kanoneimaのブログ

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私的備忘録

書名:黒馬物語
原題:Black Beauty
作者:アンナ・シューウェル(イギリス作家)
出版:光文社古典新訳文庫
内容:ブラックビューティーという名の黒馬が語る自伝的回想録。「ぼく」ことブラックビューティーは、イギリスの牧場で生まれた仔馬。毛並みは黒色で、脚が一本だけ白く、額には星のような白斑(はくはん)のある美しい馬だ。母馬とともに過ごした仔馬時代は牧草地でのびのびと過ごしたが、忘れられない出来事もあった。ブラックビューティーが二歳になるまえ、ウサギ狩りをしていた一団が目の前で事故を起こしたのだ。ジョージ・ゴードンという若者が亡くなり、脚を折った黒馬・ロブロイが銃殺された。この事故に母馬は心を痛めた様子で、ブラックビューティーは後に人間たちの会話からロブロイが兄馬であることを知った。ブラックビューティーは四歳になると牧場主・グレイによる調教を受けた後、バートウィック村にある大地主・ゴードンの屋敷の厩舎で馬車馬や乗用馬として使役されることになる。同じ厩舎には気難しいが美しい栗毛の牝馬ジンジャー、小さいけれど利口なポニーのメリーレッグスがいた。世話をしてくれる馬丁(ばてい)のジョン・マンリーと下働きのジェイムス・ハワードも馬のことをよく考えてくれる。ゴードン一家が馬を使わない時のブラックビューティーは広大で緑豊かな放牧地で仲間達と楽しい時間を過ごす。あるときブラックビューティーの生い立ちを聞いたジンジャーは羨ましがり、自分は手荒く調教されたために攻撃的になったと語る。バートウィック屋敷内の別の厩舎で飼われているサー・オリヴァーの尻尾は短いのだが、まだ仔馬の頃に「流行」という理由で切り落とされたと言う。そのせいで自分にたかる羽虫を尻尾で追払うことができずとても辛いと嘆く。ゴードン一家は良い騎手で馬の扱いも優しくて、ブラックビューティーは幸せだった。やがてゴードン家の奥様の病気療養のために屋敷を手放して移住することになると、残された馬や厩舎の人々は散り散りになっていく。メリーレッグスは牧師に譲渡され、ブラックビューティーとジンジャーは三百ポンドでW伯爵の元に売られることになった。バートウィック館の三、四倍の広さというW邸では馬の見栄えにこだわる伯爵夫人に手厳しく扱われた。W邸にはルーベン・スミスという酒癖の悪い馬丁がいて、ある深夜にひどく酔っ払った状態で蹄鉄のゆるんでいるブラックビューティーを猛スピードで走らせて砂利道で転倒させてしまう。落馬したルーベンは亡くなり、脚を怪我したブラックビューティーは治療を受けたが膝に傷跡が残った。馬の見かけを気にするW伯爵は、御者頭に命じてブラックビューティーを貸し馬屋に売る。こうしてブラックビューティーは数々の人手に渡っていく……。
※1877年初版
※作者は1820年に英国ノーフォーク州でクエーカー教徒の家庭に生まれる。14歳のとき転倒して足首に重傷を負ったことがきっかけで徐々に歩行に困難をきたすようになり、移動を馬車に頼る生活を余儀なくされる。ブラックビューティーのモデルは、アンナの愛馬でベスという名の黒い毛のポニーと思われる。1871年、医師から余命宣告を受けた作者は本作を書き始める。病状が悪化すると、母親が口述筆記を引き受けた。1877年に原稿が完成し、単行本が刊行された五か月後の1878年に亡くなる。
※作者の母親メアリー・ライト・シューウェルも児童小説作家で、代表作のMother's Last Wordなど数冊の本が刊行されている。
※本書は今でこそ児童書の古典として扱われているが、当初は馬に携わる人々、つまり大人を読者として想定していた。本作を書いた作者の意図が「目指していたのは、馬に対するやさしさ、同情心、理解ある扱いを促すこと」。本書は発売直後からベストセラーとなり、近代社会における馬の扱いが格段に改善されるきっかけになった。
※イギリスは比較的早くから動物愛護の精神が生まれた国で、1822年にマーチン法と呼ばれる「家畜の虐待及び不当な取り扱いを防止する法律」が制定された。1849年には動物を虐待した者には、罰金、または懲役刑が科せられることになる。作中で、荷馬を酷く鞭打っていた御者がジョーの証言で服役することになったり、馬が叩かれているのを見て紳士が「すぐさまやめないと、おまえを逮捕させるぞ」と言ったりするのは、こうした法律があったからだ。

「黒檀という意味のエボニーは?黒檀みたいに真っ黒ですもの」
「ジンジャーは嚙みつく悪い癖があるんだ。だから、ジンジャーって呼ばれているんだよ」

ドルビー:十八世紀末から十九世紀初めに、乳幼児に広く与えられていた特許医薬品。しかし、主な有効成分はアヘンだった。

ダッチェス:公爵夫人
ジェリー:ジェレマイア(男性名)の愛称
ドリー:ドロシーの愛称

書名:ラインの伝説 ヨーロッパの父なる河 騎士と古城の綺譚集成
著者:吾孫子豊
原作:Rheinisches Sagenbuch (1896年刊行)
原著者:ウィルヘルム・ルーラント(ドイツ作家:1869~1927年)
出版:八坂書房
内容:ライン河の最上流であるアルプスの山中から、河口のオランダのザイデル海に至るまで、河の流れに沿って下って行くように編集され、ライン河流域のほとんどすべての昔話が収録された伝説集。日本人でも知っている「ローレライ」の話や、「ニーベルンゲン物語」とジークフリートの英雄譚、聖杯伝説と結びつく「白鳥の騎士」の物語、カール大帝と赤ひげ皇帝フリードリヒ・バルバロッサの伝説、十字軍遠征や古都・修道院・古城にまつわる昔話の数々が収録されている。
※本書は1965年に刊行された吾孫子豊著『ラインの伝説』(知性アイデアセンター出版部刊)の新版。本書の「序」に語られている通り、叙述はおおむね原作に拠っており、同書収録の74話すべてを収録している。原作から翻訳した物語を中心に、日本人に難解と思われる点には著者が説明を加えてまとめている。

