雛鶴姫伝説(山梨県上野原市周辺) | 三日月の館

三日月の館

yahoo!ブログのアメブロ版です。

鎌倉を抜けだした護良親王の妃・雛鶴姫は、首級を四つ杭井戸で清めた後、京へ向かおうと東海道を進むも、足利氏の大軍が向かってくるとの知らせを受け、進路を甲州経由へ変えた。

辿りついたのが、青山村(神奈川県相模原市緑区青山)。

雛鶴姫は護良親王の子を懐妊していたおり、この地で病に臥せってしまい、数日寺に滞在したと云う。


 

青山神社から。

鳥居。

西側に社務所。

閉まってた…

東側に地域センター

咢堂桜。

説明板。

登る。

かなり立派な境内の階段。

右の狛犬。

左の狛犬。

社殿。

境内末社。

鎌倉時代に創建され、以前は諏訪神社だったらしいが、由緒書は無かったです。

御朱印はこちら。

青山神社の北へ登って行くと、逗留した寺の住職が建ててくれた供養塔があります。

千部塚。

近づけないので望遠で。

説明板。

青山神社から少し西へ行った所にある光明寺。

雛鶴姫が逗留した寺はこことも。

境内の様子。

明治3年に護良親王の五百回忌の法要が営まれたと云う。

 

体調が回復した雛鶴姫は西へ向かい、牧馬峠を越えて秋山村へと進んだ。

ここから甲州かな?

全部廻っていたら一日では足り無さそう…

桜井部落の裏山王沢を経て、古福志の四ツ堂で7日間逗留したのち、

権田橋に差し掛かった所で雛鶴姫が産気づいてしまった。

付近に宿を乞う民家が無かったため、従者たちは止む無く木の葉を集め褥を作った。

時は、年末12月28日で、寒さの中子供は産まれたが、母子共に亡くなってしまったと云う。

秋山村無生野。

雛鶴姫が悲しみのあまり「ああ無情…」と嘆いたことから名が付いたと云う。

無生野公民館の所に大念仏の説明板。

配置図を拡大。

無生野バス停。

大念仏の碑。

路線バス折り返し所。

雛鶴峠の歌碑。

裏面は雛鶴姫の説明板。

付近に王見の滝。

裏鎌倉街道。

権田橋は何処かな?

穴路峠。

おいぬさま。

雛鶴峠へ進む。

雛鶴神社へ。

橋を渡る。

手水舎。

鳥居。

社殿。

説明板。

葛城宮顕彰の歌。

裏面に南朝終焉の地の記載。

雛鶴姫塚。

脇に雛鶴姫像。

宮の前に伊弥奈塚。

お供の墓かな?

雛鶴姫は峠を越えたとも。

雛鶴峠を越えた所にリニア実験線車両基地。

大旅川を挟んだ南側に雛鶴神社が鎮座。

車でも行ける。

交互信号。

供の松。

説明板。

昭和60年頃枯れてしまった。

雛鶴神社。

名水「姫の涙」。

境内。

雛鶴姫の墓。

説明板。

こちらでは、雛鶴姫が峠を越えて正月に亡くなったことになっている。

御朱印はここで貰えます。

御朱印。

リニア実験線車両基地を見る。

西へ進んで石船神社へ。

鳥居。

手水鉢。

護良親王の首級を奉納したと云う。

雛鶴姫がここまで逃れて来たことになっている。

雛鶴峠を見る。

甲相国境に残る雛鶴姫伝説でした。

 

(おまけ)

 

富士山下宮小室浅間神社へ。

 

所在地  山梨県富士吉田市下吉田3丁目32番18号

主祭神  木花咲耶姫命

創建    (伝)大同2年(807)

 

坂上田村麻呂が創建したと云う。

 

一之鳥居。

参道。

ハートの神桜樹。

???

本町中村馬場。

9月に流鏑馬祭が行われる。

流鏑馬について。

馬場から参道を振り返る。

荒田八幡宮。

由来記。

進む。

右の獅子山。

左の獅子山。

水天宮。

浅間橋。

宮川を渡る。

渡って東側に東参道入り口の鳥居。

戻って正面に大鳥居。

潜って参道を西側から。

馬頭観音。

境内図。

手水舎。

御由緒書き。

愛染桂。

神札授与所。

右の狛犬。

左の狛犬。

拝殿。

拝殿の東側。

大塔宮桂之古跡。

説明板。

雛鶴姫がここに護良親王の首級を埋めたと云う。

カツラの説明板。

参道西側。

本町中村道祖神。

参道東側の摂末社。

五社。

日枝社。

室宮恵比寿神社。

大鳥居に戻って来ました。

境内さんぽ道からぐるっと一周。

胎内弁天社。

説明板。

関東大震災記念碑。

筒粥殿。

富士山溶岩流原形

社務所。

神楽殿。

記念碑。

反対側にも碑。

御神池。

後ろの赤い橋はかつら橋。

御神水。

駐車場からの入り口。

境内案内図。

馬場。

本物がいた!

JRA時代は500万下の戦績。

5月5日に神馬祭が行われる。

北へ進むと富士急行下吉田駅。

新倉山浅間公園の最寄駅。

坂上田村麻呂と護良親王の伝説が混在する神社でした。

 

名所旧跡(目次)へ戻る