首洗井戸(横浜市戸塚区) | 三日月の館

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場所 神奈川県横浜市戸塚区柏尾

 

護良親王の首を洗ったと伝わる井戸です。

 

最寄駅であるJR戸塚駅からバスに乗って行きました。

旧東海道沿いの不動坂バス停下車。

バス停から東へ進み、住宅街の中に首洗井戸があります。

首洗井戸の碑。

近くの説明の碑。

【由来】

 

柏尾の里は古来より北から南へと鎌倉道が通じる地にして、皇統第69代後醍醐天皇の皇子護良親王を偲ぶ伝説を秘めた里なり。

元弘の昔、天皇の理想の意に従い、幾多の苦難を克服され、武家政治を退け、天皇新政の御代建武中興の偉業を成就され、其の實りを念願せし皇子であらせられたが、再び武家の陰謀にて、建武元年10月、京の都より鎌倉薬師ヶ谷理智光寺に送られ幽閉の身と成れり。

先に中納言藤原藤房卿は、親王の有事を予期し諫言を残し朝廷を失踪し、直ちに吉野郡十津川郷に駆り親王に供奉せる数名の同族武将と共変装して柏尾に潜入し親王を奪還に智謀を廻らし、厳に鎌倉の動向を窺いしも、ついに建武2年7月22 日夜、足利髙氏の下僕義博の刃に弑殺の悲運に至る。

郷士達は、御首だけは渡すまじと、格闘自刃の末に奪守し、柏尾の里まで捧げ来りて、清水で淨め、四本の杭を打ち祀檀と成し、平伏し供養す時に、側女三位局南の方は深い悲しみの内に珠念され、藤房卿の計にて東山道を京に向われたと聞く首洗い井戸と併せ四っ杭谷戸と往古より傅へ聞く地なり。

 

昭和62年3月15日 

建武中興650年記念事業委員会 建立

 

十津川郷士たちが、鎌倉より奪取した護良親王の首をこの井戸の清水で清めたと云う。

四つの杭を打ち祭檀を作り、護良親王の首をお祀りしたと云う。

首洗井戸を後にして北東へ登って行く。

護良親王の弔いをしたと云う成正寺の境内の北に王子神社が鎮座しています。

護良親王を祀っている。

鳥居。

参道を進む。

右側に手水舎。

左側に建武中興650年記念碑。

少し進んで右側に末社弁天社。

隣に古札納め所。

奈良県大塔村から奉納されたという狛犬のような石。

境内左側に忠魂碑と歌碑。

社殿へ。

右の狛犬。

左の狛犬。

社殿。

社殿の隣に末社群。

右から豊受大神宮。

子の神社。

柏尾稲荷社。

末社群の裏に「遺跡護良親王御しるしお鎮の松」。

護良親王の首を埋めたと云う。

境内を出る。

帰りはポーラ前のバス停から帰りました。

東海道と大山道の分岐点。

首は側室の南の方によってさらに京へ向かったという説もある。

横浜市に残る護良親王史跡でした。

 

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