その頃17歳の少年は吉田拓郎に憧れていた。 | プールサイドの人魚姫

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うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。

takurou 古い写真を整理していたら、火事で焼けてしまったと思われていた懐かしい写真が見つかった。
1973年の夏、おそらく7、8月頃のものだろう。壁に貼ってある写真を見れば吉田拓郎だとわたしと同年代の人は直ぐ気付くはず。
吉田拓郎に付いては過去にも話をした事があるが、デビュー前は新宿の飲み屋で用心棒のアルバイトをしていた。
そんな暴れ者の拓郎も今は肺がんに罹り、闘病生活を続けながらもコンサート活動を続けている。
わたしは8歳でビートルズに出会い大きな影響を受け、それから洋楽ばかりを聴くようになった。
しかし吉田拓郎との出会いがわたしにギターを与えてくれた。
NHKのラジオで「若いこだま」と言う音楽番組があり、真空管で出来た中古のラジオから「今日までそして明日から」が流れてきた。
ツイストアンドシャウトを聴いて以来の衝撃だった。世の中にこんな歌があったのか…。ギターとハーモニカだけで延々とそれは新鮮なメッセージソングだった。
この曲は素九鬼子原作の小説「旅の重さ」を映画化した作品の中で主題歌にもなっていた。
高橋洋子が実にフレッシュだったし、秋吉久美子も出演していた。
ちょうどフォークブームということもあり、レコード店に毎日のように通い始めた。アルバム「元気です」を買い、散々聴きこんだ。当時歌謡界にはアイドルと呼ばれる人気女性歌手が登場し始めていた。
天地真理、山口百恵、桜田淳子、アグネスチャン、森昌子、南沙織、浅田美代子、麻丘めぐみなど。
この部屋の隣には麻丘めぐみのポスターが貼ってある。歌謡曲など興味はなかったのだが、麻丘めぐみだけは違った。
彼女のデビュー曲「芽生え」がとても気に入ってしまったのである。そして2枚目のシングル「悲しみよこんにちは」これも好きであったが、それ以上歌謡曲は購入しなかった。
初めてのギターは安い1万2千円のモーリスギターを、静岡市では一番大きなレコード店の「すみや」で購入。安いとは言っても当時の給料は3,4万だったから大きな買い物だった。
自分も拓郎や陽水みたいにフォーク歌手になりたいと思っていた。仕事が終われば会社が用意してくれた共同アパートで練習に励んだ。
最初に覚えた曲は何だっただろ?思い出せないが「青春の歌」か「イメージの詩」辺りだろう。
誰にでも訪れる青春。嬉しい思い出ばかりではなく、苦く切ない失恋や自分自身に行き詰まり、挫折感や疎外感を味わうことの方が多かった。
孤独なんていうほど大それたものではなく、まだまだ未熟でほろ苦い涙の味だ。
現代は死に急ぐ若者が多すぎる。自殺などいつでも出来る。青春を謳歌しているか疑問を問いただせ、汗を流して若さを表現しろ。今でしか出来ないことが山ほどあることに気付け、そして苦悶しつつ自分を磨くのだ。