

ノルウェー

6位

リヒテンシュタイン

2位

オーストラリア

7位

オランダ

3位

ニュージーランド

8位

カナダ

4位

アメリカ

9位

スウェーデン

5位

アイルランド

10位

ドイツ

日本は11位

 ワースト5は最下位から・・・

 ジンバブエ(169位)、コンゴ(168位)、ニジェール(167位)、

 ブルンジ(166位)モザンビーク(165位)

5.途上国援助費の多い国(外務省統計2011年~2012年)

・国民一人当たりの金額

1位

ノルウェー

6位

オランダ

2位

ルクセンブルク

7位

フィンランド

3位

スウェーデン

8位

ベルギー

4位

デンマーク

9位

オーストラリア

5位

スイス

10位

イギリス

日本は18位

・総額の多い国

1位

アメリカ

6位

カナダ

2位

イギリス

7位

オランダ

3位

ドイツ

8位

オーストラリア

4位

フランス

9位

スウェーデン

5位

日本

10位

ノルウェー

 

 

③各種ランキングから見た日本と世界 その2

  )組(  )番(         

1.最新世界幸福度調査トップ10(2016年版国連2015年調査より)

 (  )内は昨年度の順位

1位

        (3位)↑

6位

カナダ     (5位)↓

2位

      (1位)↓

7位

オランダ    (7位)

3位

   (2位)↓

8位

ニュージーランド(9位)↑

4位

    (4位)

9位

オーストラリア (10位)↑

5位

   (6位)↑

10位

スウェーデン  (8位)↓

 日本は46位から(   )位に転落。最下位(157位)はブルンジ、156位は

     )でいずれも昨年と同順位。

2.世界人材調査トップ10(2015年)61か国対象

1位

 

6位

フィンランド

2位

 

7位

ドイツ

3位

 

8位

カナダ

4位

 

9位

ベルギー

5位

 

10位

シンガポール

アメリカは14位、日本は(   )位。日本の足を引っ張っているのは(   )力の低さ(語学力   位)、海外経験のある敏腕マネージャーの少なさ(61位)、

    )の人材育成能力の低さ(57位)

      )の指摘(2013年)では30カ国中4年連続で日本の教育への公的支

 出は(     )。一方で親などが負担する額は4番目に高い金額。

3.労働時間ランキングトップ10(OECDによる2012年調査35カ国対象)

1位

      年間2226時間

6位

ポーランド   1929時間

2位

        2163時間

7位

イスラエル   1928時間

3位

        2034時間

8位

エストニア   1889時間

4位

チリ      2029時間

9位

ハンガリー   1886時間

5位

ロシア     1982時間

10位

スロバキア   1785時間

 日本は(   )位で1745時間、35位は(       )で1384時間

4.人間開発指数(国連2010年 169か国・地域対象)

 平均寿命、識字率、就学率、一人当たりの購買力etc.

1位

 

6位

リヒテンシュタイン

2位

 

7位

オランダ

3位

 

8位

カナダ

4位

 

9位

スウェーデン

5位

 

10位

ドイツ

日本は11位

 ワースト5は最下位から・・・

 ジンバブエ(169位)、コンゴ(168位)、ニジェール(167位)、

 ブルンジ(166位)モザンビーク(165位) すべて(       

5.途上国援助費の多い国(外務省統計2011年~2012年)

・国民一人当たりの金額

1位

 

6位

オランダ

2位

 

7位

フィンランド

3位

 

8位

ベルギー

4位

 

9位

オーストラリア

5位

 

10位

イギリス

 国民の(     )が高い国は途上国への援助額も多い傾向がある。

 日本は(   )位

・総額の多い国

1位

 

6位

カナダ

2位

イギリス

7位

オランダ

3位

ドイツ

8位

オーストラリア

4位

フランス

9位

スウェーデン

5位

 

10位

ノルウェー

 

 

 

 

 

§8.カッパの授業プリント例

4.ブラック企業と貧困化する日本の若者Ⅱ

※今回は「3.ブラック企業と貧困化する日本の若者Ⅰ」の続きとなります。

 

 I社と同様の事は超有名企業でも行われている。特にグローバルな活躍で知られるX社は「半年で店長に」をうたい文句に優秀な女子学生を数多く引きつけつつ、セクハラ、パワハラを加え続けることで採用された半数近くが精神疾患で退社を余儀なくされるという。これが社会問題化しないのはX社が退職する社員をまず「休職」扱いにして診断書を出させないシステムであるかららしい。つまり休職して病気を治してからでないと辞めさせないという指導をしていて、その結果、X社は休業中を医療保険と有給休暇で乗り切らせる。つまり労災保険には手を付けず、社の経済的負担をゼロにしておいて、やがて自己都合で辞めさせるのだという。日本での人材確保が困難になればこうしたグローバル企業は海外に魔の手を伸ばすまでだから、きわめて性質が悪いと言えよう。

※こうした違法行為が横行し、あまり訴訟に発展しない理由の一つとしては悪徳弁護士や悪徳社会保険

 労務士の増加が挙げられるという。弁護士は司法制度改革によって2000年の17126人が2011年には

 30485人に急増し、弁護士事務所に就職できない若手が増えてきた。社会保険労務士も1998年の

 2327人から2004年の4850人に急増。その結果、就職難から悪い仕事に手を染める若者が増えてきた

 という。彼らは専門的知識を悪用して法の網の目をくぐる悪知恵をブラック企業に提供し、かなりの

 報酬を得ているという。弁護士や社会保険労務士を肩書だけで信用してはなるまい。

 「ブラック企業」は新興の成長産業、IT、飲食、介護業界などに多い。共通する特徴としてはまず大量採用、大量退職の雇用状況が挙げられる。さらには入社後も続く「選別」(正規雇用されたはずなのに…)、サービス残業の強要(月100時間を超えるような異常な長さ)も重要な指標となる。もちろんパワハラ(2012年の厚生労働省の発表ではおよそ46000件に達し、何と9年前の7倍!という激増ぶり)、セクハラも横行している。ではなぜこのような悪質な企業がはびこってきたのだろう?

 若者の就職状況の悪化に伴い、正規雇用されたい若者が大勢存在している。このため企業からすれば「代わりはいくらでもいる」から大量に離職させても、大量に採用できるという、人事面での追い風が吹いていること。さらに学校での進路指導、キャリアガイダンスも正規雇用を若者に強制し、かつ企業での労働条件の厳しさを教師が強調するあまり、ブラック企業の過酷な待遇に対しても若者の目をつぶらせてしまう傾向がある。

 多くの場合、学校では企業社会で長く我慢することや努力することなどを中心に働く義務ばかりが強調されており、働くことの社会的役割(企業の社会的責任等)や労働者の権利についてはどうしてもおろそかになりがちである。欧米では就職に直結する職業技術の習得にキャリアガイダンスの主眼が置かれているのとは対照的に日本では若者に企業人としての「心掛け」を説くことが大切とされているのだ(職業訓練に投入される費用は日本の場合、GDPに占める割合で比較すると北欧諸国の10分の1程度に過ぎない)。

 また労働組合の組織率が低下し、当てにならなくなったことも大きい。社会主義の低迷に沿う形で極度に組織率が低下し、企業別の労働組合を主流としてきた日本では組合が完全に機能不全に陥っている。

 日本的な雇用慣行の残存もブラック企業の横行に関与しているという。つまり日本ではかつて終身雇用や年功序列型賃金と引き換えに企業の社員に対する命令権が強かったのだという。欧米では使用者側に相当の工夫と努力が強いられる「単身赴任」や「残業」も、日本ではいともたやすく実行される。また長期雇用に対応できるようにするため、日本企業では業務内容の変更が一方的に命令される事もザラである。今や終身雇用や年功序列が崩れつつあるにも関わらず、企業の命令権だけは強大なまま、残存しているというわけだ。とすれば確かに日本企業のすべてがブラック化する可能性があることになろう。欧米の場合は解雇されやすい代わりに、仕事の内容や資格が重視されるため、業務内容の一方的な変更はまず起こりえず、再就職も比較的スムーズであるという。

 また欧米が仕事自体の専門能力を重視するのに対して、日本企業は会社の命令に柔軟に対応できる忠誠心や「コミュニケーション能力」といった曖昧なものを採用基準として重視している傾向がある。このため日本のブラック企業は離職を促す際、会社の命令に絶対的な服従を強制しつつ本人の人格的側面をことごとく否定することに働きかけの主眼が置かれていると考えられる。

3.生活保護の現状

 2012年に人気芸人の母親が生活保護を受給していたのが週刊誌に暴露されて話題になり、生活保護の不正受給問題が再び、浮上してしまった。しかし実際の不正受給者はほんの一握りに過ぎず(しかもその多くは年金や子どものアルバイトなどの未申告という軽微なもの)、保護費全体の0.5%に過ぎない。むしろ貧困者の圧倒的多数が生活保護の対象から外されているという恐るべき実態が、このマスコミによる生活保護受給者へのバッシングによって完全に隠ぺいされてしまった。逆に生活保護基準の引き下げや親族による扶養義務(直系血族と兄弟姉妹、場合によっては3親等以内の親族)の強化ばかりが強調されてしまったのである。

※日本のシングルマザーの6割超が貧困に直面している。この貧困率の高さは女性への偏見(家事育児介

 護負担の偏り…)と若者の就職状況の悪化という現状への政府の無理解も加わって支えられてきたの

 である。これは日本が人権という観点からはもはや文明国といえないレベルにまで劣化していること

 を示しているのではないか。

 2010年の公的扶助補足率の国際比較では日本がわずか18%程度なのに対してスウェーデン82%、フランス91.6%、ドイツ64.6%。日本では生活保護を受けるべき貧困者の8割は生活保護を受けておらず、我慢しているのである。日本で繰り返されてきた「働こうとしない怠け者に血税を与える必要はない」というバッシングがいかに見当はずれであるのか、この数字だけで痛感できるだろう。そもそも働きたくとも働けない健康な若者であふれている日本の雇用状況のなかで、ハンディを負っている貧困者が正規雇用にありつける可能性は皆無に近いのだ(雇用条件に運転免許や自動車の所持を求める事業所は多い)。

 1980年代から始まっていた「水際作戦」(生活保護受給者を減らすために、その申請段階から役所の窓口で嫌がらせを加えてみたりすること)の成果は確かに上り、貧困者を見殺しにする体制がほぼ日本では出来上がっている。その結果、貧困者の中には飢え死にする者(2005年北九州市で67歳男性、2006年同市で56歳男性、2007年同市で52歳男性)や自殺に追い込まれる者(2006年秋田市で37歳男性、2007年北九州市で61歳男性)、熱中症で死亡する者(2010年さいたま市で76歳男性)や凍死する者(2012年札幌市で40歳女性)が続出している。今野氏は明確な餓死者は毎年50人前後、定義によっては毎年1000人以上とする見方もあるという。

 水際作戦の手法は主に三つあるという。まず、路上生活者やネット難民に対しては「住民票が無いので受付できません」と申請を断る。次に稼働能力層には「ハローワークに行って下さい、働ける人は受け付けられません」。身寄りのある場合は「家族、親族に援助してもらいなさい」。どういうケースでも申請書を役人は渡さなければならないのだから、これらの対応は基本的にすべて違法である。日本ではまさに役所の窓口で法を遵守すべき公務員によって違法行為が横行している、ということになる。

 日本の場合、生活保護の受給条件自体が異様に厳しい。まず家(資産価値の無い家なら可)や自動車、預金、生命保険などの資産は基本的に使い果たすことが求められる。さらに親族等に役所から扶養の要請がしつこく行われる。この結果、親族からはつまはじきにされ、親戚付き合いも不可能となる事が多い。

 つまり個人のプライバシーや尊厳が傷つけられても我慢しつつ、自他ともに全力で自分が極貧であることを半永久的に世間に証明し続けなければならない。しかも親族からの援助があればあったでその分の保護費は減らされてしまう。地方であれば子どもがいても月平均17~8万の保護費(年間200万ほど)に過ぎず、この金額以上の生活は決して許されない。つまり日本の場合、生活保護とはもはや貧困から脱出するための方途ではなく、むしろ孤立と極貧の永続化につながっているといった方がふさわしい状況に陥りつつあるのだ。

 保護費を節約することも厳禁となる。たとえば老後の為に毎月、少しずつ保護費から貯金していた受給者が「不正受給」と見なされて、一部は「死後の葬式費用」に回され、残りは保護費の減額対象とされてしまっている。

 こうした問題の背後には国や地方の財政危機があり、福祉対策の予算と人員が削減されてきたことがある。一人のケースワーカーが担当する貧困者世帯は100件を超える場合も多く、丁寧な対応が物理的に困難(大阪市は400件!)。さらに多忙を極めるケースワーカーにはそもそも専門的知識が欠如していることも多い。多くは一般事務職として採用され、福祉事務所に配属される。しかも3年程度の短期に過ぎず、資格とされている「社会福祉主事」は3科目の単位取得でとれる、安易なもの。ただしケースワーカーの4割はその資格すら持っていないという。にも関わらず、ケースワーカーには受給者のプライバシーを侵害し、指導に逆らうとされた者には保護を打ち切るといった強大な権限が認められている。ケースワーカーによる受給者へのパワハラによって受給者を死に追いやることも稀ではあるが、十分に起こりうることなのだ。本来、貧困者の支援に力を注ぐべき役人が受給者の監視と統制に励み、受給者の削減(支援の切り捨て)に全力を尽くしているのだからそれも仕方がない。

 福祉政策の貧困に付け込む「貧困ビジネス」が一方で台頭してきたらしい。路上生活者やネットカフェ難民らをターゲットとした無料低額宿泊所もその一つ。1人2畳ほどの狭いスペースに簡単な間仕切りがしてあって粗末な食材が提供され、月10万円近くを払う。収容者は生活保護受給を条件とするため、住居者の支払いに滞りはなく、経営は安定している。しかし住人はプライバシーも保てない狭い空間で粗末な食材を与えられ、自炊を余儀なくされているのである。福祉事務所側は受給者の把握が容易になるため、宿泊所の劣悪な環境には目をつむったままとなる。都内で急速に路上生活者が目立たなくなった背景にはこうした「収容所」の増大があるという。

 国民の血税が困っている人を助けることに本当に使われているのか、消費税増税の前に一度、きちんと疑ってみた方が良いのかもしれない。

 

 

ブラック企業と貧困化する日本の若者Ⅱ 

  )組(  )番(         

 I社と同様の事は超有名企業でも行われている。特にグローバルな活躍で知られるX社は「半年で店長に」をうたい文句に優秀な女子学生を数多く引きつけつつ、

       )、パワハラを加え続けることで採用された半数近くが

        )で退社を余儀なくされるという。これが社会問題化しないのはX社が退職する社員をまず「    」扱いにして診断書を出させないシステムであるかららしい。つまり休職して病気を治してからでないと辞めさせないという指導をしていて、その結果、X社は休業中を医療保険と有給休暇で乗り切らせる。

 つまり(    )保険には手を付けず、社の経済的負担をゼロにしておいて、やがて自己都合で辞めさせるのだという。日本での人材確保が困難になればこうしたグローバル企業は海外に魔の手を伸ばすまでだから、きわめて性質が悪いと言えよう。

※こうした違法行為が横行し、あまり訴訟に発展しない理由の一つとしては悪徳弁護士や悪徳

 (           )の増加が挙げられるという。弁護士は近年の司法制度改革によって2000

 年の17126人が2011年には30485人に急増し、弁護士事務所に就職できない若手が増えてきた。社

 会保険労務士も1998年の2327人から2004年の4850人に急増。その結果、就職難から悪い仕事に手

 を染める若者が増えてきたという。彼らは専門的知識を悪用して法の網の目をくぐる悪知恵をブラッ

 ク企業に提供し、かなりの報酬を得ているらしい。弁護士や社会保険労務士を肩書だけで信用しては

 なるまい。

 「ブラック企業」は新興の成長産業、IT、(    )、(    )業界などに多い。共通する特徴としてはまず大量採用、大量退職の雇用状況が挙げられる。さらには入社後も続く「     」(正規雇用されたはずなのに…)、サービス

    )の強要(月100時間を超えるような異常な長さ)も重要な指標となる。もちろんパワハラ(2012年の厚生労働省の発表ではおよそ46000件に達し、何と9年前の  倍!という激増ぶり)、セクハラも横行している。ではなぜこのような悪質な企業がはびこってきたのだろう?

 若者の就職状況の悪化に伴い、正規雇用されたい若者が大勢存在している。このため企業からすれば「               」から大量に離職させても、大量に採用できるという、人事面での追い風が吹いていること。さらに学校での進路指導、キャリアガイダンスも正規雇用を若者に強制し、かつ企業での労働条件の厳しさを教師が強調するあまり、ブラック企業の過酷な待遇に対しても若者の目をつぶらせてしまう傾向がある。多くの場合、学校では企業社会で長く我慢することや努力することなどを中心に働く義務ばかりが強調されており、働くことの社会的役割

(企業の          等)や労働者の(     )についてはどうしてもおろそかになりがちである。欧米では就職に直結する職業(     )の習得にキャリアガイダンスの主眼が置かれているのとは対照的に日本では若者に企業人としての「     」を説くことが大切とされているのだ(職業訓練に投入される費用は日本の場合、GDPに占める割合で比較すると北欧諸国の       程度に過ぎない)。

 また(        )の組織率が低下し、当てにならなくなったことも大きい。社会主義の低迷に沿う形で極度に組織率が低下し、(     )の労働組合を主流としてきた日本では組合が完全に機能不全に陥っている。

 日本的な雇用慣行の残存もブラック企業の横行に関与しているという。つまり日本ではかつて終身雇用や年功序列型賃金と引き換えに企業の社員に対する(    )権が強かったのだという。欧米では使用者側に相当の工夫と努力が強いられる

        」や「     」も、日本ではいともたやすく実行される。また長期雇用に対応できるようにするため、日本企業では突然(        )の変更が一方的に命令される事もザラである。今や終身雇用や年功序列が崩れつつあるにも関わらず、企業の命令権だけは強大なまま、残存しているというわけだ。とすれば確かに日本企業のすべてがブラック化する可能性があることになろう。欧米の場合は解雇されやすい代わりに、仕事の内容や資格が重視されるため、業務内容の一方的な変更はまず起こりえず、(      )も比較的スムーズであるという。

 また欧米が仕事自体の専門能力を重視するのに対して、日本企業は会社の命令に柔軟に対応できる(      )や「コミュニケーション能力」といった曖昧なものを重視している傾向がある。このため日本のブラック企業は離職を促す際、会社の命令に絶対的な服従を強制しつつ本人の人格的側面をことごとく否定することに働きかけの主眼が置かれていると考えられる。

3.生活保護の現状

 2012年に人気芸人の母親が生活保護を受給していたのが週刊誌に暴露されて話題になり、生活保護の(       )問題が再び、浮上してしまった。しかし実際の不正受給者はほんの一握りに過ぎず(しかもその多くは年金や子どものアルバイトなどの     という軽微なもの)、保護費全体のわずか(   )%に過ぎない。

 むしろ貧困者の圧倒的多数が生活保護の対象から外されているという恐るべき実態が、このマスコミによる生活保護受給者へのバッシングによって完全に隠ぺいされてしまった。逆に生活保護基準の引き下げや親族による(     )義務(直系血族と兄弟姉妹、場合によっては3親等以内の親族)の強化ばかりが強調されてしまったのである。

※日本のシングルマザーの(   )割超が貧困に直面している。この貧困率の高さは女性への偏見

 (家事育児介護負担の偏り…)と若者の就職状況の悪化という政府の現状への無理解も加わって支え

 られてきたのである。これは日本が人権という観点からはもはや文明国といえないレベルにまで劣化

 していることを示しかねない。

 2010年の公的扶助補足率の国際比較では日本がわずか(   )%程度なのに対してスウェーデン82%、フランス91.6%、ドイツ64.6%。日本では生活保護を受けるべき貧困者の(   )割は生活保護を受けておらず、我慢しているのである。日本で繰り返されてきた「働こうとしない怠け者に血税を与える必要はない」というバッシングがいかに見当はずれであるのか、この数字だけで痛感できるだろう。そもそも働きたくとも働けない健康な若者であふれている日本の雇用状況のなかで、ハンディを負っている貧困者が正規雇用にありつける可能性は皆無に近いのだ(雇用条件に運転免許や     の所持を求める事業所は多い)。

 1980年代から始まっていた「        」(生活保護受給者を減らすために、その申請段階から役所の窓口で嫌がらせを加えてみたりすること)の成果は確かに上り、貧困者を見殺しにする体制がほぼ日本では出来上がっている。その結果、貧困者の中には(     )する者(2005年北九州市で67歳男性、2006年同市で56歳男性、2007年同市で52歳男性)や自殺に追い込まれる者(2006年秋田市で37歳男性、2007年北九州市で61歳男性)、熱中症で死亡する者(2010年さいたま市で76歳男性)や凍死する者(2012年札幌市で40歳女性)が続出している。今野氏は明確な餓死者は毎年50人前後、定義によっては毎年1000人以上とする見方もあるという。

 水際作戦の手法は主に三つあるという。まず、路上生活者やネットカフェ難民に対しては「住民票が無いので受付できません」と申請を断る。次に稼働能力層には

          に行って下さい、働ける人は受け付けられません」。身寄りのある場合は「家族、親族に援助してもらいなさい」。どういうケースでも

      )を役人は渡さなければならないのだから、これらの対応は基本的にすべて違法である。日本ではまさに役所の窓口で法を遵守すべき公務員によって違法行為が横行している、ということになる。

 日本の場合、生活保護の受給条件自体が異様に厳しい。まず家(資産価値の無い家なら可)や自動車、預金、生命保険などの資産は基本的に(      )ことが求められる。さらに親族等に役所から扶養の要請がしつこく行われる。この結果、親族からはつまはじきにされ、親戚付き合いも不可能となる事が多い。

 つまり個人のプライバシーや(     )が傷つけられても我慢しつつ、自他ともに全力で自分が極貧であることを半永久的に世間に証明し続けなければならない。しかも親族からの援助があればあったでその分の保護費は減らされてしまう。地方であれば子どもがいても月平均17~8万の保護費(年間200万ほど)に過ぎず、この金額以上の生活は決して許されない。つまり日本の場合、生活保護とはもはや貧困から脱出するための方途ではなく、むしろ孤立と極貧の(      )につながっているといった方がふさわしい状況に陥りつつあるのだ。

 保護費を(    )することも厳禁となる。たとえば老後の為に毎月、少しずつ保護費から貯金していた受給者が「不正受給」と見なされて、一部は「死後の葬式費用」に回され、残りは保護費の減額対象とされてしまっている。

 こうした問題の背後には国や地方の(       )があり、福祉対策の

          )が削減されてきたことがある。一人のケースワーカーが担当する貧困者世帯は(     )件を超える場合も多く、丁寧な対応が物理的に困難(大阪市は400件!)。

 さらに多忙を極めるケースワーカーにはそもそも(         )が欠如していることも多い。多くは一般事務職として採用され、福祉事務所に配属される。しかも3年程度の短期に過ぎず、必要資格とされている「          」は3科目の単位取得でとれる、安易なもの。加えてケースワーカーの4割はその資格すら持っていないという。

 にも関わらず、ケースワーカーには受給者の(         )を侵害し、指導に逆らうとされた者には保護を打ち切るといった強大な権限が認められている。ケースワーカーによる受給者への(       )によって受給者を死に追いやることも(稀ではあるが)十分に起こりうることなのだ。本来、貧困者の支援に力を注ぐべき役人が受給者の(    )と統制に励み、受給者の削減(福祉の切り捨て)に全力を尽くしているのだからそれも仕方がない。

 福祉政策の貧困に付け込む「         」が一方で台頭してきたらしい。路上生活者やネットカフェ難民らをターゲットとした無料低額宿泊所もその一つ。1人2畳ほどの狭いスペースに簡単な間仕切りがしてあって粗末な食材が提供され、月10万円近くを払う。収容者は生活保護受給(独り者の場合、月10~13万円)を条件とするため、代金の支払いに滞りはなく、経営は安定している。

 一方で住人はプライバシーも保てない狭い空間で粗末な食材を与えられ、自炊を余儀なくされているのである。福祉事務所側は受給者の把握が容易になるため、宿泊所の劣悪な環境には目をつむったままとなる。都内で急速に路上生活者が目立たなくなった背景にはこうした悪質な「収容所」の増大があるという。さらには旅館業法の適用されないレンタルオフィスがいわゆる「脱法ハウス」としてネットカフェと同様に劣悪な環境で居住スペースを提供している場合もあるらしい。

 国民の血税が生活に困っている人を助けることに本当に使われているのか、

    )税増税の前に一度、きちんと疑ってみた方が良いのかもしれない。

 

§8.カッパの授業プリント例

4.ブラック企業と貧困化する日本の若者Ⅰ

 

 今回、ご紹介するプリントは10年ほど前に作成したものなのでデータ的に古くなっている点は否めません。直近のデータに置き換えるべき点、新たに付け加えるべき点など、多々、あると思われるのでこのままでは授業に使うことはできませんので悪しからず。あくまで資料作成の骨組みの一例としてご参照ください。

 

ブラック企業と貧困化する日本の若者Ⅰ

  )組(  )番(         

 日本の企業社会では既にふれたように日本的雇用慣行が一部崩れてきて、代わりにアメリカ型の過酷な成果主義が導入されてきた。しかしもう一つ、見逃せない重大な変化が今、日本の若者たちに襲いかかってきている。それは一言でいえば「貧困化」である。今、急速に進みつつある若者たちの貧困化は今野氏の指摘によれば大きく二つの側面から見ていくことができるようである(今野晴貴「ブラック企業」文春新書2013と「生活保護」ちくま新書2013)。

 まずかつて「氷河時代」とよばれた若者の就職状況の慢性的な悪化である。産業の空洞化が進展することによって多くの製造業の生産拠点は今後も海外に移転していく。京葉工業地域でも特に鉄鋼関連や石油化学コンビナート関連の業界から地元の高校に送られてくる求人票が激減してきた。これにより高卒男子の就職先が極めて狭い分野に偏ることになってしまった。また高卒女子の大量受け入れ先であった百貨店、スーパーの類はかなり以前から正規雇用の求人が激減し、金融関連に至っては高卒の求人は現在皆無といってよい。高卒女子の就職はとりわけ難しい状況となっている。たしかに「アベノミクス」の成果からであろうが、最近、少しだけ高卒者の就職状況は改善してきているのも事実であるが、だからといって長期的にみれば楽観はできない。しかも大学を卒業したからと言って正規雇用に即、なれる保証はない。非正規雇用の不安定な環境でしばらく(あるいはずっと)耐え続けなければならないのが、日本のごく普通の若者の現状である(若者のほぼ三分の二は非正規雇用)。

