プールサイドの人魚姫 -74ページ目

プールサイドの人魚姫

うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。

入院 皆さん、沢山のコメントを頂き誠にありがとうございました。
わたしがこうして無事に退院出来たのもひとえに皆さんからの励ましと応援があったからこそだと思います。
緊急入院が決まったのは6月7日(土)のことでした。秋葉原から徒歩10分程度の所にある「三井記念病院」と付き合い始めて既に20年が過ぎていました。
この間大きな問題もなく、循環器外来に行く度に主治医とは同じ会話を交わして来たのですが、昨年6月に言い渡された「三尖弁閉鎖不全」による三回目の手術の可能性、そして今年一月に検査入院。手術は回避出来た時の喜びも束の間のことでした。
胸の中心辺りにいつもと違う症状があることを告げたところ、主治医からあっさりと「狭心症の疑いがありますね」と言われてしまった。
それは余りにも突然で半信半疑で、素直に主治医の言葉を受け入れることが出来なかった。
40年以上心臓病を患っているわたしが虚血性疾患である狭心症になるだろうか?心臓に負担を掛けるようなことは極力避けてきた積りであったし、これ以上病気が増えることは無いと思っていた。
しかし、それはわたしの思いあがりだったのかも知れない。突きつけられた現実の前に頭の中は混乱していた。
直ぐに心電図を録ったのだが、担当の女性技師が波形を見るなり慌てた様子で部屋を出て行った。
明らかに今までとは違う波形がグラフに描かれていたのである。「心不全」が悪化してその症状が顕著に現れていた。
この時点でわたしは家に帰れないことを覚悟していたが、緊急入院は中学一年の春から39年振りのことだった。
処置室に移動し、早速「ヘパリン」と栄養剤の2本の点滴が開始された。この点滴は退院直前まで続くこととなった。
病室は6階B棟。ここは緊急患者専用であったことから一般病棟ではない。手術室やICUがある階であり、わたしの状態がかなり重いことが分かった。
新たに頂いた病名は「不安定狭心症」これはいつ心筋梗塞を起こしても不思議ではないことを意味していた。
心不全を起こしていなければ直ぐにでもカテーテル検査に入るのだが、それには危険が伴い過ぎるので、当面は心不全の治療が先決だった。
絶食の札が届き、水分摂取は500㏄まで。トイレ歩行のみが許され、出来るだけ安静を保つこと。
食事をすると血液が胃に集中するため、それだけ心臓に負担を掛けることになる。だから心不全の治療の基本は禁食である。
体重を落とすことも効果があるので、利尿剤を使う。体重は見る見る内に落ちて行った。
一週間近く絶食が続くと、声すらまともに出なくなった。さすがに参ったわたしは、循環器内科の新しい主治医に食事をお願いした。
次の日から流動食が始まった。しかしそれは紙コップに入った水分そのものであったが、食べることが生きることだと実感した。
そして始まったカテーテル検査。左足の付け根から動脈に管が刺さり、身体の中を走って行く。
造影剤が投入され血管がモニターに浮き上がる。眼鏡をしていないわたしには何も見えない。
検査結果を主治医から知らされ、愕然とした。心臓を支える冠状動脈の2本が狭窄を起こしていた。
特に右冠状動脈は途中で千切れているほどに狭くなっていた。
心筋梗塞が今起こっても不思議ではなかった。左の血管はそれほどでもなく今回は治療の対象から外された。
これからの治療について説明があった。わたしより二回りも若い医者にわたしの命を委ねることに対し、何の不安も無いかと言われれば嘘になるが、早期に発見出来たことが実に幸運だったことを思えば、後はこの若い医者の腕に任せるしかない。
治療には「ステント」と呼ばれる金属で出来た物を狭窄した血管に挿入する。そして血栓予防の薬を数種類服用する。
治療自体は2時間程度で終了するとのことだった。
かくしてカテーテル治療が始まったが、今回は右の手首から。治療はスムーズに進行し、予定より30分早く終わった。
カテーテルは20年振りだったが、最新のカテーテルがこれほど進歩しているとは思っていなかったので、医療技術は確実に人の寿命を延ばしていることを実感した。
これが数年前であれば、胸を開き心臓にメスを入れる外科手術が必要だっただろう。
強運の男はまたしても命を拾ったのである。但し、ひとつだけ気になることが残った。それは増えた薬の中に「パナルジン」と言う物があること。
この薬について2000年頃、厚生労働省が通達を出していた。重篤な副作用で死者が出ていることから、薬の管理体制を強化する為に、二週間に一度パナルジン外来を設けるという内容。
助かった命が薬の副作用であっけなく奪われてはたまらない。それが心配である。
最後にこの場をお借りして、お世話になった三井記念病院の医療従事者の皆さんに感謝致します。