金壺眼(かなつぼまなこ:眼球が収まっている頭蓋骨の穴に落ち窪んだ丸い眼。怒った目付きや貪欲な目付きを言う。)
 

書名:明治乙女物語
作者:滝沢士郎
出版:文藝春秋
内容:明治政府が推進する近代教育の黎明期、学制は政府の試行錯誤にともなって二転三転していた。そして学制の変遷の最後の大波が、初代文部大臣によってもたらされている頃。明治二十一年十月初旬、東京・御茶ノ水の高等師範学校女子部(女高師)の講堂では文部大臣森有礼(もりありのり)主催の舞踏会が催されていた。講堂で舞踏会が開かれるのは、これが初めてではない。後に「鹿鳴館時代」と呼ばれる、欧化主義の華やかなりし頃である。官立の女高師は、欧化主義の実験台の役割を担わされている。洋館風の校舎、洋風の家具、ダンスの授業、女生徒たちの制服も洋装で「バッスル・スタイル」と呼ばれる縦縞(たてじま)のドレスに身を包み、髪型は「束髪(そくはつ)」と呼ばれる巻き髪である。女高師の寄宿舎の一室では、駒井夏が身支度の遅れている同室の下級生・高梨みねと尾澤キンを急かしていた。中庭でベースボールの素振りをしながら待っていた室長の野原咲と合流して四人が講堂へ向かおうとした矢先、舎監室から笑い声が聞こえてきた。好奇心から鍵穴に目を近づけたキンを止めようとした夏の肘が扉にぶつかって音を立て、室内にいる舎監・山川二葉(やまかわふたば)から叱責の声が飛んだ。謝罪のために入室した四人は、二葉の向かいに座る洋装の貴婦人に紹介される。彼女は二葉の実妹で「鹿鳴館の華」と謳われる陸軍大臣夫人・大山捨松(おおやますてまつ)だという。捨松夫人は日本人で初めて米国の女子大学で学士号を取得した人物で、当時の女生徒の憧れの的だった。姉を誘いにきて断られてしまったと笑う捨松夫人は実兄の山川浩校長にエスコートを頼むと、四人の女学生とともに舞踏会に入場した。会場で四人は捨松夫人から主催者の森有礼に紹介される。高等師範学科で首席の咲は森有礼と英語で言葉を交わして「女子教育の理想形」と称賛されダンスの相手も務める。頭脳明晰で日本人離れした容姿に堂々とした態度の咲のことを眩しく思いながら夏は下級生二人と立食コーナーで食事をしていた。気が付けば壁の花になっていた夏は、酔っ払った好色な初老の紳士にダンスをしようと絡まれる。紳士の従者が間に入ってくれたことで難を逃れた夏は、悔し涙をにじませて講堂の出口へ向かう。夏は往来の空気を吸おうと、招待客でざわついている前庭を通って校門を出る。道沿いには人力車の列ができており、俥夫(しゃふ)たちが休憩していた。そのなかの一人、本を読んでいる俥夫が西洋人に見えた。好奇心に駆られて近づいた夏は、「お嬢様が人の顔をじろじろ見るもんじゃねえ」と日本人離れした容姿の俥夫に注意される。「官費で学んでいる師範生はお嬢様なんかじゃありません」と反論した夏だが、「本物の貧乏人は学校に通う時間もねえ」と青年俥夫に言われる。しかし、女に学問はいらないと考える母に抵抗して父亡きあとも学び続けている夏は簡単に引き下がれなかった。そこへ夏を探して咲がやって来て会話に加わる。しかも久蔵と呼ばれる青年俥夫が咲を「元町の野原商店の娘」と言い当てたことで彼女と同じ横浜出身だとわかる。久蔵は「お嬢さんたち、今日は校舎の中にいろよ」と言って二人と別れた。一方、夏にダンスを断られた紳士は腹を立てて葉巻をコスモスの植木鉢にねじ込んで帰ってしまった。紳士が馬車で帰宅する姿を見た夏は安堵して咲と講堂に戻る。二人がダンスをするみねの姿を眺めたりして過ごしていると、顔面蒼白のキンが戻って来て震えながらしゃくりあげる。「藤棚に行ったら、男の人の声が……逃げないと、みんな」その途端、落雷のような轟音が外から聞こえてきた。さらに捨松夫人を呼ぶ声が響き、見れば夫人の傍らの植木鉢から煙が立ち上がり破裂音が聞こえる。咲は水差しを抱えて駆けていき、コスモスの植木鉢に水をぶちまけたうえで無人の演壇上に放り投げた。山川校長が「伏せろ」と叫び、皆が姿勢を低くしたが、ただ植木鉢が割れただけで爆発はしなかった。安心した咲は夏にひっぱたかれる。「死んだらどうすんの!」みねとキンが慌てて夏を止める。そんななか「火事だ」という大声が聞こえ、校庭の藤棚が燃えていると報告される。軍人でもある山川校長が師範学校男子部の生徒に指示し、兵士のように統率のとれた動きで消火に向かった。夏とキンが消火活動を眺めていると警官隊が到着した。警察官と校長が火事場に赴こうとしたので、夏は爆裂弾を仕掛けた犯人をキンが目撃したことを報告して同行を許可される。キンの証言によると、先輩二人を探している途中で藤棚にうごめく光を見かけて好奇心から近づいて男たちが爆裂弾を仕掛けているところ目撃した。しかも犯人の一人に気付かれて彼らが逃げる時間稼ぎの指示に従うしかなかったと言う。キンは犯人から見えない所まで離れた時点で走って講堂に戻り、皆に警告しようとした。警察官は藤棚が炎上している様子を確認した後、講堂の演壇上の砕けた植木鉢を検分した。土のなかから爆竹が見つかったことで残りは片づけようとなった時、咲が待ったをかける。「誰も触れていないのに爆竹が破裂したのだから何か仕掛けがあるはずです」この意見が受け入れられて咲が調べた結果、葉巻の吸い殻が出てきた。この襲撃事件は翌日の日曜には電信に乗って日本全国に知られ、さらに諸外国にも届いた。夏と咲が昨夜の事件の話をしていると、咲は英語の本に登場する名探偵ホームズの真似をしたと言い、他の生徒たちに協力してもらい藤棚で遺留品探しをする。出てきたのは火薬を詰めていたらしき陶器の破片に石や紙くずやその他もろもろ。ただし、紙くずは本の切れ端で、印刷された文字から『西國立志編(さいごくりっしへん)』という袋とじ本だと判明した。捜索を終了して寄宿舎に戻り舎監と話していると、新聞の号外を手にした生徒が駆け込んできた。号外には昨夜の『女高師襲撃暴徒による糾弾状』の内容が掲載されており、内容は欧化の悪弊を嘆き、婦徳を貶める文教を糺(ただ)すために女高師を襲撃したこと、さらに次は鹿鳴館を襲撃するという予告であった。ただでさえ女子教育への風当たりが強い時代であるのに、爆裂弾の事件に糾弾状である。月曜日の朝、女生徒たちは沈んだ表情で口々に語り合った。「私たちが学問をすることって、悪いことなのかしら」
※本作は2017年第24回松本清張賞を受賞
※師範学校は学校教員の養成機関である。帝国大学への門戸が女子には事実上閉ざされていた当時、高等師範学校女子部こと通称「女高師(じょこうし)」は、女子にとって学歴の頂点であった。
※『西國立志編』は、サミュエル・スマイルズの著書『Self Help』の邦訳である。『自助論』の邦題でも知られ、西洋の成功者たちの逸話を集めた啓蒙書であった。
 