 せっかく企業に正規採用されても就職先が「ブラック企業」であれば、かえって悲劇となる。そして一流企業、グローバル企業といえども「ブラック企業」になりうること、いや日本企業の多くが「ブラック化」しつつあるという。であればこの問題は一部のブラック企業に就職してしまった一握りの不幸な若者の話…では済まされなくなる。今やうつ病などに追い込まれて依願退職に追い込まれる若者が増えつつある。若者にとって過労死や自殺という最悪の事態も招きかねない、過酷な労働現場が日本で広がりつつあるらしい。そして厄介なことに進路指導、キャリアガイダンスなどでフリーターを一方的に批判し、下手に正規雇用への道を若者に奨励すると、かえってブラック企業を利する恐れもあるという。

 若者を最後に待ち受けるのは底の抜けたような、日本の悲惨な生活保護政策である。ブラック企業に就職したために心を病み、結局失業してしまった若者、あるいは終わりの無い就活で心身疲弊し、引きこもりがちになってしまった若者。彼らの一部は最後の頼りとなるはずの生活保護を申請するため、各地の福祉事務所を訪れる。ところがむしろそこから本当の地獄が始まったりする。日本の生活保護政策にはそら恐ろしい実態があるらしい(特にシングルマザーに対する差別的な仕打ち!)。

以下、具体例を挙げながら、特に日本の若者をめぐる就職状況および貧困者の最終的なセイフティネットといわれる生活保護政策のそれぞれの問題点に焦点を当てて考察してみたい。

1.基本的な権利の再確認:もう一度おさらいから…

・勤労に関わる権利

日本国憲法第27条「勤労の権利及び義務、勤労条件の基準、児童酷使の禁止」

 ①すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う

 ②賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定

める(→労働基準法等)         (児童の酷使を禁じた③は省略)

労働基準法

1条「労働条件の原則」

 ①労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきもので

  なければならない。

 ②…当事者は、この基準を理由として労働条件を低下させてはならないことはもと

  より、その向上を図るように努めなければならない。

同 第2条「労働条件の決定」

 ①労働条件は、労働者と使用者が、対等の立場において決定すべきものである。

 ②労働者及び使用者は、労働協約、就業規則及び労働契約を遵守し、誠実に各々そ

  の義務を履行しなければならない。

同 第5条「強制労働の禁止」

  使用者は、暴行、脅迫、監禁その他精神又は身体の自由を不当に拘束する手段に

  よって、労働者の意思に反して労働を強制してはならない。

同 第32条「労働時間」

 ①使用者は、労働者に、休憩時間を除き一週間について40時間を超えて、労働させ

  てはならない。

 ②使用者は、1週間の各日については、労働者に、休憩時間を除き1日について8

  間を超えて労働させてはならない。

同 第35条「休日」

 ①使用者は、労働者に対して、毎週少なくとも1回の休日を与えなければならない。

同 第28条「勤労者の団結権」

 勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障す

 る。

同 第18条「奴隷的拘束及び苦役からの自由」

 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、

 その意に反する苦役に服させられない。

・生活保障に関わる権利

同 第25条「生存権、国の社会的使命」

 ①すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

 ②国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び

  増進に努めなければならない。

同 第13条「個人の尊重・幸福追求権・公共の福祉」

 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権

 利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重

 を必要とする。

 

 以上、憲法を中心に権利の確認をしたが、日本の現実は憲法の規定通りではなく、憲法違反を含めた違法な実態が社会のあちらこちらに広がりつつある。いうまでもなくこれらの権利が憲法などに規定されているからといって、現実に保障されているとは限らない。

 実際、憲法12条にはこうした権利が「…国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない…」とされており、規定があるからと言って油断はできないのである。憲法の規定はあくまで「努力目標」のようなものであり、規定されている権利の維持拡大のためには国民の努力が必要不可欠となっている点は要注意だろう。

 

2.ブラック企業と日本の雇用問題

 日本の若者が学力の国際比較で下位に低迷していた10年ほど前までは、若者の就職状況の悪化に対しての論評が、長期化する不況という観点を共通としながらもどちらかというと、ニート、引きこもりに陥った一部の若者のコミュニケーション能力の不足、基礎学力や勤労意欲の欠如などといったもっぱら若者の資質の問題にかたよる傾向があった。

 しかし「ブラック企業」という言葉が広がり始めた数年前から個々の若者の資質の枠を超えた、日本の企業社会、法制度全体の根本的欠陥に注目する論調が盛り上がり始めた。この動きは小泉内閣時の規制緩和によって非正規雇用が急増してきた(特に女の若年層で急増。しかも家計補助型から家計自立型に移行してきた分、事はより深刻になってきている)ことで、「派遣切り」に象徴されるような非正規雇用者の立場の弱さにまずは目が移っていったことと関連がありそうである。

 さらに非正規雇用の増大が正規雇用者の立場をも弱体化(トライアル採用や新卒インターンシップの増加等)させ、結果的に「若者全体の雇用問題」としての「ブラック企業」の問題を表面化させていったと思われる。特にリーマンショック以降、若年正社員の待遇悪化が日本全体で加速し、「ブラック企業」はあたかも流行語のようになっていった。

 IT業界の成長株、I社を事例にブラック企業の実態を見てみよう。I社は1000人近い従業員を擁する都内の企業。2009年、その新入社員が続々と上司から退職強要を受けたという。「面談」「カウンセリング」と称して毎日、数時間(7時間以上にわたることも)、パワハラを受けていたとのこと。あわせて7人がPOSSE(今野氏が設立したNPO法人)を訪れ、同様の相談をしている。同社の2008年度の新入社員はおよそ200人余りで、2年以内の内にその半数は離職しているらしい。

 なかにはグレーのスウェットで通勤を命じられ、社長の出迎え、カバン持ち、ペットの散歩、清掃などを時間外でもこなさなければならず、残業時間は平均5時間以上にのぼる者もいたという。面談やカウンセリングと称する場面では徹底的に「自己否定」を繰り返させられ、努力はすべて否定されて絶え間なく罵られるという。まさに人格破壊的拷問であった。

※ブラック企業の労働形態の特色として「マックジョブ」と同様、仕事の細分化とマニュアル化が指摘

 されている。これらによって社員を交換可能な存在におとしめているのだ。ブラック企業の多いIT

 企業では「定年は35歳」とつぶやかれるほどに過酷な単純作業の繰り返しが求められる。「社員が若

 い」という企業にはブラックが多い。

  新卒の単価は安いため、とりあえず大量採用しておいてから一握りの「使える者」だけ残して後は

 大量解雇することで人材の選別をする。しかも自己都合退職に追い込むことで解雇による労災補償を

 免れつつ、雇用保険や健康保険に自らのコストを負担させて(公金横領に等しい!)、若者の「使い

 捨て」を安価にかつ効率的に実現しているのである。これは企業による若者の使い捨てであり、日本

 の未来を台無しにする、悪質な犯罪と捉えるべきなのである。

※ただし日本の失業時の雇用保険の受給期間や支給要件は非常に厳しく、失業者の2割しかカバーできて

 いないという。

 

 

ブラック企業と貧困化する日本の若者Ⅰ 

  )組(  )番(         

 日本の企業社会では日本的雇用慣行が一部崩れてきて、代わりにアメリカ型の過酷な(    )主義が導入されてきた。しかしもう一つ、見逃せない重大な変化が今、日本の若者たちに襲いかかってきている。それは一言でいえば「     」である。今、急速に進みつつある若者たちの貧困化は今野氏の指摘によれば大きく二つの側面から見ていくことができるようである(今野晴貴「ブラック企業」文春新書2013と「生活保護」ちくま新書2013)。

 まずかつて「氷河時代」とよばれた若者の就職状況の慢性的な悪化である。産業の(      )が進展することによって多くの(    )業の生産拠点は今後も海外に移転していく。京葉工業地域でも特に(    )関連や(       )コンビナート関連の業界から地元の高校に送られてくる求人票が激減してきた。これにより高卒男子の就職先が極めて狭い分野に偏ることになってしまった。また高卒女子の大量受け入れ先であった(     )、スーパーの類はかなり以前から正規雇用の求人が激減し、(    )関連に至っては高卒の求人は現在皆無といってよい。高卒女子の就職はとりわけ難しい状況となっている。

 たしかに「アベノミクス」の成果からであろうが、最近、少しだけ高卒者の就職状況は改善してきているのも事実であるが、だからといって長期的にみれば楽観はできない。しかも大学を卒業したからと言って正規雇用に即、なれる保証はない。非正規雇用の不安定な環境でしばらく(あるいはずっと)耐え続けなければならないのが、日本のごく普通の若者の現状である(若者のほぼ       は非正規雇用)。

 せっかく企業に正規採用されても就職先が「      企業」であれば、かえって悲劇となる。そして一流企業、グローバル企業といえども「ブラック企業」になりうること、いや日本企業の多くが「ブラック化」しつつあるという。であればこの問題は一部のブラック企業に就職してしまった一握りの不幸な若者の話…では済まされなくなる。

 今やうつ病などに追い込まれて依願退職に追い込まれる若者が増えつつある。若者にとって(     )や(   )という最悪の事態も招きかねない、過酷な労働現場が日本で広がりつつあるらしい。そして厄介なことに(    )指導、キャリアガイダンスなどでニートやフリーターなどを一方的に批判し、下手に正規雇用への道を若者に奨励すると、かえってブラック企業を利する恐れもあるという。

 若者を最後に待ち受けるのは底の抜けたような、日本の悲惨な(      )政策である。ブラック企業に就職したために心を病み、結局失業してしまった若者、あるいは終わりの無い(    )で心身疲弊し、引きこもりがちになってしまった若者…彼らの一部は最後の頼りとなるはずの生活保護を申請するため、各地の

     )事務所を訪れる。ところがむしろそこから本当の地獄が始まったりする。日本の生活保護政策にはそら恐ろしい実態があるらしい(特に         に対する差別的な仕打ちが行われているという)。

 以下、具体例を挙げながら日本の若者をめぐる就職状況および貧困者の最終的な

           )といわれる生活保護政策のそれぞれの問題点に焦点を当てて考察してみたい。

1.基本的な権利の再確認

・勤労に関わる権利

日本国憲法第27条「(    )の権利及び義務、勤労条件の基準、児童酷使の禁

 止」

 ①すべて国民は、勤労の(    )を有し、(    )を負う

 ②賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める

  (→        法等)    (児童の酷使を禁じた③は省略)

労働基準法

第1条「労働条件の原則」

 ①労働条件は、労働者が(           )生活を営むための必要を充た

  すべきものでなければならない。

 ②…当事者は、この基準を理由として労働条件を低下させてはならないことはもと

  より、その向上を図るように努めなければならない。

第2条「労働条件の決定」

 ①労働条件は、労働者と使用者が、(     )の立場において決定すべきもの

  である。②は省略

第5条「強制労働の禁止」

 使用者は、暴行、脅迫、監禁その他精神又は身体の自由を不当に拘束する手段によ

 って、労働者の意思に反して労働を強制してはならない。

第32条「労働時間」

 ①使用者は、労働者に、休憩時間を除き一週間について(    )時間を超え

  て、労働させてはならない。

 ②使用者は、1週間の各日については、労働者に、休憩時間を除き1日について

  (  )時間を超えて労働させてはならない。

第35条「休日」

 ①使用者は、労働者に対して、毎週少なくとも1回の休日を与えなければならない。

第28条「勤労者の     権」

 勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の(       )をする権利は、こ

 れを保障する。

同 第18条「奴隷的拘束及び苦役からの(    )」

 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、

 その意に反する苦役に服させられない。

・生活保障に関わる権利

同 第25条「     権、国の社会的使命」

 ①すべて国民は、(    )で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

 ②国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び

  増進に努めなければならない。

同 第13条「個人の尊重・幸福追求権・公共の福祉」

 すべて国民は、(    )として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する

 国民の権利については、(         )に反しない限り、立法その他の国

 政の上で、(          )を必要とする。

 

 以上、憲法を中心に権利の確認をしたが、日本の現実は憲法の規定通りではなく、憲法違反を含めた違法な実態が社会のあちらこちらに蔓延しつつある。いうまでもなくこれらの権利が憲法などに規定されているからといって、現実に保障されているとは限らない

 実際、憲法12条にはこうした権利が「…国民の(          )によって、これを保持しなければならない…」とされており、規定があるからと言って油断はできないのである。憲法の規定はあくまで「努力目標」のようなものであり、規定されている権利の維持拡大のためには国民の不断の努力が必要不可欠となっている点は要注意だろう。

 

2.ブラック企業と日本の雇用問題

 日本の若者が学力の国際比較で下位に低迷していた10年ほど前までは、若者の就職状況の悪化に対しての論評が、長期化する(    )という観点を共通としながらもどちらかというと、ニート、引きこもりに陥った一部の若者の

            )能力の不足、基礎(    )や勤労(    )の欠如などといったもっぱら若者の資質の問題にかたよる傾向があった。

 しかし「ブラック企業」という言葉が広がり始めた数年前から個々の若者の資質の枠を超えた、日本の企業社会、法制度全体の根本的欠陥に注目する論調が盛り上がり始めた。この動きは小泉内閣時の規制緩和によって(      )雇用が急増してきた(特に女の若年層で急増。しかも        型から家計自立型に移行してきた分、事はより深刻になってきている)ことで、「派遣切り」に象徴されるような非正規雇用者の立場の弱さにまずは目が移っていったことと関連がありそうである。

 さらに非正規雇用の増大が正規雇用者の立場をも弱体化(        採用や新卒           の増加等)させ、結果的に「若者全体の雇用問題」としての「ブラック企業」の問題を表面化させていったと思われる。

 特に(           )以降、若年正社員の待遇悪化が日本全体で加速し、「ブラック企業」はあたかも流行語のようになっていった。

 (   )業界の成長株、I社を事例にブラック企業の実態を見てみよう。I社は1000人近い従業員を擁する都内の企業。2009年、その新入社員が続々と上司から退職強要を受けたという。「面談」「カウンセリング」と称して毎日、数時間(7時間以上にわたることも)、(       )を受けていたとのこと。あわせて7人がPOSSE(今野氏が設立したNPO法人)を訪れ、同様の相談をしている。同社の2008年度の新入社員はおよそ200人余りで、2年以内の内にその(    )は離職しているらしい。

 なかにはグレーのスウェットで通勤を命じられ、社長の出迎え、カバン持ち、ペットの散歩、清掃などを時間外でもこなさなければならず、残業時間は平均5時間以上にのぼる者もいたという。面談やカウンセリングと称する場面では徹底的に

         」を繰り返させられ、努力はすべて否定されて絶え間なく罵られるという。まさに人格破壊的拷問であった。

※ブラック企業の労働形態の特色として「         」と同様、仕事の細分化とマニュアル化 

 が指摘されている。これらによって社員を交換可能な存在におとしめているのだ。ブラック企業の多

 いIT企業では「定年は   歳」とつぶやかれるほどに過酷な単純作業の繰り返しが求められる。

 「          」という企業にはブラックが多い。

  新卒の単価は安いため、とりあえず大量採用しておいてから一握りの「使える者」だけ残して後は

 大量解雇することで人材の(    )をする。しかも(        )退職に追い込むことで

 (     )による労災補償を免れつつ、(    )保険や健康保険に自らのコストを負担させ

 て(公金横領に等しい!)、若者の「        」を安価にかつ効率的に実現しているのであ

 る。これは企業による若者の使い捨て=日本の未来を台無しにする、悪質な犯罪と捉えるべきなので

 ある。

※ただし日本の失業時の雇用保険の受給期間や支給要件は非常に厳しく、失業者のおよそ(   )割

 しかカバーできていないという。

 

参考記事

日本の出生数が過去最小になった「本当の原因」

 東洋経済オンライン 荒川 和久 2025.3.15

 20代の中間層における婚姻率の低下が少子化の最大の原因であるとの指摘は極めて重要だろう。つまり20代の中間層への手当てを厚くすることこそ、最大の少子化対策となる。だからこそ、消費税の減税、廃止と中間層の手取りを増やそうと訴えてきた国民民主党やれいわ新鮮組への若者たちの支持が現在、急増しているに違いない。

 

 

 

 

 

 

§8.カッパの授業プリント例

3. 世界の地名・人名の由来

 

 今回、ご紹介するプリントは20年ほど前に作成したものですが、修正すべき部分は今のところ見当たらないので、ほぼほぼ現在も利用できる内容だと思っております。

 ぜひ、遠慮なくご利用ください。

 

世界の地名・人名の由来そのⅠ

(  )組(  )番(           

 世界のすべてを扱うと内容が盛り沢山になりすぎて訳が分からなくなる。ここでは日本が属するアジアの一部とヨーロッパにまず地域を限定しよう。さらにアジアは国名の由来を簡単に触れるにとどめておこう。

 

①アジア(東アジア、東南アジア中心)

 a(      ):古代の「三韓時代」の国名に由来。「韓」には「偉大な君 

  主」という意味があるとも。英名「コリア」は13世紀に侵入したモンゴルが「高

  麗(コリョ)」を間違って「コリア」とヨーロッパに伝えてしまったからだとい

  う。1945年、日本の敗戦により独立した際、現在の国名となる。

   なお首都(     )は「都」を意味し、固有名詞ではないため、本来、漢

  字では表記されない。

 b(           ):「朝鮮」は中国人が半島北部を「朝光鮮麗」(朝

  の光の美しい地)と評したことに由来。1948年、金日成が中国、ソ連の支援を受

  けて独立を宣言した際、現在の国名となる。首都は(    )。

 c(         ):「中華」とは「世界に中央に位置する華やかな国」の

  こと。1912年、孫文が清朝を倒して「中華民国」を建国。1949年、国共内戦に

  勝利した中国(     )が現在の国名に改名。

   中華民国政府(蒋介石)側は(    )に逃げて「中華民国」の存続を図

  る。首都は(    )。

 d(       ):1542年、上陸したスペイン人が当時のスペイン皇太子フェ

  リペ二世にちなんで命名。1898年、スペインから独立。後、アメリカ、日本と相

  次いで支配を受けるが太平洋戦争終了後、独立。

   アジアで唯一の(      )教(カトリック)国。首都は(     )

 e(        ):自称は「ヌサンタラ」(ジャワ語で島々の王国の意)。

  1883年、ドイツ人学者がギリシア語で「    の島々」=インドネシアと命

  名。その名の通り、古くからインドの影響を強く受け、地名も古代インドのサン

  スクリット語(ジャワ=穀物、スマトラ=大海、ジャカルタ=勝利の都市…)に

  よるものが多い。バリ島のように(      )教を伝える島もあるが、多く

  は(      )教徒である。1602年からは(      )の支配下に置か

  れるが、太平洋戦争中は日本に支配され、戦後、独立を果たす。

   首都は(       )。

  ※「ジャガイモ」は江戸時代、ジャカルタからオランダ人によって日本にもたらされたため、当時

   は「ジャガタライモ」と呼ばれていた。

 f(        ):サンスクリット語の「マラヤ」=「山地」に由来。イン

  ド南東部にあった地名で、そこに住んでいた人々が移住し、同じ名前を付けた。

  ポルトガル、オランダを経て1824年、(      )が支配。1957年、独立

  を果たす。首都は(         )。

 g(    ):中国南部のタイ族が、モンゴル帝国の侵入によって南下し、1300

  年頃、現在の地に定着。「タイ」の語源は不明だが、後世、「自由」の意で解釈

  されるようになった。旧称は「シャム」で「浅黒い人の国」の意。

   1939年、シャムからタイに改名。東南アジアで唯一、他国に支配された歴史を

  持たない国(→親日的)。首都は(     )。

 h(      ):1989年、ビルマから突然、改名。ビルマ語で「強い人」の

  意。首都ヤンゴンは18世紀、この地を征服したビルマ人が「戦いの終わり」と言

  う意で命名。なお旧称のビルマはヒンドゥー教の創造神ブラフマが英語で転訛し

  たもの。インドとともに長らく(      )の支配下に置かれていた。

 i(       ):自称は「カンプジャ」で3世紀頃の国、カンプジャに由来。

  建国者とされるインドのバラモン僧カンプーの子孫(ジャ)の意。ベトナム、ラ

  オスとともに(      )の支配下に置かれていた。

   首都は(        )。

 j(      ):中国の呼び名「越南」に由来。越は前5世紀頃、長江南域にあ

  った国で楚に滅ぼされて南下し、ベトナム人の祖となったという。10世紀まで中

  国に支配、やがてフランスの支配を受けた。太平洋戦争後、南北に分裂し、社会

  主義の北ベトナムとアメリカ寄りの南ベトナムとの間に緊張が続いた。1965年、

  アメリカが介入して北ベトナム爆撃(北爆)を開始したが、戦争はドロ沼化し、

  1973年、アメリカは撤退した。1975年、戦争が終結し、南北は社会主義勢力の

  もとに統一された。首都は(        )。

 k(     ):ラオ族の地の意。ラオは人を意味するだけ。熱帯の内陸に位置

  するため、海岸を持つ国ほどには発展せず、ビルマやタイの支配を長く受けてき

  た。首都は(       )。

 l(     ):サンスクリット語で「  」を意味する「ヒンドゥ」に由来。

  紀元前327年、(         )大王率いるギリシア軍がインダス(これ

  もヒンドゥに由来)川に到着。「ヒンドゥ」がギリシア語で転訛し「インド」と

  なった。首都は(     )。

 

 

世界の地名・人名の由来そのⅡ

(  )組(  )番(         )

②ヨーロッパ:地名・人名の源流

 ※ヨーロッパ:(      )神話中の「豊穣の女神エウロペが牛に化けた       にさら

  われてエレブ(エーゲ海の西側をさす)の地に着いた」という話に基づき「エウロペ(europ

  e)」と呼ぶようになった。

 ヨーロッパの地名、人名の由来はだいたい三つの源流に大別できよう。まずはキリスト教以前にヨーロッパ全体に大きな影響を与えた(     )・ローマ文化、次にかつてヨーロッパ各地に存在し、地名などにその痕跡を残している(    )人の文化及びゲルマン人の文化、最後に(      )教文化である。

 以下、順にそれぞれの文化に由来する地名・人名を見てみよう。なお、アジアの人名と違って欧米では姓が個人名としてもよく使用される。欧米では親が勝手に名前を創作する伝統はなく、(    )や英雄などの歴史的有名人へのイメージに基づいてその中から随意に選択されるのである。また洗礼名=個人名を優先する発想から西洋では姓が後になるが、伝統的に「家」への帰属意識が強い東アジアでは姓=家名が先にくる、と考えられている(ただしミャンマーやマレー・インドネシア系、アメリカ先住民、アラブ人などはそもそも姓を持たない文化圏)。

 

 ヨーロッパで世襲の姓を初めて全国民に義務付けたのはフランスで、1804年のいわ

ゆる「       法典」だそうだ。(   )実現に向けて特権階級が独占してきた姓を市民にも開放するという市民革命の理想的目標と同時に近代的国民国家創出のため、国民への(       )の強化(徴兵、徴税体制の整備)という観点からも姓の義務付けがなされたという(→日本の苗字必称令)。

 

A(      )・ローマ文化

 ギリシア神話に由来する地名、人名は数多い。「ヨーロッパ」以外でも大西洋=「         ・オーシャン」は神話において西のかなたで天を支える巨人「アトラス」にちなんで付けられた。

 イギリスの地名にはローマ帝国が築いた城砦「カストラ」に由来する「チェスター」や「カスター」の付く地名も残されている。

 人名では以下の名前が代表的。

・「フィリップ」:ギリシアの馬の神「フィリポス」に由来。「フィリポス」は「フ

 ィロス」=「    」と「ヒッポス」=「馬」との合成語。

・「ニコラス」:同じく勝利の神「ニケ」に由来。「ニケ」に「ラオス」=「兵隊」

 を付けた勇ましい名である。ちなみに4世紀の(    )の司祭ニコラウスの伝説

 (貧しい娘や子供たちの救済に努めた逸話が多い)から(         )の

 お話が生まれている。オランダ語で「聖人」を表す「サンテ」とニコラスの短縮形

 「クラース」をつなげて「サンテクラース」と呼ばれていたのが、「サンタクロー

 ス」に変化。ゲルマン時代の(    )のお祭りに使われたアイテム(もみの

 木…)を「クリスマスツリー」に転用し、さらにサンタクロースを現在のような赤

 い衣装で白い髭の姿にアレンジするなど、キリスト誕生祭を北欧風の味付けにした

 のは19世紀、ニューヨークにいたオランダ移民たちであった。なおニューヨークは

 かつてニューアムステルダムと呼ばれていたようにオランダ系移民の多い都市であ

 った。

・「     」:ギリシア語の「ゲオルギオス」=「農夫」に由来。4世紀初頭に殉

 教した聖ゲオルギウスがイングランドやドイツの守護聖人とされたため、人名とし

 て広く普及。

・「マーク」:ローマ神話の軍神「マルス」に由来。キリスト教福音者の聖マルコに

 あやかる名として普及。

・「     」:ローマ神話の月、狩猟の女神「ディアナ」に由来。

・「エミリー」:ローマ建国者アエネアスの娘の名で原義は「並び立つ、勝利者」。

 ボッカチオの作品に登場して以降、普及。男性名でエミール

 

