『苦しみの日々 哀しみの日々』

 

作:茨木のり子

 

 

 

 苦しみの日々

 

 哀しみの日々

 それはひとを少しは深くするだろう

 わずか五ミリぐらいではあろうけれど

 

 さなかには心臓も凍結

 

 息をするのさえ難しいほどだが

 なんとか通り抜けたとき 初めて気付く

 あれはみずからを養うに足る時間であったと

 

 少しずつ 少しずつ深くなってゆけば

 

 やがては解るようになるだろう

 人の痛みも 柘榴のような傷口も

 わかったとてどうなるものでもないけれど

 (わからないよりはいいだろう)

 

 苦しみに負けて

 

 哀しみにひしがれて

 とげとげのサボテンと化してしまうのは

 ごめんである

 

 受けとめるしかない

 

 折々の小さな刺や 病でさえも

 はしゃぎや 浮かれのなかには

 自己省察の要素は皆無なのだから

 

 

茨木 のり子(1926年- 2006年)同人誌『櫂』を創刊し、戦後詩を牽引した女性詩人童話作家、エッセイスト、脚本家。
主な詩集に『鎮魂歌』『自分の感受性くらい』など

 

 

 

香薬のあじわい

 


 眠れなかった。

 あの日から、一日が長いと感じていた。

 

 目をつぶっては、

 逃げる夢ばかりを見ていた。

 

 走っても走っても、

 哀しみの街からは 逃げ出せず、

 同じ夢ばかり見ていた。

 

 心の置き場が わからない。

 

 どこへ向かって歩けばいいのか。

 

 割切れないこの感情を

 どう捉えたらいいのか。

 

 心も、脳みそも、凍結した。

 

 気付けば同じことを

 何時間でも考えている。

 

 世の中が少しずつ

 正常に稼働し出したころ、

 

 かろうじて、

 意識的に 明るく取り繕うすべ を手に入れた。

 

 「ことだま」に すがった。

 「日にち薬」とやらに すがった。

 

 でも、メッキは剥がれる。

 

 時差をもって訪れた苦しみの歩兵たちに、

 いとも簡単に、

 哀しみの街へ押し戻された。

 

 チカラを振り絞った告白は、

 聞かなかったこととされた。

 

 やはり、辛くても、

 自分自身で受けとめなくてはいけない。

 

 苦しみを、

 自分の一部として認めなくてはいけない。

 

 受け入れがたい難題を飲み込むために

 私は、この苦しみたちに、

 けっして主導権は与えない と決めた。

 

 そして、一つ一つと向き合った。

 

 

 気を抜くと、感情が暴れまわり、

 息をするのさえ、苦しい。

 

 そんな心情で、

 一つ一つを黒から白へ反転させる作業は、

 気が遠くなる思いだった。

 

 されど、大半は白にはならず・・・

 灰色にするのが、精いっぱい。

 

 ならば、

 灰色として心におさめるために、

 わたしは哲学の本を読みあさった。

 

 哀しみにひしがれて、

 とげとげのサボテンになるのは、ごめんだ。

 

 悲哀や苦しみを味わってなお、

 おおらかに微笑んでいられる人間になりたい。

 

 あれから数年。

 

 

 気付くと

 心から笑えている、自分がいる。
 

 

 

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