書名:ヴィンデビー・パズル
原題:The Windeby Puzzle
作者:ロイス・ローリー(アメリカ作家)
出版:新評論
内容:1952年5月、西ドイツ北端の町ヴィンデビーの沼地で泥炭(でいだん)を採集する作業中に、機械の爪が人間の脚や手をすくいあげた。すぐに警察が呼ばれ、博物館の学芸員たちも現場にかけつけた。調査の結果、これは未解決の殺人事件ではなく、およそ二千年前、鉄器時代にあたる紀元前後の死体と断定された。いわゆる「ボグ・ボディ(湿地遺体)」だった。人類学者たちは、それが十三歳前後の少女の遺体だと結論し、「ヴィンデビー・ガール」と名づけた。作家ロイス・ローリーは「ヴィンデビー・ガール」について初めて読んだとき、好奇心でいっぱいになった。彼女の身に、何が起きたのだろう?この少女にまつわるパズル(謎)を解き、その物語をひもときたいと思った。紀元一世紀前後のヴィンデビーには、ゲルマン人が住んでいた。帝政期ローマの歴史家タキトゥスが書いた民族誌『ゲルマニア』には、北欧のゲルマン系諸民族の風俗習慣が描かれている。そこで作家はこの古典を下敷きに、彼女の物語をつむぎだそうとする。まず名前は古ゲルマン語の女性名から「エストリルト」と呼ぶことにした。
 冬が終わり春を迎えようとする小さな集落で、革職人の娘エストリルトは夜明け前に家を抜け出す。集落のはずれにある鍛冶小屋の物置で寝起きしている孤児の少年ヴァリクと落ち合い、二人だけの秘密の訓練を始める。エストリルトは女性の役割に不満を持ち、亡き叔父の跡を継いで戦士になりたいと願っている。村で初めての女戦士になるために、友人であるヴァリクに教えをうけているのだ。盾をかまえて「盾の歌」を詠唱し、足を踏み鳴らして踊ることを覚える。剣術を稽古し、戦士の髷を結う練習を繰り返す。そして、いよいよ春の祭りの日、少年たちが戦士と認められる元服式の場にエストリルトもまぎれこむ……。
 このように作家は無数のピースをつなぎ合わせ、イマジネーションによって架空の物語をつむいだ。しかし、この物語を根底からくつがえす事実のかけらを作家は新たに知る。2006年の研究結果により、ヴィンデビーで見つかった遺体は少女のものではなく、少年のものだと報告されたのだ。そこで作家は別の物語を見つけ出そうとして、すでに物語に登場している体が不自由な少年ヴァリクの存在を思い出す。そしてヴァリクを主役に、ありえたかもしれない別の世界を想像する。
 天涯孤独のヴァリクは生まれつき体が弱く、いじめられがちな十六歳の少年。鍛冶師の手伝いをして暮らしている彼は、知的好奇心が旺盛でひまさえあれば動植物を観察して過ごす。今ではミミズクの鳴き声を聞き分けることも出来る。彼が寝起きしている物置には動物の骨のコレクションでいっぱいだ。夏の終わりの夕べ、湿地の小道を歩いていたヴァリクは物知りな老人と出会い……。
 二つの物語の前後と幕間には作者による解説も兼ねたエッセイが挿入されており、物語の基礎となる知識や死の謎を解き明かすプロセスも楽しむことができる。巻末には付録として遺物写真と解説も収録されており、鉄器時代の北欧と「湿地遺体」について学べる本。
※2023年初版
※「ボグ・ボディ(湿地遺体)」とは、泥炭地に埋葬された遺体が泥炭中の化学物質によって保存された状態のもの。ヴィンデビーのような北欧の泥炭地では、酸素の欠乏、強酸性の土壌・水質、寒冷な気候があいまって、ときに自然の霊安室が出現する。そこに埋葬された遺体は、なかなか腐りきらない。死後数世紀たって発見された死者のなかには、しぼんだゴム人形のような姿をしたものもあるという。
※泥炭とは、なかば朽ちた植物が炭化したものをさす。水気の多い土地の土壌は酸の濃度が高く、養分が低い。ミズゴケなどの植物は、酸の殺菌作用のせいで、枯れたあとも完全には腐らない。条件がそろえば、堆積した泥炭の層が、沼地や湿原を形成する。太古の時代から、人類は泥炭を採集し、固め、乾燥させて燃料にしてきた。
※「ゲルマニア」とは、ライン川より東、ドナウ川より北の一帯に古代ローマ人がつけた地名
※エストリルト(Estrild)という名には、「春の女神」「戦闘」「東の戦士」といった意味がある。
※「ヴィンデビー・ガール」改め「ヴィンデビー・チャイルド」の亡骸(なきがら)は、他の湿地遺体とともに、ドイツのシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州立博物館に展示されている。

泥炭からなる湿地帯では、夜になると地中の物質から発生するガスが、大気中の酸素にふれて発火し、ちらちらした光を出す。科学用語で生物発光といわれるこの現象は、民間伝承や怪談では人魂(ひとだま)などと呼ばれている。

