プールサイドの人魚姫 -70ページ目

プールサイドの人魚姫

うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。

八百長

八百長は元々相撲の世界から生まれた言葉であるが、相撲に限らず「野球」「競馬」「ボクシング」等の世界にも存在するようだ。

それしにしても現状の八百長は、相撲界を指す言葉の代名詞のように使われることが多い。

八百長には当然ながら金銭の授受があり、必ずそれで利益を得る人間或いは団体が存在する。

過去の歴史を見ても、八百長を立証することはかなり難しい。

週刊現代の口車に乗せられて金銭に目が眩んだ元幕内力士の「若ノ鵬」であるが、その信憑性にも疑問が多少残るのも事実だ。

彼はまだ20歳と若いし、全てを自分自身の判断で暴露したかどうかも怪しい点が残る。

彼はおそらくマスコミに利用された被害者だったかも知れない。

わたしがここで彼を擁護するつもりはないが、まだあどけなさが残る20歳の青年が、自ら大麻を吸ったり所持したりと言った犯罪行為に走った背景には、おそらく第三者が必ず存在するものと思われる。

もしかすると他の力士に進められ、その誘惑或いは先輩力士の誘いを断り切れなかったと言う若さ故の意思の弱さがそうさせたのかも知れない。

それにしても何故この八百長問題が相撲界に焦点が集中するのだろうか。

相撲は短時間で勝負が決まる。八百長をするとすれば最も簡単であり、客の目を誤魔化すのには都合がよい。

しかし八百長があったなどと言う事は現役力士も認める訳にはいかないし、相撲協会という権力の前にたかが一介のマスコミが戦いを挑んでも勝てる訳がない。

いずれにしろ相撲のイメージに傷がついたことだけは確かであり、それがマスコミの狙いであり、裁判の行方などそれほど問題にはしていないだろう。

週刊誌の売れ行きを先行するマスコミと、八百長をひた隠しする相撲界のバトルは暫く沈静化する気配は見えない。

引退が囁かれる朝青龍にとって見れば、自分の相撲人生に汚点を残すことだけはなんとしても避けたい問題であることは間違いない。


清原

1985年夏、滴り落ちる汗を拭うのも忘れてしまうほどの空気が張り詰めた試合だった。

甲子園は高校球児の熱いドラマが毎年繰り広げられる。

PL学園対宇部商業この試合もそうだった。

PLには言わずと知れたあの「KKコンビ」がいた。桑田真澄と清原和博、高校野球史上最強と言われたPL学園であったが、この試合に限っては苦戦を強いられた。

3-3のまま迎えた9回裏、PLは笹岡・内匠が倒れ2死となった後、安本が中前打と盗塁で2死2塁とし、続く松山が右中間に運び劇的なサヨナラ勝ち。

この試合で清原は2本のホームランを打ち、チームの優勝に貢献した。

そして23年の歳月が流れ、清原は引退を決意する。

スポーツ選手の寿命は短い。40代のサラリーマンならば一番脂の乗った働き盛りである。

しかし肉体を酷使するスポーツは、精神力と体力のどちらかが欠ければ継続が難しくなる。

スポーツに限らず、どんな世界にも引退はあるだろう。

これ以上続けるのは困難だと自ら限界を悟ったとき、或いは人からすすめられることもあるかも知れない。

「引退」の二文字を前にして自分自身を振り返る。この世界で本当に俺は遣り残したことがなかったか、悔いのない野球人生だったか…。

清原もまたそうして悩んだに違いない。

苦しい時、スランプに落ち込んだ時、やはり影で支えたのは夫人の亜希さんである。

彼女の存在なくしては彼の野球人生を語ることは出来ない。

引退は次なる世界への新しい扉でもある。

可能性は果てしなく、そしてまた新たなる自分に変身するチャンスでもある。

清原和博、23年間お疲れさま。

「番長」は永遠に不滅だと言ってくれ。


小泉劇場

小泉元総理があっさりと引退表明。自民党内部にも驚きと困惑が広がっている。

麻生内閣が発足したばかりのこの時期に何故?という疑問もあるだろう。

小泉劇場の幕引きに相応しい時期を本人は選んだ積もりなのかも知れない。

彼の後継者は次男であり、これもまた二世議員(当選すればの話)。

小泉氏については、当ブログでも過去に幾つかアップし好評を得たが、おそらくこれが最後となるだろう。

小泉政権は発足時87%という空前の高支持率だった。小泉流マジックとそして小泉首相に期待する国民の声が初めて国のリーダーを認めた瞬間でもあった。

彼が総理の座に付いていた期間も約5年と近年では珍しく長期に渡った。

郵政解散と小泉チルドレンの誕生、そして郵政民営化。

良くも悪くも公約を実現した首相は小泉氏くらいのもの。その点に絞ればやはり高い評価を付けるに値する政治家と言えるかも知れない。

とにかく他の首相たちが余りにも評価する点がなさ過ぎることが一番の問題ではあるのだが。

小泉氏は66歳と政治家としての寿命はまだまだ残っている。

政治の世界には長老と呼ばれる高齢の議員が大勢存在する。彼らの存在は果たして必要なのだろうか?

