インターネットの情報量は膨大な数に上り、TVや新聞その他の媒体とは比べ物にならないほど現代は情報氾濫の時代になった。
ネットは便利であり誰もが簡単に操作が出来、欲しい情報を素早く手に入れることが出来る。しかし、規制が殆ど効かないネットには害を及ぼす情報も星の数ほど存在する。
裏サイトなどはその典型でもある。これら危険な情報は人間の思考回路を破壊する。
これらの危険な情報から身を守るには利用者のモラル、そして自己責任でしかない。
最近多発している硫化水素による自殺問題。先日高知県の市営住宅で起こった中3少女の自殺は90人以上に被害が及ぶという悲惨な結果となっている。
少女が自殺した背景には不登校が指摘されているが、多感な思春期を迎え自分をコントロール出来なくなる少年少女は多い。
普段は優しく明るい子が何故と疑問の声が聞こえてくるが、明るい子ほど環境の変化や自分自身の変化に着いて行けず心は悩み、深い闇に陥り易い。
そんな自分を誰にも相談出来ないまま、明るい自分を演技し続けその結果疲れ果ててしまうのである。
おそらく不登校はその延長上で少女からの精一杯のSOSのサインだったのだろう。
それに気がついてあげられない周りの大人たちに不甲斐なさを感じてしまう。
死そのものは痛くも痒くもない。苦しかったり痛かったりするのは生きているからである。わたしたちは普段都合のよい事に死をそれほど意識せず生きて行くことが出来る。
しかし死は生と表裏一体であり、最も身近な存在でもある。死そのものは誰にでも平等に訪れるが、病気や事故、事件などに巻き込まれ予期せぬ死を迎えてしまうことも多い。
そんな中に自殺という行為があるが、その歴史は古くクレオパトラがコブラの毒で自殺した事は多くの人たちが知るところだろう。
人は何故自ら命を絶つのだろうか。これは人間の宿命とも思える永遠のテーマかも知れないが、国や土地柄、宗教の違いなどによってはそうとも取れない部分もある。
まるで自殺という遺伝子が存在するかのように、日本は自殺大国になってしまった。この現状を放置するわけにはいかないし、行政や民間団体が協力して自殺を食い止めようと働きかけても、自殺者は減らない。これが病める経済大国のブラックホールなのかも知れない。