Bケルト、ゲルマン文化

 ア.(     )文化:かつてドナウ川上流の草原地帯に住んでいた騎馬民族のケ

  ルト人(「ケルト」=「   」)はローマ帝国の領土拡大や4,5世紀頃のゲルマ

  ン民族の大移動などによってしだいにヨーロッパの片隅に追いやられ、その伝統

  をわずかながらでも受け継ぐのは今や、イギリスのウェールズ地方(「ウェール

  ズ」とはケルト人を追い払ったアングロ・サクソン人の言葉で「敵」を意味)や

  アイルランド(ケルト語で「西の国」の意)などに限られてしまった。

   彼らの遺産は「アルプス」(「アルプ」=岩山)、「ドーバー海峡」(「ドブ

  ラ」=川)、「ライン川」(「リン」=川)、「ロンドン」(ケルト系ロンディ

  ヌス族の地、「ロンド」は野性的、勇敢の意)といった地名などに残されてい

  る。人名としては以下のものが代表的な名前である。

・「ニール」:アイルランドやイギリスに渡ったケルト人の言葉ゲール語で「闘士、

 擁護者」の意「ニアル」に由来。5世紀のアイルランド王ニアル以降、普及。

・「     」:ゲール語の「アール」=(  )に由来。ケルト民族を率いてサ

 クソン人と戦った伝説上の人物「アーサー王」で普及。

・「ケネス」、「     」:ゲール語でそれぞれ「キネッズ」=火から生まれた

 者、「ドムナル」=世界を支配する者の意。ケネスはスコットランド初代の王でド

 ナルドは2代目の王であったため、普及。

・「ジェニファー」:アーサー王妃「グウィネヴィア」=美しき精霊に由来。

イ.(      )文化:4世紀以降、中央アジアの遊牧民族(   )族がヨーロッパに侵入(「      」はフン族の地の意。450年、フン族の王アッチラが

    帝国侵入の拠点をこの平原に置いたことに由来。ヨーロッパの中で唯一、アジア系のマジャール人が建国した国でもあり、姓を先に名乗るというアジアの風習を伝えている)してきたため、これに押し出されるようにしてライン川とドナウ川の北側で農牧生活を送っていたゲルマン民族(もともと北欧からドイツ周辺に生活していた)がローマ帝国内に殺到し、ローマ帝国の滅亡(476年西ローマ帝国滅亡)を決定的にした。その後、ゲルマン民族は各地に部族ごとの国を作って、今のヨーロッパ諸国の源流となった

 国名として「      」=「フランク族の地」(「フランク」は投げ槍を意味する「フランカ」から)、「        」=「アングル族の地」(「アングル」は釣り針のことで、もともとの本拠地が釣り針の形をしたオランダ半島の南部であったから)、地名として「フランクフルト」=「フランク族が作った渡し場」などがある。イギリスにはアングル族やサクソン族の言葉に由来する都市名が多く、柵や囲い地を意味する「   」(→タウン、「ニュートン」は「ニュータウン」のことでイギリスでは100以上もある地名)、村や屋敷地を意味する「ハム」、開墾地を意味する「レイ」(「スタンレイ」は石の多い開墾地をさす…)、渡し場を意味する「     」(「クリフォード」は流れの速い瀬をさす…)、山城を意味する「バーグ」、泉を意味する「ウェル」などが語尾につく地名も多い。

 なお特に北方に住むゲルマン人は「ノルマン」=「   の人」とか、「バイキング」=「    の民」と呼ばれた。そのうちのデーン人が作った国が「デンマーク」、スベリ族が作ったのが「スウェーデン」。「北航路の地」を意味する「ノルゲ」が「ノルウェー」になった。スェーデンバイキングの総称「ルーシ」(=「オールをこぐ人」の意)が進出して作ったのが「     」である。

※また東ヨーロッパにとどまった(    )人は「スロバキア」「スロベニア」「セルビア」「ユー

 ゴスラビア」などスラブ人の国を意味する国名を生み出している。

 人名としては以下のものが代表的である。

・「   」(仏):ゲルマン祖語「ルド」=「雷鳴」と「ヴィヒ」=「戦い」との

 合成で古高地ドイツ語の「ルドヴィッヒ」=「高名な戦士」が生まれ、5世紀に 

 (      )王国建国者「クローヴィス」(フランス語)が活躍して以降、普

 及。ドイツ語では「ルードヴィッヒ」

・「      」(英):ゲルマン神話の登場人物「カール」に由来。「カール」

 は古高地ドイツ語で男や農夫を意味するようになった。8~9世紀に西ヨーロッパを

 統一したカール大帝以降、普及。フランス語で(     )、女性名でシャルロ

 ッテ、シャーリー、シェリー等

・「     」(英):古高地ドイツ語で「ルド」(=名声)と「ペール」(=輝

 かしい)で「ロベール」となる。初代ノルマンディー公ロベール以降、普及。ロバ

 ートソン、ロバーツ、ロビン、ロビンソン、ホッブズ、ホプキンスなど100以上の

 名前が派生。

・「       」(英):古高地ドイツ語の「ヴィル」(=意思や冨の意)「ヘ

 ルム」(=かぶと、守護の意、→ヘルメットの語源)の合成語に由来。11世紀の

 「征服王」ウィリアム以降、普及。短縮形はビル、ウィル。

・「     」(英):古高地ドイツ語「ハイム」(=家、国)と「リッヒ」(=

 支配、→リッチの語源)の合成語に由来。10世紀のドイツ皇帝ハインリッヒ1世、

 12世紀のイングランドのヘンリー1世などにより普及。

 

Cキリスト教文化:基本的には聖書に登場する名前が由来となっているものでもっぱら人名に限って代表的な名前を挙げてみよう。

・「    」:洗礼者ヨハネ、あるいは伝道者ヨハネに由来。キリスト教世界では

 最大の名前で、聖書に14人登場。ローマ法王にいたっては24人もいる。「ヨハネ」

 はヘブライ語で「ヤーウェは恵み深きかな」。フランスではジャン、イタリアでは

 ジョバンニ、スペインではファン、ドイツではヨハン。

  ジョンソン、ジョーンズ、ジョンストン、ジャクソン、ジェレミー、ヘンデル、

 イワノフ、ヤンセン、ヨハンソンなどが派生。

・「       」:洗礼者ヨハネの母エリザベトに由来。「エリザベト」の原義

 は「エル=最高神=ヤーウェは誓いなり」。スペインではイザベラ、フランスでは

 エザベル。愛称としてベティ、ベス、リズ、リザ…

・「     」:大天使ミカエルに由来。原義は「誰が神のごとくであるか」。イ

 タリアルネッサンスの天才ミケランジェロは「天使ミカエル」を意味。なお大天使

 は他に「ガブリエル」(=「神の力」)、「ウリエル」(=「神の炎」)、「ラフ

 ァエル」(=神は癒したまえり)でいずれも人名の由来となっている。愛称はミッ

 キー、女性名はミシェル。

※この名はあまりにも平凡だったため、アメリカではとるわけ黒人に付けられることが多かった。また

 (        )人にも多く、「ミッキー」はアメリカではアイルランド人への「蔑称」でもあ

 った。ディズニーランドの創設者であり、「ミッキー・マウス」というキャラクターを作り出したデ

 ィズニーは曽祖父がアイルランド出身の移民であったのだ。ただし「ディズニー」はフランスの「イ

 ズグニー」出身という意味で、おそらく相当前の先祖がフランスからアイルランドに移住し、さらに

 曽祖父のときにアメリカへ移住してきたのだろう。

・「ジェイムズ」:聖書に出てくるユダヤの三代目の族長ヤコブに由来。原義は「か

 かとをつかむ者」。双子の兄のかかとをつかんで生まれてきたという。ユダヤ繁栄

 の基を築いた。別名を「       」(=「神と競う者」「神の戦士」)。ジ

 ャック、ジェイコブ、ジャコブ等。愛称ジミー、ジム。女性名でジャクリーヌ。

・「    」:キリストの母マリアに由来。10世紀以降、神にとりなしてくれる慈

 悲深い聖母マリアとして熱烈な信仰を集めるようになり、女性名として圧倒的な人

 気をほこった。なおフランスで「ノートルダム」、イタリアで「マドンナ」といえ

 ば聖母マリアのこと。

※他にはキリストの一番弟子ペテロ(=岩)に由来する「     」、 初代ローマ教皇パウロ(=

 小柄な人)に由来する「ポール」、十二人の使徒の一人トマス(=双子)に由来する「トーマス」な

 どがある。

 

③ヨーロッパ人名の由来(別編)

 以上見てきたように、欧米の地名、人名の起源となった文化は三つに大別できるが、さらに別の観点からは以下のようにも整理できる。

.地名や地形に由来:人名のほぼ半数を占めるという。以下具体例を挙げてみる。

・「ウッズ」:(   )に住む人・「    」:小川。英語でブルック

・「ノートン」:「ノル」(   )と「トン」(集落=タウン)の合成

・「     」:「ヒル」(丘)で「丘の上の集落」。クリントンも同様

・「ハミルトン」:平らな丘・「シートン」:(          )

・「モーツァルト」:沼地の茂み・「     」:藪

・「クロフォード」:カラスのいる浅瀬・「ソープ」:酪農場

・「スタンフォード」:石の多い浅瀬、ないしは石でできた渡し場

・「スタンレー」:石の多い開墾地・「ブレア」:ケルト語で平原

・「シェルダン」:深い谷・「トワイニング」:二つの小川に挟まれた地

・「フランシス」:(      )出身・「デニス」:デンマーク出身

・「     」:スコットランド出身・「ウェルチ」:ウェールズ出身

・「フレミング」:フランドル地方出身・「ブルックナー」:沼地の住民

・「リンカーン」:水辺のローマ人の集落

 *他との合成で「        」=「チャーチ」+「ヒル」(教会のある丘)

.(    )に由来:以下列挙してみる。

「    」:鍛冶屋、「ミラー」:製粉業、「ベイカー」:パン屋

「チャップリン」:(    )、「クラーク」:下位の聖職者

「ケロッグ」:ブタ肉屋、「スペンサー」:執事、召使

「テイラー」:仕立て屋、「マーラー」=ペンキ屋

「シューマッハー」「シューマン」・「シューベルト」:(    )

「ハント」:猟師、「フィッシャー」:漁師、「ターナー」:旋盤工

「ポッター」:(       )、「カーター」:御者

「サッチャー」:屋根葺き職人、「カーペンター」や「ライト」:大工

「カルティエ」:トランプの業者、「フォスター」:森の番人

「       」:製塩所の監督、「ムッソリーニ」:綿織物職人か?

「ピューリッツァー」:毛皮職人・商人、「ワーグナー」:車大工

「         」:砂糖大根(ビート)農場のこと。

「ミレー」:キビの栽培人

.先祖の個性、特徴(あだ名)に由来:これも以下列挙してみる。

「キャメロン」:(        )、「フロイト」:陽気な男

「ケネディ」:(      )、「ドゥーリトル」:(    )

「アームストロング」:腕力の強い、「トルーマン」:誠実な人

「ブラウン・ブラック・ホワイト・グレイ・リード」:肌や髪の毛の色

「シュワルツェネッガー」:黒髪の農夫、「ニューマン」:新参者

「カルヴァン」:小さな(      )、「ロング」:背が高い

「キャンベル」:ゆがんだ唇、「トルストイ」:太っちょ

「ゴルバチョフ」:せむし男、「シュトラウス」:まぬけ

.親の名を継ぐ:子を意味する「SON」や所有を意味する「S」が後ろに付く名前(イングランド)や、「MAC」、「MC」、が前に付く名前(スコットランド、アイルランド)、あるいは「O」が前に付く名前(ウェールズ)は親の名を継いでいることを示す。

例:ジョンソン、エジソン、ボブソン、ウィリアムズ、マクドナルド、マッカートニ

 ー、マッキントッシュ、マッカーサー、オニール

 

 欧米の人名ではこれら以外にも(    )人の場合にはかつて姓を持つことを禁じられていたとか、持つことが許されても、植物や鉱物名であること多かった(たとえばユダヤ人の有名人では「アインシュタイン」=    、「バーンシュタイン」=琥珀、「ルビンシュタイン」=紅玉、「エイゼンシュタイン」=鉄鉱石など)とか、欧米の黒人は白人から欧米の地名(ハリウッドの有名黒人俳優の「デンゼル・ワシントン」等)や「プリンス」、「デューク」(=公爵)などのような皮肉っぽい名前が付けられていた、女性は男性名の語尾を変えただけが多かった(男系中心社会だったから)…など興味深い点が残されている。

 またアフリカにはかつての「奴隷海岸」周辺で地名として白人支配からの解放を喜ぶ「リーブルビル」(ガボンの首都でフランス語)、「フリータウン」(シエラレオネの首都)、「リベリア」(国名)が生まれた。

 人は時代と場所を超えて、名前に様々な意味を込めてきたのである。

 

※参考文献

・「世界人名物語」梅田修 講談社現代新書 1999

・「地名の秘密」古川愛哲 リュウ・ブックスアステ新書 2002

・「地名の世界地図」21世紀研究会編 文春新書 2000

・「世界地図から地名の起源を読む方法」辻原康夫 KAWADE夢新書 2001

・「地名で読むヨーロッパ」梅田修 講談社現代新書 2002

・「地名から歴史を読む方法」武光誠 KAWADE夢新書 1999

・「人名の世界地図」21世紀研究会編 文春新書 2001

・「人名の世界史」辻原康夫 平凡社新書 2005

  

§8.カッパの授業プリント例

2.「お金の世界」実物教材

 

 以下はプリント「お金の世界」などで用いた実物教材の一部をご紹介いたします。他にも「中国の貨幣」(開元通宝、皇宋通宝、永楽通宝、乾隆通宝…)や「第一次世界大戦前後のドイツ通貨」(布製の紙幣、鉄製の硬貨…)などの貴重な資料もありましたが、他の教師に貸したりするうちに紛失してしまいました。

 意外に安く手に入るものも多く、個人的に授業で利用するため、一時期、夢中になって購入したものが中心です。総額で20万円ほどはかかったはずですが、それ以上に10年余りの労力と時間を費やして集めてきたカッパ独自のコレクションになります。

 

内戦中の旧ユーゴスラビアで発行された高額紙幣。左は50億ディナール(1993年11月発行)、右は5000億ディナール(1993年12月発行)。経済制裁のよる物不足に加えて紙幣を乱発したことによるハイパーインフレで1兆倍をこえるインフレ率を記録。金本位制から管理通貨制度に移行した現在、いたずらに紙幣を乱発すると通貨価値の暴落、物価の急騰を招いてしまう事例として第一次世界大戦後にドイツが発行した紙幣(下)とともに授業で配布してきた資料である。

 

第一次世界大戦敗戦後のドイツで発行された紙幣で左は猛烈なインフレで1922年発行の、かなり巨大化した1万マルク、右はハイパーインフレのなかで印刷が間に合わず、ついに裏側が白紙(片面印刷)となっている1憶マルク(1923)。右はサイズ的には現在の紙幣と大差なし。なお超高額紙幣として歴史上有名な100兆マルク紙幣はマニアが高値でも欲しがるため、かなり値が張るので購入は諦めた。
 

第一次世界大戦で疲弊したドイツが金属不足のために発行した低額紙幣でサイズは大きめの切手程度

日本も第二次世界大戦末期から敗戦直後まで同様の理由により小さな低額紙幣を発行している。

図案にも注目。左は戦時中のもので軍国主義を、右は戦後のもので民主主義と平和主義を反映。

以下は戦時中の硬貨で出征する兵士の千人針などに縫い込まれた貨幣

日本の統治下で発行された通貨・軍票

左は1930年発行の兌換紙幣(和気清麻呂10円)、右は1943年発行の不換紙幣。やや右側が赤味を帯びているがデザイン的には大差ない。世界大恐慌の中で敢えて金本位制に復帰したことを示すのが左の紙幣(井上緊縮財政)。右は1942年に日本が名実ともに金本位制から離脱した翌年の発行。

 

古代中国の貨幣は青銅製が圧倒的で金属製の利器をかたどっているものが多い。当時はありふれた素材

であった青銅製の物体に青銅としての素材価値以上の交換価値を持たせる上での工夫が農工具という形を銭貨にとらせたのだろう。

 

西洋での鍛造と古代中国での鋳造との違いを示すために紀元前の古代ローマ帝国の銀貨を紹介していたが、下の青銅貨幣二枚はもちろん鋳造で東ローマ帝国のもの(非常に安価で購入できる)。

 

江戸時代の貨幣は秤量貨幣と定位貨幣に大別され三貨(金貨・銀貨・銭貨)を交換するにはそれぞれの相場を見る必要があった。東日本では主に金貨、西日本では銀貨を中心とする経済圏に分かれており、銀貨の多くは重さをはからないと金額が決まらない秤量貨幣であったため、上方と江戸との間での決済は複雑を極め、結果的に両替商の台頭をまねいた。なお金貨(大判、小判)はさすがに実物教材を得られず、授業では実物大のレプリカを提示して説明してきた。

左は明治初期に発行された不換紙幣(1869年発行の民部省札)、右は江戸時代後半、西日本で多く発行された藩札で色を付けて偽造防止を図っている。赤っぽいのが丹波国柏原の銀一匁札(1731年発行)、青っぽいのが播磨国若狭野藩の銀五匁(1822年発行)。いずれにせよ財政難を乗り切るために発行された不換紙幣であり、結果的に通貨価値の下落、物価上昇を招く一因となった。明治初期にはこうした各種の不換紙幣が大量に出回っていたこともあって物価高騰と経済的低迷が続き、明治政府はその対応に苦悩させられていた。

新貨条例(1871年)を出して明治政府は複雑だった江戸時代の通貨制度を廃止し、十進法と金本位を採用して通貨の流通を円滑にし、同時に通貨価値の低落を防ごうとしたが、金の保有量不足によって金本位制の確立はならなかった。しかし江戸時代に比べて貨幣は円形に統一されて持ち運びが容易となり、計算も容易となった。

 

通貨は発行する国家のシンボルとしての機能を持つため、そのデザインは時間をかけて慎重に選ばれている。日本の場合、紙幣のデザインは閣議で決定されている。したがって紙幣の肖像を誰にするのかはこれまでも強い政治的意図を持って決められてきた。戦後、いくども選ばれてきた聖徳太子は平和主義と天皇制存続を示すシンボルであり、伊藤博文と福沢諭吉は日本の近代化とアジア進出のシンボルであろう。硬貨も同様でたとえば現在も使われている五円玉(戦後間もなくの1949年から発行され、70年以上にわたってデザイン上での変更は書体の変化のみ)の穴周辺の模様は歯車、すなわち工業の発展を、稲の図案は主食であるコメの豊作、農業の発展を祈願するデザインとなっている。
 

§8.カッパの授業プリント例

1.お金の世界 

 

参考動画

【宇治原が選ぶ】20数年後の紙幣はこの人だ!

 ロザンの楽屋  2024/07/03  15:47

 これは楽しい予想動画で興味深い話題。視聴させる前に生徒たちにあらかじめ予想させておくと盛り上がるだろう。また近代以降、紙幣に選ばれる人物は日本では戦前と戦後に分けてそれぞれどういう経歴、実績の持ち主だったか、戦前と戦後の人物の特徴をまず挙げさせてみたい。特に1984年、2004年の人物をしっかりと振り返らせてから近年の傾向を理解させ、2044年の予想にチャレンジさせることも悪くない。

 宇治原氏が指摘した最近の傾向は着眼点としてとりわけ注目させたいところ。千円札は理系の学者、五千円札は女性の偉人、一万円札は男性の偉人でいずれも近代以降活躍した故人…以上の条件を満たす人物から2044年の新紙幣の人物を選ばせるとかなり候補者数を絞ることが出来る。生徒たちにはそれぞれ予想した理由もいくつか挙げさせてみよう。また人物だけではなく、他に風景や動植物、文化財など、どんなデザインが日本の紙幣に利用できるのか、候補を挙げさせると、日本の観光振興という観点も加わり、さらに話題が広がるだろう。

 

 今回、ご紹介するプリントは20年ほど前に作成したものを多少の修正を加えながら10年ほど前まで授業で利用していたものです。2024年の紙幣改訂の記述さえ加えれば現在もまだ利用できるかと思います。

 ぜひ、遠慮なくご利用ください。

 ※前半は穴埋め無しの元原稿ですので、参考までに載せておきました。後半は実際に授業で利用して

  いたものです。

 

1.貨幣の歴史

 現在のような貨幣が出現する以前は物々交換で必要なものを手に入れていた。やがて農耕牧畜が始まるとその社会で中心的な価値を持つ品が登場し、あらゆるものと交換可能な万能商品のような役割を果たすようになる。このような役割をになう品を現在では物品貨幣という。牧畜を中心とする社会では牛や羊など、農耕を中心とする社会では米や麦などが物品貨幣であった。物品貨幣はそれ自身に使用価値があるため、貨幣と同じ役割を果たすようになったのである。

 しかし物品貨幣にも不便な点があった。長期の保管が難しく、かさばる…などである。そこで西洋では紀元前670年頃、リディア(現在のトルコ)で世界最古といわれる金属貨幣(当時のものは金と銀の合金)が出現した。東洋でもほぼ同じころに中国(春秋戦国時代)で青銅(銅と錫の合金)製の貨幣が出現している。金属貨幣は物品貨幣に比べて使用価値自体は劣るが…

・容量に比して素材価値が高い→コンパクトで持ち運びに便利

・分割化、数量化可能(cf.牛、羊)→価値の計数表示容易に

・腐りにくく摩耗しにくい→長期の利用・保管と価値の蓄積容易に

 といった大きなメリットがあり、現在に至るまで利用され続けている。

 金属貨幣の歴史は東洋と西洋では若干異なっている。西洋ではお互いに依存しあう小国が数多く存在するなかで交易が行われてきた。そうした小国間での取引においては国家の違いを超えて流通できるだけの普遍的な価値が貨幣に備わっていなければならず、必然的に西洋での金属貨幣は金や銀を中心とした貴金属が主体となった。しかし古代中国では金や銀の産出量が少なかったために青銅製の貨幣が主体となった。青銅は金や銀に比べて素材価値はかなり低いため、青銅製の貨幣は低額貨幣とならざるをえず、高額の取引には不向きであった。そのせいか初期の青銅貨幣は価値を持たせるために農耕具や武器、あるいは貝(銅貨出現以前は中国の沿岸部で貨幣の役割を果たしていた)を象っていた。また貨幣経済の発展のためには大量に発行する必要もあったが、幸い古代中国では世界に先駆けて鋳造技術が発達していたため、銅貨を大量にかつ均一に製造することは可能であった(西洋の金属貨幣は当初、打圧製)。とはいえ遠隔地における高額取引に際しては低額貨幣の銅貨の不便さがどうしてもまとわりついていた。この欠点を補うために宋の時代(1023年)、世界で初めての紙幣「交子」が中国で登場したのである。

 紙幣には金属貨幣にはない特色があった。長所としては製造コストが安くつき、発行額も容易に調節可能なため、国家としては景気対策が取りやすいし、財政も補てんしやすい。軽くて持ち運びにも便利である。このため紙幣は通貨の中心に定着する一方で金属貨幣は補助貨幣としての地位に退いていった。しかし紙という素材のために長持ちせず、偽造されやすいという欠点(各国とも通貨偽造の罪は重く、死刑や無期懲役にする国が多い。日本の刑法第148条では「無期または3年以上の懲役」となっている。また現在は紙幣の偽造を防ぐために「ホログラム」などの高度な技術が随所に生かされている)もある。

 とりわけ紙幣の価値の源泉は発行元の信用に基く交換価値だけで、紙自体には使用価値、素材価値はほとんど無い。したがって発行元の信用が揺らいだり、政府の一方的都合で発行高をいたずらに増やしてしまうと紙幣自体の価値も下落し、インフレーションを招いてしまう危険も秘めている。その最悪のケースが第一次世界大戦に負けて天文学的な賠償金を支払うために1923年にドイツで発行された100兆マルク札である(最近では1993年、内戦中の旧ユーゴスラビアで発行された5000億ディナール)。猛烈なインフレーションによって札束はただの紙くずに化してしまい、多くの人々が厳しい生活難に瀕した。

 紙幣のこうした欠点を補うために18世紀以降、イギリスを中心に金本位制が採られていた。金本位制のもとでは兌換紙幣が発行され、紙幣は同価値の金と交換できることで紙幣の価値の安定が図られていた。しかし紙幣の発行高は発行元の金の保有量に制約されるため、おおくの植民地を支配し、金の保有量が十分にあった欧米列強には有利な制度だが当時のドイツや近代国家日本はなかなか金本位制に参入できなかったのである(日本が本格的に金本位制に移行できたのは日清戦争に勝利して金貨による莫大な賠償金を清から入手した1897年のことである)。

 20世紀に入ると自由主義経済の矛盾が噴出し、二度の世界大戦と大規模な世界恐慌を招いた。この過程でイギリス中心の経済体制と揶揄されていた金本位制は崩壊し、次第に国家による景気対策や福祉政策が重視されるようになる(ケインズ革命)なかで管理通貨制度に各国とも移行し始めた。各国の通貨価値の安定は金保有量ではなく、各国政府と中央銀行、さらにはIMFやIBRDなどの国際機関に委ねられるようになったのである。

 

2.お金の現在と未来

①「ユーロ」の出現

 20021月からヨーロッパ12カ国で新しい画期的な通貨「ユーロ」が登場した。ユーロは「ユーロランド」と呼ばれる加盟国内では国境を越えて流通する「欧州の単一通貨」である。ユーロ出現の経緯を概観してみよう。20世紀、ヨーロッパは二度の世界大戦を経験し、痛切にヨーロッパの平和的統合を願うようになった。さらにアメリカや日本の経済的脅威も停滞気味のヨーロッパの団結を強める契機となった。まず1958年、EEC(ヨーロッパ経済共同体)が結成され、経済面での協力体制が整えられていった。1967年にはそれが発展拡充してEC(ヨーロッパ共同体)となり、一層連携を強めた。1989年前後のソ連崩壊と東欧革命を挟んで統合の機運はさらに高まり、1991年のマーストリヒト条約(オランダ)が結ばれた結果、1993年に現在のEU(ヨーロッパ連合)が発足した。こうしてヨーロッパ諸国は連携を強めることで対立を解消し、平和なヨーロッパを実現させるとともに、経済面ではアメリカや日本との競争に有利な立場を築こうとしてきたのである。ユーロの登場はまさにこうしたヨーロッパ統合の歩みの重要な一歩に位置付けられる出来事であった。

 しかし「ユーロ」は決してすんなりと誕生できたわけではない。そもそも各国の通貨のデザインは世界に向けたその国の「象徴」「顔」ともいえるもので、紙幣や硬貨のデザインからその国のお国ぶりや歴史認識をうかがうことができることも多い。EUという歴史的には対立を繰り返してきた国々の統合体がどのようなデザインでユーロを完成させるのか、どのようなデザインでEUの「顔」を表現するのか…難しい検討が繰り返されたのである。結果的には特定の国をイメージさせないよう配慮され、紙幣に関しては実在しない「ヨーロッパ風」の建造物やヨーロッパの地図など無難なデザインが採用された(硬貨は片面に限り国ごとのデザインが許され、各国の個性も認められた)。