民間であればとうに定年退職し、第二の人生を送っている身。

死ぬまで権力の座に就いていたいと言う、政治ではなくあくまでも権力に対する執念がそうさせるのかも知れない。

政治家としての仕事を終えたのであれば、きっぱりとその座を去り、一般市民の視点から政治を見据えてはいかがなものか。

どれほど政治が政治家のために存在し、国民からはほど遠いものかが鮮明に見えてくるだろう。

政治家にも定年制を導入すれば少しは真剣に仕事をしてくれるのではないかと、わたしは密かに思っているのだが。

 

麻生太郎

自民党新総裁そして麻生太郎首相の誕生と、何もかも筋書き通りに進んだ自民党。

総裁選に関して言えば、これは麻生氏自身の為のものであった。

立候補者は他に「石原伸晃、小池百合子、石破茂、与謝野馨」であったが、総裁選を盛り上げる為の飾りに過ぎなかった。

結局箱を開けてみれば、他者を寄せ付けない麻生氏の独壇場であったし、特に関心を持つような内容でもなかったと思う。

衆議院選挙を自民党有利に導く為の伏線であることは誰が見ても一目瞭然。

総裁選は国民に投票の権利がない。それにも関わらず応援の為の街頭演説が盛んに行われていた。

野次馬根性で多少耳を傾けては見ても、真剣に聞き入る人は少なかっただろう。

9月25日、麻生内閣が発足しスタートを切った。暴言の多い麻生氏自身のインパクトが強すぎて、他の閣僚たちの影が薄い。

日本の総理の任期を見てみると平均1.5年と非常に短命である。

これは日本が問題を多く抱え込んでいることの裏返しであると同時に、国家のリーダーに相応しい人物が存在しないことを物語っている。

政局は混沌とし将来の展望も見通しが暗い中、国と国民を思い確固たる信念の下に政治を動かすだけの技量を持った政党・政治家の不足は日本にとって致命的といえる。

選挙に勝つことだけを優先し無難な人選はいつものことだが、メッセージ性の乏しい政治家・政党はもう要らない。

 

ハンド


暗いニュースばかりが目立つ中で、幼い子どもが犠牲になる事件や事故が後を絶たない。

千葉県東金市では5歳の女児が死亡、そして先日起きた福岡市西区での小1児童殺害事件の犯人は最も身近な存在である母親の薫容疑者であった。

惨たらしい事件には目を背けたくなるが、子を持つ親たちもそうでない人たちも「命」について真剣に考えなければならない。

小1殺人を知った時、真っ先に思い出したのがあの「畠山鈴香」の連続殺人であった。

この件に関しては過去の記事で触れているのでまだ読んでいない人は参考にして欲しい。

子どもに危険が迫った時、親は本能的に子どもを守るもの。

自然界ではそれが「掟」でもある。子孫を残すために「神」が与えた試練でもあるが、子を産み育て上げるのは全ての生き物に与えられた至福でもある。

病気や事故で命を落とすのなら諦めもつくが、人の手によってそれも自分の母親の手で殺される。

これほどやりきれないそして最も悲しく寂しい死に方はないだろう。

事件の背後に何があったのかまだ分からぬが、大人の身勝手には変わりない。

親が子を子が親を…親子同士で殺し合う事件が多発する現代には、想像を遙かに超えた「鬼」が人々の心を知らず知らずの内に蝕んでいるのかも知れない。


汚染米

三笠フーズから端を発した事故米が日本列島を汚染している。政府はこの問題に対し何ら問題解決の糸口すら見出せないでいる。

それどころか、責任者である農水省のトップである「太田農相」「白須次官」の二人が辞任するという始末。

またも政治家の責任放棄である。敵前逃亡とはまさにこの事。

事故米(汚染米)の被害は風評被害も相まって更に拡大の一途を辿っているが、消費者は意外と冷静?と思えるほど静かだ。汚染米の恐怖をそれほど認識していないとも考えられる。

事故米に含まれている成分については、既に報道されている通りで、冷凍ギョーザによる中毒事件でも問題になった有機リン系の農薬成分メタミドホス、発ガン物質の毒素であるアフラトキシンB1が検出されている。

元々工業用に出荷される事故米が消費者の食卓に並ぶ食材、主に米、そして米を原料とした食品にまで及んでいることが事実になり、日本の安全管理が尽く崩れ去ったわけである。

