プールサイドの人魚姫 -57ページ目

プールサイドの人魚姫

うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。


プールサイドの人魚姫-WBC

視聴率だけで判断するならば、WBCフライ級タイトルマッチは堂々たるものであったが、手負いのトラ状態の内藤大助選手は下り坂を転げ落ちる老兵。

既にチャンピオンとしての絶頂期は過ぎており、敗戦相手を誰にしようかと思案の段階に入っていた。

因縁の相手と言われ続けて来た亀田ファミリーとの試合で、最後に一花咲かせるとすれば、高視聴率を取れる亀田興毅しか存在しないし、避けては通れない相手。

TBSが仕掛けて来たこれまでの試合は、亀田を担ぎ上げ亀田のリングを創りあげることだったが、達成された感のある亀田のボクシングに、ファンは食傷気味になっていた。

これまでの試合を見てきて、亀田興毅が本当に強いボクサーなのか疑問が拭えない人も多かったことだろうとさえ思う。

確かに実力もあり、練習量も鍛えられた身体を見れば一目瞭然ではあったが、対戦相手に恵まれなかった事も影響し、真の実力を見出すまでには至っていなかった。

父親の影から脱却し、己自身の足でボクシングを歩み始めた現在からが、亀田興毅の実力が問われることとなるだろう。

老獪な内藤大助の変則パンチを見事にかわすその姿が、本当の意味での亀田時代の到来を告げているのではないだろうか。

しかしながら、限界に近い内藤選手に勝ち、ベルトを手中に収めても彼自身は真から満足出来るものではなかっただろう。

もう一年早い時期にこの試合が組まれていれば…とつくづく思う。

TBSのドタバタボクシング劇はこれで幕を閉じたと思うが、視聴率に貪欲な人間がいる限り、第二の亀田や内藤が出現するのはやむを得ないことなのかも知れない。

 

プールサイドの人魚姫-髪

 

 
 

長く伸びた髪が

心に絡みつくから

髪を切った

ううん…

美容院には

行かなかったわ

あなたが

綺麗だねと

褒めてくれた

この髪を

他の人に

切らせたくは

なかった

だから

自分の手で

挟みを入れたの

あなたの

思い出の分だけ

伸びた髪を

せめて

この手で

断ち切りたかったから

 


プールサイドの人魚姫-練炭

練炭の恋しい季節が近づいて来たと思ったりするのは、ふた昔も前のことであったりするが、幼い頃、祖母の押す乳母車に乗って、炭や薪を買いに行ったことを懐かしく思い出す。

乳母車の中は母胎のように居心地が良く、天気のよい日は日向ぼっこも兼ねて、揺り籠の中で眠る乳飲み児のようだった。

練炭や炭の使い道は、七輪で秋刀魚やめざしを焼いたり、火鉢に入れてストーブ代わりにした。

閃光のように時代が移り変わり、今では練炭が原因で一酸化炭素中毒に陥り命を落とすような事故が在ったり、場合によっては殺人の道具に使われたりと様変わりしてしまったのは嘆かわしい事である。

女詐欺師の毒牙に掛かり、「結婚」という人生にとってみれば最も幸福な出来事を、詐欺の道具に使い、相手から多額の金銭を騙し取る、そればかりではなく命までをも奪うという、事件が相次いで明るみになったニュースの記憶は新しい。

「振り込め詐欺」の被害も依然として後を絶たず、詐欺師たちは次々と新種の手口で人の財布を狙っている。

人を騙す事に対し、罪の意識を一切感じてはいないのだろう。

彼らの理屈から言えば「騙される方が悪い」という理論が成り立っている為に、詐欺事件は無くならない。

金銭だけで済めばまだ救われるが、騙された上に命まで落とすのではたまったものではない。

結婚詐欺については、その全容が解明されていないので、今後更に被害者が増える可能性もある。

結婚を強く望む男女がある限り、それを利用した詐欺まがいの行為はこれからも増えることだろう。

男女間の出会いの場が少なくなり、今ではインターネットの出会いサイトや結婚紹介所を利用する人たちも増えているが、相手を見極める洞察力がないと言葉の毒を盛られてしまう事もあるので、独身諸君は十分気をつけて頂きたい。