柳の樹皮は、古くから鎮痛剤や抗炎症薬としてひろくつかわれていた。古代ギリシアの医師ヒポクラテスは、その薬効を書きのこしている。
しかし、柳の樹皮からサリチル酸という成分が抽出され、アセチルサリチル酸とよばれる解熱鎮痛剤(商標名は「アスピリン」)がつくられるのは、十九世紀末のことである。
 

バリートゥス:「盾の歌」の意。出陣の歌。タキトゥスによれば、ゲルマン人はいざ戦争となれば、出陣前に鬨(とき)の歌をうたうのがしきたりだった。

スエビアン・ノット:本書では「武者結び」と表記されている。タキトゥスの『ゲルマニア』38節には、ゲルマン系(ケルト系という説もある)のスエビ族の男性が、「自由人」の証としてこの髪型をしたとある。

 

書名:紫の女王
作者:小森香折(こもりかおり)
出版:偕成社
内容:ラベンヌ王国の王都で育った孤児の少年ノアは、魔法の書である『サロモンの書』に選ばれた『青の読み手』だ。ルドン派修道女の末裔である熾火(おきび)のサンドラを師としてノアは秘術の修行に励んでいた。ザスーン帝国で起きた反乱を征して皇帝となったアレクセイは、大導師サロモンを裏切った弟子であるレトの生まれ変わりがノアだと言う。アレクセイとの縁談が破談となったラベンヌ国女王セシルは、王家に双子が生まれた場合は片方を殺すという法律を廃止しようとしていたが上手くいかない。セシルの双子の姉妹でノアと同じ下町で育ったロゼは、女王と対立する国教会のヒウス大司教にさらわれていたところをノアに助け出されたが、忽然(こつぜん)と姿を消して行方不明になっている。ソロモンの生まれ変わりを自称するアレクセイは黒魔術で人をあやつり、世界をほろぼすための戦を仕掛けようとしていた。ラベンヌ王国東部にそびえるキトラ山にいるノアのもとに、熾火の導師七名のうち六名が集まる。消息不明の姉妹を案じるセシルはルドン派修道院がロゼを保護したという情報を女官長から聞き、セザールの森へ忍んで行ったが其処で待っていたのは王位を狙ういとこのヘンリ公と大司教ヒウスだった。双子の存在が露見したことで国法を破ったと責められたセシルは離宮で謹慎の身となる。ヘンリ公はルドン派修道僧たちを拘束しようとするが、濃霧に行く手を阻まれて修道院に辿り着いた時にはもぬけの殻になっていた。実はそれは熾火の導師・霧のネベリンの秘術によるもので、ルドン派と熾火は協力して国を守ることになった。ザスーン帝国とアレマン王国の国境には「馬喰い沼」と呼ばれる沼地が広がりザスーン軍の侵入を阻んでいたが、逆賊としてアレクセイに討伐されたゾラー将軍の直属隊の幽霊が現われて攻撃を仕掛けてきた。アレマン王国北方国境軍司令官の父親であるサクソン公は、ザスーン美女のナターシャに骨抜きにされていると言う。アレクセイがサクソン公に術をかけたと考えたノアたちは、サクソン公の屋敷の天井裏に忍びこんでナターシャの様子を窺う。ノアは秘術を使ってナターシャから情報を聞き出そうとしたが、鏡台の鏡にアレクセイの姿が浮かび上がって黒魔術を掛けられてしまう。すると、ノアの眼前に神殿でサロモンとレトの会話する姿があらわれ……。それぞれの思惑と、陰謀が渦巻くなか、ノアは人々を守るために戦う。【青の読み手】シリーズ最終巻。
 

書名:アフェイリア国(こく)とメイドと最高のウソ
原題:The Supreme Lie
作者:ジェラルディン・マコックラン(イギリス作家)
出版:小学館
内容:北部の田舎にある製材の町ソーミルズからプレスト市に働きに来た15歳の少女グローリア・ウィノウ。街でいちばん高い丘のてっぺんに建つお屋敷で、アフェイリア国の最高指導者マダム・スプリーマにメイドとして仕えるグローリアは叱られてばかりいる。いまアフェイリア国では2ヵ月にわたって雨がふりつづき、増水したフルカ川による洪水が心配されていた。てっぺん邸では議員が集まってスプリーマと会合をおこない、街の城門の閉鎖について話し合っていた。遅れて到着した気象学者の二人がスプリーマに報告書を渡すと、彼女は二人を退出させてから封筒を開けて読み、「近いうちに雨は上がるそうです」と議員たちに伝えた。それなら城門を閉めたり鉄道駅を閉鎖しなくてすむということで会合は終った。議員たちが帰るとスプリーマはグローリアに荷造りを命じ、午後の列車で北へ行くという。北部に視察に行くはずのスプリーマは邸宅の料理人をクビにし、全身をすっぽりおおったコートを着て夫と飼い犬とともにメイドを連れて徒歩で駅に向かう。ふりつづく雨のせいで運行停止が決まった鉄道の最後の北方面行きの列車には人々が押し寄せており、スプリーマと夫のティモールは乗車できたもののメイドのグローリアとスーツケース、それにゴールデンレトリーバーのデイジーは乗車拒否されてしまう。デイジーを荷物専用車に乗せるよう言いつけられたグローリアだが、そこにも人がいっぱいでドアが施錠されていた。仕方なく列車の屋根にデイジーを乗せようとしたがグローリアの力では持ち上げられずにいると、車窓から様子を見ていたティモールがやって来て手助けしようとした。ところが、そのタイミングで列車が動き出し、グローリアとティモールと飼い犬は駅に取り残されてしまった。結局、二人と一匹は荷物でいっぱいの手押し車を押しながらお屋敷に帰った。一方、アフェイリア北部のフォレストベンドでは遂にフルカ川が決壊し、クレム・ウォーレンは両親と飼い犬ハインツとともに屋根裏部屋に避難していた。そして、恐ろしい速さで流れた洪水はプレスト市を出発した最後の列車をも押し流した。そんな事が起きたとは露知らぬグローリアはメイドとして働き、ティモールは晴れると言われた天気予報がはずれたことに苛立っていた。スプリーマが丸めて捨てた気象学会の手紙をグローリアは拾って読んでおり、それをそっとティモールのそばに落として行った。気象学会からは『雨はこの先何週間もやむ気配はありません。長期の深刻な洪水がアフェイリア全土に広がると予測せざるをえません』と報告が記されていた。「マダムはだんなさまと犬たちといっしょに列車が止まる前に脱出したかったんだ」とグローリアが言うと、「国家元首の地位を捨てるなどありえない!」とティモールは否定する。そんな時に新聞紙『ザ・ヴォイス』の編集長から電話があり、スプリーマがプレスト駅の北行きホームから出た最後の列車に乗るのを目撃されたという噂が出まわっていると知らせてきた。さらに内務大臣のコヴェットからも噂についての電話がかかり、動揺したティモールはとっさに発言する。「街の城門を閉鎖する書類にマダム・スプリーマが署名する」困ったティモールが思いついたのは、グローリアにマダム・スプリーマの代役をさせること。幸か不幸か小柄なスプリーマと同じくらいの背格好なグローリアならば、彼女がいつも被っていたヴェールつきの帽子で偽装できる。ティモールの指図でスプリーマを演じることになったグローリアは風邪をひいたふりをして署名の場を乗り切り、後日の城門閉鎖にも立ち会った。閉鎖された街は洪水による通信ケーブルの断線で外部からの情報が入らず、中の人間たちはアフェイリアの経済を支えるカトラリー製造工場を浸水から守るために全員が水汲みポンプを動かす作業に動員され、家庭のペットはセンターに収容された。おっかなびっくりスプリーマを演じつづけるグローリアは、男友達のヒギーが勤める工場に視察に訪れても正体がバレずにすんだことで安心する。しかし、解雇された料理人がコートを取りに戻って来て、グローリアはスプリーマの服を着た姿を目撃されてしまう。騒ぎ立てる料理人を玄関クローゼットに閉じ込めたグローリアは、ティモールから気象学者たちが逮捕されたことを聞く。一方、水没した家の屋根の上に座っていたウォーレン一家はやってきた救助ボートに乗り込むが、飼い犬のハインツは置き去りにされてしまい……。かつてない規模の自然災害、逃げ出す政治家、フェイクニュースにふりまわされる人々……恐ろしくもユーモラスな物語。
※2021年初版
※本書のアフェイリアは架空の国だが、実際にアメリカで起きた1927年のミシシッピ大洪水と呼ばれる災害をモデルにした物語である。