②日本の紙幣改訂

 日本では200411月から一万円札、五千円札、千円札の新紙幣が20年ぶりに登場した。その最大の理由は偽造防止にある。それまでの紙幣と比べると違いは一目瞭然。五千円と一万円札には金属的光沢のあるシールのような印刷(ホログラム)が新たに施されるようになったのだ。これによりカラーコピー等による単純な偽造は不可能となったといってよい。他にも各種の新技術が導入され、偽造防止策は一段と進展した。新紙幣の発行は景気浮揚効果も期待でき、また紙幣の「顔」をすげ替えることで特定のメッセージを国民に発する狙いもあったろう(紙幣のデザインは閣議で決定される)。たとえば野口英世千円札は日本の子供たちの間で理数科離れが進むことへの危機感の表れであろうし、樋口一葉五千円札はそれまで神功皇后しか登場してこなかった日本の紙幣に対して男女平等の観点から浴びせられてきた国際的な非難をかわす狙いがあったろう。では日本の紙幣の「顔」には今回の改訂に至るまでにどんな変遷があったのだろう。以下、概観してみよう。

 戦前は特定の人物が繰り返し登場している。最も多く登場(4回)したのは以下の三人である。

・菅原道真:宇多天皇に寵愛され、894年には遣唐使廃止の建議をしたことで知られ 

 る。901年、左大臣藤原時平の讒言により大宰府に左遷。死後は天神様として各地

 に祀られ、学問の神としても有名。

・竹内宿禰:「古事記」によると景行天皇から仁徳天皇までの五代に仕えた忠臣で

 295歳の長寿を全うしたという。

・藤原鎌足:645年、中大兄皇子とともに大化の改新のクーデターを決行し、改新政

 治を補佐。死の直前、天智天皇から藤原姓を与えられる。

 

 明治初期は藩札の伝統を受けて竜の文様で縦長の形であったが、次第に欧米の影響から横長となり、主に肖像を中心としたデザインに変わっていった。天皇制の成立とともに紙幣の「顔」は天皇を支えた人物(他に神宮皇后、和気清麻呂、聖徳太子、日本武尊、楠木正成)が多くなった。上記の三人もそうした発想から繰り返し選ばれたようである。

 とりわけ太平洋戦争中は忠君愛国、尽忠報国の精神を体現する人物(楠木正成ら)や図像(八紘一宇の塔、靖国神社等)が登場し、戦意高揚に役立てられた。しかし敗戦後はデザインが一変し、平和主義と民主主義にふさわしい人物(高橋是清、板垣退助)やデザイン(鳩、国会議事堂)が多用された。戦前に使用された「顔」で存続できたのは聖徳太子のみである。

 昭和三十年代前半は千円札、五千円札、一万円札の三種類が聖徳太子をデザインに使用しており、彼は戦後、最も多く紙幣に登場した人物となっている。なお昭和38年(1963)に千円札の「顔」となった伊藤博文と、昭和59年(1984)に一万円札の「顔」となった福沢諭吉に関しては紙幣発行に際して近隣諸国(特に中国や韓国)から猛反発を受けている。また2000年に発行された二千円札は米軍基地問題で揺れていた沖縄の人々の不満を緩和する目的もあって沖縄のシンボル「守礼門」がデザインに採用された。今も昔も紙幣のデザインには一定の政治的な狙いが込められているのである。

※戦後、紙幣の肖像に用いられた人物は二宮尊徳、岩倉具視、高橋是清、板垣退助、

 聖徳太子、伊藤博文、福沢諭吉、新渡戸稲造、夏目漱石、樋口一葉、野口英世の11

 人。ただし二千円札の紫式部を加えると12人。偽造防止の観点からしわが多く、ひ

 げのある人物が選ばれやすい(戦前を含めて肖像画が利用された人物17人中12人に

 ヒゲあり)。

2024年、20年ぶりに紙幣のデザインが変わり、1万円札が渋沢栄一、5千円札が津

 田梅子、千円札が北里柴三郎となっております。

 

③電子マネーの普及

 高度情報化社会の到来に伴い、通貨の在り方も変化を余儀なくされている。たとえばクレジットカードなど小銭を気にせずに支払いが済ませる上にポイントが加算されてカード払いを増やすほど得になるよう仕組まれている。便利な上にお得…とくれば多くの人が飛びつくことになる。いずれ現金にとって代わることも予想された電子マネーだが、かつて「カード破産」という言葉があったように危険も潜んでいる。しかも「カード払い」とはローン払いであり、利子付きの借金をすることと同然。安易な利用は戒めなければなるまい。

 

 以上のプリントを穴埋め方式にすると…

 

お金の世界 

 

   )組(   )番(          

1.貨幣の歴史

 現在のような貨幣が出現する以前は(       )で必要なものを手に入れていた。やがて(       )が始まるとその社会で中心的な価値を持つ品が登場し、あらゆるものと交換可能な万能商品のような役割を果たすようになる。このような役割をになう品を現在では(       )という。牧畜を中心とする社会では(   )や羊など、農耕を中心とする社会では米や(   )などが物品貨幣であった。物品貨幣はそれ自身に(      )があるため、貨幣と同じ役割を果たすようになったのである。

しかし物品貨幣にも不便な点があった。(        )が難しく、かさばる…などである。そこで西洋では紀元前670年頃、リディア(現在のトルコ)で世界最古といわれる(    )貨幣(当時のものは  と銀の合金)が出現した。東洋でもほぼ同じころに中国(春秋戦国時代)で(    )(=銅と錫の合金)製の貨幣が出現している。金属貨幣は物品貨幣に比べて使用価値自体は劣るが…

・容量に比して(       )が高い→(       )に便利

・分割化、(     )可能(cf.牛、羊)→価値の計数表示容易に

・腐りにくく摩耗しにくい→長期の利用・保管と価値の(    )容易に

といった大きなメリットがあるため、現在に至るまで利用され続けている。

※なお金属貨幣が出現する以前の中国では沿岸部を中心に(   )が貨幣の役割を 

 果たしていたため、「貝」は「貯・財・貨・資・貸…」など財産・価値などを表す

 漢字に多く使われている。

 金属貨幣の歴史は東洋と西洋では若干異なっている。西洋ではお互いに依存しあう小国が数多く存在するなかで交易が行われてきた。そうした小国間での取引においては国家の違いを超えて流通できるだけの(         )が貨幣に備わっていなければならず、必然的に西洋での金属貨幣は(   )や銀を中心とした貴金属が主体となった。しかし古代中国では金や銀の産出量が少なかったために青銅製の貨幣が主体となった。青銅は金や銀に比べて素材価値はかなり低いため、青銅製の貨幣は(       )とならざるをえず、高額の取引には不向きであった。そのせいか初期の青銅貨幣は価値を持たせるために農耕具や武器、あるいは(   )を象っていた。また貨幣経済の発展のためには大量に発行する必要もあったが、幸い古代中国では世界に先駆けて(     )技術が発達していたため、銅貨を大量にかつ均一に製造することは可能であった(西洋の金属貨幣は当初、打圧製)。とはいえ遠隔地における高額取引に際しては低額貨幣の銅貨の不便さがどうしてもまとわりついていた。この欠点を補うために宋の時代(1023年)、世界で初めての(    )「交子」が中国で登場したのである。

 紙幣には金属貨幣にはない特色があった。長所としては(       )が安くつき、発行額も容易に調節可能なため、国家としては(       )が取りやすいし、財政も補てんしやすい。軽くて持ち運びにも便利である。このため紙幣は通貨の中心に定着する一方で金属貨幣は(       )としての地位に退いていった。しかし紙という素材のために長持ちせず、(    )されやすいという欠点(各国とも通貨偽造の罪は重く、死刑や無期懲役にする国が多い。日本の    第148条では「無期または3年以上の懲役」となっている)もある。

とりわけ紙幣の価値の源泉は発行元の信用に基く(       )だけで、紙自体には使用価値、素材価値はほとんど無い。したがって発行元の(    )が揺らいだり、政府の一方的都合で発行高をいたずらに増やしてしまうと紙幣自体の価値も下落し、(          )を招いてしまう危険も秘めている。その最悪のケースが(           )に負けて天文学的な賠償金を支払うために1923年に(     )で発行された100兆マルク札である(最近では1993年、内戦中の旧          で発行された5000億ディナール)。猛烈なインフレーションによって札束はただの紙くずに化してしまい、多くの人々が厳しい生活難に瀕した。

紙幣のこうした欠点を補うために18世紀以降、(       )を中心に

       )が採られていた。金本位制のもとでは(       )が発行され、紙幣は同価値の(   )と交換できることで紙幣の価値の安定が図られていた。しかし紙幣の発行高は発行元の(        )に制約されるため、おおくの植民地を支配し、金の保有量が十分にあった欧米列強には有利な制度だが当時のドイツや近代国家日本はなかなか金本位制に参入できなかったのである(日本が本格的に金本位制に移行できたのは       に勝利して金貨による莫大な賠償金を清から入手した1897年のことである)。

 20世紀に入ると(       )経済の矛盾が噴出し、二度の世界大戦と大規模な(       )を招いた。この過程でイギリス中心の経済体制と揶揄されていた金本位制は崩壊し、次第に国家による景気対策や福祉政策が重視されるようになる(       革命)なかで(       )制度に各国とも移行し始めた。各国の通貨価値の安定は金保有量ではなく、各国政府と(       )、さらには(    )やIBRDなどの国際機関に委ねられるようになったのである。

 

2.お金の現在

①「ユーロ」の出現

 2002年1月からヨーロッパ12カ国で新しい画期的な通貨「     」が登場した。ユーロは「ユーロランド」と呼ばれる加盟国内では国境を越えて流通する「欧州の単一通貨」である。ユーロ出現の経緯を概観してみよう。20世紀、ヨーロッパは二度の世界大戦を経験し、痛切にヨーロッパの平和的統合を願うようになった。さらにアメリカや日本の経済的脅威も停滞気味のヨーロッパの団結を強める契機となった。まず1958年、EEC(ヨーロッパ経済共同体)が結成され、経済面での協力体制が整えられていった。1967年にはそれが発展拡充して(   )(ヨーロッパ共同体)となり、一層連携を強めた。1989年前後の(    )崩壊と(      )を挟んで統合の機運はさらに高まり、1991年の(         )条約(オランダ)が結ばれた結果、1993年に現在のEU(          )が発足した。こうしてヨーロッパ諸国は連携を強めることで対立を解消し、平和なヨーロッパを実現させるとともに、経済面ではアメリカや日本との競争に有利な立場を築こうとしてきたのである。ユーロの登場はまさにこうしたヨーロッパ統合の歩みの重要な一歩に位置付けられる出来事であった。

 しかし「ユーロ」は決してすんなりと誕生できたわけではない。そもそも各国の通貨のデザインは世界に向けたその国の「    」「顔」ともいえるもので、紙幣や硬貨のデザインからその国のお国ぶりや(       )をうかがうことができることも多い。EUという歴史的には対立を繰り返してきた国々の統合体がどのようなデザインでユーロを完成させるのか、どのようなデザインでEUの「顔」を表現するのか…難しい検討が繰り返されたのである。結果的には特定の国をイメージさせないよう配慮され、紙幣に関しては実在しない「ヨーロッパ風」の建造物やヨーロッパの地図など無難なデザインが採用された(硬貨は片面に限り国ごとのデザインが許された)。

②日本の紙幣改訂

 日本では2004年11月から一万円札、五千円札、千円札の新紙幣が20年ぶりに登場した。その最大の理由は(    )防止にある。それまでの紙幣と比べると違いは一目瞭然。五千円と一万円札には金属的光沢のあるシールのような印刷(ホログラム)が新たに施されるようになったのだ。これによりカラーコピー等による単純な偽造は不可能となったといってよい。他にも各種の新技術が導入され、偽造防止策は一段と進展した。新紙幣の発行は(    )浮揚効果も期待でき、また紙幣の「顔」をすげ替えることで特定のメッセージを国民に発する狙いもあったろう(紙幣のデザインは    で決定される)。たとえば(       )千円札は日本の子供たちの間で理数科離れが進むことへの危機感の表れであろうし、(       )五千円札はそれまで神宮皇后しか登場してこなかった日本の紙幣に対して男女平等の観点から浴びせられてきた国際的な非難をかわす狙いがあったろう。では日本の紙幣の「顔」には今回の改訂に至るまでにどんな変遷があったのだろう。概観してみよう。

 戦前は特定の人物が繰り返し登場している。最も多く登場(4回)したのは以下の三人である。

・(       ):宇多天皇に寵愛され、894年には遣唐使廃止の建議をしたこ

 とで知られる。901年、左大臣藤原時平の讒言により大宰府に左遷。死後は

 (    )様として各地に祀られ、学問の神としても有名。

・竹内宿禰:「古事記」によると景行天皇から仁徳天皇までの五代に仕えた忠臣で

 295歳の長寿を全うしたという。

・(       ):645年、中大兄皇子とともに大化の改新のクーデターを決行

 し、改新政治を補佐。死の直前、(   )天皇から藤原姓を賜与。

 

 明治初期は(    )の伝統を受けて竜の文様で縦長の形であったが、次第に欧米の影響から横長となり、主に肖像を中心としたデザインに変わっていった。

 (    )制の成立とともに紙幣の「顔」は天皇を支えた人物(他に神功皇后、和気清麻呂、聖徳太子、日本武尊、楠木正成)が多くなった。上記の三人もそうした発想から繰り返し選ばれたようである。とりわけ太平洋戦争中は忠君愛国、尽忠報国の精神を体現する人物(楠木正成ら)や図像(八紘一宇の塔、       等)が登場し、戦意高揚に役立てられた。しかし敗戦後はデザインが一変し、平和主義と民主主義にふさわしい人物(高橋是清、板垣退助)やデザイン(鳩、国会議事堂)が多用された。戦前に使用された「顔」で存続できたのは(       )のみである。とりわけ昭和三十年代前半は千円札、五千円札、一万円札の三種類が聖徳太子をデザインに使用しており、彼は戦後、最も多く紙幣に登場した人物となっている。なお昭和38年(1963)に千円札の「顔」となった(       )と、昭和59年(1984)に一万円札の「顔」となった(       )に関しては紙幣発行に際して近隣諸国(特に中国や韓国)から猛反発を受けている。また2000年に発行された二千円札は(       )問題で揺れていた沖縄の人々の不満を緩和する目的もあって沖縄のシンボル「守礼門」がデザインに採用された。今も昔も紙幣のデザインには一定の政治的な狙いが込められているのである。

※戦後、紙幣の肖像に用いられた人物は二宮尊徳、岩倉具視、高橋是清、板垣退助、

 聖徳太子、伊藤博文、福沢諭吉、新渡戸稲造、(       )、樋口一葉、野

 口英世の11人。ただし二千円札の(     )を加えると12人。偽造防止の観点

 からしわが多く、(   )のある人物が選ばれやすい(戦前を含めて肖像画が利

 用された人物17人中12人にヒゲあり)。

 

③(        )の普及

 高度情報化社会の到来に伴い、通貨の在り方も変化を余儀なくされている。たとえばクレジットカードなど小銭を気にせずに支払いが済ませる上にポイントが加算されてカード払いを増やすほど得になるよう仕組まれている。便利な上にお得…とくれば多くの人が飛びつくことになる。いずれ現金にとって代わることも予想された電子マネーだが、かつて「カード破産」という言葉があったように危険も潜んでいる。しかも「カード払い」とはローン払いであり、利子付きの借金をすることと同然。安易な利用は戒めなければなるまい。

 

その4.アメリカの公民権運動(後編)

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

2.公民権運動の歩み

Joan Baez performs "We Shall Overcome" at the March on Washington

   Boston University  2015/11/06 1:37

   Joan Baez performs "We Shall Overcome" at the March on Washington

   for Jobs and Freedom in Washington D.C. on August 28, 1963.

   公民権運動のシンボル的存在であり、運動における過酷な場面では必ずと言っても良いほどに歌われていた讃美歌。歌はキング牧師を支持していたジョーン・バエズ。

まずこの曲がなぜ歌われてきたのかを問いたい。

 

・BLM運動とトランプ大統領

   2020年5月25日、ミネアポリスにてフロイド氏、偽造通貨行使の疑いで拘束され、警官によって窒息死(警官4人は懲戒免職)する=ジョージ・フロイド窒息死事件

   2020年5月25日当日、告訴状によると、偽ドル札の使用容疑により手錠をかけられたフロイドが、呼吸ができない、助けてくれ、と懇願していたにも関わらず、8分46秒間フロイドの頸部を膝で強く押さえつけ、フロイドを死亡させた。その時間の中で、フロイドの反応が見られなくなった後の2分53秒間においても当該警察官はフロイドの頸部を膝で押さえつけていた。フロイドは手錠を掛けられ顔は路面に押さえ込まれていたが、なおも当該警察官は膝でフロイドの頸部を押し付けていた。その他3名の警察官の関与が確認されている。

   2020.年6月1日、トランプ大統領は暴徒化するデモ参加者への各州知事の対応に対して「弱腰」と非難し、「自衛のために銃をとれ」などと投稿。

   知事に州兵の動員を求めるトランプ大統領の発言で抗議活動、世界に拡大。

米首都で人種差別撤廃求める大規模集会、キング牧師の大行進記念Reuters -     

   2020年8月29日ワシントン 28日 ロイター] -

   米国の首都ワシントンで28日、1963年のこの日に米公民権運動の指導者、マーティン・ルーサー・キング牧師が行った演説「私には夢がある」を記念する大規模集会が開かれ、集まった数千人の人々が人種差別と警察による暴力の撤廃を訴えた。

   キング牧師は自由を求めて行ったワシントンの行進で、「いつの日か、自分の子どもたちが肌の色でなく、人格によって評価される国に住むという夢がある」と演説。人種差別を巡る抗議活動が全国的に広がる中で開かれた今年の集会では、11月の大統領選挙における投票の重要性のほか、行動主義と黒人市民権運動との関連や、銃による暴力などにも焦点が当てられた。

   米国では今年5月、ミネソタ州ミネアポリスで黒人男性ジョージ・フロイドさんが白人警官に膝で首を押さえつけられ死亡する事件が発生。全国的に「ブラック・ライブズ・マター(黒人の命は大切だ)」のスローガンを掲げた抗議活動が広がった。…

各地でロビンソン・デー=延期の球場でも抗議行動―米大リーグ

   時事通信 2020/08/29 18:43

【アナハイム時事】米大リーグは28日、激しい人種差別があった1947年にデビューした黒人初のメジャーリーガーをたたえる「ジャッキー・ロビンソン・デー」を実施した。例年同様に、全選手がロビンソンの背番号42をつけてプレーした。

 ウィスコンシン州で黒人男性が警官に銃撃された問題を受け、大リーグでは26、27日に多くの試合が取りやめになった。アストロズは28日のアスレチックス戦を延期し、さらに差別へ抗議する意思を行動で示した。

 ナインは守備位置に就いて、ベンチ前に整列した相手選手らと黙とう。その後バッターボックスに両チームの背番号42のユニホーム、ホームベース上には「ブラック・ライブズ・マター(黒人の命は大切)」とプリントされたTシャツを置き、グラウンドを去った。

 アストロズのマイケル・ブラントリー外野手は「まだ変えなければならないことがたくさんある。ジャッキーは多くの偉業を成し遂げたが、彼にはもっとやりたいことがあったと思う」と語った。

 アナハイムでのエンゼルス―マリナーズ戦前の国歌斉唱では、両軍のアフリカ系選手らがフィールドで腕を組んで並んだ。エンゼルスのアンドルー・ヒーニー投手は試合後の会見で、キング牧師が「私には夢がある」と演説した日(8月28日)であることに言及。「国として前進することを願っているが、それは個々が人として成長することに懸かっている」と訴えた。 

黒人犠牲者の名前入りマスク着用、差別に抗議…女王・大坂「重要なのは人々が議

   論始めること」読売新聞 - 読売新聞 - 2020年9月14日

 【ニューヨーク=福井浩介】テニスの全米オープン女子シングルスで12日、大坂なおみ選手(22)が2年ぶりの優勝を果たした。今大会は1回戦から、過去に白人警官などに殺害された黒人の名前が書かれたマスクを入退場の際などに着用したことが話題になった。決勝までの7試合で、男女7人の名前を示し、人種差別について問題提起を続けた。

 決勝のマスクには、2014年にオハイオ州で警官に射殺されたタミル・ライス君(当時12歳)の名前があった。表彰式でインタビュアーからマスクに込めたメッセージを問われ、大坂選手は「あなたが受けたメッセージは何でしたか? 重要なのは、人々が議論を始めること」と説明した。

 …略…

■ツイッターで「私の祖先に感謝したい」

 全米オープン優勝から一夜明けた13日、大坂選手は色鮮やかな衣装に身を包み、トロフィーを手に、会場で記念撮影に臨んだ。大坂選手はツイッターで、「私の祖先に感謝したい。彼らの血が流れていることを思うたび、負けることはできないと思い出させてくれたから」とつづった。

米国の人種差別、GDPに巨額の損失

 Niall McCarthy - Forbes JAPAN - 2020年10月11日

   米金融大手シティグループが発表した新たな報告書では、人種の不平等により米経済に過去20年間で16兆ドル(約1700兆円)という巨額の損失がもたらされたと推定された。また、給与格差を埋めることができなかったことで、国内総生産(GDP)には最大12兆ドル(約1300兆円)の損失があったとの推定だ。

   シティグループの計算によると、黒人の起業家に公平で平等な貸付を行えば13兆ドル(約1400兆円)の売り上げがもたらされ、黒人の人種的な給与格差がなくなればさらに2兆7000億ドル(約290兆円)の効果がある。

   また、住宅融資を活用できる機会が2000年以降改善されていれば、約77万人の黒人が住宅所有者になれた可能性があり、その場合は経済に2180億ドル(約23兆円)が追加で生まれた可能性がある。また、教育の機会の改善により生涯収入は1130億ドル(約12兆円)改善されたかもしれない。

   報告書では、人種の不平等が衝撃的な水準であることが明らかになった。シティグループによると、パンデミック(世界的大流行)により状況は悪化している。しかし、給与格差が縮まっていないことから、問題は人種だけではないことが浮き彫りになった。

    白人男性と白人女性の給与格差が20年前に埋められていれば、5兆ドル(約530兆円)近くが創出された可能性がある。また、白人男性と黒人やヒスパニック系の間の収入の溝も非常に深く、2000年にこれが埋められていればGDPは7兆ドル(約740兆円)程度まで増えたはずだった。

   報告書は、上記の溝を今埋めることができれば今後4年間で米国のGDPに5兆ドルがもたらされ、経済は年間0.4パーセントポイントの割合で成長するだろうと述べている。

 

ビリー・ホリデー(1915年4月7日 ~1959年7月17日)の「奇妙な果実」(1939)

Billie Holiday - "Strange Fruit" Live 1959 [Reelin' In The Years 

   Archives] ReelinInTheYears66  2018/02/23 3:18

   フィラデルフィア出身の彼女はサラ・ヴォーンやエラ・フィッツジェラルドと並んで女性ジャズ・ヴォーカリスト御三家の1人に数えられる。こうした人種差別への抗議を秘めた歌を歌う一方で薬物依存症、アルコール依存症との闘いなどの壮絶な人生を送り、ジャニス・ジョプリンをはじめとする多くのミュージシャンに影響を与えていった。この動画はまさに最晩年のものであるが、物憂げな曲調がやつれはてたホリデーの顔と妙にマッチしてただならぬ迫力を感じる。

   曲名の「ストレンジフルーツ」とは何のことか、予想させたい。

 

Southern trees bear strange fruit,

南部の木々は奇妙な果実を実らせる

Blood on the leaves and blood at the root,

葉は血に濡れ赤い血が根に滴っている

Black bodies swinging in the southern breeze,

南部の風に揺れている黒い肉体

Strange fruit hanging from the poplar trees.

ポプラの木々からぶら下がっている奇妙な果実

Pastoral scene of the gallant south,

雄大で美しい南部の牧歌的な風景

The bulging eyes and the twisted mouth,

飛び出した眼 歪んだ口

Scent of magnolias, sweet and fresh,

木蓮の甘く爽やかな香り

Then the sudden smell of burning flesh.

そこに突然漂う焼けた肉の臭い

Here is fruit for the crows to pluck,

此処にも一つ カラスの餌となる果実がある

For the rain to gather, for the wind to suck,

雨に打たれ 風に弄ばれ

For the sun to rot, for the trees to drop,

太陽に焼かれ朽ち そして木からその果実は落ちる

Here is a strange and bitter crop.

此処にも一つ 苦い奇妙な果実がある

ビリー・ホリデイは“公民権運動のゴッドマザー”キャスト・監督らが本編映像と共

   に語る/映画『ザ・ユナイテッド・ステイツvs.ビリー・ホリデイ』

   特別映像 moviecollectionjp  2022/02/06  1:55

 

・マーチン・ルーサー・キング牧師と公民権運動

キング牧師暗殺は1968年4月4日の午後6時頃(メンフィス:テネシー州)。所用でニューヨークにいたロバート.F.ケネディは急遽千㎞ほど離れた遊説先(大統領選挙に立候補していた)のインディアナポリスに引き返し、その夜、黒人居住区で地元警察の反対を押し切ってキング追悼の演説を敢行する。

   準備を整える間が無かったので演台はトラックの荷台の上である。演説は深夜に行われたにもかかわらず、若い黒人女性を中心に大勢の聴衆を集めた。ニューヨークからの移動中に演説の草稿は認められたが、彼は結局、その草稿に目をやることは無かった。

 

・ロバート.F.ケネディ(1968.6.5暗殺)の追悼演説(1968.4.4)

Robert F Kennedy Announcing The Death Of Martin Luther King - 

   RFK's Greatest Speech Mohammad Azzam 2013/01/05 6:28

  senator=評議会、riot=暴動、provide=提供する、drafts=下書き 

  polarization=分裂、tame=飼い慣らす、savageness=残忍さ 

  abide=住む

1. Ladies and Gentlemen - I'm only going to talk to you just for a minute or so

   this evening. Because...

   皆さん、今晩、ほんの数分ほどお話ししたいと思います。なぜなら、

2. I have some very sad news for all of you, and I think sad news for all of our

   fellow citizens, and people who love peace all over the world, and that is

   that Martin Luther King was shot and was killed tonight in Memphis, 

   Tennessee.

   ここにいるすべての皆さんにとって、おそらくすべての国民にとって、そして平和

   を愛する世界中のすべての人々にとって、非常に悲しいニュースがあるからです。

   今夜、テネシー州メンフィスにて、マーティン・ルーサー・キング氏が銃撃されて

   殺されました。

3. Martin Luther King dedicated his life to love and to justice between fellow

   human beings.