ブログにコメントをくださった方々のことをお伝えします。

本人は、現在とても元気で入院をし療養していますので ご安心ください。

今回の入院は、定期外来で発見されたことが、緊急入院になったということはある意味ラッキーだと思います。

正直私も聞いた時は、動揺を隠せませんでした。

しかし、各種検査で 適切な治療を行う環境に居るので、心配よりも安心に変わりました。

私の感想が入ってすいません。
しかし、率直な感想です。

代筆 kato


今週 定期診察の際に 検査したところ異常があり


管理者である 神戸は、緊急入院となりましたので、ブログを見て頂いている方に報告してほしいとの本人が申しておりまして報告させていただきます。


入院当初は、突然のことから 本人も大変でしたが、現在 安定しつつあります。


また、復活いたしますので しばらくお待ちくださるよう宜しくお願いいたします。


尚 退院については、現在不明です。

またご報告がありましたら お知らせいたします。


代筆 kato 





相合傘 日本列島の約半分が梅雨前線に覆われ、本格的な雨のシーズンに入った。
雨の嫌いな人にとっては憂鬱な季節でもある。特に主婦を悩ますのが洗濯物。湿気が多いので中々乾かない。
乾燥機付き洗濯機があれば別だが、雨の日が続けば家の中に干さなくてはならない。しかし洗濯物はやはり太陽の光で乾かすのが一番だ。
太陽光には弊害もあるが、それ以上に生活する上で必要な栄養素が多く含まれている。
最近ではあまり見かけない?相合傘の絵。小・中校時代はかなり流行ったと思う。教室の黒板に誰かが冷やかしで相合傘のカップルを描く。
それを見た本人たちは顔を真っ赤にしながら、必死で否定したものだ。
こんな経験を持った人も多いだろうと思う。わたしも数回描かれたことがあったが、意中の人ではなかったのでかなり憤慨した記憶がある。
小学1年生の時の思い出に今でも克明に覚えている雨の日の情景がある。わたしの家には子ども用の傘と長靴がなかった。
だから雨の日は大人用の傘を指し、大きな黒い長靴を履いて登校したが、大人用の傘は幼い子どもにとっては重すぎた。
長靴も同じで、重く歩き辛かった。下駄箱には赤や黄色など色とりどりの長靴が並んでいる。傘も同じように花壇の花のように見えた。
そんな中、わたしの長靴と傘だけが黒くとても汚れて見えた。
7歳になったばかりの子どもたちの目には、まだ人の持ち物などにはあまり関心を示さなかったのだろう。特に何か言われることもなかった。
その日は午前中晴れ間が覗いていた。1年生の授業が終わるのは早い。何の勉強をしたのか理解もしない内に帰りの時間になる。
教室の窓から外を見ると雨が降っていた。傘を指さないとかなり濡れてしまうほどだ。
クラスの子たちも当然傘を持って来なかっただろう。しかし誰も慌てる様子はない。親が迎えに来てくれることを知っているからだ。
わたしは誰も迎えに来ないことを既に知っていたので、濡れて帰ることを覚悟していた。
校門に次々と迎えに来る母親たちの姿が見える。子どもたちは親から傘を受け取り、家路に着く。
「雨雨降れ降れ母さんが 蛇の目でお迎え嬉しいな…」この歌が嫌いだった。
小雨になるまでもう少し待っていようか、それとも思い切って走って帰ろうかと悩んでいた。
そんな時だった。「神戸君、一緒に帰ろう」後ろから声がした。
同じクラスで同じ町内に住む畳屋の浩子ちゃんだった。
黄色い傘をすっと差し出し微笑んだ。
その横にいた母親を見上げると、ふくよかな顔をさらに丸くして頷いていた。
わたしが初めて経験する相合傘だった。
大きなランドセルは幼い子どもの背中をすっぽりと隠し、赤と黒が隣同士隙間のないほど寄り添って、6月の雨の中に消えて行った。