※物語に登場するマダム・スプリーマの飼い犬デイジーにもモデルがいる。作者の飼っていたゴールデンレトリーバーで、名前も同じデイジーとのこと。
※作中には変わった名前が登場するが、作者のインタヴュー記事によると、そこにも仕掛けがあり、登場人物の人となりを暗示している。国名のアフェイリアも、ア・フェイリアで英語のa failureらしい。
※作中で男性最高指導者はスプリーモ、女性最高指導者はスプリーマという名称が示されているが、これは作品タイトル(原題)にも使われているsupremeという語からきていると推測される。supreme は「最高の」といった意味を持つ形容詞の英語表現。「最高位の、最大級の」の意味。究極・至高・至上のこと。イギリス英語発音「シュープリーム or シュプリーム」、アメリカ英語発音「スプリーム」と表記される。

クレム:クレメントの愛称
ヒギー:ヒグソンの愛称
 

書名:千霊一霊物語
原題:Les Mille et Un Fantômes
作者:アレクサンドル・デュマ(フランス作家)
出版:光文社古典新訳文庫
内容:1831年9月1日、『私』こと劇作家アレクサンドル・デュマは、かつての同僚に招かれてパリ近郊のフォントネ=オ=ローズで狩り開きを行った。しかし、思うような獲物に恵まれず、野原で探し歩くのを嫌った『私』は一行から抜け出して町へと戻って行った。一時を告げる鐘の音が聞こえるころ町にたどり着いた『私』がディアヌ通りからグランド通りへとさしかかった時、教会のほうから両手が血まみれになった男が近づいてくるのを見た。思わず警戒する『私』には目もくれずに男は通り過ぎ、ディアヌ通りのお屋敷の呼び鈴を鳴らした。応対に出た女に「ジャックマン」と呼ばれた男は言う。「市長さんに伝えてくれ。自分は女房を殺して、捕まえてもらいに来たと」不穏な様子の男を気にして来た道を引き返してきた『私』と、同じような野次馬連中が見守るなか市長たちが現われる。さらに二人の憲兵と警視と医師も到着した。クザン警視が現場検証のためにジャックマンを犯行現場である自宅へ連れて行こうとすると、彼は激しく抵抗する。市長のルドリュ氏が理由を聞くと「生首がしゃべった」とジャックマンは告白する。ロベール医師は一笑に付し、警視はジャックマンを連れて行くよう憲兵に指図し、市長は「これも罪滅ぼしなんだ」と彼を諭す。市長が付き添うことを条件にジャックマンは同意して歩き出し、一行の後ろには『私』を含む野次馬集団もつづく。セルジャン小路の小さな家の地下倉には、樽からワインを瓶詰していて殺害されたらしき首のない死体と石膏囊(せっこうのう)の上に置かれた頭部があった。警視はその場で調書の作成を開始し、市長の友人二人と『私』が証人となることを頼まれる。一同が見守るなか石切夫ピエール・ジャックマンは女房のジャンヌをどのように殺害したかを供述したが、最後は生首に右手を嚙まれたと訴え、医師が遺体の検分を始める前に出て行かせてくれと懇願した。医師は馬鹿馬鹿しいと取り合わなかったが、市長が口添えしたことでジャックマンは憲兵に牢屋へ連行されて行った。『私』も辞去しようと市長に挨拶すると、一時間後に彼の家に来て調書にサインするようにと言われる。言葉通りに市長の邸宅を訪ねると「正餐(せいさん)の前に家の中をお見せしますよ。元はスカロン(十七世紀フランスの作家)の住んでいたものですから」と言い、『私』はのちのマントノン侯爵夫人であるスカロン夫人の部屋に案内してもらい夫婦が模作したという恋愛地図を鑑賞し、客間では歴代のフランス王の骨片や遺髪をコレクションしたものまで見せてもらった。そうしたうえで市長は正餐をともにする客人たちの経歴を語る。ジャックマン事件に立ち会った市長の友人の二人は、文人ジャン=ルイ・アリエットとサン=シュルピス教会司祭ピエール=ジョゼフ・ムール。アリエット氏は錬金術師カリオストロとサン=ジェルマン伯爵と親戚関係だと言い、七十五歳に見えるが実年齢は二百七十五歳と主張しており、さらに魔術の秘儀についてエッテイラという名で本を出版していると言う。ムール神父はカゾット(フランスの神秘思想家)の友人で、善霊と悪霊の存在を信じており、日常的に幻夢に沈み込むと言う。他の招待客としては、やはり市長の友人でプチ=ゾーギュスタン博物館を作ったアレクサンドル・ルノワール士爵がいる。市長はまだ経歴を紹介していない女性の招待客を庭からエスコートしてくるように『私』に依頼する。その女性は美しいが生気のない様子で、食卓でもほとんど食べなかった。みなが食後に客間に移動すると、そこには調書をもった警視と医師が待っていた。それぞれが署名を済ませると、医師が市長に尋ねた。「あなたは生首がしゃべったと信じているのですか?」市長は「ありうる」と答え、『私』と市長の友人三人も賛成し、警視と婦人の二人は黙っていた。セバスチャン・ロベール医師は切り落とされた首が言葉を発することなど人体構造上ありえない、と科学を根拠に主張した。市長になる前は医師だったジャン=ピエール・ルドリュ氏は、科学的にありうることだと反駁(はんばく)して、自らが目撃したというシャルロット・コルデーの頬打ちの逸話を語る。さらにルドリュ氏が許可を得て斬首後の生命の持続に関する実験を行っていたフランス革命期の経験を話し始める。市長の体験を聞いてもなおロベール医師はそれは幻覚の記憶に過ぎないと断言し、イギリスの医師から聞いたというエディンバラ刑事裁判所の判事の話を語る。こうしてジャックマンの自供した「生ける生首」の妥当性をめぐる議論は、いつしか各人が見聞きした奇怪な出来事を披露しあう夜へと発展する。千夜一夜物語を模した枠物語の奇譚集。
※本作は1849年5月~10月に「コンスチチュショネル(立憲主義者)」紙に連載し、同年に単行本刊行
※本作は、作家ポール・ラクロワ(1806~1884年:作中の第4章で「愛書家ジャコブ」として言及される)が原案に協力したと考えられており、デュマとのやり取りを示す書簡がフランス国立アルスナル図書館に保存されている。
※ルドリュ氏のモデルはフォントネ=オ=ローズ市長ジャック=フィリップ・ルドリュ(1754~1832年)と推測されている。
※スカロン夫人(フランソワーズ・ドービニェ)は、最初の夫スカロンの死後に宮廷に入り、そこでルイ十四世からマントノン侯爵夫人の称号を与えられた。

