ジョルジョ・デ・キリコで「ホント」いろいろ考えた…
本日のNHK『日曜美術館』はキリコでしたね。
学生の頃、展覧会を見に行ったことがあります。
この人の絵は、顔を近づけると案外、粗いタッチで、筆致が解り、「鍛えればオレだって出来るさ…」と安心したものです。 それに比べワイエスは不安だった。
番組で有名な『街の神秘と憂鬱』の画像が出た瞬間、「あっ!トリノの風景だ…」と瞬間的に思い出しました。すると番組でも、やはりキリコはトリノの街をモチーフに描いたと紹介していました。 なるほど。
トリノの街は京都のような碁盤の目のようになっていて、このように全く同じアーケードが延々と並んでおり、私自身もかなり無機質な街の印象を受けたものです。
このアーケードの構造は、トリノの墓地にも使われていて、このように長い回廊が続いています。
しかし、全く無機質ではなく、アーケードの天上にはこんなに美しいモザイクが施されており、とてもとてもスバラシイのです!(あぁ、こういう不思議でキレイナ経験、無くなったなぁ…京都の薄汚い出版社の手で潰された……)こんなモザイクも。 トリノの墓地は、他のイタリアの墓地に比べて、このモザイクがとりわけ多いのが特徴です。何故なんでしょう??
(このトリノの画像を探すのに、超久々に、『Talking with Angelsーイタリアの天使達ー』の生写真を大量に見た。自分がやったのか?と私自身が驚く程、鬼気迫る仕事なのに、なぜ、この世はこのスゴさが解らぬか… 明らかに自分だけが撮ったものではない。何かと供に撮らされている。……写真は魂を撮ることなのに )
キリコは晩年、初期の自分の作品のレプリカのような作品を描きますが、『日曜美術館』の視点では、ポップアートの繰り返しのイメージの先駆けであるという解釈でした。その是非はさておき、そこで紹介されたのが、アンディー・ウォーホールの写真と言葉です。
『人生とは、一つのイメージを持ちながら
おなじことを繰り返している
そう、思わないか。』
番組の私の記憶の言葉なので、正確さを欠いていますが、意味するところは正確です。
ウォーホールの作品はさほど興味はないですが、この言葉は名言だと思います!!!!!!
(やはり、名を残すような人はいい言葉を残しますね。そして番組で紹介されたウォーホールの写真がすごくカッコ良かった! ネット上には無かったので紹介できないのが残念ですが。 その写真を見て、作家と作家の写真(イメージ)はとても密接に繋がっているとつくづく実感しました。勿論、ウォーホールはそれを熟知していたはず。思いつくところでは、芥川龍之介や三島由紀夫のこの写真もそうね。なんだかイメージを決定付けています。魂写っています。私も紹介したい自分で撮った著名人の写真はあるけれど、肖像権があるので、ここでは勝手には紹介できません。横尾忠則さんは、作家はまず顔で作品を信用すると言ってますが、これもまた名言。 開高健さんは顔を履歴書と呼んでいます。)
話を元に戻し、ウォーホールの言葉はインディアンも言っている。ニーチェも知っている。おそらくピー・トング・ルアング族も知っている。
東洋には、円還を示す還暦という言葉もある。
これはおそらく『新釈 中国古典怪談』でも語った四柱推命からだろう。
正に、ウォーホールが指摘するように、グルグル回って同じことを繰り返しているのです。そうそう、三島由紀夫の『豊饒の海』もそうね。
四柱推命は小さな時間軸の円から始まり、どんどん大きな時間軸への円へと展開されていくのは、『新釈 中国古典怪談』でも指摘した通り。
おそらく、私も、
ロンドン人だったこともあるだろうし、
ジェノヴァ人だったこともあるだろうし、
◯◯人だったこともあるだろうし、(ここは今書けない…)
室町時代初期か平安時代のシャーマンだったこともあるだろうし、
唐時代の科挙に受からぬ文人だったこともあるのかも
などと想像を巡らせるのは面白い。
作品を創ることは、見えない何かとコンタクトを取ることだし、もしかすると過去の自分を探しているのかも。
『新釈 中国古典怪談』で紹介した言葉。
「死ぬことを怖がらなくていいよ。だって、わたしは、もう何回も死んでいるんだもん」
自分自身の瑣末で小さな時間軸で振り返ると、中学生の頃、のめり込んだ釣りにまたのめり込んでますね。笑。この釣りの時期が終わると絵画の時期になるはずなんだけど?笑 (今は絵で培った技はルアーの修復やペイントの技に…イイノカ…苦笑)
ロンドンの天使に出会う以前に描いた一枚の私の絵。
20代の頃の絵。とある小説を読んだ時の強いイメージ。首の無い天使が飛んでいる。
こんな絵を描いて、天使を信じていなかった当時の私が、天使に出会う訳ですから…。 不思議なものです。
街の感じがキリコに似てるか。笑
キリコの絵を見ていると、ちょっとだけ、自分でも再び絵を描きたくなった。
それはそうと『Talking with Angelsーロンドンの天使達ー』P86に描いた天使の絵。これはその部分。
あの絵を描く時も間違いなく何かとコンタクトを取っていた。
あの絵はもう再び、絶対描けない。本では印刷の限界で青と金が現物とは全然違いますが。 あの本の「シンボルの説明」のペン画も全て私の絵。
キリコに続く「日曜美術館アートシーン」も非常に象徴的!
