プールサイドの人魚姫 -75ページ目

プールサイドの人魚姫

うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。


久しぶりのライブハウスレポート4月20日の模様です。デジカメ撮影の為、光源不足で写りが少々悪いですが、ご容赦下さい。
京成線、市川真間駅の近く歩いて2,3分の所に小さなライブハウスがある。
石井ひろあき(江戸川レノン)さんと知り合って2年になるだろうか、彼がこのライブハウスに時々出演するので、わたしもライブを聴きに出掛けるようになった。
小さいがライブ内容は非常に濃いと思う。ここに集まるミュージシャンは様々だが、みなこのアルマナックを愛している。
これはおそらく、マスターの人間性だろう。ライブが終了するとマスター自らがギターを持ちオールドソングを披露してくれるが、殆どがカントリーである。
さて、この曲は説明するまでもない、飛行機事故で亡くなったジョンデンバーの大ヒット曲。
1971年の作品 Take me home, country roads今では子どもでも知っている名曲でもある。
誰もが一度は口ずさんだ歌ではないだろうか。親しみ易く覚えやすいメロディと歌詞。音楽は初めて合った人同士をその場で友人に変えてくれるという、素晴らしい力を持った人間同士を繋ぐツールである。
わたしの声も入っているので(邪魔かな)皆さんも一緒に歌ってみて欲しい。

takurou 古い写真を整理していたら、火事で焼けてしまったと思われていた懐かしい写真が見つかった。
1973年の夏、おそらく7、8月頃のものだろう。壁に貼ってある写真を見れば吉田拓郎だとわたしと同年代の人は直ぐ気付くはず。
吉田拓郎に付いては過去にも話をした事があるが、デビュー前は新宿の飲み屋で用心棒のアルバイトをしていた。
そんな暴れ者の拓郎も今は肺がんに罹り、闘病生活を続けながらもコンサート活動を続けている。
わたしは8歳でビートルズに出会い大きな影響を受け、それから洋楽ばかりを聴くようになった。
しかし吉田拓郎との出会いがわたしにギターを与えてくれた。
NHKのラジオで「若いこだま」と言う音楽番組があり、真空管で出来た中古のラジオから「今日までそして明日から」が流れてきた。
ツイストアンドシャウトを聴いて以来の衝撃だった。世の中にこんな歌があったのか…。ギターとハーモニカだけで延々とそれは新鮮なメッセージソングだった。
この曲は素九鬼子原作の小説「旅の重さ」を映画化した作品の中で主題歌にもなっていた。
高橋洋子が実にフレッシュだったし、秋吉久美子も出演していた。
ちょうどフォークブームということもあり、レコード店に毎日のように通い始めた。アルバム「元気です」を買い、散々聴きこんだ。当時歌謡界にはアイドルと呼ばれる人気女性歌手が登場し始めていた。
天地真理、山口百恵、桜田淳子、アグネスチャン、森昌子、南沙織、浅田美代子、麻丘めぐみなど。
この部屋の隣には麻丘めぐみのポスターが貼ってある。歌謡曲など興味はなかったのだが、麻丘めぐみだけは違った。
彼女のデビュー曲「芽生え」がとても気に入ってしまったのである。そして2枚目のシングル「悲しみよこんにちは」これも好きであったが、それ以上歌謡曲は購入しなかった。
初めてのギターは安い1万2千円のモーリスギターを、静岡市では一番大きなレコード店の「すみや」で購入。安いとは言っても当時の給料は3,4万だったから大きな買い物だった。
自分も拓郎や陽水みたいにフォーク歌手になりたいと思っていた。仕事が終われば会社が用意してくれた共同アパートで練習に励んだ。
最初に覚えた曲は何だっただろ?思い出せないが「青春の歌」か「イメージの詩」辺りだろう。
誰にでも訪れる青春。嬉しい思い出ばかりではなく、苦く切ない失恋や自分自身に行き詰まり、挫折感や疎外感を味わうことの方が多かった。
孤独なんていうほど大それたものではなく、まだまだ未熟でほろ苦い涙の味だ。
現代は死に急ぐ若者が多すぎる。自殺などいつでも出来る。青春を謳歌しているか疑問を問いただせ、汗を流して若さを表現しろ。今でしか出来ないことが山ほどあることに気付け、そして苦悶しつつ自分を磨くのだ。

 