※作中に登場するスカロン夫妻が模作したとされる『恋愛地図』は、マドレーヌ・ド・スキュデリーの小説『クレリー』に収録された地図。友情が恋愛に達するまでの道のりを寓意的に描いており、様々な心理や行為が道中の地名として記されている。その凝った趣は、十七世紀フランスにおける気取りの慣習(プレシオジテ)の典型とされた。
※アレクサンドル・ルノワール(1761~1839年)が作ったプチ=ゾーギュスタン博物館はフランス記念博物館とも呼ばれる。フランス革命による破壊行為から歴史的記念物を守るための移管先として設立した。復古王政期の1816年、ルイ十八世の命により閉館させられた。作中でルノワールは、1794年にサン=ドニの王墓冒瀆に立ち会ったことを語っている。
※シャルロット・コルデーが1793年にギロチンで斬首された後、処刑人助手が生首を掲げてその頬に平手打ちをしたという歴史にもとづく話が作中で語られている。作中に実在の人物が登場して歴史的逸話を語ることで、本作は幻想小説であると同時に疑似的な歴史小説としても読むことができる。

「吾輩はジャン=ルイ・アリエット。別名エッテイラ。アナグラムでね」
※文字の順序を入れ替えて別の語句を作る言葉遊び。Etteilla(エッテイラ)はAlliette(アリエット)のアナグラム。

シュヴァリエ:士爵

「メッシュー(紳士の皆さん)」
「そこはシトワイヤン(市民の皆さん)と」
※フランス革命期、それまでの貴族文化に由来する「ムッシュー」(複数形でメッシュー)の代わりに、革命派は「シトワイヤン(citoyen:市民)」という呼称を用いた。

ノートル=ダム(Notre-Dame)は「我らが貴婦人」、つまり聖母マリアを意味する。

 

書名:13歳からの考古学 なんでファラオは男なの? 古代エジプト女王の源流を探す旅
作者:山花京子(やまはなきょうこ)
出版:新泉社
内容:中学一年生になったばかりの佐藤美羽(さとうみう)は、自信がなくて引っ込み思案な女の子。春、母親に誘われた美羽は西山大学の日本語を教えるサークルでボランティア活動したことで、多くの留学生と知り合いになる。なかでも日本アニメ好きのエジプト人留学生・ヤスミーンとは、アニメの話で盛り上がり気も合って仲良しになる。サークルに参加するようになって二カ月ほど経った時、ヤスミーンから「アラブ・チャリティーバザー」に誘われて、美羽はエジプト大使館に出かける。会場ではヤスミーンに説明されながらエジプト文化にふれ、アラビア語を教えているというアブドラ先生にも紹介され、美羽は楽しい一日を過ごした。もともと家族そろって古代エジプトが好きなこともあり、美羽は夏休みの宿題のテーマにエジプトを選ぶ。七月中旬、美羽は大学の日本語サークルでアブドラ先生と再会し、エジプト旅行を勧められる。ヤスミーンが帰省する時に美羽も一緒にエジプトへ行けばどうかと言うのだ。アブドラ先生の提案をヤスミーンは快諾し、美羽にカイロに住む日本人考古学者を紹介するとも言ってくれる。美羽ひとりで決められる事ではないため、帰宅してすぐに両親と祖母に話すと旅行に賛成してくれた。それで一度みんなで話し合おうと、夏休みが始まると美羽は両親と一緒にサークル活動に参加してヤスミーンとアブドラ先生に会った。話し合いではヤスミーンが来年の春休みに帰省する予定なので美羽も一緒にエジプトへ行って、その際にヤスミーンの母親が校長を務める小学校でスピーチをしてくれないかと提案される。日本とエジプトの民間交流を実現させたいと言うのだ。さらにヤスミーンの友人でエジプトで発掘をしている考古学者の日本人女性・八十田良(はとだよし)こと通称ハトラ先生とオンライン・ミーティングで会うことになる。ハトラ先生によると「エジプトには遺跡がごまんとあるので、テーマを決めて遺跡巡りをしないと何処も同じに感じる」と言う。美羽は今まで読んだ古代エジプトの小説や漫画を参考にして、旅のテーマは「女性」に決める。古代エジプトの王には男性が多いけれど、女性も王になれたのは何故か?ハトラ先生にテーマを伝えてハトシェプスト女王の葬祭殿に行きたいと言うと、美羽のためにプライベートツアーを組んでくれた。ハトラ先生とのミーティングを重ねる一方で美羽は父親とお手製のガイドブックを作成するなどエジプト旅行の準備を整える。そして、いよいよ出発日を迎え、いざ初めての海外旅行へ……。美羽はハトシェプスト女王の軌跡をたどる旅を通して、女性と社会との関わり方に興味を持ち始める。
※2023年初版

