イタリア、死の回廊 | Talking with Angels 天使像と石棺仏と古典文献: 写真家、作家 岩谷薫

イタリア、死の回廊

$『Talking with Angels』西洋墓地の天使像と『笑とる仏』 : 写真家 岩谷薫-スタリエーノ スタリエーノ墓地の死の回廊です。写真集を買っていただいた方は御存知ですが、この廊下の足下の長方形の一マスごとが棺になっており、死体が入っています。勿論、両サイドの四角い箱も棺です。

 棺を踏むって日本人の発想では、すごく抵抗がありますが、キリスト教圏では違いますよね。つまり、踏まれる事によって贖罪になるそうです。西洋の教会の床もそうなっていますよね。

 19世紀のニーチェは、キリスト教の原罪の思想や、こうした発想を「卑屈」とか「ルサンチマン」といって批判していましたが、
 21世紀の今、自分が別の視点で見ると、自分も含め、電気やガス、石油、森を大量に搾取する、いわゆる文明人全員、存在自体が罪深いとは思いますけどね…。 かといって、自分も含め、今すぐ大量搾取しない生活をしろと言われても、なかなかできないところが悲しいところです…。「ハーメルンの笛吹き」のネズミのように滅びるまで止められませんよね。

 話の視点は少し変わりますが、この写真には、ダンテの『神曲』の冒頭部分の以下の言葉を添えました。


 ●『私たちの人生行路のなかば頃 正しい道をふみはずした私は 一つの暗闇の森のなかにいた。
 ああ、それを話すのはなんとむずかしいことか 人手が入ったことのないひどく荒れた森のさまは 思いだすだにも恐怖が胸に蘇ってくるようだ。その森の難渋なことはほとんど死にも近い。
 だが私は彼地で享けた幸運を述べるため、そこで見た他のことをも話すことにしよう。』   『神曲 地獄篇 第一歌』


 ダンテと35歳については、このブログの極初期に書きましたよね。

 死体の森に囲まれて黄泉の国へ赴くのは、正直、恐怖ですよ。『その森の難渋なことはほとんど死にも近い。』
 
 しかし、そうした経験を通してのみ、見えてくる真実もあるんですね。
 鈴木大拙さんは、「一度、否定したものからこそ、真実が見えてくる」とも言ってますね。
 
 似た表現では、ある精神病患者さんが、以下の言葉を残しています。

●『それは生まれる決心、というより── 一種の精神的な意味における
──生まれ変わる決心に似ています。おそらくわたしたちの何人かは、
魂の目的地に通じる静謐な小川や本通りをみつけるまえに、暗くて
曲がりくねった道を歩まなければならないのでしょう。』
Frederick Pierce 『Dreams and Personality』

 このイタリアの死の回廊も『暗くて曲がりくねった道を歩くこと』に似ています。そして『魂の目的地に通じる静謐な小川や本通り』や『彼地で享けた幸運』をみつけるんですね。 しかし、試練が長過ぎるのも考えものですけどね…笑。

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