墓場に幽霊なんか居ない事実 ― 幽霊が見える母4
お彼岸なので、昨日、墓参りに行ってきました。足が悪い母なので、墓地に近い駐車場が開いている平日に行きます。
母はもう、昼夜問わず幽霊を見ない日はありません。
私は、今回、興味深かったのです。
「墓場に幽霊は居るのか?」って事に。笑
母曰く 「居ない」そうです。「あぁ~!やっぱり…」笑
墓場や仏壇ってやはり、遺族たちのアンテナ増幅場所みたいなもんでしょうね。
墓場や仏壇で意識を集中する。「これには意味があります」。『亡くなる心得』をお読みになれば、御納得いただけるでしょう。
(『亡くなる心得』をお読みになられた御仁から、「毎日、仏壇にお祈りしている私の行為に意味がある事を知り感謝いたしますと」 お手紙を貰ったことも…)
『亡くなる心得』で紹介した、『生まれ変わりの村』でも、埋葬の時「あんな汚い土の中に埋まるわけにはいかない!」と思い遺体から魂が離れた証言があります。(註:前世記憶を持って生まれ変わったから説明ができるのです)
また、同じく紹介した『スピリットランド』では、魂が肉体から速やかに離れられるように、霊界の人が火葬を推奨しています。
遺体があると、多少、肉体から離れ辛い現象は『亡くなる心得』でも紹介した通り。
ロンドンではさほどでしたが、基本、ミイラ文化のイタリアの天使ロケでは、こうした死の回廊を歩くと、幽霊が見えない私でさえ、自分の周りに40~50人もの幽霊達がウヨウヨ寄ってきて、私を監視、観察している事が解かったものです。
霊に失礼さえなければ、問題ないです。
ロンドンでも新仏エリアと旧仏エリアがあり、新仏エリアでは亡くなった人の気が、超渦巻いており、とても私は近づけませんでした。確か、ロンドンは火葬と土葬の比率が半々だった記憶が…
(関係ないですが、昨日何気に見たNHK 『フレディ・マーキュリー 10枚の写真』では、ロンドン、ケンサルグリーン墓地にフレディは埋葬されているらしい!
私、ケンサルグリーン墓地も大好きです! そもそも、このブログの最初の記事がケンサルグリーンじゃないか…あとコレとか。何度も行きました… フレディよりもケンサルグリーンという懐かしい言葉に、ウルウルしそうでした。笑 クイーンの名曲は、コレかもしれない。 Moonicさんがスゴイのですが!笑 )
そして、ここ重要ですが、そもそも幽霊は、ニギヤカで下世話な場所が好きです。
墓地のような地味な場所は、嫌いなのです。
中国、清の時代の羅両峰も、同じ事を言っている。同じ記事で書いた渋谷の交差点の話も興味深い。
とは言え、あなたは『亡くなる心得』1章で墓地の幽霊達の中国怪談を紹介してるじゃないか?と思われる御仁もいるのかも? はい、あれは土葬なので出てくるのです。ロンドンの新仏エリアのように、イタリアのように。
墓場に幽霊が居ないって事で、17年前、『千の風になって』なんて流行りましたね…(もう、17年も前かぁ…シミジミ…)17年は私に意味がある…そーかブログも17年かぁ…
リベラの歌う『Do Not Stand at My Grave and Weep』を今聞くと、アンマリ好きじゃないな… 歌詞がって意味じゃない…
なんか、リベラの歌い方が「みなさん、感動してくださいヨぉぉ~!」という感じが、イヤ…笑
たぶん、この17年で霊格が上がったからだと思う…
歌詞は悪くないですが、誤解しないようにすべきなのは、「人生、悟れないことには、こんな歌詞の境地にはほぼ成れないという事です」
●万人が死んで、絶対、全員がこの歌詞の結果にはなりませんので!断言できます。
悟れていないや、人徳が無い限り、母が頻繁に見る幽霊になったり、地獄に墜ちたり、またこの世に生まれ変わったりします。(何度、同じ事を繰り返したいのですか…って話です)
この歌詞は、かなり上層の霊の場合であることが、注目です…
(詩人の霊感のスゴサは、『亡くなる心得』でも、ラングストン・ヒューズや明石海人、『梁塵秘抄』を紹介した通りだ…)
幽霊など、基本、迷っているヤツラです…しかも、母の目ではそういう魂がとても多いという事実です。
最近、私は、この歌が頭の中でヘビーローテーションです。
私は処女作『Talking with Angels―ロンドンの天使達―』で
「祈りとは 単調なもので それを通じさせるために ためされているのは その ひたむきさと 誠実さかもしれない」
と語っています。
私の母は老齢で、私の『亡くなる心得』をもう、読むことができない…
だから、私が墓参りで母に言うのです…
「アンタが死んでも、しょうもないところで、生まれ変わったりすんなよ!」
「あの世で、オレが死ぬまで待っておくんだぞ!」
「オレが死んだ時、ちゃんと、いいところへ行けるよう、ケアしてあげるからな」と。笑
母は人徳があるので素直に「ありがたい話や…」と言ってくれます。
こうした関係性はお互い、生まれる前から決まっています。
「あとがき」で解説した、目連のように… そもそもが私は目の人です…
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240103/16/kaoruangels/5d/8d/j/o0363053315385090056.jpg?caw=800)