「イスラーム教徒の女性のことをムスリマっていうのよ。男性はムスリムね」

クリスチャン・ジャック『自由の王妃アアヘテプ物語』3巻本

「実は、ツタンカーメンと呼ぶのは日本人だけなの。本来のエジプト語ではトゥト・アンク・アメンと表記するので、トゥトアンクアメンやトゥトアンクアムンと呼ぶのだけど、ちょっと前まで日本語では『トゥ』を『ツー』と発音していたので、ツタンカーメンになったのね」

見渡す限りの白っぽい大地
「日本人がイメージする砂漠とは違って、ナイル川の東側は石灰岩台地が広がっていて、正確には岩の砂漠、『岩漠(がんばく)』というの。だから、実際は白っぽい岩が露出しているのよ」
 

書名:楽園
原題:Paradise
作者:アブドゥルラザク・グルナ
出版:白水社
内容:二十世紀初頭のドイツ領東アフリカ(のちのタンガニーカ)。十二歳の少年ユスフの父親は鉄道の駅があるカワという町で宿屋を営んでいた。ときどき町には大商人アズィズがひきいる商隊の大行列がやってくる。ユスフは家の宿にアズィズおじさんが滞在するのを楽しみにしていた。アズィズおじさんが出立の際にユスフに十アンナ硬貨を握らせてくれるからだ。ところが、今回は父親に「アズィズおじさんと旅に出ろ」と言われ、ユスフは汽車に乗り込む。旅の目的地は海辺の町で、アズィズおじさんの自宅と店舗がある。邸宅に付属する店舗を任されている青年ハリルと働くことになったユスフは、日数を重ねるうちに自分が父親の借金のレハニ(質草)として連れてこられ、アズィズは「おじさん」ではなく「サイイド(ご主人)」なのだと理解するようになる。ユスフが十六歳になった頃、アズィズが内陸の奥地へ商売に出かける隊商に随行することになった。隊商は山の麓の小さな町で列車を降り、そこから徒歩で奥地へ向かう。アズィズは出発前に町の商店主ハミドに会い、彼にユスフを預けて行った。ハミドとその家族の元で一年ほど働いたあと、ユスフは今度こそ奥地への隊商に加わり湖を目指して旅立つが……。互いに争うアラブ人、インド人、アフリカ人、ヨーロッパ人のいくつもの勢力を目撃し、さまざまな経験を積んだユスフは次第に自らの隷属状態について疑問を抱きはじめる。主人公ユスフの12歳から18歳までの成長の過程が辿られ、東アフリカ沿岸地域の歴史的な大転換期が、少年の目から語られる。
※初版1994年
※作者は1948年イギリス保護領ザンジバル(現在のタンザニア)で、イエメンとモンバサ(現ケニア)にルーツをもつ家庭に生まれた。1964年に勃発したザンジバル革命の混乱を受けて1967年にイギリスに渡る。1982年にケント大学で博士号を取得。1980年から83年にかけてナイジェリアのバイェロ大学で教鞭を執る。1985年から2017年に退職するまでケント大学でポストコロニアル文学を教える。現在、同大学名誉教授。スワヒリ語話者ではあるが、イギリスを拠点に英語で執筆活動を続けている。
※物語の背景:舞台は20世紀初頭のドイツ領東アフリカ、現在のタンザニアの架空の町。すでにドイツ帝国の支配が進み、最後には独英間の戦争(第一次世界大戦)の前夜であることが明かされる。作中には架空の地名と実在の地名が入り交じる。
※大商人アズィズの隊商が内陸の旅に出る際に使用している鉄道は、巻末の解説によるとウサンバラ鉄道。この鉄道は海岸と内陸をつなぐ目的で、1893年にドイツが建設を開始した。出発点のタンガはアズィズの屋敷がある海沿いの町と思われる。第一次世界大戦前のドイツ支配の時代には、ここからハミドの暮らす山間の町、キリマンジャロの麓のモシまで路線が延びた(1911年完成)。主人公ユスフの一家が引っ越して宿屋を営んでいるカワという架空の町は実際にはコログウェ、ちょうどタンガとモシの中間にあたり、一時期は路線拡張の拠点として栄えていたと語られる。キリマンジャロ周辺で牛飼いと呼ばれているのはマサイ人のことである。
※作中でアズィズの隊商はタンガニーカ湖の西岸、すでにベルギーの支配が及ぶコンゴ東部のマルングを目指している。最初の目的地のタヤリは実際にはタボラといって、十九世紀半ばまでに沿岸からのアラブ人・スワヒリ人隊商の中継地として活気に沸き、十九世紀後半には多くのヨーロッパ人探検家が立ち寄った。また、作中で妻を亡くしたばかりの首長(スルタン)が治める湖畔の町はタンガニーカ湖東岸のウジジである。
※作中でアズィズの隊商にはインド人の資本が提供されていた。巻末の解説によると東アフリカ沿岸地域のインド人移民は、ほぼインド北西部のカッチ、あるいはグジャラートから来た商人であり、古くから商業ネットワークを構築していた。サイイド・サイードのもとで急速に移住が進み、ザンジバルで大きな共同体を形成する。一部の有力商人は王室の経済基盤を支え、関税徴収も請け負い、強固な足場を築いた。
※巻末の解説によるとザンジバルの市場で扱われていた象牙や奴隷は、もともと内陸の住民からもたらされたものであったが、十九世紀はじめ、反対に沿岸の住民が隊商を組んで内陸へと入っていき、輸入品と引き換えに象牙と奴隷を得るようになった。こうして内陸部にイスラームやスワヒリ語が浸透していく。1870年代ごろまでは奴隷売買が盛んにおこなわれたが、1873年にはイギリスの圧力によりザンジバルで奴隷貿易の全面廃止令が出され、1897年には奴隷制が廃止された。しかし、ドイツ領では奴隷制が禁じられなかったばかりか取引に課税までされていたようだ。作中の二十世紀初頭の隊商にはかつての栄華はなく、すでに奴隷の取引が禁止されている時代であり、奴隷の身分は残存していても、おおむね過去の話として想起されている。

