皆さん、沢山のコメントを頂き誠にありがとうございました。わたしがこうして無事に退院出来たのもひとえに皆さんからの励ましと応援があったからこそだと思います。
緊急入院が決まったのは6月7日(土)のことでした。秋葉原から徒歩10分程度の所にある「三井記念病院」と付き合い始めて既に20年が過ぎていました。
この間大きな問題もなく、循環器外来に行く度に主治医とは同じ会話を交わして来たのですが、昨年6月に言い渡された「三尖弁閉鎖不全」による三回目の手術の可能性、そして今年一月に検査入院。手術は回避出来た時の喜びも束の間のことでした。
胸の中心辺りにいつもと違う症状があることを告げたところ、主治医からあっさりと「狭心症の疑いがありますね」と言われてしまった。
それは余りにも突然で半信半疑で、素直に主治医の言葉を受け入れることが出来なかった。
40年以上心臓病を患っているわたしが虚血性疾患である狭心症になるだろうか?心臓に負担を掛けるようなことは極力避けてきた積りであったし、これ以上病気が増えることは無いと思っていた。
しかし、それはわたしの思いあがりだったのかも知れない。突きつけられた現実の前に頭の中は混乱していた。
直ぐに心電図を録ったのだが、担当の女性技師が波形を見るなり慌てた様子で部屋を出て行った。
明らかに今までとは違う波形がグラフに描かれていたのである。「心不全」が悪化してその症状が顕著に現れていた。
この時点でわたしは家に帰れないことを覚悟していたが、緊急入院は中学一年の春から39年振りのことだった。
処置室に移動し、早速「ヘパリン」と栄養剤の2本の点滴が開始された。この点滴は退院直前まで続くこととなった。
病室は6階B棟。ここは緊急患者専用であったことから一般病棟ではない。手術室やICUがある階であり、わたしの状態がかなり重いことが分かった。
新たに頂いた病名は「不安定狭心症」これはいつ心筋梗塞を起こしても不思議ではないことを意味していた。
心不全を起こしていなければ直ぐにでもカテーテル検査に入るのだが、それには危険が伴い過ぎるので、当面は心不全の治療が先決だった。
絶食の札が届き、水分摂取は500㏄まで。トイレ歩行のみが許され、出来るだけ安静を保つこと。
食事をすると血液が胃に集中するため、それだけ心臓に負担を掛けることになる。だから心不全の治療の基本は禁食である。
体重を落とすことも効果があるので、利尿剤を使う。体重は見る見る内に落ちて行った。
一週間近く絶食が続くと、声すらまともに出なくなった。さすがに参ったわたしは、循環器内科の新しい主治医に食事をお願いした。
次の日から流動食が始まった。しかしそれは紙コップに入った水分そのものであったが、食べることが生きることだと実感した。
そして始まったカテーテル検査。左足の付け根から動脈に管が刺さり、身体の中を走って行く。
造影剤が投入され血管がモニターに浮き上がる。眼鏡をしていないわたしには何も見えない。
検査結果を主治医から知らされ、愕然とした。心臓を支える冠状動脈の2本が狭窄を起こしていた。
特に右冠状動脈は途中で千切れているほどに狭くなっていた。
心筋梗塞が今起こっても不思議ではなかった。左の血管はそれほどでもなく今回は治療の対象から外された。
これからの治療について説明があった。わたしより二回りも若い医者にわたしの命を委ねることに対し、何の不安も無いかと言われれば嘘になるが、早期に発見出来たことが実に幸運だったことを思えば、後はこの若い医者の腕に任せるしかない。
治療には「ステント」と呼ばれる金属で出来た物を狭窄した血管に挿入する。そして血栓予防の薬を数種類服用する。
治療自体は2時間程度で終了するとのことだった。
かくしてカテーテル治療が始まったが、今回は右の手首から。治療はスムーズに進行し、予定より30分早く終わった。
カテーテルは20年振りだったが、最新のカテーテルがこれほど進歩しているとは思っていなかったので、医療技術は確実に人の寿命を延ばしていることを実感した。
これが数年前であれば、胸を開き心臓にメスを入れる外科手術が必要だっただろう。
強運の男はまたしても命を拾ったのである。但し、ひとつだけ気になることが残った。それは増えた薬の中に「パナルジン」と言う物があること。
この薬について2000年頃、厚生労働省が通達を出していた。重篤な副作用で死者が出ていることから、薬の管理体制を強化する為に、二週間に一度パナルジン外来を設けるという内容。
助かった命が薬の副作用であっけなく奪われてはたまらない。それが心配である。
最後にこの場をお借りして、お世話になった三井記念病院の医療従事者の皆さんに感謝致します。