   マーティン・ルーサー・キング氏はその生涯を人間相互の愛と公平のために捧げま

   した。

4. He died in the cause of that effort.

   彼はその努力のために殺されたのです。

5. In this difficult day, in this difficult time for the United States, it's perhaps

   well to ask what kind of a nation we are and what direction we want to

   move in.

   合衆国にとってこの困難な日、困難な時にあって、私たちがどのような国民なの

   か、どこへ向かうことを望んでいるのか、問うべきときなのかもしれません。

6. For those of you who are black - considering the evidence evidently is that

    there were white people who were responsible - you can be filled with

    bitterness, and with hatred, and a desire for revenge.

   黒人の皆さん、この事件が明らかに白人によって引き起こされたものであると考え

   る皆さん、皆さんの中には悲嘆と憎しみに満ち、復讐を望む者もいるかもしれませ

   ん。

7. We can move in that direction as a country, in greater polarization - black

    people amongst blacks, and white amongst whites, filled with hatred toward

   one another.

 私たちは国を挙げてその方向に、より大きな対立へと進むこともできるでしょう。

   黒人の中の黒人と、白人の中の白人が、お互いに憎しみ合うのです。

8. Or we can make an effort, as Martin Luther King did, to understand and to

    comprehend, and replace that violence, that stain of bloodshed that has

    spread across our land, with an effort to understand, compassion and love.

   しかし、マーティン・ルーサー・キング氏が実践したように、理解しあい、認め合

   う努力をすることもできるのです。そして理解と同情と愛の努力によって、この地

   を覆う暴力を、流血をなくすこともできるのです。

9. For those of you who are black and are tempted to be filled with hatred and

    mistrust of the injustice of such an act, against all white people, I would

    only say that I can also feel in my own heart the same kind of feeling. I had

    a member of my family killed, but he was killed by a white man.

   黒人の皆さん、すべての白人に対して憎しみとこの非道な行為への不信に駆られる

   皆さん、私はただ、私自身も同じ想いを抱えているとだけ申し上げたい。私の家族

   の一員も殺されました。しかし彼は白人に殺されたのです

10. But we have to make an effort in the United States, we have to make an

    effort to understand, to get beyond these rather difficult times.

   しかし私たちはこの合衆国で努力しなければなりません。互いを理解し、これらよ

   り困難な時代を乗り越える努力をしなければなりません。

11. My favorite poet was Aeschylus. He once wrote: "Even in our sleep, pain

    which cannot forget falls drop by drop upon the heart, until, in our own

    despair, against our will, comes wisdom through the awful grace of God."

   私の大好きな詩人はアイスキュロスでした。彼はこう書きました。「眠っていると

   きにすら忘れ得ない悲しみが心に滴り落ち続ける私たちの絶望に、私たちの意思に

   相反して、荘厳なる神の恵みを通じて分別が至るまで」

12. What we need in the United States is not division; what we need in the

    United States is not hatred; what we need in the United States is not

    violence and lawlessness, but is love and wisdom, and compassion toward

    one another, and a feeling of justice toward those who still suffer within our

    country, whether they be white or whether they be black.

   合衆国に必要なのは分裂ではありません。憎しみでもありません。暴力でも無法で

   もありません。必要なのは愛と分別、そして相手への同情、そして、黒人であろう

   と白人であろうと、我が国でいまだ苦しむ人々への公平の感情です。

13. So I ask you tonight to return home, to say a prayer for the family of

    Martin Luther King, yeah that's true, but more importantly to say a prayer

    for our own country, which all of us love - a prayer for understanding and

    that compassion of which I spoke.

   ですから、皆さんにお願いします。今夜は家に帰り、マーティン・ルーサー・キン

   グ氏の家族のために、これは真実に、祈りを捧げていただきたい。そしてもっと重

   要なのは、私たち皆が愛する祖国のために、私が今お話した理解と同情のために、

   祈りを捧げていただきたいのです。

14. We can do well in this country.

   私たちはこの国でうまくやっていけると思うのです。

15. We will have difficult times.

   私たちは困難な時を迎えるでしょう。

16. We've had difficult times in the past.

   過去にも困難な時を過ごしてきました。

17. And we will have difficult times in the future.

   これから先も、困難な時を経験するでしょう。

18. It is not the end of violence; it is not the end of lawlessness; and it's not

    the end of disorder.

   暴力はこれで終わりではなく、無法も無秩序もこれで終わりではありません。

19. But the vast majority of white people and the vast majority of black people

   in this country want to live together, want to improve the quality of our life,

   and want justice for all human beings that abide in our land.

   しかし、この国に住む大部分の白人と大部分の黒人は共に生きていきたいのです。

   暮らしをより良くし、この地に住むすべての人間に公平を望んでいるのです。

20. Let us dedicate ourselves to what the Greeks wrote so many years ago: to

    tame the savageness of man and make gentle the life of this world.

   遥かな昔に、人間の残忍さを飼いならし、この世界に穏やかな暮らしをもたらそう

   と書いたギリシャ人の言葉に、私たち自身を捧げましょう。

21. Let us dedicate ourselves to that, and say a prayer for our country and for

    our people.

 私たち自身を捧げ、私たちの国にそして私たちのすべてに祈りを捧げましょう。

22. Thank you very much.

 私の話に耳を傾けて下さったことに心から感謝します。

 

 草稿を見ることなく、心を込めて話すロバートの演説ははたして怒りに燃える黒人たちの心に届いたのだろうか?

 おそらくこの演説の効果があったのだろう。キング牧師暗殺後、全国の大都市の百箇所以上で暴動が発生し、死者46人、負傷者数千人、逮捕者2万人に及んでいるが、演説が行われたインディアナポリスでは暴動が起きなかったという。

   残念ながら今の日本の政治家で原稿を見ずにこれだけ人の心を動かせる演説をできる政治家はまずいない。

 

 なおこれまでキング牧師はFBIの盗聴で様々な女性との不倫をつかまれており、度々、FBIから自殺を迫られるといった脅迫を受けていたらしい。

 ケネディ兄弟と同様に、キング牧師暗殺の犯人の背後関係は一切不明であるため、FBIの頂点にいたフーバー(1924~1972にかけて8代の大統領に仕え、政治家のスキャンダル:不倫やマフィアとの繋がり、汚職、贈賄・・・を掴んでは背後で思うように大統領を操り、アメリカ政界の黒幕として君臨し続けた)が3人の暗殺事件の黒幕として繰り返し挙げられてきた。

 ※兄(J.F.ケネディ)は1963.11.22ダラスで暗殺、弟は1968.6.6、ロスで暗殺。

 

[英語スピーチ] 歴史的な演説 私には夢がある | I have a dream |マーティンルー

 サーキング | Martin Luther King | 日本語字幕 | 英語字幕

 Gariben TV  2020/03/24  6:45

 1963年8月28日、マーティン・ルーサー・キング牧師がアメリカのワシントンD.C.リンカーン記念館のバルコニーからワシントン記念塔を眺めながらした演説。

 ⇒1964年7月公民権法成立。12月、キング牧師、ノーベル平和賞受賞。

 この演説はあまりにも有名であり、かつ英語の授業でも扱う可能性があるので次の動画を優先的に視聴させたい。

キング牧師 ・死の前日のスピーチ・山頂に達した・1968年4月3日

 jmicrotube  2012/05/24 2:37

 1968年4月3日テネシー州メンフィスの教会メイソン・テンプルで行われたもの。自らの死を予言したかのような、迫力ある演説となっている。セルマの大行進後の運動の行き詰まりによる苦悩(黒人女性に刺される等)と死への覚悟が見える。

・公民権運動の直接的原点は・・・

 1955年8.28 エメット・ティル事件(ミシシッピー州モーネイでシカゴ出身の14歳の少年が白人たちによって惨殺される。

公民権運動1 エメット・ティル

 marcobrunn88  2012/12/02 18:17

 12.1ローザ・パークス事件 ローザ・パークス(42歳)、アラバマ州モンゴメリ市で白人にバスの座席を譲らず、逮捕・・・「公民権運動の母」

 ⇒26歳のキング牧師ら、バスボイコット運動⇒公民権運動に発展

 非暴力運動:マハトマ・ガンジーの非暴力・不服従を継承

公民権運動3 リトルロックナイン 26:05

 黒人生徒を入学させるために州兵を動員する大騒動となった事実に驚く。

公民権運動6 バーミングハム闘争とワシントン大行進

 その1 13:15  その2 14:04

 クライマックスは有名な「Ihaveadream」の演説。

公民権運動11 セルマの橋

 その1 20:07  その2 23:01

 キング牧師が率いた公民権運動のピーク。

 1965年3月17日、連邦裁判所、デモ行進を合憲とする判断。デモ隊は州兵に護衛されてついに橋を渡る ⇒1965年3月21~25日セルマ大行進、90㎞を3200人(やがて約25000人に膨れ上がる)

 キング牧師、州議会前で「How long、not long」

   Dr. Martin Luther King jr. - How Long? Not Long

  gorillamogul8  2011/01/18 1:59

  ⇒8月新公民権法成立、識字試験廃止。

 しかし直後にロサンジェルスでワッツ暴動:34人の死者、1032人の負傷者、逮捕者約4000人にのぼり、6日間続いた。最後は州兵を動員して沈静化。ワッツ地区は黒人が住民の99%を占める貧民街だったが警官は白人ばかりであった。きっかけはハイウェイを蛇行していた車の運転手=黒人男性を尋問した白人警官がその弟や母親まで逮捕してしまったこと。

 ⇒非暴力運動の分裂・停滞(S.カーマイケルらブラックパンサー党によるブラックパワー運動の台頭とキング牧師の求心力後退(非暴力運動への疑念増大・FBIによる執拗な脅迫)+ベトナム戦争への介入本格化(運動の焦点拡散、キングらへの注目度低下)・・・キング牧師の暗殺(1968年)

 

グローリー/明日への行進 本予告

 ギャガ公式チャンネル  2015/04/17 1:44

 暗殺予告、暗殺未遂事件と女性スキャンダル、運動の分裂と対立等に直面し続けたキング牧師の苦悩を描く。

映画『私はあなたのニグロではない』予告編

 シネマトゥデイ 2018/04/16 2:04

 公民権運動家であり作家のジェームズ・ボールドウィンの未完の原稿をベースに、彼の視点でアメリカの人種差別と暗殺の歴史に迫る、トランプ政権下で公開されたドキュメンタリー映画。キング牧師の傍らにいた人物の証言も散りばめられた貴重な映像集。

 

 授業で視聴させるなら二つの映画予告が時間的にも良いが、教師は参考のためドキュメンタリー「公民権運動」をすべて通してみておいた方が良いだろう。特に上にあげた「1,3,6,11」は必見。

 

 

 

㊵1960年代以降の子供文化と世相(後編)

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

・1960年から1973年にかけての主な子供向けテレビ番組(アニメ中心)の動向

放送開始

作品名

制作国

放送局

1960

 

 

 

 

 

鉄人28号(特撮)

快傑ハリマオ(ドラマ)

少年探偵団(ドラマ)

ララミー牧場(ドラマ)

白馬童子(ドラマ)

ナショナルキッド(ドラマ)

 

 

 

アメリカ

日テレ

日テレ

フジ

NET(現テレ朝)

NET

NET

1961

みんなのうた

シャボン玉ホリデー(バラエティ)

 

NHK

日テレ

1962

隠密剣士(ドラマ)

てなもんや三度笠(舞台演劇)

コンバット(テレビ映画)

※音楽番組9

 

 

アメリカ

TBS

TBS

TBS

1963

鉄腕アトム

鉄人28号

姿三四郎(ドラマ)

エイトマン

狼少年ケン

アニメ9

 

フジ

フジ

フジ

TBS

NET

1964

白馬の剣士

ゼロ戦黒雲隊(ドラマ)

水戸黄門(ドラマ)

忍者部隊月光

グーチョキパー(ドラマ)

トムとジェリー

0戦はやと

※音楽番組9、アニメ6

 

 

 

 

 

アメリカ

TBS

NET

TBS

フジ

フジ

TBS

フジ

1965

新名犬ラッシー(ドラマ)

スーパージェッター

宇宙少年ソラン

ジャングル大帝

遊星少年パピイ

宇宙エース

W3

オバケのQ太郎

※音楽番組21、アニメ15 

 バラエティ14

アメリカ

TBS

TBS

TBS

フジ

フジ

フジ

フジ

TBS

1966

チャコちゃん(ドラマ)

奥様は魔女(ドラマ)

宇宙家族ロビンソン

泣いてたまるか(ドラマ)

わんぱくフリッパー(ドラマ)

ウルトラQ(特撮)

ウルトラマン(特撮)

マグマ大使(特撮)

サンダーバード(人形・特撮)

おそ松くん

ハリスの疾風

魔法使いサリー

※音楽20、アニメ12、特撮7

 バラエティ7、演芸(寄席)6

 

アメリカ

アメリカ

 

アメリカ

 

 

 

イギリス

TBS

TBS

TBS

TBS

フジ

TBS

TBS

フジ

NHK(→TBS)

NET

フジ

NET

1967

意地悪ばあさん(ドラマ)

スパイ大作戦(ドラマ)

コメットさん(ドラマ)

黄金バット

パーマン

リボンの騎士

光速エスパー(特撮)

ウルトラセブン(特撮)

バラエティ19アニメ17

 音楽9、特撮7

 

アメリカ

日テレ

フジ

TBS

読売

TBS

フジ

日テレ

TBS

 

1968

 

男はつらいよ(ドラマ)

怪奇大作戦(特撮)

進め!ドリフターズ(バラエティ)

ゲゲゲの鬼太郎

巨人の星          スポ根              

サイボーグ009

バラエティ20アニメ13

 

フジ

TBS

TBS

フジ

読売

NET

1969

柔道一直線(ドラマ)    スポ根        

サインはV(ドラマ)    スポ根        

タイガーマスク       スポ根

アタックNO.1       スポ根          

サザエさん

8時だヨ!全員集合(バラエティ)

バラエティ22、クイズ17、アニメ17

 

TBS

TBS

よみうり

フジ

フジ

TBS

1970

金メダルへのターン!(ドラマ)  スポ根

ハレンチ学園(ドラマ)

あしたのジョー       スポ根           

赤き血のイレブン      スポ根         男どアホウ!甲子園     スポ根       

キックの鬼         スポ根            

ノラクロ

バラエティ27アニメ20、音楽15

 クイズ11

 

フジ

東京12

フジ

日テレ

日テレ

TBS

フジ

1971

おれは男だ!(ドラマ)   スポ根       

コートにかける青春(ドラマ)スポ根    

ワン・ツー・アタック(ドラマ)  スポ根

ゴルゴ13

天才バカボン

ルパン三世

仮面ライダー(特撮)

バラエティ20アニメ19

 

日テレ

フジ

東京12

TBS

日テレ

よみうり

NET

1972

必殺仕掛け人(ドラマ)

剣道一本ドラマ)     スポ根         

ドキュメントミュンヘンへの道スポ根   

ど根性ガエル 

バラエティ19アニメ17、音楽15

 

TBS

フジ

TBS

TBS

1973

サインはV第2作(ドラマ) スポ根     

ドラえもん

空手バカ一代        スポ根           

エースをねらえ!      スポ根        

侍ジャイアンツ       スポ根           

バラエティ24アニメ18

 

TBS

日テレ

NET

毎日

よみうり

 ※表中の赤字は戦記物、戦争物

 以上の表から読み取れる点を挙げてみる。まず高度経済成長期の初期における子供向けテレビ番組はドラマ中心であり、アニメは1963年の「鉄腕アトム」の登場以降、中心的地位を占めていく。この時期の前半は設立されて間もない日本のテレビ局に十分な番組制作能力が無かったようで、アメリカで放映されている番組をその不足分を補うかのように数多く当てている(表中の下線部)。

 表には出ていないが1958年にはディズニーの番組が日テレで放映され、1959年には「ミッキーマウスクラブ」の放映が始まっていて、1960年代も続いていた。さらにアメリカの「三ばか大将」」が1963年から日テレで、1966年からはNET(現テレ朝)が「トリオ・ザ・3バカ」というタイトルで放送している。他にも「じゃじゃ馬億万長者」(1962年から日テレ、1967年からはフジテレビ系でも)や「ルーシー・ショー」(1963~66TBS)、「ザ・モンキーズ」(1967~TBS)、「とつげき!マッキーバー」(1963フジ)、「バットマン」(1966~67フジ)、「ローハイド」(1959~65NET)、「アダムズのオバケ一家」(1968~69東京12)等、アメリカ製の番組が1960年代を通じ、各局で頻繁に放送されていた。

 

 高度経済成長期にあるとは言え、当時の日本はまだアメリカとの経済的格差が大きかった。テレビドラマから垣間見える大型の冷蔵庫やテレビ、洗濯機、自家用車を備えたアメリカ人の現代的でリッチな生活。アメリカ製の映画やテレビドラマは物質的な豊かさへの渇望を当時の日本人にかきたてる効果が絶大であった。

 高度経済成長に向けて多くの日本人は長時間に及ぶ残業や薄給にもめげず「モーレツ」に頑張る時代へと突入していたのである。池田勇人内閣の唱えた「所得倍増計画」は60年安保による日本社会の政治的亀裂に倦み、いまだ貧しい日本人の多くにとって馬の鼻先に吊り下げられたニンジンのようなものであった。

 60年安保などで反米感情が高まる中、日本人の反発を和らげる上でもアメリカ製の番組を数多く放映することは有効であったのだろう。やがて日本人の過半はアメリカ的な物質的繁栄という明確な目標に向かって歯を食いしばり、脇目も振らずに走り出していく。

 この時期の漫画やアニメには既に触れた戦争物の復活に加えてもう一つ見逃せない特徴がある。1960年代の中頃に鉄人28号や鉄腕アトムといったロボットや「宇宙少年ソラン」のように「宇宙」を冠するもの、「スーパージェッター」のような未来の乗り物を扱ったSF系の番組が数多く登場してくる点である。

 日本の本格的なテレビアニメは1963年の鉄腕アトムからであるが、この作品の主人公等の名前「アトム」と妹の「ウラン」には間違いなく原子力の平和利用を日本に定着させようとする日米の狙いが込められていよう。その背景には政財界から国民に対して工業化社会における経済成長に不可欠な科学技術の発展を促す働きかけがあった事、特に原子力発電の日本への導入を急ぐアメリカの思惑がそこに加わっていた点が考えられる。

 当時、アメリカはソ連の核開発とスプートニク打ち上げ成功(1957)、世界初の有人宇宙飛行の成功(1961)に焦りを強めていた。

 子供達にとってSF系のアニメは宇宙飛行やロボット開発、はては核開発への期待を膨らませ、理数系の学習を魅力的なものにした効果は大きかったのではないか。しかし同じSF系であっても手塚治虫原作の「W3」は人類を滅ぼすために宇宙から送られてきた動物キャラが人間の少年とともに活躍するという、異色の作品であった。

 科学技術の発展が原爆を生み出してしまった・・・唯一の被爆国としての日本という苦い経験が手塚作品には濃厚に漂っており、手放しで科学技術の発達を賛美する方向とは一線を画す作品がこの時代にもあったことは見逃せないだろう。

 

 そうした中で1962年のキューバ危機は核戦争の勃発を強く予感させ、アメリカは「反共の砦」として日本の科学技術力や軍事力増強にも期待を寄せていた。日本は1963年に茨城県東海村の日本原子力研究所で初の原子力発電に成功翌年、東京オリンピックを開催し、戦後の復興ぶりを世界にアピールする。夢の超特急と謳われた東海道新幹線が開通したのもこの年であった。

 ロケット開発で一旦先を越されていたソ連に対抗すべくケネディ政権が力を入れたアポロ計画はケネディ暗殺(1963)後も受け継がれ、ついに1969年、アポロ11号が人類初の月面着陸に成功した。アメリカは莫大な費用と費やしてソ連との宇宙開発競争を最終的に制するにいたるが、一方で中国が核実験に成功(1964)するなど、東西冷戦はくすぶり続けていた。

 1965年、ついにアメリカは北爆を開始し、ベトナム戦争に本格的な介入を始めてしまう。キューバ危機以降、アジアにおける最大の核基地と化していた沖縄はベトナム戦争においてもアメリカ軍の重要な拠点として引き続き機能していく。米軍の「不沈空母」とされた沖縄の人々の不満は本土復帰直前、コザ暴動(1970)となってついに頂点に達し、暴発した。

 もう一つ1960年代で注目されるのは「白馬童子」や「隠密剣士」などの時代劇、武道もの。大人向けでは1970年代以降も数多く放映された時代劇であるが、子供向けとなると70年代以降目立たなくなる。時代劇の隆盛が武士道精神や封建的価値観の継承を示すのかどうかは見方が分かれるだろうが、少なくともこの時期まで子供達の遊びとしてチャンバラごっこが盛んであったことは確かである。

 

②  バラエティとスポ根ものの全盛期

 既に指摘したように高度成長期の前半には戦時中かと見まごうような戦争物のアニメ、ドラマ(表中の赤字)、プラモデルなどが目につくようになる。キューバ危機(1962年)で高まった核戦争への恐れが平和憲法下にある日本をも巻き込む勢いでリアルに戦争へ向かうようなキナ臭さを子供向けの雑誌やテレビ、オモチャにまで漂わせていた。

 しかしキューバ危機がギリギリで回避され、軍事的な緊張緩和が進む高度成長期後半になるとキナ臭ささは次第に薄められていく。加えて「所得倍増計画」の目標が達成され、日本人がそれなりに豊かさを実感できる時代に突入するとドリフターズやコント55号のお笑い番組が幅をきかすようになった。テレビにおけるバラエティ全盛時代の到来である。

 しかしお笑いの世界とは別に青少年向けアニメ、ドラマでは汗とドロまみれの生真面目な「スポ根もの」が目立ってきた。軍国主義的な風潮の復活によって甦った精神主義、「滅私奉公」の没入志向はおそらく「スポ根もの」という、平和主義的装いを得て「社畜」とも呼ばれた企業戦士を支えていく精神的風土を新たに形成していたのであろう。

 1969年にベストセラーとなった石原慎太郎の「スパルタ教育:強い子どもに育てる本」(カッパホームス:光文社1969年)はスポ根ブームを招来した土壌の一つに数えられるだろう。

 

 それは取りも直さず見せかけだけの薄っぺらな物質的繁栄とは裏腹に激しい競争社会が人々を分断しつつ、日々、怠りのない精進を脅迫し続ける残酷な時代の到来を意味していた。

 「モーレツ社員」がどこの職場にも跋扈していた高度経済成長期。かつて、植木等らが演じていたグータラ社員はほんの一握りの例外に過ぎない。あくまでもそのグータラないい加減さが「ガス抜き」として聴衆の笑いを誘うのであって彼らはもちろんメジャーな存在ではなかった。

 ひたすら右肩上がりに見えていた経済成長が1970年代に入り、次第に限界を迎えてくる中で、努力と根性だけで競争に勝ち抜いていける・・・とは必ずしも思えなくなる、閉塞した暗澹たる時代がやがてやってくる。

 

 かつての昭和世代の日本人には敗戦後の焼け跡から裸一貫でのし上がってきたというそれなりの一体感と自負があった、と指摘する人もいる。おそらく戦後しばらくは普通の人々の間にさほど経済格差による大きな社会的亀裂は生じていなかったのではあるまいか。

 しかし1970年代に入ると明らかに経済格差が目立ち始めていた。その格差を何とかして努力と根性で埋められなければ怠け者、根性無しと罵られかねない・・・子供達はそのように身構えながら、毎日手に汗を握り、ブラウン管から繰り出される「スポ根もの」アニメの洗礼を浴び続けていたのかもしれない。

 少しでも怠けたり油断して手や足を休めようものならずるずると奈落の底まで堕ちてしまうかもしれない、終わることのない恐怖・・・得体の知れない将来への不安・・・やがて多くの子供達はいつ果てるとも分からない蟻地獄のような競争社会の暗闇に飲み込まれていくことになる。

 「血の汗流し、涙を拭くな…」(「巨人の星」の主題歌より)といった軍隊式の根性論に依拠したスパルタ式鍛錬の積み重ねこそが勝利をもたらす・・・そんな戦時中の「大和魂」に限りなく近い精神論が当時の少年達に繰り返し刷り込まれていた。

 これは多くの少年達にとって実に効果的な洗脳であったように思える。実際、この世代はやがて「受験戦士」として受験戦争を戦い、成人して「企業戦士」となってからは苛烈な経済競争の渦に巻き込まれ、挙句の果てに「24時間戦えますか」(リゲインCM:1989~91))と叱咤激励されていく。

 そして「負け組」となるのをかろうじて逃れ、上司となった暁には少年時に刷り込まれたパワハラ精神で若手を過労死、過労自殺に追い込む、残念な存在にもなりかねなかった。今の60代が社会においてはカッパを含めて少なくともいわゆる「老害」と煙たがれる世代の一員である事は間違いあるまい。

 

 とは言え、受験の重圧下に苛まれていた子供達の気持ちをアッケラカンと吹き飛ばすかの如きナンセンスギャグ漫画は当時も健在であったし、件のウルトラシリーズも順調に続いていた。また現代社会を冷ややかに突き放すような哲学的眼差しをもつ漫画(ジョージ秋山の作品)も1970年には既に登場していた。

 子供達を取り囲む下位文化は決して「スポ根もの」によって完全に覆い尽くされていたわけではなかった。とは言え1970年代前半まではそれなりの多様性を孕みながらも、総じて努力と根性を肯定的に描く傾向が少年達を取り囲む下位文化には広範に存在していたと思われる。もちろん学校教育も執拗に努力主義、根性主義を児童生徒に叩き込み続けていた。

 この流れが微妙に変化していくのは1973年の第一次オイルショックを境にした低成長期、1970年代の中頃であろうか。光化学スモッグ警報が幾度も発令され、中学校や高校では校内暴力が吹き荒れていた。経済成長一本槍の政策に疑問が出され、学園闘争の無惨な敗北の中で三無主義が若者を覆い始めた時代。

 工業を柱とした「重厚長大」型産業構造からサービス業を中心とした「軽薄短小」型産業構造への変化は社会に様々な軋轢を生みつつ、「モーレツからビューティフルへ」といわれたような価値観の本質的な変化を伴って徐々に下位文化のなかへ浸透していったと思われる。

※「ガキデカ」はチャンピオン(1974~80)、「まことちゃん」はサンデー(1976~81)、「マカロ

 ニほうれん荘」はチャンピオン(1977~79)に連載。いずれもナンセンスギャグ系漫画。

 