書名:金沙後宮の千夜一夜 砂漠の姫は謎と踊る
作者:干野ワニ(ほしのわに)
出版:角川文庫
内容:建国間もないバームダード帝国は、初代皇帝アルサラーンによって砂漠一帯の部族が統一されて成立した国。アーファリーンことファリンは、エルグラン国から来た西方人の学者を父親にもつ娘。父親の後を追って母親が国を出て行ったため、ファリンはロシャナク族シーク(族長)の祖父のもとで養育された。祖父が亡くなると跡を継いだ伯父の養女となったが、疎まれて使用人扱いで生活していた。ファリンには祖父の決めた許嫁がいたが意地悪な義妹に奪われたうえ、15歳のときに義妹の身代わりとしてアルサラーン皇帝のハレム(後宮)に入ることになった。皇帝の妃と言っても実情は人質であり、その後宮は呪われているという噂があった。こうして第16妃となったファリンだが、皇帝のお渡りもない下級妃として過ごすうちに同じ境遇の友人もでき、噂とは違って快適な後宮生活を送っていた。さらに暇な時間を使ってファリンは物語を書き、友人たちに見せるようになる。それが後宮の妃たちの間で人気となったことで、上級妃の手引きで内小姓に変装したファリンは取材のために後宮を抜け出すようになる。そして、後宮入りして二年以上が経ったある日、皇帝と内小姓頭(うちごしょうがしら)の美青年サイードを観察していたところを見つかったファリンは捕まってしまう。諜報の疑いをかけられたファリンを助けるべく後宮の妃たちが嘆願してくれたものの、皇帝とサイードをモデルにして衆道小説を書いていたことが露見してしまう。皇帝はファリンの書いた物語を面白がって笑うだけだったが無罪放免という訳にはいかず、とりあえずの謹慎が言い渡される。とはいえ自室で静かに生活するだけの毎日に退屈したファリンは、ふと祖母に贈られた物のことを思い出す。それはファリンの後宮入りを心配した祖母に渡されたオイルランプ(油燈)で、ロシャナク族を繁栄させた力を宿すという。ファリンがランプをみがくと中からジン(精霊)が現われ「願い事を一つ叶えてやろう」と言われるが、今の生活に満足しており何も思い浮かばない。しかもファリンの願い事を叶えた後は伯父一家の元に行くと言われ、それを阻止するべく保留したままにしておくことにした。さて、改めて皇帝から罰が下されることになったファリンは、サイードと共に後宮の「呪い」と噂される事件の調査を命じられる。まずは手始めに、妃だけが転ぶという呪われた廊下を調べることに……。謎解きアラビアン・ファンタジー。
※第8回カクヨムWeb小説コンテスト<ライト文芸部門>特別賞を受賞した「千夜一夜ナゾガタリ ~義妹の身代りで暴君に献上されたまま忘れられた妃は、後宮快適ニート生活を守るために謎を解く~」を改稿し、改題の上、文庫化した作品。

「君の瞳……明るい茶色だと思っていたが、今見ると緑だな」
「これはヘーゼル(榛色)の瞳の特性みたいです。太陽の下だと光の散乱の関係で、緑がかって見えやすいみたいで……」

「砒素毒の検出に銀食器が有効だったのは昔の話ですよ?」
水溶性かつ無味無臭、さらに手に入りやすい劇毒である亜砒酸(あひさん)……いわゆる砒素毒は、暗殺に多用されてきたという歴史がある。だから砒素毒と反応して黒変する銀器の使用が流行ったわけだが、ただの砒素を銀にくっつけたところで、そんな反応など起こらないはずなのだ。
「銀器を変色させる成分の正体は硫黄でした。昔の製法では、砒素毒の製造過程で混在する硫黄を除去しきれなかったんです。でも現在製造されている砒素は純度が高いらしいので、銀器が黒変する可能性は低いと考えられます」

「これは肉荳蔲(ニクズク)と申しまして、すりおろして粉にいたしますと、肉料理の臭み消しに大変重宝するお品でございます。もちろん香りが良いだけでなく、消化を助け、食欲を増進し、過度の冷えから身体を守る効能もございます」
「ナツメグ……何か毒性のあるものではなかったか」
「薬効のあるものを多く摂取しすぎますと、当然それは毒にもなり得るのです。この種子をそのまま二つ食べた幼子が中毒を起こし、命を落としたという噂もございます。ですが……なかなか一度にたくさん食べられるものではございませんよ」
差し出された実をつまむと、前歯で実の端を砕いた。たちまち舌先に痺れるような辛みと渋みが広がって、吐きだしたいほど刺激の強い味
ナツメグの項に『一部地域では、かつて堕胎薬として使用されていた』という一文
「こちらは小荳蔲(ショウズク)と申しまして、消化を助ける効果や口臭予防効果のほか、血のめぐりを促す効果もございます。そのため催淫効果があるとされておりまして」
「なおカルダモンと申します」
「こちらは適度であれば消化を助けるものですが、食べ過ぎると逆に腹を下すと言われております。とはいえ食後の口臭予防に実を噛むことを好まれる方も多いもので、肉荳蔲のように中毒まで起こした話はきいたことがございません」