風洞(埼玉県本庄市・児玉郡美里町) | 三日月の館

三日月の館

yahoo!ブログのアメブロ版です。

場所 埼玉県本庄市児玉町秋山

 

坂上田村麻呂の伝説が残る地です。

 

埼玉県本庄市児玉町秋山に「風洞」という地名がある。

平安の昔、大蛇が洞に隠れ住み、中で呼吸しゴウゴウと音を立てたことから名が付いたと云う。

大蛇は付近の人畜を食い、田を荒らし被害は甚大だった。

この話が平城天皇の耳に入り、大蛇退治に坂上田村麻呂が派遣された。

坂上田村麻呂は、まず十条沼付近に赤城山に向かって北面する五社を建立した。

(1)古都の北向神社。

参道。

鳥居。

社殿。

主祭神。

境内には末社が建ち並ぶ。

社務所があったが、誰もいませんでした。

赤城山を仰ぎ見る。

(2)阿那志の河輪神社。

鳥居。

登って行く。

長いよぅ~

境内が見えてきました。

右の狛犬。

左の狛犬。

手水舎。

社殿。

ここは北向神社ではなく河輪神社という名だった。

御由緒。

境内には末社が建ち並ぶ。

社務所があったが、誰もいませんでした。

境内の裏はゴルフ場。

古都の北向神社を見下ろす。

河輪神社の南に退治した大蛇の尾を埋めたという尾埋壷山に安光寺が建っている。

木が生い繁り赤城山は見えませんでした。

(3)小茂田の北向神社

鳥居。

御由緒。

奈良時代に条里制に伴って造られた池。

境内へ入る。

手水舎。

右の狛犬。

左の狛犬。

社殿。

由緒書。

大国主命。

説明板。

惟神祖霊社。

境内には末社が建ち並ぶ。

条里制の遺構。

(4)北十条の北向神社。

鳥居。

手水舎。

社殿。

御由緒。

境内から赤城山を仰ぎ見る。

ヤグルマギクかな?

後にする。

(5)沼上の北向神社。

参道脇に別当寺の長福寺。

鳥居。

長い参道。

揉めてる感じ。

境内入り口。

社務所があったが、誰もいませんでした。

手水舎。

境内を見渡す。

舞殿。

右の狛犬。

左の狛犬。

社殿。

御由緒。

境内には末社が建ち並ぶ。

厳島神社があったのかな?

ほとんどの北向神社に伊勢神宮遙拝所があるね。

北向の五社を建立し大蛇退治を祈念した坂上田村麻呂は、その後十二天山に登り、僧を呼び山籠りをした。

その際、小平という所の柳の木に行くように告げられた。

柳の幹へ来た坂上田村麻呂は「願いが叶うなら花を咲かせよ、さもなくば切り倒す」と虚空に向かって大声で叫んだところ、たちまち柳が桜となり満開の花が咲いたと云う。

そこで、この地に虚空地蔵菩薩を建立した。

説明板。

虚空蔵寺から風洞の方を見る。

その後、坂上田村麻呂は2匹の大蛇と戦い1匹を見事に退治。

もう1匹の大蛇は峠を越えて甲州の方へ逃げて行った。

峠の頂上から大蛇が坂上田村麻呂をまんじりと見つめたことから、まんじり峠と呼ばれるようになり、後に間瀬峠と名が変わった。

坂上田村麻呂は一匹の大蛇の骨を百駄の地に埋め、長泉寺を建立。

その後境内は骨波田と呼ばれるようになったと云う。

入園料は200~600円。

今日は500円でした。

立派な山門から境内を見渡す。

骨波田の藤として名が知られている。

説明板。

近くにサーキットがある。

ブンブンうるさいなぁ~むかっ

はにぽん。

坂上田村麻呂伝説が残る風洞でした。

 

(おまけ)

 

赤城山。

麓の梨木温泉にも坂上田村麻呂伝説が残っている。

(写真は1年前のもの)

間瀬峠の登り口。

日本神社が鎮座。

登って行く。

境内が見えた。

鳥居。

社殿。

手水舎。

神楽殿。

坂上田村麻呂が創建したと云う。

御由緒。

神武天皇を祀ったのが起源。

なでしこJAPANゆかりの地。

こんな凄い名前の神社があるなんて…

社務所があったが、誰もいませんでした。

下りる。

御朱印は参道入り口の店で。

灯台下暗しでした。