キリコでイタリアやヨーロッパを満喫していたら突然、中国の『存星』。
TVでは非常に素晴らしい図柄の数点の漆器が紹介してありました!
正に東洋の美。神仙の幽玄な美しさでしたが、ブログに紹介しようとネット上でその感銘を受けた画像を探しましたが、残念ながら無かった…。
中国には、こんなに芳醇でスバラシイ画像が山ほどあるというのに、私の本はどうしてこんな装丁になるのか… こんな思いも…。 しかし、これとて私の今生の運命。むしろあずかり知らぬと言いたいくらい…………
今日知りましたが人間の五感の割合の87%が視覚だそうです。
(どこでこんな%が出るのか全く謎ですが…笑)
だから、先に書いた作家の肖像でもそうですが、見た目は大事。
それはさておき、自分の中で、西洋人と東洋人が極自然に同居している自分を感じるとても不思議な番組でした。そして語っていることが、何故か象徴的に自分ととても被るものが多数あったので、思いがけず今日はこんなにも半生を語る文章になってしまいました。
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学生の頃、展覧会を見に行ったことがあります。
この人の絵は、顔を近づけると案外、粗いタッチで、筆致が解り、「鍛えればオレだって出来るさ…」と安心したものです。 それに比べワイエスは不安だった。
番組で有名な『街の神秘と憂鬱』の画像が出た瞬間、「あっ!トリノの風景だ…」と瞬間的に思い出しました。すると番組でも、やはりキリコはトリノの街をモチーフに描いたと紹介していました。 なるほど。
トリノの街は京都のような碁盤の目のようになっていて、このように全く同じアーケードが延々と並んでおり、私自身もかなり無機質な街の印象を受けたものです。
このアーケードの構造は、トリノの墓地にも使われていて、このように長い回廊が続いています。
しかし、全く無機質ではなく、アーケードの天上にはこんなに美しいモザイクが施されており、とてもとてもスバラシイのです!(あぁ、こういう不思議でキレイナ経験、無くなったなぁ…京都の薄汚い出版社の手で潰された……)こんなモザイクも。 トリノの墓地は、他のイタリアの墓地に比べて、このモザイクがとりわけ多いのが特徴です。何故なんでしょう??
(このトリノの画像を探すのに、超久々に、『Talking with Angelsーイタリアの天使達ー』の生写真を大量に見た。自分がやったのか?と私自身が驚く程、鬼気迫る仕事なのに、なぜ、この世はこのスゴさが解らぬか… 明らかに自分だけが撮ったものではない。何かと供に撮らされている。……写真は魂を撮ることなのに )
キリコは晩年、初期の自分の作品のレプリカのような作品を描きますが、『日曜美術館』の視点では、ポップアートの繰り返しのイメージの先駆けであるという解釈でした。その是非はさておき、そこで紹介されたのが、アンディー・ウォーホールの写真と言葉です。
『人生とは、一つのイメージを持ちながら
おなじことを繰り返している
そう、思わないか。』
番組の私の記憶の言葉なので、正確さを欠いていますが、意味するところは正確です。
ウォーホールの作品はさほど興味はないですが、この言葉は名言だと思います!!!!!!