白鳥 弱い者いじめは何も子どもの世界だけではなく、大人の世界にもあるが、弱者ほど弱い者をいじめる傾向がある。
動物愛護の傍ら、いつだったか白鳥と黒鳥を棒で殴って死なせた事件があった。捕まったのは中学生の男子生徒数人。
犯行の動機を尋ねると「楽しかった」と言う。
こんな答えしか返ってこない子ども達の心があまりにも荒んでいて悲しくなるばかりだ。
世の中はストレスだらけで、子どもも大人もストレス発散の場所を求めさ迷っているが、それが時に思いも寄らぬ形で現れることがある。
学校ではいじめが横行し、会社ではパワハラ被害。ホームレスを襲う少年達など。人対人からそして身近な動物へと怒りをぶちまける。
弱い動物はものを言わないし、やり返しては来ない。
それを知っていて、動物虐待に走る。本来なら守ってやるべき動物を己のストレス発散の道具に使うなどという卑劣な行為。
子どもとは言え許すべきではなく、生き物を愛する心を教え込まなくてはならない。それは大人であるわたしたちの役目。
わたしたち人間は日ごろから人間以外の生き物を大切に扱っているだろうか?
自分の好きな動物だけ可愛がっているだけでは動物愛護とは言えず、それは単なるエゴである。
他人の子どもを叱れる大人になってこそ、愛を分かちあえるのではないだろうか。
それぞれの動物に自分の姿を映し出してみれば、正しい道が見えてくるだろう。

地震予知 こんなタイトルの映画が昔あった。中国がメルトダウンした訳ではないが、今回の巨大地震はそれに近いものを感じてしまう。
チベット騒動や聖火リレーで揺れ動いた中国、それがこんな形で激しい揺れを招いてしまったのは皮肉なことであるが、オリンピック開催の国としてはマイナスイメージが更に拡大する恐れすらある。
それを払拭するために地震を政治の道具に使うなどと、中国の政治家はどこまでも貪欲だ。
激しい雨が降り続く中、震源地の四川省から届く映像は空爆を受けた戦場そのものである。
山に囲まれた普段なら自然の静寂に心も安らぐ楽園が、今は地獄と化している。動物も既に安全な場所に逃げ、鳥の声すら聞こえない場所に人間の悲鳴だけが助けを求め乱反射している。
死者、行方不明者は2万人を超え、絶望だけが生き残った人たちに容赦なく襲い掛かる。
地震のエネルギーは原子力や核とは比較にならないほど大きい。文明や科学が自然を破壊すれば、それ相応の破壊力を持った自然が牙を剥く。
地震列島である日本に住むわたしたちは、地震の恐ろしさを過去の経験から嫌というほど受けている。
地震予知は数十年前から行われているが、国内でそれが役に立った例は聞いたことがない。科学がどれほど進化しても、人間の身体すら謎に包まれていると言うのに、地球の内部で起きていることなど地球の子どもである人類に分かる筈もなかろう。
人間が成長し大人になるにはまだまだ時間がかかる。それまで地球は母のように人間を見守り、時には父のように怒りを表す。
全ては人類存続のため、地球からのサインなのである。


神の手 日本列島に近づく或いは上陸する台風は9月から10月にかけて最も多く、その時期は台風シーズンと呼ばれているが、台風2号のように5月に接近した台風については過去にあまり例を見ない。
日本を襲う台風はフィリピン沖で発生し、海上の湿った温かい空気を栄養源にしながら日本列島を目指し北上を続ける。
ミャンマーを襲ったサイクロンは想像を絶する被害を人間にもたらしたが、日本は気象観測が発達しているため、台風の進路をいち早く的確に知ることが出来る。
その為、台風の進路に当たる地方では、台風の被害に備える準備が早めに出来る。しかし、実際には台風が上陸し、接近、通過してからでないと被害の度合いは分からない。
予想したほどでもなっかたりすれば安堵が訪れるが、二次災害などの発生や想像以上にダメージを受ける場合の方が遥かに多いような気がする。
これは人類が自然を甘く見ている傾向が強いため、思いもよらぬ被害を受けてしまうのだろう。
泥棒から身を守るため、玄関のドアに二重、三重の鍵をかける人もいるが、自然に対して万全な防備を施すことはあまり無いのが現実。
台風2号は予想を超えるほどに大型で、勢力も強い。日本の半分がすっぽりと入ってしまうほど、強風圏内も広い。
これが最も西よりの進路を辿った場合、関東地方は大荒れの天気となっただろう。上陸していれば大きな打撃を受けたことは間違いない。
これらの自然から学ぶべきことは多いが、そのどれもが人類の将来を暗示しているように思えて仕方がない。
神が差し伸べる手にすがらなければ、所詮人間は生きて行けないのだから、高慢な態度を改め自然を敬う気持ちを常に持ち忘れないことである。