 この頃からナンセンスギャグ漫画が隆盛に向かい、入れ替わるようにしてスポ根ものが衰退していく。とりわけ人情に厚く金銭や組織に縛られない遊び人の自由さを描いた「浮浪雲(はぐれぐも)」(ジョージ秋山作)がちょうど第一次オイルショックの起きた1973年に連載が開始されたのはそうした時代の大きな転換点を象徴する出来事の一つであったように思えてくる。

 あくせくせわしなく子供から大人に至るまで懸命に勉学や勤労へとモーレツに勤しんだ高度経済成長期は確かに終わりつつあった。1971年、モービル石油(現ENEOS)のCMに鈴木ヒロミツらが登場し、「ノンビリ行こうよ、俺たちは・・・」と唄いながらガス欠の自動車を押すシーンは、今思えば高度成長期の先を見越した新しい時代の訪れを予感して作られていたように感じられる。

 ただひたすら一生懸命であること、勤勉であること、真面目であることを美徳とするこれまで圧倒的に支配的だった価値観への懐疑が一部の日本人の間に次第に鎌首をもたげ始めてきていたのである。

 

③  オリンピックと万博に至る道程

 1970年代の日本は第一次オイルショック(1973)、第二次オイルショック(1979)の影響による経済的な停滞、いわゆる低成長期に突入していく。1960年代のエネルギッシュで活気に満ちた高度経済成長期はすっかり過去のものとなり、当時の日本社会はまさに「ガス欠」状態に陥っていた。

 ベトナム戦争で実質的に敗北したアメリカの政治的、経済的低迷も時代の大きな潮目が世界レベルにおいて迫っていることを告げていた。アメリカという富と権力の突出した国家を理想的目標として突っ走ってきた日本は、どうやらこの時期、国家としての目標をしばし見失いかけていたのかもしれない。

 今思えば1970年代はあらゆる意味に於いて戦後日本の大きな「曲がり角」に相当する時代であったのだろう。公害問題の多発に象徴されるような、高度経済成長期に生み出された日本社会の歪みが続々と表面化し、学校では校内暴力やイジメが取り沙汰され、家庭内暴力もマスコミを騒がせていた。

 もはや日本は富を求めるエコノミックアニマルとしてひたすら経済成長に邁進する時代でも、脇目も振らずに受験勉強に邁進する「刻苦勉励」の時代でもなくなっていた。学園紛争の敗北後、学生の間には三無主義、五無主義がはびこり、政治的熱狂が急速に冷却していく中で若者の多くは自分たちの情熱のはけ口を失って酷く鬱屈してしまったかのようであった。

 しかし1980年代に入るとアメリカだけではなく、イギリスを中心としてヨーロッパ全体に地盤沈下による社会の軋みが目立ってくる。加えて社会主義諸国の低迷が際立ってくる中で相対的に日本経済の国際的地位は実力以上に急浮上していったと考えられる。

 70年代の行き詰まりが日本社会に深い反省をもたらすことで本格的な価値観や創造性を十分に生み出す間もなく、日経平均株価は高値を続け、円高が加速し、日本はアメリカに肉迫する経済力を持つに至る。日本人の多くはこの相対的な地位の向上による表面的な豊かさの幻想に酔いしれ、「ジャパンアズナンバーワン」(1979)とおだてられた挙げ句にバブル期に突入していった。

 学生達の多くは夏にテニス、冬はスキーで若さを発散し、夜はディスコで踊り狂って我が世を謳歌していた。大人達もまた土地転がしや株などのマネゲームに狂奔する。刹那的享楽主義の始まりである。もちろんこれもただの束の間の夢、いずれはじけるバブルに過ぎなかった。

 1989年を境にして東欧諸国が徐々に資本主義に移行していく中で日本経済のバブルはやがてはじけ、日本社会は1990年代以降、長期的な不況に苛まれる。その一方で重厚長大型産業は衰え、情報産業を旗手とする第三次産業中心の産業構造への転換が容赦なく進んでいた。若者の就職状況は悪化し、大量の引きこもりやニートを生み出して現在の「80・50問題」が用意されていく。

 2000年代に入ると1980年代から広がってきた新自由主義が小泉内閣で一層進展し、自己責任論が叫ばれて教育や福祉はいよいよ後退していく。正規雇用が減少し、非正規雇用が増えて女性の就労条件はさらに悪化した。

 デフレスパイラルに陥った日本の自殺率が世界のトップクラスに上昇していく中で2009年のリーマンショック、さらに2011年の東日本大震災が日本社会の屋台骨を揺さぶる。福島原発における被災は日本の電力供給体制の見直しを迫り、他方で少子高齢化問題が一層深刻化していく。国家の累積債務はついに危険水域とされた1000兆円を超えて破局的に膨れ上がってしまった。こうした絶体絶命のピンチに登場したのが安倍政権である。

 2010年代の後半は日銀の金融緩和を中心としたアベノミクスによる大胆な景気浮揚策と東京オリンピック開催への期待感からか、景気は徐々に回復へと向かい、雇用状況の改善も見られるようになった。

 が、若者、特に女性の貧困化を軸とした格差社会の進展や将来への見通しの悪さが原因なのか、国内消費は意外にも伸び悩み、物価上昇は期待していたほど生じなかった。しかも日本経済は累積債務の膨張と少子高齢化の進展という不気味な時限爆弾を抱えながら、2020年、まさにオリンピック開催の年に「コロナ禍」を迎えてしまう。オリンピックの延期と断続的に繰り返される経済活動の自粛・・・これらが与えた日本経済への打撃には計り知れないものがあるだろう。

 安倍政権はオリンピックの開催を見ることなく、2020年8月、歴代内閣における日本最長政権としての数々の「レジェンド」を残して政治の表舞台を去った。

 この歴史に残る長期政権が政治的に目指していたのは戦後初めて教育基本法を改正して「愛国心」を学校教育の目標に加えたことに象徴される、天皇制国家主義の復興であったと考えられる。

 憲法改正こそ実現できなかったが、国家主義の確立という安倍氏の政治目標は一貫して明確であり、さほどブレなかったように見える。東京オリンピックと大阪万博の二大イベントがそうした彼にとって国家主義的な観点からの国威発揚の手段でもあったのは明白であろう。もちろん戦時中のような天皇制ファシズムの復活を彼が目指していたとは思えない。しかし国家機密保護法など彼が繰り返しちらつかせてきた強権的権威主義への強い志向はかつて満州国で強力な統制経済を推進していた祖父岸信介氏の体質を引き継いでいるといっても過言ではあるまい。

 多様性の尊重がより一層必要な時代であるにも関わらず、ブラック校則がまかり通り、同調圧力が強まるだけの日本の学校社会。当然の如く教員間でのイジメが横行している学校現場にかつてほどの革新性と熱気は見られなくなった。目の前の膨大な校務を定型的に無難にこなせるかどうかが教師達の唯一の関心事となりつつある。もはや児童生徒の個々の要望に応じられる柔軟性を持った、個性的な教育は望むべくもなく、教員の仕事は専らただ「こなす」だけの事務労働と化してしまっている。

 学校へのコンピュータの普及は事務仕事の軽減に向かわず、世間の批判をかわすべく、「やってます」感を演出するアリバイ作りを中心とした事務仕事の総量を増やすことばかりに利用されている。未来を担う児童生徒を意識した先見性のある取り組みは、すっかり保守的となってガチガチに硬直した学校現場をひたすら混乱させるに過ぎず、余分なお荷物、お節介と受け取られかねないほどに教師集団は限界まで追い詰められ、自己保身に逃げていくうちにすっかり衰弱してしまった。

 日本社会にはびこる種々の時代閉塞の現状は日本の学校現場を見れば一目瞭然である。日本の未来を担う児童生徒を相手とする学校現場の旧態依然とした荒廃ぶりは老大国と化した日本の未来の荒廃そのものであろう。こうした事態を座視するばかりか、教員免許更新制を導入してむしろ教師を絶望的気分に追いやってしまった安倍政治の責任は極めて重いと考える。

 国家的威信をかけて推進してきたオリンピックはコロナ禍による延長に加えて森喜朗オリンピック・パラリンピック大会組織委員会会長の女性への差別的発言によって一層、開催が危ぶまれる状況を招いてしまった。オリンピックの申し子と言われた橋本聖子氏が森氏の辞任を受けて新たな会長となり、何とか1年延期の末にオリンピックは開催されたが、予算超過の開催費用と電通絡みの収賄事件を含め、ゴタゴタが続いてしまっている。

 国民を国家主義的目標に向けて結束させるという安倍政治は国会の審議を空洞化させて一方的に国民に事後承諾と「忖度」を強要する息苦しさを伴っていた。安倍政権が掲げてきた「働き方改革」と「女性の積極的登用」は国民を欺くための表面的でキャッチーなスローガンに止まり、率先垂範を欠いて骨抜きにされる一方で、国家機密保護法のような言論統制と秘密主義が堂々とはびこり始めた。

 現在、日本の政治は一層不透明となり、国政への信頼感は低下する一方であると言えよう。そしてその後の政権がこうした問題を改善できるとは到底思えず、現在に至るまで暗澹たる政治状況が続いている。

 しかしこうした中で「鬼滅の刃:無限列車編」の大ヒットは先行き不透明な日本にとって一つの光明を示すものではあった。鬼には鬼となってしまった、やむにやまれぬ事情がある・・・という本作の認識には多様性の尊重という、世界全体が目指すべき理念が確かに宿っている。

 国民に一方的同調を強いる安倍政権とは異なり、政府が今後「忖度」すべきは自分とは敵対する、相反する価値観を持つ人々であろう。異なる人種、民族、宗教、信条の人々が平和の内に共存していく為に世界が共有すべき必要不可欠な理念として今後ともダイバーシティの尊重が声高に謳われていかなければなるまい。

 幸い「アメリカファースト」という偏狭なスローガンで登場した差別主義の塊のようなトランプ政権は安倍政権の終焉から半年も経たない2021年1月に退陣した。しかし今、トランプ時代の悪影響が遠くベラルーシやミャンマー、ロシアや中国、北朝鮮、ブラジル、トルコ、シリヤ、イラン、パレスチナ、イスラエル、アフリカのサヘル地方といった地域や国々に種々の混乱や不幸をもたらしている。

 とりわけトランプやボルソナロらが地球温暖化への取り組みを後退させてしまったことによる異常気象の発生は人類の行方をも左右しかねない、不安と動揺を世界中にばらまいてしまっている。もちろんアメリカと同盟関係にある日本もまた不安定化した国々の一員となりかねない危険性を十分に秘めている。

 とは言え安倍政権もトランプ政権も今は姿を消しており、挽回する機会は到来しているだろう。そして戦時中さえ除けば、イスラム諸国やキリスト教原理主義の国々が抱えている一神教のような頑固さを日本は戦時中を例外として今まであまり持たずに済んできていた。すなわち海洋国家としての開放性と多神教の伝統こそが日本の世界に誇れる美点であることを「鬼滅の刃:無限列車編」は世界に向けて発信しているように思えるのだ。

 

 今、日本にとって最大の障害物は、明治以降、連綿と続いてきた国家主義的天皇制ではあるまいか。戦時中は天皇制ファシズムの下で日本はあたかも一神教国家のような頑なさに自閉し、欧米との敵対に終始してしまった。現在も続いている天皇制は戦前と形こそ違え、いつでも狭隘な国家主義の柱となりかねない危険性を未だに有したままのように思えるのだが、いかがだろう。

 天皇制という、秘密主義の塊のような巨大なブラックボックスに隠れて近代以降の日本の指導者たちは国家としての様々な失態を隠蔽してきた。この隠蔽体質は安倍政権に色濃く受け継がれ、「モリかけ問題」や「桜を見る会」の問題に見られる証拠隠滅などによって民主主義の土台をグズグズに腐食させてきたのではあるまいか。

 あれだけの事故を起こし、福島県民に大きな迷惑をかけてきた東京電力が福島原発の地震計の故障を知りつつ、懲りもせずについ最近までこれを放置できていたのも、安倍政権の隠蔽体質の負の遺産と言えなくはない。そもそも戦後の原子力発電導入の中心人物であった元A級戦犯容疑者の後藤文夫は常々「天皇陛下の警察官」を自認していた。原発と天皇制、政府の隠蔽体質とはきっと今も国民の見えないところで緊密な繋がりがあるのだろう。

 こうした中での国家的イベントとしてのオリンピックや万博は安部氏自身の失政と闇の多い出自から国民の目をそらし、その華やかなセレモニー性で天皇制国家主義の危うい側面をきらびやかに糊塗する目的があったとするのはうがちすぎだろうか。

 しかし安倍政治の姑息なごまかし政治、上辺だけの金メッキ策は今や後続の管政権の相次ぐ失態によって見苦しいほどに「化けの皮」が剥がれてきている。メッキの下から見え隠れする安倍政治の古臭い権威主義、国家主義の荒々しい本質、個人の人権保障を蔑ろにする滅私奉公的体質は最早、隠しようがないだろう。

 長老が支配する日本政治はとっくにオワコン状態にある。世界は森失言騒動で露骨に見えてしまった日本政治の根強い差別的構造にすっかり辟易しているに違いない。

若い女性がリーダーを務めていたニュージーランドやフィンランドのコロナ禍に対する迅速な対応ぶりを見比べた時、日本政治の長老支配は虚しく時間ばかりが過ぎていく、腰の重さが目立つ。こうしたグズグズでノロマな日本政治は輝かしい未来を私達からひたすら遠ざけているだけであろう。

 

 出来るだけ早い段階での政治家の若返りと大量の女性議員の国政進出が待たれると思うが、いかがか。

 

その4.アメリカの公民権運動(前編)

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

1.    新型コロナが浮彫りにした格差社会

参考動画

[差別?] 日本生まれの黒人インタビュー みよっ🤭🤔

   BrooklynTokyo 2021/07/01 13:17

   黒人差別問題の裏側、日米間の認識の違いに気付かされる貴重な番組。

『黒人差別だ!』と批判された日本のキャラ達について

   BrooklynTokyo 2022.6.21 11:37

ハーフが日本で差別された経験を語るんだけど...

   2022/01/28 BrooklynTokyo 16:50

参考記事

表向き同調し、匿名だと叩く日本人の不思議 同調はしていても、けっして協調してい

   ない 東洋経済オンライン ウスビ・サコ 2020/08/18 10:00

  非常に有益な内容なのでやや長文になりますが、カッパが少しだけ抜粋、要約して以下、ご紹介いたします。

 

  2018年に日本初のアフリカ系学長として、京都精華大学の学長に就いたウスビ・サコ氏。…多様化する中で、日本人が自分の本音を言える環境を作ることの重要性を説きます。

・人の心には必ず偏見がある

 私が京都でお年寄りに道を尋ねると、話の途中で言葉をさえぎるように「ごめん、英語、わからへん」と返されてしまうことがあります。「いやいや、おばあさん。私は日本語で話してますよ。日本語ですよ。日本語」と伝えても、「英語わからへん、英語わからへんから」と繰り返すだけなのです。こうした人たちは、私の外見をみて、「英語で話しかけられている」と思い込んでしまっているのでしょう。お年寄りに限らず、若い人でも似たような先入観を抱いたり、話しかけられること自体に抵抗を覚えてしまったりすることはありませんか。…

 つまり、どんな人間も偏見や先入観を捨てることはできず、相手の性格や性質を実際の言動から判断する『目』を持つことはとても難しいのです。

 人は自分が生まれてから見聞きした経験を記憶し、その記憶に基づいて物事を判断しようとする生き物です。だから、どんな人でも偏見や先入観を持っています。偏見や先入観を持つこと自体は否定できません。ただ、多様化が加速するグローバルな時代においては、当然ながらステレオタイプな発想から抜け出し、柔軟に受け入れる姿勢が求められます

 そこで重要なのは、まず、自分の偏見や先入観に自覚的になること。それが相手との違いを認め合いながら学ぶための第一歩となります。…

・同調するだけでは協調できない

 日本社会は本当に多様化が進んでいるのでしょうか。日本では「空気を読む」ことがいまだによしとされ、多数派の主張に反論することがはばかられる風潮があります。私から見て、「違い」を受け入れるのが苦手な日本人は、「協調性」という言葉を誤解しています。たとえば、職場の会議などでは決して核心を突いた発言はせず、とりあえず同調したような態度を取る。こうやって同調することを協調性として捉えています。

 しかし、そうやって実質的には全員賛成で物事が決められていく一方で、腹の中で異論をくすぶらせている人がいるケースも少なくありません。

 多くの人に「相手の考えを否定するのは気がとがめる」という思いと、「自分の意見を否定されるのはたまらない」との思いが同居しているのです。反対意見を提示されると、自分の人格を否定された気になり落ち込む人もいます。

 私は自分の考えを否定されても傷つきませんし、…むしろ、何一つ異論がなく物事が決まっていくほうが不自然ではないでしょうか。誰も意見を出さないまま「協調」するなんて、独裁そのものではないですか。

 職場の会議では誰も反対意見を口にしないケースが多いのに、なぜかSNS上では、他人の意見どころか、人格そのものまでを否定するネガティブなコメント、マイナスの言説があふれています。「匿名だったらどんな誹謗中傷をしてもいい」というのは、やはり問題があります。…

・なぜ本音で語ることを怖がるのか

 多様化する世界で相互理解を深めるには、他人の意見に流されるのではなく、本音で生きることは非常に大事です。しかし、日本では多くの人は本音を押し隠しながら生きています。表面上の人間関係は平穏なのですが、言いたいことが言えずにストレスをためています。…

 日本には、お酒の場では腹を割って本音で話せる文化があるのも知っています。これもちょっとずるいな、と思います。お酒の力を借りて口にする本音って、どうなのでしょうか。しらふでいるときにはずっと本音を隠しながら生活しているということなのでしょうか。考えれば考えるほど謎です。

 しかも、せっかくお酒の場で本音を語ったと思ったら、翌日にはすっかり「なかったこと」になったりするからやっかいです。お酒の場で本音が言えるのなら、日常でも語ってほしいし、お酒の場でいったん口にしたのなら、せめて責任を取ってほしいのですが、そんな大人たちを見てどう思いますか。

 本音とは、もっとも重要な心の声、あなたの「ヴォイス」です。多様化し、不確実さが増す世界では、「ヴォイス」をしっかりと持つべきなのです。何かの力に頼って本音を吐き出したつもりになっているではなく、真に突き詰めて自らの「ヴォイス」を見つけ出すことが、どんな価値観にも流されない自分を作る第一歩になるのです。

 

 ウスビ・サコ氏の指摘は日本人にとってかなり耳の痛い話であるが、討論型の授業をしていく上でもとても参考となる重要な指摘に満ちている。ぜひ、この分野の最初に資料として読ませたい。同時になぜ討論型の授業が今の学校に必要なのか、各自が自分なりの「ヴォイス」を持つことの重要性を通して生徒に理解させたい。

 

NHKNEWSWEB 2020年7月14日 10時04分

 「Onebox Newsの報道によると2016年の世界長者番付の上位8人は世界の富のピラミッドの下位36億人と同等の富を保有している…2013年2月、アメリカのブランダイス大学の研究によって、アメリカ国内の白人・黒人の資産格差は、過去25年間で3倍近くに拡大したことが明らかとなっている。」という二つのデータに注目したい。

 新型コロナウイルスの影響で経済格差の拡大が懸念されていたのだから、白人優遇、格差拡大の政策をとったトランプ大統領の時代とコロナ禍をへて、この格差が今どの程度拡大したのか、今後のデータが注目されよう。

 

格差拡大に貢献する2つの刑事司法制度

 フォーブスジャパン Erik Sherman  2020/07/19 07:30

 提供金があれば、チャンスが手に入るだけでなく、貧しい人々と比べると途方もなく手厚い司法上の保護が受けられる。たとえ逮捕されたとしても、より手厚い扱いが受けられ、より有能な弁護士に依頼することができて、裁判官や陪審員の判断も自分に有利になり、金の力で保釈を手に入れることも可能だ。一方、低所得者を待ち受けているのは過酷な仕打ちだ。そうすることで、検察官や政治家などが「自分は犯罪を厳しく取り締まっている」というアピールができるからだ。

米国の刑事司法制度については、かねてから活動家や各種団体から問題視する声が上がっている。司法制度について提言を行っている非営利組織センテンシング・プロジェクト(Sentencing Project)は、2013年8月の報告書で次のように指摘している。

「米国には、実質的に、全く異なる2つの刑事司法制度が並存している。ひとつは経済的に豊かな人々のための制度、もうひとつは貧困層やマイノリティーのための制度だ。米国政府が報告書に記載するのは、前者の制度だ。この制度の中では、当事者主義(原告、被告が裁判を主導し、裁判官、陪審は中立の第三者として判断を示す裁判方式)がしっかりと機能しており、被告人には憲法に定められたさまざまな保護が与えられる。

 しかし、被告人が貧困層やマイノリティーである場合、米国の刑事司法制度の中で受ける扱いは、前者のモデルとは大きく異なるケースが多い。これにはさまざまな要因が絡んでおり、その一つひとつが、現在の司法制度の中でこのような層が有罪判決を受け、収監される確率が高まる現象に拍車をかけている」 

 仮に有罪判決を受けた場合でも、金さえあれば、刑が減免される可能性がある。刑務所に入ることにとなったとしても、収監先は、家族と面会がしやすいように、家族の住む街から近い刑務所が選ばれるだろう。さらに、財力があれば、刑務所での暮らしも多少は過ごしやすくなるはずだ。何より重要なのは、逮捕されて身柄を拘束された場合でも、金があれば、保釈が認められる確率が大幅に高まる点だ(保釈金不要で、自らの誓約だけの保釈が認められる可能性もある)。保釈されれば、来たるべき公判の日まで日常生活を送り、弁護の体制を整え、必要なリソースを利用することが可能になる。

 当人の誓約だけでは保釈を許可できないというショッキングな判断を裁判官が示すかもしれないが、その場合も保釈金を用意すれば、有罪判決を受ける前の段階で一時的に自由の身となれる。しかもこの保釈金は(指定の額を払うだけの金銭的余裕がある場合に限られるが)、定められた期日に出廷すれば、少額の手数料は差し引かれるものの、ほぼ全額が返却される。保釈中も仕事は続けられる。家族や友人と時間を過ごすこともできる。さらには、裁判での弁護について作戦を練ることも可能だ。念入りに準備ができれば、「当事者主義」を掲げる米国の司法の場で、最終的に勝利をつかむ可能性が高まる。まるでボクシングリングのような法廷での戦いで目標とされるのは、真実の追求ではなく、勝つことだ。

 一方、金銭的余裕がない場合は、残念だが希望は持てない。家族が(住宅を担保に借金をするなどして)金を工面してくれない限り、小さな留置場で、裁判の日を待つことになる。現在のようなパンデミックの最中にこのような留置場に置かれるとしたら、それは死刑判決と同じになる可能性がある。死や重症化の危険と隣り合わせだからだ。・・・以下略

 

 司法制度はアメリカにおいてもしっかりとよく見ないとなかなか見えてこない落とし穴が随所に隠れている。表面的な条文の解釈ではその欠陥が見えてこないために英語を母語としない移民たちや、文章読解能力の低い貧困層にとって現在のアメリカの司法制度がいまだに大きな壁となっているようだ。

黒人男性フロイドさん殺害で訴追の元警官、1億円支払い保釈される

 AFPBB News - 2020年10月8日

【AFP=時事】今年5月に米ミネソタ州ミネアポリス(Minneapolis)でアフリカ系米国人のジョージ・フロイド(George Floyd)さんが警察の拘束下で死亡した事件で、殺人罪で訴追された元警官が7日、保釈金100万ドル(約1億600万円)を支払って保釈された。デレク・ショービン(Derek Chauvin)容疑者は、手錠を掛けられたフロイドさんの首を意識を失うまで膝で押さえ続けたとして、第2級殺人、第3級殺人、過失致死の計3件の罪に問われている。現場を捉えた動画が拡散し、全米で大規模な抗議デモが起きていた。

 ヘネピン(Hennepin)郡保安官事務所の発表によれば、ショービン容疑者は逮捕から4か月間にわたりミネソタ州内で勾留されていたが、保釈金を支払ったため、裁判までミネアポリス市内にとどまることなどを条件に保釈された。フロイドさん遺族の代理人を務めるベン・クランプ(Ben Crump)弁護士は、保釈を激しく非難。「デレク・ショービンはきょう、保釈金100万ドルを支払った。20ドル(約2100円)をめぐってジョージ・フロイドの命を奪った後、金で自由を買ったのだ」とツイッター(Twitter)上で糾弾した。インターネット上では複数のグループが、保釈に抗議する新たなデモの実施を呼び掛けている。

 

 生徒にはフォーブスとAFPの記事を両方、紹介しておきたい。アメリカ社会がいかに白人富裕層に有利な構造となっているか、少しは分かるだろう。

 

BLM運動の始まり 文春オンライン(2020.6)

・・・翌26日には地元ミネアポリスで抗議デモが起こり、人々はフロイド氏が繰り返した「I can't breathe!」(息ができない!)および「Black Lives Matter!」(ブラック・ライヴズ・マター)を連呼した。

 ブラック・ライヴズ・マター(BLM)は、2012年にフロリダで当時17歳の黒人少年トレイヴォン・マーティンが自称自警団の男に射殺された際に起こったムーヴメントの名だ。「I can't breathe!」は2014年にニューヨークで起こった、今回とほぼ同様の事件で亡くなった黒人男性エリック・ガーナー氏が息絶える前に繰り返したセリフでもある。

 デモはやがて全米50州に広がっていく。平和的なデモがある一方、デモ隊と警官隊との衝突、商店の略奪が起こった。デモ開始から数日後、主犯の警官デレク・ショウヴィンは第2級殺人容疑、他の3人の警官(うち2人はアジア系)は第2級殺人ほう助教唆容疑で訴追された。この報に人々は喜んだが、デモはその後も続き、警察からデモ隊への暴力はますます激しくなっている。

・・・フロイド氏殺害事件とデモは、コロナ禍による各州のロックダウンが解除されつつある時期に起こった。トランプは経済再開と大統領再選キャンペーンに躍起になっており、当初、事件について一切語らなかったが、やがてツイッターにて略奪鎮圧のための軍投入を示した。

