引退は新たなる可能性への挑戦である。 | プールサイドの人魚姫

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うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。

清原

1985年夏、滴り落ちる汗を拭うのも忘れてしまうほどの空気が張り詰めた試合だった。

甲子園は高校球児の熱いドラマが毎年繰り広げられる。

PL学園対宇部商業この試合もそうだった。

PLには言わずと知れたあの「KKコンビ」がいた。桑田真澄と清原和博、高校野球史上最強と言われたPL学園であったが、この試合に限っては苦戦を強いられた。

3-3のまま迎えた9回裏、PLは笹岡・内匠が倒れ2死となった後、安本が中前打と盗塁で2死2塁とし、続く松山が右中間に運び劇的なサヨナラ勝ち。

この試合で清原は2本のホームランを打ち、チームの優勝に貢献した。

そして23年の歳月が流れ、清原は引退を決意する。

スポーツ選手の寿命は短い。40代のサラリーマンならば一番脂の乗った働き盛りである。

しかし肉体を酷使するスポーツは、精神力と体力のどちらかが欠ければ継続が難しくなる。

スポーツに限らず、どんな世界にも引退はあるだろう。

これ以上続けるのは困難だと自ら限界を悟ったとき、或いは人からすすめられることもあるかも知れない。

「引退」の二文字を前にして自分自身を振り返る。この世界で本当に俺は遣り残したことがなかったか、悔いのない野球人生だったか…。

清原もまたそうして悩んだに違いない。

苦しい時、スランプに落ち込んだ時、やはり影で支えたのは夫人の亜希さんである。

彼女の存在なくしては彼の野球人生を語ることは出来ない。

引退は次なる世界への新しい扉でもある。

可能性は果てしなく、そしてまた新たなる自分に変身するチャンスでもある。

清原和博、23年間お疲れさま。

「番長」は永遠に不滅だと言ってくれ。