サイクロン 日本がGW中、ミャンマーを悲劇が襲った。猛烈に発達した大型サイクロン・ナルギスによってミャンマーの各地域はかつてない被害を蒙った。
大自然がもたらす脅威の前に人間は成す術もなく、荒れ狂う猛威の中に飲み込まれていった。
この大型サイクロンの勢力は最も発達した時点では、カテゴリー4に入る。風速は100mを遥かに超え、地上のあらゆる建物は木っ端微塵に砕け散る。
時間の経過とともに被害状況が詳しく報道される中、死者が10万人を遥かに超えてしまう可能性も出てきたと言う。
人間の想像を遥かに超えたこのサイクロンも、地球温暖化の産物なのだろうか。
日本も毎年台風に悩まされ被害を受けるが、ミャンマーを襲ったサイクロンほどの巨大な台風は今のところやっては来ない。
しかし、台風の大型化は年々増える傾向にある。海水面の温度が上昇すれば台風の勢力も強まって来る。
今後カテゴリー4クラスの台風に襲われる可能性は高いと思われる。
風速100mの台風が東京を直撃すれば、首都機能は完全に麻痺し、都会に住む人々は台風上陸の前に安全な地域に避難するといった状況に追い込まれるだろう。
便利な都会生活の脆さが露呈し、文明の利器に頼り切った生活が如何にひ弱なものかを思い知らされるのだ。

テニス

伊達公子が現役に復帰するというニュースを聞いた時、かなりむちゃなことをすると正直思った。
1996年に引退してから既に12年もの歳月が流れている。
37歳という年齢の壁を彼女は果たして超えられるだけの体力や精神力を、いまだ持ち合わせているのだろうかという疑問を抱かざるを得なかった。
プロのスポーツ選手が引退を考える時、一番の理由は体力であり、そして自分の思い描くようなプレイが出来なくなった時だろう。
12年前の引退の時彼女は中途半端な終わり方だったのだろうか。まだやり残したことがあったのか。
尽きない疑問を抱えながらカンガルーカップ国際女子オープンは幕を開けた。
テニスコート上の伊達公子は往年の絶好調時と比べれば、やはり衰えは隠せないようにも見えたが、何故か彼女の表情には自信が満ち溢れているように見えた。
顔は笑みを湛えながらも視線の先はボールの行方から目を離さない。機敏にボールに食い付く瞬発力、身体の切れは歳を全く感じさせない内容だった。
試合が進むに連れて連勝を積み重ねて行く。こちらの意向を覆す勢いで勝ち進み、最終日を終わって見ればシングル準優勝。ダブルスでは何と優勝カップを手にしてしまった。
恐るべき伊達公子の身体能力、そして精神力。これには脱帽せざるを得なかった。
試合を一通り見て感じたのは彼女が実にテニスを楽しんでいることだった。好きでたまらないのだろう。
身体は嘘をつかず本能のままに動く彼女は野生のハンターに見えた。
そしてもう一つ、日本の若きテニスプレイヤーに渇を入れるメッセージも込められていたことも事実であった。
「わたしはこの歳でもこれだけ頑張ることが出来るのよ」心の中でそんな言葉を口にしていたに違いない。
自分自身に対する新たな挑戦と、若い選手に刺激を与え日本テニス界に大きな希望をプレゼントしてくれた伊達公子に感謝のエールを贈りたいと思う。
料理 高級料亭ともなれば、料理以外に器にも気を使うもの。食材と器が互いに主張し合いながらも絶妙なバランスで相手を活かす。
食べる者は一瞬、箸を付けるのを躊躇うほどにその圧倒的な存在感に見とれる。高級料理ならではの食の美学がそこにあるのだ。
しかし、それを愚弄するかのように卑劣な問題が起き上がっていた。「もったいない」という言葉が一時何処かの国のご婦人によって流行っていた。
そんなことすら忘れかけていた時、思わぬところからこの言葉が聞こえてきたのである。
船場吉兆、言わずと知れた高級料亭。昨年は食の偽装で揺れた一年であったが、この料亭も同じ罪を犯し、散々叩かれており、大勢のマスコミ陣が集まる中で社長は深々と頭を下げ謝罪していた。
それが偽装よりもっとたちの悪い食材の使い回しをしていたとは驚きである。
それも20年も前から習慣となっていたようで、料理そのものを馬鹿にしているとしか思えない行動である。
客の食べ残した物を棄てるにはもったいないので、使えるところは次の料理に利用する。これは信じ難いことである。
一般家庭であれば、夕食に残ったおかずを次の日に回したり、お弁当の具として使うことはあるが、客を相手にする料亭でそんなことが許される筈もない。
食に対するモラルが大きく欠如してしまった船場吉兆に一体何が起こったのか。何故それほど長い期間に亘って行われて来たのか、これも利益のみを追求した結果なのだろうか。
船場吉兆で料理を食べて来たこれまでの多くの人たちは、前の客が残した物を食べてきたことになる。
怒りとやるせなさが胃袋の奥から湧き上がってくるのも当然だろう。
こんな不祥事が続くと迷惑を蒙るのは同業者である。高級料亭でなくとも、飲食業にとってはいい迷惑である。消費者にとって見ればやはり疑いの目で見てしまうのはやむを得ないこと。
お客様をもてなす意味がまったく理解出来ていない、基本的なことからやり直さないともう終わりである。