 抗議デモ開始から7日目の6月1日、ようやく大統領としての公式声明を発したが、銃所持の右翼たちに「自衛のために銃を取れ」と示唆する内容だった。トランプは黒人差別問題への共感もなければ、今、アメリカの足元に大きな地割れが起きていることにも気付いていないのだ。・・・制度的差別に気付かない部外者は、教育が貧困脱出の手段であることから「貧しくとも奨学金で進学できるじゃないか」と言う。だが、貧困地区に生まれた子供と豊かな地区に生まれた子供では、幼児期に自然に取り込める語彙、思考訓練、文化との接触の量がまったく異なる。つまり黒人の子供たちは就学時点で学力的にすでに大きく出遅れていることになる。

 さらに、米国の公立学校の財源はほとんどが固定資産税で賄われており、貧困地区と裕福な地区の極端な税収格差が、子供たちが受ける教育格差に直結している。こうした要素が重なり、貧しい黒人の子供たちが学力格差を克服するのはほぼ不可能に近いとさえ言われている。

 優位に立つ側はこの構造に気付かず、社会から取りこぼされて貧困、低学歴、犯罪といった負のサイクルから抜け出せない黒人を「怠惰」「無能」「犯罪者」と見下す。または音楽、スポーツ、体格などに限っては黒人を褒めそやす。子供の頃からこうした扱いを何度も体験すると自尊心が傷付けられ、能力があっても発揮できなくなる。・・・以下略

 

パンデミック下の米国では、感染リスクが「貧富の差」で決まる:データに基づく

 研究が裏付けた構造的な問題:BUSINESS 2020.08.23 SUN 16:30

 パンデミックになってから家から一歩も外に出ない富裕層の数は、パンデミック以前に比べて25パーセント増えたという。一方で貧困層では、増加した人数は10パーセントにすぎない。

 貧困層では、家にいた人々は40パーセントに満たなかった。貧困層は概して移動距離も富裕層より長かった。同じ月(4月)に貧困層は5~6kmを移動していたが、富裕層の移動距離は4kmほどだった。

 米労働省労働統計局によると、高校卒業資格をもたない25歳以上の米国民のうち、6月に在宅勤務していた人はわずか5パーセントだった。一方、学士号以上をもつ米国民の54パーセントが、在宅で勤務できていた。

 エッセンシャルワーカーの43パーセントが有色人種であるという事実は非常に重要であり、心にとどめておくべきだと、「Partnership for Southern Equity」のディレクターであるチャンドラ・ファーレイは指摘する。

格差を浮き彫りにする新型コロナウイルス 持つ者、持たざる者

 時事ドットコムニュース (2020年05月08日 16:29)

 ここで指摘されているアメリカ社会の暗部から目をそらしてはなるまい。「持つ者と持たざる者の差が激しく一目瞭然、それがアメリカ社会である。高級住宅地には、プールやテニスコートを備えた大豪邸が立ち並び、マセラティやポルシェといった高級車が当たり前のように行き交う。しかし、そこをちょっと離れるだけで、全財産をリュックや自転車に積んだホームレスたちが街をさまよう光景が広がる。」というアメリカにおいてコロナ禍はその格差社会の惨さを見せつけた。

…5月7日時点でのブロンクスの感染者数は、10万人あたりで2711人と、ニューヨーク市で最も多い。マンハッタンの1153人と比べると2倍以上で、世帯収入と見事に反比例している。

 ブロンクスで感染が広がった理由の一つとして、スーパーマーケット、公共交通機関、配達、飲食といった「必要不可欠」サービスに従事している住民が多いことが挙げられる。こうした低賃金のブルーカラーワーカーには、安全な自宅からオンラインで働く選択肢はない。州全体に外出禁止令が出ている中、「必要不可欠」な労働者たちは、電車やバスを使って通勤し、不特定多数の客と接するリスクに身を晒している。

 こうした状況はニューヨークに限らない。ロサンゼルス郡の分析によると、住民の30%以上が貧困層の地域では、貧困層の割合が10%以下の地域に比べて感染率が約2倍。死亡率は3倍だという。貧困地域では、健康保険に未加入な人が多く、医師数や病床数が不十分な場合も多い。重症化リスクを高める糖尿病や肺や心臓に基礎疾患を抱える人の割合も高い。

ワシントン・ポスト紙のデータ分析によると、黒人が過半数を占める郡では、白人が過半数の郡に比べて3倍の感染率、6倍近くの死亡率だという。ヒスパニックも人口あたりの数値で白人を上回る。

…黒人コミュニティーには、「白人が風邪を引くような時、黒人は肺炎にかかる」という決まり文句がある。不景気などの災難に見舞われると、差別や格差によって黒人はより甚大な被害を受けるというニュアンスだが、今回は文字通りにのしかかっている。」

 

 アメリカに憧れを持つ日本人は次第に少なくなりつつあるが、中にはアメリカンドリームを信じている生徒がまだいるかもしれない。そのあたりをアンケートで探っておいてからこの記事を紹介するとよりインパクトは大きくなるかもしれない。

 

米スポーツ界とトランプ氏対立 侮辱に抗議、野球でも

 日本経済新聞 2017/9/25 20:06

【ニューヨーク=高橋里奈】米国のトランプ大統領と米スポーツ界の対立が深まっている。きっかけは、米プロフットボール(NFL)の試合の国歌斉唱で人種差別への抗議の意味を込めて起立しなかった選手を、トランプ米大統領が侮辱したこと。24日のNFLの試合では抗議する選手が続出。野球やバスケットボールの試合でも抗議する選手が現れている。

 対立の発端は、22日の南部アラバマ州でのトランプ氏の演説だった。白人警官による黒人射殺などの人種差別に抗議して、試合開始前の国歌演奏で膝をつき起立しない選手について、トランプ氏は「『そのろくでなしをすぐにつまみだせ。クビだ』とNFLのオーナーに言いたくないか」と批判。23日にもツイッターで「国歌斉唱時に起立しないならクビだ。ほかにやることを見つけろ」と投稿した。…以下略

 

「安倍首相がノーベル平和賞に推薦」 トランプ氏発言、首相は否定せず

 CNN 2019.02.19 Tue posted at 09:40 JST 

 東京(CNN) 米国のトランプ大統領が、「日本の安倍首相が私にノーベル平和賞を授与するよう推薦してくれた」と発言した。この発言について安倍首相は18日の衆院予算委員会で、トランプ大統領を推薦したことを否定はしなかった。

 安倍首相は衆院予算委員会で、トランプ大統領は北朝鮮の核・ミサイル開発阻止のために尽力していると強調、「トランプ大統領のリーダーシップを高く評価している」と語った。

 その上で、「ノーベル委員会は推薦者と被推薦者を50年間は明らかにしないとしていることを踏まえ、この方針にのっとってコメントは差し控えたい」と述べ、実際に推薦したかどうかについてはコメントを避けた。これに先立ち朝日新聞は17日、「首相が米政府から非公式に依頼を受け、昨秋ごろノーベル賞関係者にトランプ氏を推薦した」と伝えていた。

…以下略

 

 「安部政治」が何を目指していたのか、一目瞭然のエピソードであろう。その延長線上に安部氏が登用した杉田水脈氏らによる一連の差別発言があると考えられる。

 

§2.沖縄学習編その5.ウルトラマンの行方

 

 

①ウルトラマンと沖縄

   以下は沖縄Plus「沖縄とウルトラマン!?その関係と謎に迫った!」(投稿日:2017年10月23日)よりカッパが抜粋して多少、加筆・修正のうえ、これまでに引用してきた文章をご紹介いたします。

 

・ウルトラマン

   沖縄と言えば?と聞かれると皆さんは何をイメージするでしょうか?おそらく青い海、青い空、南国沖縄をイメージする方が多いと思います。意外な事に沖縄と「ウルトラマン」の関係が深い事はご存じでしょうか?沖縄といえば?と聞かれて「ウルトラマン」と即答する方は少ないと思いますが、その深い関係と謎についてこれからご紹介したいと思います。

・金城哲夫という男

 金城哲夫(1938~76)、日本の脚本家でウルトラマンの生みの親と言われています。沖縄県島尻郡南風原町出身(現在は南城市)の生粋のうちなーんちゅが、皆さんが知っているあの想像しているウルトラマンを作りだしたのです。

 アメリカ統治下にあった当時の沖縄から飛び出して、東京の高校へそして大学へと進学します。大学を卒業すると故郷沖縄を題材にした舞台や映画、テレビドラマの制作に関わりますがどれもヒットする事が無いまま年齢を重ねていきます。

円谷プロダクションへ

 知人の紹介から円谷プロダクションを紹介され入社します。この円谷プロこそ日本を代表する特撮映像チームです。円谷プロに入社するとたちまち主任として、「ウルトラQ」「ウルトラマン」と数々のヒット作品を生みだし日本中に怪獣ブームを巻き起こしました。金城哲夫が生みだした、ウルトラマンの顔は沖縄の海で見た「ホヤ」から作られたと言われています。

 完全に才能が開花した金城哲夫はその後も、「怪獣ブースカ」「ウルトラセブン」と誰もが知ってるヒーロー作品を生みだしました。

・ウルトラマンと沖縄の関係

 上記でウルトラマンは沖縄の海で見たホヤから生まれた事を紹介しましたが、他にも沖縄が関係するウルトラマンの秘密を紹介します。

 ウルトラマンの故郷であるM78星雲という星も、Mが南そして78が那覇だと言われています。特に怪獣には多くの沖縄の要素が盛り込まれています。「チブル星人」のチブルは沖縄の方言で頭を表します。チブル星人は頭がデカいです。「ザンパ星人」は泡盛の残波や残波岬という所からきています。そしてウルトラマンシリーズでも有名な怪獣の「キングジョー」は、金城哲夫自らの「キンジョウ」からネーミングを付けたと言われています。

 金城哲夫が亡くなった後のウルトラマンの作品でも、「ウルトラマンティガ」で出てきた「怪獣ヤナカーギー」沖縄の方言でブサイクを意味します。「ウルトラマンダイナ」では「怪獣チュラサ」。「チュラ」は「チュラカーギー」=美人や「美ら海水族館」などで出てくる沖縄の方言で「美しい」の意味…

 どうでしょうか。沖縄とウルトラマンは深い関わりがある事がわかりますね。どの怪獣の名前もうちなーんちゅならすぐにピンときますが、沖縄の方言がわからない県外の方は不思議な呪文のように聞こえると思います。

・金城哲夫の生家に行けるのです!

 沖縄の南風原町津嘉山(つかざん))にある金城哲夫の生家に行く事が出来ます!その生家は現在「松風苑」という沖縄の食材を使った懐石、会席料理が楽しめる料亭となっています。そして、金城哲夫が書斎として使用していた部屋はそのままに「金城哲夫資料館」となっていて事前予約をすれば見学する事が可能なので、ウルトラマン好きにはたまらない空間となっています。

 今回は沖縄とウルトラマンの関係についてでしたが、いかがでしたか?昭和41年(1966)から始まったウルトラマンは今日まで長期シリーズ化し、幅広い年齢層に愛されました。そんな正義のヒーローの原点がココ沖縄にあるのは自慢のひとつになります。

 

②ウルトラシリーズの始まりと沖縄

 以下はカッパがウィキペディアやネット記事などを参照してウルトラシリーズ始まりの概略を記したものです。

 

 所得倍増計画に目がくらみ、アメリカの物質的繁栄に憧れて経済成長にまっしぐらとなっていた日本ではあったが、その真っ只中の1960年代半ば、既にアメリカべったりの成長路線に疑問の目を向ける異色の子供向け番組がSF系の中から登場してきた。空想特撮シリーズ「ウルトラQ」(1966)、その続編の「ウルトラマン」を筆頭とするウルトラシリーズはそうした社会批評的問題意識を内包させた番組の代表格であった。

 たとえば「カネゴンの繭」(ウルトラQ)ではお金集めに執着した加根田金男がガマ口の化け物のような怪獣カネゴンに変身してしまい、ひたすら硬貨を食べ続けることになる。まさに金儲けの亡者となってしまったかのような当時の日本人を揶揄するようなストーリーである。

 やがて激動の70年安保が始まり、沖縄返還(1972)が日程に上り始めた頃、ウルトラシリーズの脚本を手がけてきた沖縄出身の金城哲夫(1938~76)、上原正三(1937~2020)の二人は沖縄人の立場から高度成長期の日本やアメリカに異議申し立てするような「問題作」の数々を怪獣ドラマに託して果敢に表現していく。

 彼らが属していた円谷プロは大ヒットした傑作、ゴジラシリーズを生み出してきた、日本の特撮界を当時リードする番組制作会社であった。そもそもゴジラはアメリカのビキニ環礁核実験による第五福竜丸被爆事件(1954)を背景にした反米的で社会批評的性格を帯びた作品である。

 第1作“水爆大怪獣映画”で初登場したゴジラは身長50メートルの怪獣で人間にとっての恐怖の対象であると同時に「核の落とし子」「人間が生み出した恐怖の象徴」として描かれていた。また核兵器という人間が生み出したものによって現れた怪獣が、人間の手で葬られるという人間の身勝手さを表現した作品であるとも言われてきた。

 元来が社会批評を怪獣に託して描いたゴジラのような作品を生み出した円谷プロであった。そこに入社したことで沖縄出身の金城、上原らは自らの才能を思い切り開花させていった。彼らが以前から抱いてきた日本とアメリカへの違和感、反発をバネにして脚本を構想し、ウルトラシリーズの物語へと粘り強く昇華させていった歴史的側面は見逃せないだろう。

 

ウルトラマン屈指の異色作 沖縄出身脚本家・上原正三さんが挑んだタブー

 沖縄タイムス 2016年3月27日 11:00

 以下、記事の内容をカッパが抜粋、要約して紹介いたします。故上原正三氏による非常に貴重な証言であり、興味が湧いた方はぜひ、沖縄タイムスの記事全文をお読みください。

 

 沖縄出身の脚本家、故金城哲夫さんが「ウルトラマン」を誕生させてからちょうど50年。特撮の円谷プロで1歳下の金城さんと苦楽を共にした後フリーになり、ウルトラヒーローシリーズ3作目「帰ってきたウルトラマン」を手掛けたのが、同郷の上原正三さん(79)だ。

 2人のウルトラマンは対照的。金城さんが近未来のファンタジーとして描いたのに対し、「帰ってきたウルトラマン」は放送時の、1971年の東京が舞台。スモッグの空や工場地帯、ヘドロの海が戦いの場になり、時に怪獣よりも恐ろしい人間の心の闇もテーマになった。

 特撮界に多大な足跡を残した上原さん。ウルトラマンと並ぶ特撮ヒーロー、仮面ライダーの誕生にも関わったというから驚きだ。米軍占領下の沖縄から上京し脚本家になるまでのいきさつや、ウルトラシリーズ屈指の異色作「怪獣使いと少年」に込めた願い、故郷・沖縄への思いまで、語ってもらった。(聞き手・磯野直)

■疎開船とケチャップの味

 ―那覇市久米で生まれ育った。

 …略…

 ―戦争体験は。

 「1944年7月にサイパンが陥落すると、住民は戦闘の足手まといになるという理由で、日本軍が疎開を奨励した。でも、ウチナーンチュ(沖縄の人)は先祖の土地からなかなか動かない。それで『官公庁の家族から行け』となり、1944年9月ごろ、父を残して母文子ら家族6人で台湾に向かった」

 「1カ月後、一度沖縄に戻ろうと、10月10日に那覇へ着く予定の船に乗った。途中、急に台風が来て西表に避難している間、那覇が大空襲で壊滅した。僕らの船は行き場を失い、約2週間、海を漂流した」

 ―死を覚悟したか。

 「寝る時は家族6人、手首をひもで縛った。母は『離れ離れにならないように』としか言わないけど、7歳の僕でも死を覚悟した。回りは希望のない顔をした大人ばかりだからね、見れば分かるよ。米軍に制空権を奪われ、潜水艦もうようよいただろう。でも奇跡的に鹿児島に着き、熊本の円萬寺という寺で終戦まで疎開した」

 「2週間の漂流中、食べ物がないからケチャップだけをなめていた。だから、79歳の今もケチャップが食べられない」

 ―お父さんは沖縄で、地上戦を体験した。

 「糸満署長として住民を引き連れ、南部を逃げ回っていたらしい。住民と一緒に亀甲墓に隠れていて、日本軍に追い出されたこともあったという。どこをどう逃げたか全く分からず、摩文仁(まぶに)で死にかけているところ、捕虜になった。戦後、体験を一切語らなかったよ。左耳は全く聞こえなくなっていた。でも、僕ら家族は熊本で『勝った』としか言わない大本営発表をうのみにしているから、父たちが悲惨な戦場を逃げ回っているなんて、思いもしなかった」

 ―1946年、米軍占領下の沖縄に帰郷する。

 …略…

■上京、これが「琉球人お断り」か

 ―1955年当時、本土での沖縄差別は露骨だった。

 「高1の時、東京で暮らす親戚が『九州出身』にしていると知った。しかも本籍まで東京に移してさ。これは突き詰める必要があると。『俺は琉球人だ』との気概で東京に乗り込むと、親戚は歓迎してくれない。キャンディーやチョコ、リプトンの紅茶など、基地でしか手に入らない土産を嫌がったな。その後、僕も部屋を貸してもらえなかった。これが『琉球人お断り』かと知った」

 ―それでも、ひるまなかった。

 「『ウチナーンチュを標榜(ひょうぼう)して、ヤマトゥ(本土)で生きる』が僕のテーマ。沖縄を差別するヤマトゥンチュとはどんな人種なのか、俺の目で見てやる。そんな青臭い正義感を抱いて、60年がたつ」

 …略…

 ―1歳下の故金城哲夫さんとの出会いは。

 「卒業後、東京で同人誌用の脚本を書いていたが肺結核になり、25歳で帰沖した。那覇で療養しながら、テーマを探してコザの基地の街や嘉手納基地周辺をウロウロしていたよ。ある日、母の友だちに『あなたみたいな映画好きがいる』と教えられ、会いに行ったらそれが金城…」

 ―どんな印象だったか。

 「…俺が琉球人として生きる決意した時、あいつは玉川学園で『金星人と握手する会』を作って活動していた。発想のスケールが大きすぎるんだよ」

 ―その後、金城さんは特撮の円谷プロに入る。

 「1963年、金城の誘いで東京に行き、特撮の神様・円谷英二さんや長男の一さんに会わせてくれた。一さんは『プロの脚本家になりたいなら、まずは賞を取れ』とアドバイスをくれた」…略…

・「沖縄はタブーだ。テレビではできない

 …略…

 「円谷プロで再会した一さんは、受賞は喜んでくれたけど『沖縄はタブーだ。政治なんだよ。テレビでは絶対にできないぞ』って…。TBSのドラマは他局より秀でていたが、反戦の名作『私は貝になりたい』などは右翼に攻撃されてね。テレビ局は、政治的なテーマにピリピリしていた。代わりに、一さんは僕に『ウルトラQ』を書けと勧めてくれた」

 「で、書いたのが『オイルSOS』。ヘドロから生まれた怪獣が、石油タンクに吸い付いて巨大化するという話。沖縄戦がだめなら、水俣病をテーマにやってみようとした。一さんのゴーサインが出てね。石油会社を訪ねたら『どうぞロケでお使いください』と言う。あの高い石油タンクの上から景色を眺めると、天下を取った気分になったよ。沖縄は無理でも、公害問題を告発できると喜んだ」

 「でも結局、石油会社がロケを断ってね。発注した怪獣ボスタングの着ぐるみが出来ちゃっていたから、急きょ『宇宙指令M774』という話を書き、それが『ウルトラQ』の第21話になった。試写室のスクリーンいっぱいに映像が映し出されたら、感激したよ。これがプロデビュー作」

 ―金城さんの誘いで円谷プロの社員になる。

 「金城が企画文芸室長で僕が副室長。1966年1月から始まった『ウルトラQ』がヒットし、さらに1966年7月に始まった『ウルトラマン』で、円谷プロは隆盛期を迎えた。金城は常にその中心にいてね。1967年10月から始まった『ウルトラセブン』も、『ウルトラマン』ほどではないが視聴率は取れていた。金城の書く作品は本当に素晴らしかったよ。特に、メーンライターを務めた『ウルトラQ』『ウルトラマン』、そして『ウルトラセブン』の最終回は彼の真骨頂だ」

 ―しかし、怪獣ブームは去ってしまう。

 「円谷プロ初の1時間番組『マイティジャック』が1968年4月から始まったが視聴率が悪く、赤字を累積させた。それで円谷プロは金城を降格させ、切った。あれだけの功労者を会社は切ったんだ。金城は見るからに意欲を失ってしまった」

 「そんな中、『怪奇大作戦』(1968年9月~69年3月)で、金城がTBSの橋本洋二プロデューサーに『対馬丸事件を題材に、シナリオを一本書く』と宣言したことがある。でも、結局書けなかったよね。金城は沖縄戦の時、家族で南部戦線を逃げ回った。おふくろさんが艦砲射撃で片足を失ってね。あまりにも過酷で、生々しくて…。結局、沖縄戦については何も書かないまま死んでしまったけど、見たかったよな」

 「金城はその後、数本書いたけど、魂のない作品だった。1969年2月、失意のまま妻と3人の子を連れて沖縄に帰ってしまった。会社は僕に残れと言ったが『金城のいない円谷に魅力はない』と言って辞め、フリーになった。…

■仮面ライダー誕生、そしてウルトラ復帰

 ―フリーになり、「仮面ライダー」の誕生にも関わったと聞く。

 …略…

 ―しかし、再び円谷プロから誘いが来た。

 「TBSの橋本プロデューサーから『ウルトラマンをもう一度やるから戻ってこい』との連絡が来た。一度は下火になった怪獣物だったが、『ウルトラマン』『ウルトラセブン』が再放送されると人気が再燃していた。それで新作を作ることになり、僕は『仮面ライダー』を離れた」

 ―企画のさなかの1970年1月25日、円谷英二氏が亡くなる。

 「それで、長男の一さんがTBSを辞めて円谷プロの社長になり、『新しいウルトラマンで、おやじの弔いをやるんだ』と意気込んだ。『帰ってきたウルトラマン』(1971年4月~72年3月)は、お鉢が回るような感じで僕がメーンライターになった。すると、円谷プロは第1、2話の監督に映画『ゴジラ』の本多猪四郎さんを連れてきた。巨匠だよ。まさに円谷プロの決意の表れ、おやじさんの弔いへの熱意の表れだね。でも、俺は何を書けばいいのかとびびってしまった」

■2人のウルトラマン

 ―金城さんのウルトラマンとは。

 「無風快晴。一点の曇りもない。彼のウルトラマンは伸びやかさがみなぎるんだ。物事をまっすぐに見つめ、マイノリティーの視点を持ちながらも抑制を効かせ、ファンタジーに収めていた。50年前の作品なのに、今も魅力が全然失われない。現在までいろいろなヒーローが誕生しているが、いまだに初代ウルトラマンを超えるキャラクターはない」

 「初代ウルトラマンの第30話『まぼろしの雪山』で山奥に暮らす怪獣ウーを攻撃する科学特捜隊を、少女が猛烈に批判する。金城にもそういう反戦的な部分、圧倒的な力で制圧することへの反発はあったと思う。僕も金城もウチナーンチュだから、無意識の部分でもマイノリティーの視点を持っている」

 「でも金城は明るい男。意識的にそういうテーマを表に出さず、抑制を効かせていた。『ウルトラセブン』の第42話『ノンマルトの使者』に沖縄を投影させたという説があるけど、金城はそんなに意識していなかったと僕は思う。ファンタジーの中でしっかりと収めるのが、金城のウルトラマン作品のすごさだ」

 ―それでは、上原さんのウルトラマンは。

 「金城のウルトラマンは一つの完成形。そのコピーでは、やる意味がない。仰ぎ見る主人公ではなく、町工場で働く兄ちゃんが困難にぶつかりながら成長していく物語にした。近未来ではなく、公害が深刻だった70年代の東京を舞台に、リアリティーの追求に腐心した。例えば怪獣がビルを壊すと、僕は人々ががれきの下敷きになる場面を作る。これは金城にはない発想…」

 「初代ウルトラマンと変身するハヤタは一心同体だけど、意思はどちらにあるのかはぼんやりした設定になっている。それで僕のウルトラマンは、変身する郷秀樹の意思を持つ設定にした。また、初代は仰ぎ見るイメージだけど、僕のウルトラマンは子どもの目線に下げようとした」

 「だから『帰ってきたウルトラマン』は僕をはじめ、いろいろなライターがやりたい放題にやっているよね。初代『ウルトラマン』のような透明感はなく、斜(はす)に見た感じの物語が主流になっていった」

 ―「帰ってきたウルトラマン」の第11話「毒ガス怪獣出現」は、金城さんの脚本だ。

 「金城が東京に出てきた時、一さんが書かせた。当時、大問題になっていた(沖縄の)知花弾薬庫での毒ガス貯蔵をテーマにしたけど、あまりにもストレートな告発で、金城の真骨頂である伸びやかさがない。自分を曲げて書いたのだろう。結局、それが金城のウルトラシリーズ最後の脚本になった。つらかっただろうな。一点の曇りもない『帰ってきたウルトラマン』を書いてほしかった」

 ―放送時の1971年、沖縄は「日本復帰」直前だった。

 「ある日、現場で『復帰おめでとう』と言われた。何がめでたいんだ。沖縄があれだけ求めた基地の撤去要求は無視されてさ。『復帰』は、米国の一元支配から日米のダブル支配になるだけだと考えていた

 「このままだと、沖縄は翻弄(ほんろう)され続ける。一さんの『沖縄はタブーだ』がずっと胸に引っかかっていて、いつか差別、マイノリティーを真正面から問おうと考えていた。番組も3クール目に入り、安定期に入っていた。やるなら今だと…」

■「怪獣使いと少年」で問うた人間の心の闇

 ―それで、第33話「怪獣使いと少年」ができた。

 「登場人物の少年は北海道江差出身のアイヌで、メイツ星人が化けた地球人は在日コリアンに多い姓『金山』を名乗らせた。1923年の関東大震災で、『朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ』『暴動を起こした』などのデマが瞬く間に広がった。市井の善人がうのみにし、軍や警察と一緒になって多くの朝鮮人を虐殺したんだ。『発音がおかしい』『言葉遣いが変』との理由で殺された人もいる。琉球人の俺も、いたらやられていた。人ごとではない」

 ―今見ても生々しく、よく放送できたなと思う。

 「僕が何をやろうとしているのか、TBSの橋本プロデューサーは当初から知っていたよ。だって最初にプロットを見せるから。プロデューサーの権限は絶対だけど、だめと言われたら企画は通らない。でも、『書け』と言ってくれたよ」