 

シャトル 大勢の観衆が見守る中、紺碧の空めがけてスペースシャトル「ディスカバリー」は旅立った。
未知なる宇宙に挑戦する事は人類が地上に登場したときからの約束でもある。
新大陸を発見するため、多くの冒険家が大海原に漕ぎ出したのと同じように次なる目標は宇宙。
宇宙空間に浮かんでいる地球からみれば、限りなく近い宇宙も人類にとっては謎だらけの果てしなく遠い暗黒空間である。
そこには希望と絶望が渦巻き、混沌とした恐怖と孤独が待ち構えている。
宇宙飛行士になることを夢みた少年の心を大きく揺さぶるほどに、それでも宇宙は魅力に溢れている。
星出彰彦氏の努力が大きな夢を掴んだ瞬間から、彼は宇宙の子となった。
誰にでも夢はあるだろう。しかし夢を実現できる人間は僅かだ。努力なしに夢を掴むことは出来ないかも知れないが、スタートはまず夢を見る事から始まる。
どんな小さな夢でもいい。実現出来そうな夢を持ちそれに向けて努力することが大切。車の免許を取る、高校或いは大学への合格、就職、結婚、家の購入など、身の回りを見れば夢になり得る事柄は数多く存在しているではないか。
それらをひとつずつ手に入れて、そしてまた新たな夢に挑戦する。自分で作り上げるのが夢。
諦めない心と夢。これがあれば人間辛くとも生きて行ける。

あやつり人形 食文化を支えるものの一つに伝統がある。伝統の味という言葉に弱いわたし達は、その言葉の持つ魅力に負けてイメージだけで信用してしまう弱点を持っている。
船場吉兆は日本料理の最高峰に位置する宮廷料理をメインとし、短期間で高級料亭としてその名を世界中に知らしめるまでに成長した。
先日、吉兆の女将が「暖簾にあぐらをかいていた」と反省の弁を述べていたが、そうではなく暖簾の重さに耐え切れなくなり、自ら潰れたのだろう。
頂点を極めた者がその場から転げ落ちるのは実に早い。それも内部崩壊という形で世間を欺き続けた結果なのだが、創業者である湯木貞一が作り上げたからくり人形に歯止めを掛ける人間がいなかったことに船場吉兆の悲運は定まったいた。
操り人形の如く常習化した食への裏切り行為は、見て見ぬ振りをする「傍観者」を作り出し、反論する勇気すら奪われ、雇われる者の自由を束縛する。
皮肉にも日本経済を支える日本社会の裏の顔が、船場吉兆に凝縮されているような気がして残念である。
突然の解雇を言い渡され、路頭に迷う従業員たちから怒りの声も上がっているが、彼らと元経営者との闘いは幕を切ったばかり。
それよりも団結して、小さくても良いから本当の高級料亭再建の道を探って欲しいものである。