(やはり、名を残すような人はいい言葉を残しますね。そして番組で紹介されたウォーホールの写真がすごくカッコ良かった! ネット上には無かったので紹介できないのが残念ですが。 その写真を見て、作家と作家の写真(イメージ)はとても密接に繋がっているとつくづく実感しました。勿論、ウォーホールはそれを熟知していたはず。思いつくところでは、芥川龍之介や三島由紀夫のこの写真もそうね。なんだかイメージを決定付けています。魂写っています。私も紹介したい自分で撮った著名人の写真はあるけれど、肖像権があるので、ここでは勝手には紹介できません。横尾忠則さんは、作家はまず顔で作品を信用すると言ってますが、これもまた名言。 開高健さんは顔を履歴書と呼んでいます。)
話を元に戻し、ウォーホールの言葉はインディアンも言っている。ニーチェも知っている。おそらくピー・トング・ルアング族も知っている。
東洋には、円還を示す還暦という言葉もある。
これはおそらく『新釈 中国古典怪談』でも語った四柱推命からだろう。
正に、ウォーホールが指摘するように、グルグル回って同じことを繰り返しているのです。そうそう、三島由紀夫の『豊饒の海』もそうね。
四柱推命は小さな時間軸の円から始まり、どんどん大きな時間軸への円へと展開されていくのは、『新釈 中国古典怪談』でも指摘した通り。
おそらく、私も、
ロンドン人だったこともあるだろうし、
ジェノヴァ人だったこともあるだろうし、
◯◯人だったこともあるだろうし、(ここは今書けない…)
室町時代初期か平安時代のシャーマンだったこともあるだろうし、
唐時代の科挙に受からぬ文人だったこともあるのかも
などと想像を巡らせるのは面白い。
作品を創ることは、見えない何かとコンタクトを取ることだし、もしかすると過去の自分を探しているのかも。
『新釈 中国古典怪談』で紹介した言葉。
「死ぬことを怖がらなくていいよ。だって、わたしは、もう何回も死んでいるんだもん」
自分自身の瑣末で小さな時間軸で振り返ると、中学生の頃、のめり込んだ釣りにまたのめり込んでますね。笑。この釣りの時期が終わると絵画の時期になるはずなんだけど?笑 (今は絵で培った技はルアーの修復やペイントの技に…イイノカ…苦笑)
ロンドンの天使に出会う以前に描いた一枚の私の絵。
20代の頃の絵。とある小説を読んだ時の強いイメージ。首の無い天使が飛んでいる。
こんな絵を描いて、天使を信じていなかった当時の私が、天使に出会う訳ですから…。 不思議なものです。
街の感じがキリコに似てるか。笑
キリコの絵を見ていると、ちょっとだけ、自分でも再び絵を描きたくなった。
それはそうと『Talking with Angelsーロンドンの天使達ー』P86に描いた天使の絵。これはその部分。
あの絵を描く時も間違いなく何かとコンタクトを取っていた。
あの絵はもう再び、絶対描けない。本では印刷の限界で青と金が現物とは全然違いますが。 あの本の「シンボルの説明」のペン画も全て私の絵。
キリコに続く「日曜美術館アートシーン」も非常に象徴的!
キリコでイタリアやヨーロッパを満喫していたら突然、中国の『存星』。
TVでは非常に素晴らしい図柄の数点の漆器が紹介してありました!
正に東洋の美。神仙の幽玄な美しさでしたが、ブログに紹介しようとネット上でその感銘を受けた画像を探しましたが、残念ながら無かった…。
中国には、こんなに芳醇でスバラシイ画像が山ほどあるというのに、私の本はどうしてこんな装丁になるのか… こんな思いも…。 しかし、これとて私の今生の運命。むしろあずかり知らぬと言いたいくらい…………
今日知りましたが人間の五感の割合の87%が視覚だそうです。
(どこでこんな%が出るのか全く謎ですが…笑)
だから、先に書いた作家の肖像でもそうですが、見た目は大事。
それはさておき、自分の中で、西洋人と東洋人が極自然に同居している自分を感じるとても不思議な番組でした。そして語っていることが、何故か象徴的に自分ととても被るものが多数あったので、思いがけず今日はこんなにも半生を語る文章になってしまいました。
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