 「あの回の監督は東條昭平が務めたんだけど、彼が僕の意をくんで、演出をどんどん強めていくんだ。例えば、『日本人は美しい花を作る手を持ちながら、いったんその手に刃を握ると、どんな残虐極まりない行為をすることか…』という隊長のセリフは僕の脚本にはなく、東條が付け加えた。そういう意味では、30歳前後の若者が血気盛んに作ったんだね」

 ―すんなり放送できたのか。

 「いや、試写室でTBSが『放送できない』と騒ぎ出した。橋本プロデューサーが『上原の思いが込められた作品だから放送させてくれ。罰として、上原と東條を番組から追放する』と説き伏せて放送させた」

 「でも当初、メイツ星人は群衆に竹槍で突き殺されていた。これも僕のシナリオではなく、東條が演出で変えた部分。さすがにこのシーンは生々しすぎて子ども番組の範疇(はんちゅう)を超えると…。それでこの場面は撮り直して拳銃に変わり、オンエアされた。結局、僕はメーンライターを辞めさせられたけど、橋本さんには感謝しかない」

 …略…

 ―放送から45年がたつ。

 「ヘイトスピーチなど、日本は45年前よりひどい状況だと思う。付和雷同した群衆ほど恐ろしいものはない。だから、自分の目で物事を見てどう生きるかを考え、自分の足で立つ子に育ってほしいと願い、子ども番組を作り続けてきたつもりだ」

 ■心の中に謝名親方(じゃなうぇーかた)がいる

 ―子ども番組ではなく、大人のドラマを書こうとは思わなかったのか。

 「…それよりも、自分を必要としてくれる子ども番組で頑張ろうと決めた。『秘密戦隊ゴレンジャー』(1975年4月~77年3月)などは当初、プロデューサーが不安がっていたわけだよ。絶対にヒットするからと説き伏せた結果、今も続く戦隊ヒーロー物の先駆けになった」

 ―沖縄と日本の関係について、どう考えるか。

 「独立も含めて一度関係をリセットし、どうするかを真剣に考える時期が来ている。薩摩侵攻で、琉球王国を占拠した400年前の強引さが今も続く。民意を顧みず、基地を押し付ける政府の態度は沖縄を植民地としてしか見ていない証拠だ。これが差別なんだ

 「薩摩侵攻の時(1609)に捕らえられ、2年間幽閉されても薩摩への忠誠を拒否したため、処刑された謝名親方(琉球王国の大臣)が僕の先祖。18歳の時、琉球人の誇りを持って東京に来てから60年、僕の心の中にはいつも謝名がいる」

 ―「ウルトラセブン」で「300年間の復讐」という、映像化されなかったシナリオを書いている。

 「武器を放棄した友好的な宇宙人が地球に来て人間と仲良くしようとするけれど、『髪が赤い』という理由で皆殺しにされるストーリーを書いた。これは薩摩による琉球侵攻がヒント。武器のない琉球に、鉄砲で武装した薩摩軍が攻めてくる。赤子の手をひねるような、一方的な虐殺だっただろう」

 ―これが映像化されなかった理由は。やはり「政治的」だからか。

 「いや、これは映像化するとお金が掛かりすぎるという、単に予算的な問題だった。テレビは社会問題をストレートに描くのは嫌がるけれど、怪獣を使って描いたりすれば、当時は結構いろいろなことができたんだよ」

 ―残りの人生で、手掛けたい仕事は。

 「金城が沖縄に戻る時、『一緒に帰ろう。企画会社を立ち上げ、沖縄発の作品を作ろう』と僕を誘った。僕はまだペーペーで断ってしまい、彼は37歳で亡くなった。金城がやろうとしたことを今、仕掛けようとしている。しまくとぅばを話すキャラクター番組を、世界中に配信できる沖縄発のヒーローを企画中だ」

 「言葉を奪われた民族はアイデンティティーを失い、従順になりやすい。侵略者の常套手段だ。沖縄の子どもたちが番組を楽しみながら、ウチナーグチの勉強ができればいい。それが僕にとっての琉球独立。400年前に奪われたアイデンティティーや言葉を50年、100年単位で取り戻していかないと。その種まきをして、タンメー(おじいさん)は死にたい」

 ―金城さんとの約束を果たすということか。

 「それでは話が美しすぎる。このキャラクターで、金城の初代ウルトラマンを絶対に超えてみせる。今は日本もハリウッドも後ろ向きでコピーばかり。作家の気概がなさすぎるんだ」(了)

 【プロフィル】上原正三 1937年2月6日、那覇市久米生まれ。中央大学卒。…円谷プロを経て69年にフリーとなり、「帰ってきたウルトラマン」「がんばれ!!ロボコン」「秘密戦隊ゴレンジャー」「がんばれ!レッドビッキーズ」「宇宙刑事ギャバン」アニメ「ゲッターロボG」など多くの子ども番組でメーンライターを務める。著書に「金城哲夫 ウルトラマン島唄」「上原正三シナリオ選集」。※2020年、病没

※「怪獣使いと少年」(「帰ってきたウルトラマン」第33話:1971年11月19日放送。

 脚本 上原正三 監督 東條昭平)の概要

  差別や未知なるものへの恐怖心、集団心理の恐ろしさを描いた話題作。差別や工業発展に伴う大気

 汚染(舞台は神奈川県川崎市)など、当時の日本社会が抱えていた様々な社会問題に対する痛烈な批

 判とも取れるその設定。そして人間の醜い一面、おぞましい姿をくっきりと描写し、当時も今も多く

 の視聴者に強烈な印象を残し続けている。

  そのあまりにも過激な内容ゆえに屈指の問題作として有名だが、同時に「帰ってきたウルトラマ

 ン」の中でも傑作としてまず真っ先に名を上げるファンは数多い。歴代ウルトラシリーズでも他に類

 を見ない、ウルトラマンが人間に絶望し、一度は戦いを放棄してしまうという衝撃の展開で知られて

 いる。

 あらすじ

  ある嵐の夜の事。一人の少年が怪獣に追われていた。そこに現れた謎の男は不思議な力を使い、怪

 獣を地底深くに封印した。やがてその少年はボロボロの衣服を身に纏い、なぜか河原の土を毎日、執

 拗に掘り返すようになっていた。

  そこに中学生三人組がやってきた。いつからか宇宙人ではないかと噂されていた少年は三人から陰

 湿ないじめを受けていたのだった。少年は三人に掘り返した穴の中に埋められた上に泥水をかけら

 れ、自転車ではねられそうになったが、間一髪のところで郷隊員(=ウルトラマン)が止めに入る。

  実は少年は北海道の出身であり、就職目的で上京した父親が失踪。母親も病死したことで天涯孤独

 の身となり、父親を訪ねて自身も上京してきたのだった。

  事情を知った伊吹隊長は「…もし少年が宇宙人呼ばわりされ乱暴されて、情愛の絆を断つことにな

 るとしたら、それは絶対に許されぬ。日本人は美しい花を作る手を持ちながら、一旦その手に刃を握

 るとどんな残忍極まりない行為をすることか…」と語り、郷に少年の見守りを命令する。

  おじさんの正体はメイツ星人という宇宙人であり、すでに郷に正体を明かしていた。少年が上京し

 たのと同じ時期に地球の気候風土の調査のためにやってきたのだが、偶然、怪獣に追われている少年

 を目撃し、念力を使って怪獣を地底に封印して天涯孤独で寒さと飢えに苦しむ少年を保護することに

 なったのだ。

  星人はその後人間に変身して「金山」と名乗り、少年と河川敷の廃墟で共に暮らし始めた。その暮

 らしの中で少年と金山の間には親子愛にも似た絆が芽生え、金山も少年とこのまま地球で暮らしても

 いいとさえ思い始めていた。

  しかし大気汚染(川崎ぜんそく)は徐々に金山の体を蝕んでいき、地中に埋まっている宇宙船を掘

 り返せないほどにまで衰弱してしまっていた。少年が地中から必死に掘り返そうとしていたのは彼の

 宇宙船だったのだ。

  全てを知った郷は宇宙船探しを手伝うことを決めた。だがその時、町の男達が大挙して押し寄せて

 きた。MATがいつまでも宇宙人を倒さないなら自分たちでやっつけてやると武器を片手になだれこん

 できたのだ。少年は人々に引きずられるようにして河原から連行されていく。だがそこに金山が飛び

 出してきた。

  「待ってくれ!宇宙人は私だ!その子は私を守ってくれていただけだ、宇宙人じゃない!さあ、そ

 の子を自由にしてやってくれ!」

  人びとは一旦少年を解放したが、宇宙人を放っておくと何をしでかすか解らないとも考え、金山に

 武器を向ける。大混乱に陥る中、警官が放った銃弾が命中し、金山は倒れ伏して死んだ。

  その時、地上に煙が噴き出し、地底から怪獣が現れた。金山が死んだことで封印が解かれ、大怪獣

 ムルチが復活したのだった。驚き逃げ惑う人々は怪獣を退治してくれと郷に向かって叫ぶ。しかし郷

 はその場に座り込んだまま動こうとしなかった。

  …勝手なことを言うな。怪獣をおびき出したのはあんた達だ…

  人間に絶望した郷(=ウルトラマン)は、人々を見捨てる決断をした。ムルチは口から吐く火炎を

 武器に暴れ回り、とうとう町に入った。

  座り込みを続ける郷の前に、突然、一人の僧侶が近づいてきた。

  「郷、町が大変なことになっているんだぞ。郷、解らんのか?」

  その声は伊吹隊長だった。やがて郷は意を決してウルトラマンに変身し、降りしきる雨の中でムル

 チと戦い、スペシウム光線で怪獣を倒した。

  戦いが終わり、雨が上がると少年はなぜか再び穴を掘り始めていた。

  …おじさんは死んだんじゃない。メイツ星へ帰ったんだ。だから自分も宇宙船でメイツ星へ行くか

  ら、その時は迎えに来てくれ…

 

ウルトラマンに込めたマイノリティーへの視線 文化 2016.11.29

 以下は記事の内容をカッパが要約・抜粋したものです。③とよく似た記事ですが敢えてご紹介いたします。

 

…円谷監督の下に結集したさまざまなクリエイター、特撮スタッフたちの発想と情熱の結集から誕生した初代『ウルトラマン』、シリーズ第2、3弾の『ウルトラセブン』『帰ってきたウルトラマン』を語る際に忘れてならないのは、沖縄出身の個性の違う2人の脚本家の存在だ。

 ウルトラマンがテレビに登場したのは、1966 年7月。2年前の東京五輪を機に一般家庭にもカラーテレビが普及し始めていた。テレビ画面で活躍する身長40メートルのヒーローと怪獣との対決に、子どもたちは熱狂し、最高視聴率は40パーセントを超えた。

・「特撮の神様」に見込まれた金城哲夫

 円谷特技プロダクション(現・円谷プロダクション)は円谷監督がテレビ向け特撮ドラマ制作のために1963年に設立した会社だ。初めて制作した『ウルトラQ』が、お茶の間に怪獣旋風を巻き起こし、『ウルトラマン』誕生につながる。両シリーズのメインライターを務めた沖縄南風原町(はえばるちょう)出身の脚本家、故・金城(きんじょう)哲夫さんは 玉川大学文学部在学中に円谷監督と出会い、その才能を見込まれて円谷プロに入社、企画文芸部の責任者となっていた。

 那覇出身の上原正三さんは、円谷プロで金城さんと働くことにする。沖縄の現実をドラマで伝えたいというのが彼の本心だったが、当時、右翼の反発を恐れて、テレビ界では反戦、沖縄問題は“タブー”という風潮だった。それなら子供向けの怪獣ものを書いてやろうじゃないかと開き直った…

・自然界に宿る神々と怪獣

 1966年1月から半年間放映された『ウルトラQ』に続き、『ウルトラマン』が始まる。…『ウルトラマン』全39話のうち、共同脚本を含めて14本を金城さんが担当。「普通の人はプロットから考えるが、金城はまず怪獣ありきで、ストーリーを組み立てた」と上原さん。

 「僕たちが育った琉球では古くからシャーマニズムの伝統がある。そして、闇に潜むものたち、精霊を畏れる。神々は自然界のあらゆる所にいる。金城にとって、怪獣も一種の神、という感覚だった。そして、ウルトラマンは光の国からやってくる。これは、沖縄の『ニライカナイ』—海の向こうに光、豊穣(ほうじょう)の国がある、という発想につながる」。

 怪獣をすぐに退治しろ、ではなく、怪獣には怪獣なりの存在価値がある—それが金城さんの「バランス感覚」、マイノリティーへの視線であり、上原さんも共鳴するものだった。

2人は円谷プロを離れて

 ウルトラマンに続き、1967年10月『ウルトラセブン』が放映開始。全48話の中には、金城さんによる異色作 『ノンマルトの使者』(第42話)がある。古代に人類に追われた海底人が、海底開発の進行に抗議し「人間こそ侵略者」と告発するが、地球防衛軍に滅ぼされる。正義とはどこにあるのか、という割り切れない後味を残す名作だ。

 金城さんは途中からセブンと平行して、SFドラマ『マイティジャック』制作に注力する。円谷プロにとって、夜8時台という大人向けの時間帯への進出であり、大きな賭けだった。だが視聴率は低迷。これがきっかけで文芸部は廃部となり、1969年、金城さんは円谷プロを去る。

 ウルトラセブンで多くの脚本を担当した上原さんは、金城さんがいない円谷プロには意味がないと円谷プロを辞める。日本返還を控える沖縄を拠点に活動すると決めた金城さんから、一緒に沖縄発コンテンツのための企画会社を立ち上げようと誘われたが、東京でもう少し脚本家としての修行を積みたいと断った。上原さんが東京にこだわる理由は他にもあった。

 高校生の頃、東京で成功していた叔父たちが、沖縄の戸籍を抜いていたことを知る。「“二等国民”の沖縄人は出世できない差別の構造があった」。当時は上京するのにパスポートが必要な時代。「基地のない」東京での大学時代、上原さん自身も、沖縄に対する周囲の差別意識を感じた。だからこそ「ヤマトンチュ」(本土の人)をもっと知らなければという思いもあった。…

リアリズムを追求した『帰ってきたウルトラマン』

 上原さんは、石森章太郎原作の特撮ヒーローもの、『仮面ライダー』の立ち上げにも関わっていた。その第1話の草稿を書こうとしていた頃、円谷プロから、ウルトラマンを復活させるので戻ってほしいと頼まれ、『帰ってきたウルトラマン』(1971年4月~72年3月)のメインライターを務めることになる。…上原さんは、改めて、金城さんが完成させた颯爽(さっそう)としたヒーローとは違うウルトラマンをつくり出そうと決意した。「同じことをやっても金城にはかなわない。金城のファンタジーに対して、リアリティーを追求しようと思った」。

 主人公の郷秀樹は怪獣攻撃隊(MAT)のメンバーだが、もともとは自動車修理工の普通の青年だった。その郷が内面で激しく葛藤する様子が描かれるのが、上原さんの衝撃的な問題作『怪獣使いと少年』(第33話)だ。

 川崎を舞台に、北海道江差出身の孤児の少年と河原のバラックに居ついた実は宇宙人の老人との交流。そして2人に対する差別と迫害を描いたこのエピソードは、集団心理の怖さを浮かび上がらせる。

 少年はアイヌで、老人に化けた宇宙人は在日コリアンを念頭に置いて書いたと言う。マイノリティーの琉球人として、あくまでも少年、宇宙人、怪獣側に寄り添っていた。このエピソードの放映後、上原さんはメインライターから外される。

語り継がれる「おとぎ話」として

 その後、上原さんは『がんばれ!!ロボコン』『秘密戦隊ゴレンジャー』など数々の人気子供向け番組の脚本を執筆。一方、沖縄に戻った金城さんは、沖縄芝居の脚本や演出に力を入れていた。1975年、沖縄国際海洋博覧会のメインセレモニーの構成・演出を手掛けたが、海洋博は沖縄の海を破壊したという地元の批判に苦しんだ。翌年、不慮の事故により37歳で急逝。

 「10代から50代まで、(初期シリーズの)熱烈なファンがいて、何度も見ては、そのたびに違う意味を読み取ってくれる」と上原さん。「かぐや姫」「桃太郎」「浦島太郎」などの日本の昔話に、現代人がさまざまな意味、解釈を見いだすように、自分たちのウルトラマンが世代を超えて読み継がれる「永遠のベストセラー」になってくれればいいと願っている。

 取材・文:ニッポンドットコム編集部 板倉 君枝/大谷 清英

※ウルトラセブン第42話 「ノンマルトの使者」1968年(昭和43年)7月21日

 放送 監督 満田かずほ 脚本 金城哲夫  特殊技術 高野宏一

 あらすじ

  休暇の日にダン(=ウルトラセブン)と一緒に海に来ていたアンヌ隊員の前に一人の少年が現れ、

 シーホース号による海底開発実験をやめないと大変なことになると訴えた。その直後に爆発が起こ

 り、シーホース号は炎上してしまった。少年の言葉は本当だったのだ。極東基地にもアンヌの前に現

 れた少年の声で電話が入り「海底はノンマルトのものなんだ」「人間が海底を侵略したらノンマルト

 は断然戦うよ」「ねえ 長官にちゃんと伝えておくれよ。海底はノンマルトのものだから侵略したり

 すると大変なことが起きるよ。」と言ってきていた。

  ダンの故郷M78星雲では地球人のことをノンマルトと呼んでいるが、少年の言うノンマルトとはい

 ったい何者なのか…?アンヌが、あの少年を見つけ出し、ノンマルトとは何なのかということを尋ね

 ると、それに対する少年=真市の答は「本当の地球人さ。ずっとずっと大昔、人間より前に地球に住

 んでいたんだ。でも人間から海に追いやられてしまったのさ。人間は今では自分たちが地球人だと思

 ってるけど本当は人間の方こそ侵略者なんだ。」という驚くべきものだった。

  そんな折、海から蛸のような怪獣が現れ、暴れ出した。ウルトラ警備隊は、その怪獣がノンマルト

 と思い込んで攻撃し、ウルトラホーク1号とハイドランジャーで怪獣を倒す。しかし、再び基地には

 真市少年から電話が入り、ウルトラ警備隊が倒したのは怪獣ガイロスでありノンマルトではなく、ノ

 ンマルトは二ヶ月前に行方不明になっていたイギリスの原子力潜水艦グローリア号で攻撃を開始する

 と予告をしてきた。

  その予告どおり、ノンマルトはグローリア号での攻撃を開始し、実は死んでいなかった怪獣ガイロ

 スも再び暴れ出した。ダンは真市少年の制止を振り切ってウルトラセブンに変身し、ガイロスを倒

 し、ウルトラ警備隊はハイドランジャーでグローリア号を撃沈した。そして、海底に発見したノンマ

 ルトの海底都市までもウルトラ警備隊は全滅させてしまった。

  後味が悪いかたちで事件が解決した後、海に来ていたダンとアンヌが「ウルトラ警備隊の馬鹿野

 郎」と叫ぶ真一を見つけ、かけ寄ると、そこでは一人の女性が2年前に亡くした子供の墓碑に花を供

 えていた。そして、その墓碑には「真市安らかに」という文字が刻まれていた。

 ・・・2年前、この海で死んだ少年の魂がノンマルトの使いになってやって来たのでしょうか それにし

 てもノンマルトが本当に地球の先住民だったかどうか それは全てが消滅してしまった今 永遠の謎

 となってしまったのです…。

 

ウルトラマンは現代日本を救えるか ~都市化への抵抗~

 https://ameblo.jp/bnnmr455/entry-11624782477.html

 以下、短いのでほぼ全文を少しだけ加筆修正を加えてご紹介いたします。なおこの第15話はカッパが個人的に最も記憶に残っている印象深い作品です。

 

・『ウルトラマン』第15話「恐怖の宇宙線」1966年10月23日に放送(脚本・佐々木守/監督・実相寺昭雄)のあらすじ 

 小学校で男の子たちは自分の好きな怪獣の絵を描いて貼っている。ゴジラにガラモン、カネゴンもいる。そんな中、ムシバとみんなから呼ばれている少年は、弱々しそうな自作の怪獣、ガヴァドンを描いて「オタマジャクシみたい」と仲間に笑われていた。

 ムシバは空き地の土管にガヴァドンを落書きし、空き地の管理人に怒られてしまった。しかしその怪獣は宇宙からの不思議な光線を浴びることで実体化した。驚いた少年たちはムシバを中心に、ガヴァドンをもっと強い怪獣にしようと、再び落書きに戻ったガヴァドンに手を加えていく。するとやはり怪獣は光線を浴びて実体化するのだった。

 ウルトラマンは科学特捜隊の要請を受けてガヴァドンと戦った。しかし子どもたちはガヴァドンを殺すなと口々にウルトラマンを非難する。非難の声が絶えぬ中、ウルトラマンはガヴァドンを宇宙へと連れ出し、1年に1度、七夕の日にだけその姿を見せるよう、子どもたちに約束するのであった。

 

 …大都市と化した東京では、至る所に管理の目が光ります。それはかろうじて残った空き地も例外ではありませんでした。過密化で人があふれる東京で、無目的な土地、すなわち「空き地」の存在は許されません。すべての空き地は開発されなくてはならない。それが経済成長期の「正しさ」だったからです。

 日本不動産研究所の「市街地価格指数」によれば東京を含む都市部の地価上昇は急激で、1955年の地価を100とすると、1965年の地価はなんと1082にもなるといいます。1975年の地価は3163と、この時期は土地活用が盛んに進められ、子どものために遊び場として、空き地を遊ばせておく余裕などなかったのでしょう。

 話の冒頭で、「オタマジャクシみたいな怪獣」を描いて笑われていたムシバですが、彼の描いたオタマジャクシのような怪獣、ガヴァドンが実体化する彼の周囲には子どもたちが集い「やったなムシバ」「おめでとう」とみんなが躍起となり、落書き怪獣の強化を図ります。

 ところで、そんな子どもたちがすれ違うトラックの積荷には何本もの交通標識が…こうしている間にも、東京は刻一刻と都市化を進めていると言う象徴的表現です。

 強化されたガヴァドンは相変わらず寝ているだけです。何も破壊しないし、犠牲者も出ません。しかし「怪獣ガヴァドンは、ただ寝ているだけで我が国の経済生活をメチャクチャにぶち壊すということが判明」します。遊び場である空き地を、都市化の論理により奪われた子どもたちは、計らずして都市化への抵抗を果たしたことになります。

 いっぽう、(大人たちの代表としての)科学特捜隊やウルトラマンは公権力のとるべきルールに則って行動します。ですが、ウルトラマンは子どもたちの声を聞き、都市から怪獣は追放するものの、子どもたちから怪獣を奪わないという落としどころを見出します。都市の秩序を守るという大人の論理と、急速な都市化に抵抗する(ここでは子どもの)論理との間に立つネゴシエーターとしてウルトラマンは存在したのでした。

 かけがえのない、そして一度きりの少年時代を豊かな時間として過ごすために必要なものは、空き地にビルを建てることを急きたてる都市の論理ではなく、無目的な地に土管が並ぶ、そんな牧歌的な風景であるということを伝えるエピソードです。

 

⑥カッパによるまとめ

 当初のウルトラシリーズは優れた脚本家らの力と円谷プロの特撮技術が結集された傑作として当時、多くの少年達を魅了し、日本の高度経済成長期を語る上で欠かせない番組となっている。

 個人的にはここで紹介したウルトラQのカネゴンやウルトラマン第15話「恐怖の宇宙線」が最も印象的な作品として自分の記憶に深く刻まれているのだが、大人となった今、久しぶりに見返しても十分楽しめる凄みと面白さを感じる。

 そこには高度経済成長期における日本社会の矛盾に批判的な立場をとり、都市化や環境破壊、日米安保体制、差別や偏見の問題を怪獣達の物語に託して子供達に語りかけている、真摯で温かい大人たちの眼差しがあったことに改めて気付かされる。

 ウルトラシリーズに登場する宇宙人や怪獣達の多くは上原正三氏の証言の通り、ただの悪役ではない。ウルトラQのペギラはゴジラと同様に核実験による放射能汚染の産物、犠牲者である。一方的に敵を「鬼畜米英」として蔑み、人間の殺戮を正当化してきた大日本帝国の軍国主義とは一線を画す、いかにも民主主義と平和主義を掲げた戦後日本らしい「戦闘」ものこそがウルトラシリーズであった。

 だからこそ自分達とは異なる他人を「怪獣」や「宇宙人」として排除し、一方的に攻撃する自己中心的で差別的な人間の心の闇までを金城氏、上原氏等は描いているのである。

 こうした複眼的な視点でストーリーが展開している点は近年の「鬼滅の刃」とよく似た、マイノリティや敵役への温かい眼差しを感じる。鬼には鬼となってしまった悲しい、残念な過去があるのと同様、たまたま人類の脅威となっている宇宙人や怪獣達にも地球上に登場するまでのつらい、切ない経緯があったのだ。

 確かにウルトラマンらは地球人にとって有害となっている彼らを排除しなければならない責務を背負っているが、ケースによっては殺さないで宇宙に戻してあげることもあった。

 目の前の荒れ狂う怪獣に対してただ倒すのではなく、最適解を求めて煩悶しながら戦う人間的な存在こそが上原氏の考え出したウルトラシリーズのヒーローであった。単純な勧善懲悪に止まらない、複眼思考のもたらす人間味がおそらくこのシリーズの人気をコアな部分で長く支えてきたのだろう。そしてこのシリーズを生み出す上で大きな役割を果たした沖縄出身の金城氏と上原氏の思いを今後も忘れてはなるまい。

 

追記

 以上、ウルトラシリーズに関する記事はカッパが高校教師になりたての頃の出来事がきっかけでまとめることとなったものです。当時、文化委員会の顧問をしていた私は、ある日、文化委員会役員だった景山君からウルトラシリーズの魅力を熱弁されたことがありました。しかし熱弁をふるう彼に対してあまり満足のいくような熱意ある対応が出来なかった自分への不完全燃焼気味の思いが、なぜか自分の頭の中でいつまでもくすぶり続けたまま、あっという間に37年ほどの歳月が過ぎてしまいました。

 

 今回、この記事を投稿したことで自分としては何とか彼にボールを投げ返すことができたような気分になれました。書き終えた今、気分的には胸のつかえがおりたようで妙にスッキリとしています。

 既にもう50代の半ばに達しているであろう景山君に勝手ながらこの場を借りて感謝いたします。

 37年をかけてのキャッチボール、楽しかったです。あの時は間抜けな新米教師に声をかけてくださり、有難うございました。