パンダ2 余震と呼ぶにはあまりにも大きな揺れだった。人間の悲鳴が届かない地下の奥深くでは、いまだ地球が溜め込んだストレスが発散出来ずにくすぶっているようだ。
巨大地震による死者は6万人を超え、今後更に増え続けることが予想される。
深刻な被害状況に自国だけでは手に負えなくなった中国政府は、日本に対して自衛隊の援助を要請。
過去に散々拒み続けた中国も藁をも掴む思いの判断なのであろう。
もっと早くに手を打っていればこれほどの被害を出さず、多くの住民を助けることが出来たかも知れない。
中でも悲惨だったのは学校の崩壊。粉々に砕け散った瓦礫の下で多くの子どもが亡くなった。手抜き工事ではないのかと住民のやり切れない怒りが中国政府に向けられる。
自然災害から人災へと広がって行く中で、数日前に保護動物であるパンダは一足先に安全な地域に引越しを済ませている。
パンダは希少動物であり絶滅危機の動物に指定されている事から、パンダに死なれてしまっては、更に大きな痛手になることを避けるために、人間よりパンダを優先したかどうかは知らないが、北京オリンピックにも活躍してもらわなければならないパンダを手厚く保護している。
希少価値の高い動物はパンダ以外に多く存在するが、どれも人間の手で絶滅へと追いやられており、それをまた人間が必死で保護するとい言うのは皮肉な話である。
近い将来、環境破壊が進み人間がこの地上から消えそうになった時、一体だれが人類を保護してくれるのだろうか。


ストーカー 好意を抱く相手に自分の気持ちを伝えるには勇気が要る。わたしの時代は携帯もPCも無いから手紙か電話、或いは口頭で伝えるしか手段はなかった。
それまでに散々悩み、何度も同じ内容の手紙を書いては破り捨てる。
好きな人への想いは募る一方で眠れぬ夜を何度も向かえ、睡眠不足のまま仕事或いは学校へと出かける。
しかし頭の中は相手のことばかりで、仕事や勉強など手が付かない。
こんな経験を持った人は多くいるだろう。その相手が今の奥さんになっている人、初恋の相手、失恋と様々ではあるが、あまり強引だったりすると現代では「ストーカー行為」として犯罪者になってしまう恐れもあるから、告白するにしても別な意味で神経を使う時代になった。
しかし今は携帯やPCがあり、便利で容易く相手に自分の気持ちを伝えられる時代になったが、それでも恋人と呼べる相手が中々見つからないと若い人たちは嘆いている。
つまり人間本来のコミュニケーションである、心の触れ合いが欠けているのだ。
むかしなら心のこもった一通の手紙で結ばれることもあったが、それだけ純粋だったのかも知れない。
メールのようなデジタル変換の文字には感情が無い。現在ではそれに慣れてしまったせいか、生きた文字を見ると逆に抵抗を感じてしまうこともある。
手紙や葉書の筆記を見て相手が誰か直ぐ分かる時代は終わったのだろう。
さて、部下の女性にメールを匿名で送り付けていた裁判官が逮捕されたが、これまた前代未聞の事件である。
法を裁く人間がどうしてこんな間違いを犯してしまったのか、やはりそこは裁判官とは言え弱い人間で、色恋には勝てなかったのか疑問が残る。
ストーカー自体その線引きがはっきりしないまま、一人歩きしているようにも思えるが、相手が拒否しているにも関わらず執拗に交際などを迫るのは脅迫にも似ている。
恋は盲目と言うが、今はこの言葉が犯罪は盲目に変わってしまったように思えて仕方がない。

 

巻き添え 最近の自殺は他人を巻き込むことが多くなった。自殺した本人はそのつもりではなくとも、その方法によっては予想外のことが起きる危険性がある。
硫化水素の自殺が相次ぎ、世間を騒がせてからまだ間もない時期に今度は農薬による自殺で有毒ガスが発生したという。
自殺を図った男性を治療中、男性の嘔吐物の中から塩素系ガスが発生。これを吸い込んだ医師や回りの人たち約54人が被害を訴えた。
男性が飲んだと思われる農薬「クロロピクリン」は劇物指定になっているが、農薬に対する知識など関わり合いのない人にとっては皆無ではないだろうか。
治療に当たった病院でも、嘔吐物から有毒ガスが発生することは救急マニュアルにも記してなかっただろうから全くの想定外だったと思われる。
前者の硫化水素にしても、情報化がもたらした副産物だと以前にも話をしてきたが、自殺行為の多様化が周りを巻き添えにするという、最悪なケースが増え始めて来た事に行政も懸念を顕わにしている。
しかし、対応は後手後手で「心の病」に対する偏見なども根強く残っている現代では、自殺を食い止めるワクチンはいまだ完成していない。
身近な人が自殺に走った時、聞こえてくるのは「相談してくれればよかったのに…」という諦めを含んだ過去形の言葉だ。
変化に気付いて上げなければ相談にも乗れないし、自殺を考えている人は家族や他人に相談など、とても出来るものではない。
心の変化はとても複雑で掴みにくい。本人でさえ自分の変化に気付かないこともある。知らずの内に死の扉をノックしてしまう。
この自殺問題は日本人にとって永遠の課題としてこれからも残って行くだろう。