パンダ 上野動物園の人気者ジャイアントパンダのリンリンが4月30日この世を去った。前日に体調を崩し、一般公開を中止した時、嫌な予感めいたものを感じてはいたが翌朝死亡とは思わなかった。
高齢でもあり、よほど身体が弱っていたのだろう。パンダはもう少し長生きする動物だと思っていたが、意外とその寿命が短いことを知った。
北京動物園で誕生し日本へ。そしてメキシコなどにも出張しその一生を動物園の檻の中で暮らし、人間のために尽くしてきた彼は幸せな生涯を送ることが出来たのだろうか。
自然の動物を身近に感じ、観察出来る為に作られた動物園には様々な種類の生き物が暮らしているが、人の目に晒されて動物たちはストレスを受けていないだろうか。
動物園で産まれた者は自然そのものを知らない。確かに自然は過酷であり、弱い者は生きて行けない。安全と食料を約束された動物園は彼らにとって安息の場所なのだろうか。
自然を破壊する人間が環境保護だと言って、各地で環境保護運動を繰り返す。動物や植物を追いやり、生息地を奪いながら保護という名目で飼育する。
人間の勝手極まりない行動は矛盾に満ち満ちていて時々怒りさえ覚える。
ペットブームが過熱して外来種が増え続け、生態系が破壊されるという事態は最近始まったことではない。動物には何の罪もなく、それを自分の都合に合わせる人間たちが多すぎるのだ。
共存、共生。この二つが守れなければ、将来人間も動物も地球から消えてなくなるかも知れない。

nayami

インターネットの情報量は膨大な数に上り、TVや新聞その他の媒体とは比べ物にならないほど現代は情報氾濫の時代になった。
ネットは便利であり誰もが簡単に操作が出来、欲しい情報を素早く手に入れることが出来る。しかし、規制が殆ど効かないネットには害を及ぼす情報も星の数ほど存在する。
裏サイトなどはその典型でもある。これら危険な情報は人間の思考回路を破壊する。
これらの危険な情報から身を守るには利用者のモラル、そして自己責任でしかない。
最近多発している硫化水素による自殺問題。先日高知県の市営住宅で起こった中3少女の自殺は90人以上に被害が及ぶという悲惨な結果となっている。
少女が自殺した背景には不登校が指摘されているが、多感な思春期を迎え自分をコントロール出来なくなる少年少女は多い。
普段は優しく明るい子が何故と疑問の声が聞こえてくるが、明るい子ほど環境の変化や自分自身の変化に着いて行けず心は悩み、深い闇に陥り易い。
そんな自分を誰にも相談出来ないまま、明るい自分を演技し続けその結果疲れ果ててしまうのである。
おそらく不登校はその延長上で少女からの精一杯のSOSのサインだったのだろう。
それに気がついてあげられない周りの大人たちに不甲斐なさを感じてしまう。
死そのものは痛くも痒くもない。苦しかったり痛かったりするのは生きているからである。わたしたちは普段都合のよい事に死をそれほど意識せず生きて行くことが出来る。
しかし死は生と表裏一体であり、最も身近な存在でもある。死そのものは誰にでも平等に訪れるが、病気や事故、事件などに巻き込まれ予期せぬ死を迎えてしまうことも多い。
そんな中に自殺という行為があるが、その歴史は古くクレオパトラがコブラの毒で自殺した事は多くの人たちが知るところだろう。
人は何故自ら命を絶つのだろうか。これは人間の宿命とも思える永遠のテーマかも知れないが、国や土地柄、宗教の違いなどによってはそうとも取れない部分もある。
まるで自殺という遺伝子が存在するかのように、日本は自殺大国になってしまった。この現状を放置するわけにはいかないし、行政や民間団体が協力して自殺を食い止めようと働きかけても、自殺者は減らない。これが病める経済大国のブラックホールなのかも知れない。