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母はもう、昼夜問わず幽霊を見ない日はありません。
私は、今回、興味深かったのです。
「墓場に幽霊は居るのか?」って事に。笑
母曰く 「居ない」そうです。「あぁ~!やっぱり…」笑
墓場や仏壇ってやはり、遺族たちのアンテナ増幅場所みたいなもんでしょうね。
墓場や仏壇で意識を集中する。「これには意味があります」。『亡くなる心得』をお読みになれば、御納得いただけるでしょう。
(『亡くなる心得』をお読みになられた御仁から、「毎日、仏壇にお祈りしている私の行為に意味がある事を知り感謝いたしますと」 お手紙を貰ったことも…)
『亡くなる心得』で紹介した、『生まれ変わりの村』でも、埋葬の時「あんな汚い土の中に埋まるわけにはいかない!」と思い遺体から魂が離れた証言があります。(註:前世記憶を持って生まれ変わったから説明ができるのです)
また、同じく紹介した『スピリットランド』では、魂が肉体から速やかに離れられるように、霊界の人が火葬を推奨しています。
遺体があると、多少、肉体から離れ辛い現象は『亡くなる心得』でも紹介した通り。
ロンドンではさほどでしたが、基本、ミイラ文化のイタリアの天使ロケでは、こうした死の回廊を歩くと、幽霊が見えない私でさえ、自分の周りに40~50人もの幽霊達がウヨウヨ寄ってきて、私を監視、観察している事が解かったものです。
霊に失礼さえなければ、問題ないです。
ロンドンでも新仏エリアと旧仏エリアがあり、新仏エリアでは亡くなった人の気が、超渦巻いており、とても私は近づけませんでした。確か、ロンドンは火葬と土葬の比率が半々だった記憶が…
(関係ないですが、昨日何気に見たNHK 『フレディ・マーキュリー 10枚の写真』では、ロンドン、ケンサルグリーン墓地にフレディは埋葬されているらしい!
私、ケンサルグリーン墓地も大好きです! そもそも、このブログの最初の記事がケンサルグリーンじゃないか…あとコレとか。何度も行きました… フレディよりもケンサルグリーンという懐かしい言葉に、ウルウルしそうでした。笑 クイーンの名曲は、コレかもしれない。 Moonicさんがスゴイのですが!笑 )
そして、ここ重要ですが、そもそも幽霊は、ニギヤカで下世話な場所が好きです。
墓地のような地味な場所は、嫌いなのです。
中国、清の時代の羅両峰も、同じ事を言っている。同じ記事で書いた渋谷の交差点の話も興味深い。
とは言え、あなたは『亡くなる心得』1章で墓地の幽霊達の中国怪談を紹介してるじゃないか?と思われる御仁もいるのかも? はい、あれは土葬なので出てくるのです。ロンドンの新仏エリアのように、イタリアのように。
墓場に幽霊が居ないって事で、17年前、『千の風になって』なんて流行りましたね…(もう、17年も前かぁ…シミジミ…)17年は私に意味がある…そーかブログも17年かぁ…
リベラの歌う『Do Not Stand at My Grave and Weep』を今聞くと、アンマリ好きじゃないな… 歌詞がって意味じゃない…
なんか、リベラの歌い方が「みなさん、感動してくださいヨぉぉ~!」という感じが、イヤ…笑
たぶん、この17年で霊格が上がったからだと思う…
歌詞は悪くないですが、誤解しないようにすべきなのは、「人生、悟れないことには、こんな歌詞の境地にはほぼ成れないという事です」
●万人が死んで、絶対、全員がこの歌詞の結果にはなりませんので!断言できます。
悟れていないや、人徳が無い限り、母が頻繁に見る幽霊になったり、地獄に墜ちたり、またこの世に生まれ変わったりします。(何度、同じ事を繰り返したいのですか…って話です)
この歌詞は、かなり上層の霊の場合であることが、注目です…
(詩人の霊感のスゴサは、『亡くなる心得』でも、ラングストン・ヒューズや明石海人、『梁塵秘抄』を紹介した通りだ…)
幽霊など、基本、迷っているヤツラです…しかも、母の目ではそういう魂がとても多いという事実です。
最近、私は、この歌が頭の中でヘビーローテーションです。
私は処女作『Talking with Angels―ロンドンの天使達―』で
「祈りとは 単調なもので それを通じさせるために ためされているのは その ひたむきさと 誠実さかもしれない」
と語っています。
私の母は老齢で、私の『亡くなる心得』をもう、読むことができない…
だから、私が墓参りで母に言うのです…
「アンタが死んでも、しょうもないところで、生まれ変わったりすんなよ!」
「あの世で、オレが死ぬまで待っておくんだぞ!」
「オレが死んだ時、ちゃんと、いいところへ行けるよう、ケアしてあげるからな」と。笑
母は人徳があるので素直に「ありがたい話や…」と言ってくれます。
こうした関係性はお互い、生まれる前から決まっています。
「あとがき」で解説した、目連のように… そもそもが私は目の人です…
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