バンド 1978年「勝手にシンドバッド」を引っさげてメジャーデビューを飾ったサザンオールスターズ。
この曲を聴いたとき「コミックバンド」かと思った。
早口で何を歌っているのか分からない。確かにテンポはよく、リズミカルではあったが、当初流行っていた曲は、世良公則&ツイスト「銃爪」「宿無し」、キャンデーズ「微笑み返し」、山口百恵「プレイバックPart2」、ピンクレディー「サウスポー」「UFO」、アリス「ジョニーの子守唄」、矢沢永吉「時間よ止まれ」、沢田研二「ダーリング」「抱きしめたい」「サムライ」、渡辺真知子「かもめが翔んだ日」、サーカス「Mr.サマータイム」、八神純子「水色の雨」、アン・ルイス「女はそれを我慢できない」、中島みゆき「わかれうた」、中原理恵「東京ララバイ」、桜田淳子「追いかけて横浜」、郷ひろみ「バイブレーション」、榊原郁恵「夏のお嬢さん」などである。
当時を振り返って見ると、サザンの曲が既成のジャンルに当てはまらないという印象を強く持った。
2ndシングル「気分しだいで責めないで」も同様にヒットしたが、やはりイロモノ的なバンドと言う見方を音楽業界のみならず、視聴者もそう思っていたに違いない。
しかしそれは3枚目のシングルで大きく覆されることとなる。「いとしのエリー」はR&Bの大御所レイチャールズがカバーをするといほどの名曲。
この1曲によって桑田佳祐の実力、サザンオールスターズというバンドの底力を見せ付けられることとなった。
以後、彼らは日本の音楽シーンに於ける最大且つ実力派ナンバー1の座を長年に亘り維持し続けるロックバンドとして成長した。
そんな彼らが無期限活動休止を発表。デビュー30年目を迎えるサザンに一体何が起こったのであろうか。
ソロはともかく、バンドの場合は3人以上のメンバーを揃えなければならず、バンド結成は以外と難しい。
個性豊かな気の合う仲間、そして最も大事な「音楽に対する方向性」が同じでなければならない。
誰でも最初はアマチュアからスタートするが、この時期にある程度メンバーがふるいに掛けられ、紆余曲折しながら、完成に近いものが出来上がる。
デビューしたては無我夢中で勢いだけで突っ走る。自分達の世界を創り上げることに没頭し、その中からヒット曲が出る度に喜びと達成感を味わって行く。
やがて時が経ち、気が付いて見ると自分達の方向性に僅かながらも食い違いが出ている事に気付く。
どんなに気を許し合った仲間でも、個々の意見を尊重し、受け入れなければならい時が来る。
今では伝説ともなったローリングストーンズが、デビュー以来一度も解散する事無くいまだに現役でいられるのは、カリスマ的存在のヴォーカリスト、ミックジャガーの影響が大きい。
バンドを揺ぎ無いものにするのはその中心にいるリーダーが人間的、音楽的に如何に優れているかだ。
ビートルズはリーダーが二人いたために解散に至ってしまったが、桑田佳祐率いるサザンは桑田が何処までミックジャガーになれるかだろう。
再び帰ってくるとは言っているものの、このまま解散なんてことにならないようファンの一人としてお願いするだけである。