危機管理に疎い日本の体制を今更嘆いても後の祭りであるが、犠牲者が出ないうちは傍観者の如くその行く末を机の上で議論するのみ。

不正転売を黙認して来た国と業者の間には国民が知り得ぬ深い闇が存在するのも確かだ。

そもそもこの事故米は国が強制的に推し進めた「減反政策」に問題がある。

しかし、その減反に追い込んだのは「ウルグアイラウンド」。

日本は外国から米を輸入せずとも自国の生産で十分まかなえるにも係わらず、毎年決まったルールの下に米を輸入しなければならなくなった(ミニマム・アクセス、MA米)。

税金を使って不要な米を毎年数十万トンも輸入していることになる。

倉庫に眠る膨大な米の処分に手を焼いた役人が、民間業者に買い取りを委託する。

しかし委託先を間違えたか或いは役人の手抜き管理かは知らないが、工業とはまったく関係のない業者にまで政府は米を押し付けたのである。

国は時に犯罪国家に変貌するが、権力の下では犯罪も正義と成りうる。

汚染米のことを知った時、チェルノブイリの原発事故が脳裏をよぎった。

いまだに、放射能に汚染された地域で生活をしなければならない住民が多く存在すること。

そして、放射能は植物をも汚染し、それを食べた動物から人間へと拡大する。

体内被曝の恐怖…。事故米がこれに類似しているように思えて仕方ないのである。


mayaku

人生は誘惑との闘いである。生きている間には様々な誘惑が甘い香りと共に人を快楽へと陥れる。

人体に害のないものならばよいとしても、酒や煙草などは多少控えた方が健康にはよい。

さて、世間では事故米の嵐が吹き荒れている。これに関しては何れ詳しく記事を書こうと思っている。

大麻騒動で揺れた相撲界は結局ロシア人力士「若ノ鵬」「露鵬」「白露山」の3人が処分。

そして北の海理事長が辞任となり、新理事長「武蔵川親方(元横綱三重ノ海)」の元、相撲協会としては、心新たに新体制をスタートさせた。

「臭いものには蓋をしろ」的な発想はどこの世界も同じだが、元力士たちから爆弾発言が出ないとも限らない訳だから、上層部から圧力を掛けて悪夢を封じ込めようという作戦なのだろう。

力士たちによる大麻事件が発覚した時点で、本来ならば力士全員の精密検査を行うべきである。

将来的にはそうなるだろうことは予想されるが、相撲協会の理事長たちは全て力士出身だから当然ながら身内に甘くなる。

しかし国技と称される以上、その名を汚すような不祥事があってはならない。

力士たちに完璧なストイックさを求めるのは無理にしても、善悪の判断くらいは子どもでも分かる。

当たり前のことを実行すれば何ら問題は起きない筈である。

つい昨日の話だが、自宅で大麻を栽培していた夫婦が大麻取締法違反(所持)の疑いで逮捕された。

自分たちで吸うために大麻を育てていたと言うが、どうも怪しい。

しかも、大きく成長した大麻を目立たないように周りに向日葵を植えて隠していたと言う。

向日葵の明るいイメージの影に隠れて大麻が伸びる…。

大麻自身には罪がなく、それを悪用する人間が多いことに問題があるのだ。

これもやはり誘惑に負けた結果なのだが、大麻の魅力がどんなものかわたしには理解出来ないが、高額で取引される麻薬、違法ドラッグよりも最も恐い誘惑は「金」なのかも知れない。


 

カルテ

 

 
 

診察室で

主治医がデータを

黙々と書き込んでいく

最初は一枚の

薄いペラペラの紙切れが

いつのまにか

年輪を重ねた

樹木のように育っている

私の カルテ

過去の傷が

積み上げられて

今の私を

育てて来たのです

 

ママ
 

あなたの胸に抱かれて

眠ってみたい

豊かな乳房を抱えた

あなたの

かぐわしい香りに包まれて

途切れぬ夢の中で戯れて

幸せなひと時を

たっぷりと味わってみたい

この世で叶わぬ想いを

この詩に託して

天国の何処かにいるあなたへ

届けと思いながら

僕は

あなたの乳房を吸ったのですか?

あなたは

僕を

抱きしめたのですか?

 


27年振りに再会を果たした父と子は、仙台で有意義な時間を過ごした。
しかし、27年の空白はあまりにも長く、わずか二日間でその溝が埋まるはずもなかったが、二人はお互いを知ろうと必死だったのは確かであった。
雨の中を傘も指さず、ずぶ濡れになりながらタクシーを待ったことや、行き帰りの新幹線の中で、自分たちの今までの生き様などを話し合ったこと。
二人の共有した時間が27年間に凝縮され、まばゆい光の如く過ぎ去った。
あれから早くも一週間が過ぎ、息子とはメールのやりとりや、Skypeなどを使って会話を楽しんだりしている。
新幹線に乗るのは3年振り、感動の同窓会以来である。
今回の仙台行きをセッティングしてくれたのは家内であり、影の功労者。
おそらく、わたしひとりではこれほどのことは出来なかったかも知れない。もちろん自分が病気の身であり、いまだ休養中であったとしても常に支えてくれるのは家族。
そして息子に出会ったことがわたしにとって大きな心のエネルギーになったことは言うまでもない。
息子がこんなに頑張っている、わたしも負けずに頑張ろう。
わたしにパワーを与えてくれた息子に感謝である。