護良親王(目次) | 三日月の館

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延慶元年(1308)  後醍醐天皇の皇子として京都に生まれる。

文保2年(1318)2月16日 比叡山(梶井門跡)に入山。

元弘元年(1331)8月 元弘の乱。

元弘元年(1331)9月 笠置山陥落。

元弘元年(1331)9月~10月 楠木正成が呼応して挙兵。

元弘元年(1331)10月 奈良・般若寺に潜伏。

詮索から間一髪逃れ、熊野へ向かう。

切目王子で一泊。

元弘元年(1331)11月 十津川に潜入。

付き従うは、赤松則祐・光林房玄尊祐・矢田彦七・木寺(小寺)相摸・岡本三河房・武蔵房・村上義光・片岡八郎・平賀三郎。

元弘3年(1333)2月1日 吉野にて挙兵。

村上義光が身代わりとなり討死。

護良親王は高野山へ逃れる。

元弘3年(1333)4月 後醍醐天皇が隠岐を脱出。

名和長年に奉じられ挙兵。

 

元弘3年(1333)5月7日 六波羅探題滅亡。

 

元弘3年(1333)5月22日 執権北条高時自害。

鎌倉幕府滅亡

 

元弘3年(1333)6月3日 信貴山毘沙門堂にて陣を敷く。

建武の新政下での足利高氏を牽制。

 

元弘3年(1333)6月13日 護良親王征夷大将軍となる。

 

元弘3年(1333)6月17日 上洛。

 

建武元年(1334)5月 新待賢門院(阿野廉子)の讒言により捕えられる。

 

建武元年(1334)11月15日 足利方の身柄が預けられ鎌倉に護送される。

東光寺に幽閉される。

建武2年(1335) 中先代の乱が起こる。

 

建武2年(1335)7月23日 足利直義の家臣、淵辺義博により殺害される。

淵辺義博が恐ろしさのあまり首を投げ捨て逃げ去ったと云う。

近くの理智光院の僧が裏山に葬る。

 

藤原保藤の娘。南方との間に生まれた日叡によって、鎌倉妙法寺境内にも墓が造られた。

 

明治2年(1869) 東光寺跡に鎌倉宮が造営された。

 

(伝説)

 

首洗井戸(神奈川県横浜市戸塚区柏尾町)

南方(雛鶴姫)が護良親王の首級を持ち去って鎌倉から脱出、ここで首を洗ったと云う。

 

王子神社(神奈川県横浜市戸塚区柏尾町)

首洗い井戸の近くに埋め弔ったと云う。

 

千部塚(神奈川県相模原市緑区青山)

護良親王の35日供養のために建てられたと云う。

 

雛鶴神社(山梨県上野原市・都留市)

護良親王の首級を抱え西へ向かった雛鶴姫が力尽きた場所と云う。

 

石船神社(山梨県都留市)

護良親王の首級が祀られている。

 

小室浅間神社(山梨県富士吉田市)

護良親王の首級が境内の桂の大木の根元に埋葬されたと云う。

 

縁切り榎とわかれ橋(神奈川県相模原市中央区東淵野辺)

淵辺義博は密かに護良親王を匿い、東へ逃がすためこの地で妻子と別れたと云う。

 

⑻一皇子宮(宮城県石巻市)

護良親王はこの地に逃れ隠れ住んだと云う。