プールサイドの人魚姫-kao

どんなに整形手術をして顔を変えても、心の奥底に巣食った闇までは変えられない。

市橋容疑者が逮捕されてから一週間が経過した。

彼はいぜん食事を拒否しているようだが(ハンスト?)わたしの経験上それも一週間が限度ではないかと思われる。

更に食事拒否が続くとすれば健康上に問題が発生する。

点滴を打ちながらの取調べが始まっているが、それだけで口を割るとは到底思えない。

昭和30年代に高視聴率を上げた人気テレビドラマ「逃亡者」を思い出すが、わたしと同年代の人であれば、当時TVに噛り付いてドラマの行方を追ったのではないだろうか。

この「逃亡者」はその後リメイクされて公開されたこともあり、多くの人たちの知るところであるようだ。

妻殺しの罪で死刑宣告を受けた主人公が、真犯人を求めてアメリカ中を旅する物語だったが、無実であれば逃げることもないだろうに…と思ったりしても、それではドラマが成り立たない訳で「冤罪」というテーマもこのドラマでは描かれている。

2005年に57歳で病死した「福田和子」もそうであったように、犯した罪の呵責を抱きながらの逃亡生活は、ゴールのない過酷な耐久レースだとも言えそうだ。

今回の事件で、職務質問の際に逃走された件が何ら問題とされていないのがどうにも腑に落ちない。

船橋署員の怠慢だったとは思いたくはないが、彼はその場を裸足のまま逃走している。

その慌て振りから察するに、余程やましい状態であったのだろう。

もし、その場で取り押さえることが出来ていたなら、事件はもっと早くに解決していたかも知れないし、税金を使って多額の懸賞金を出すこともなかっただろう。

事件の全貌解明と早期解決を最も望んでいるのは、もちろん被害者の親であり、殺されたリンゼイさん自身の魂もそれを望んでいる。

ただ、現在も市橋容疑者自身の口からは事件解明への手がかりとなる供述は聞こえて来ない様で、捜査班も長期戦を決め込んでいるのかも知れない。

若い女性が犠牲となる凶悪事件が相次いでいるが、その昔は犯罪そのものにも「身代金要求」などの確固たる「目的」が在ったものである。

それが時代の波に押し流されて、今では己の欲望だけを充たす為の「奇異的」なものへと変貌していった。

世田谷一家殺人事件もいまだに真相は闇の中である。

人は生きているだけで罪であると誰かが語っていたが、人を作ったものが神であるならば、神もまた罪人なのであろうか。

その神に手を合わせる人間の存在とは一体何なのだろうか。

 

プールサイドの人魚姫-てるてるぼうず

 

 
 

空が

思い切り泣いている

枯れた少年の心がひび割れて

砂漠の中に立ち尽くす

母の涙が雨になり

懺悔の雨が降り注ぐ

降っても降っても

少年の

心の乾きは

癒せない

 

てるてる坊主が

軒下で

雨が止むのを

待っていた

少年の

変わりに

ずぶ濡れの

てるてる坊主が

待っていた

 

プールサイドの人魚姫-くすり



激しく降り続く雨の中、三井記念病院の循環器外来へと行って来た。


息切れは容赦なく肺を圧迫し、不整脈の心臓が胸を突き刺すように踊り狂っていた。


岩本町駅から病院までの道程がこれほど遠くに感じたのは初めてだった。


雨はアスファルトを叩きながら、更に細かく四方八方に飛沫を撒いている。


病院のビルが視界に飛び込んで来ると、頭の中を「入院」の二文字が飛び交った。


身体に異変を感じたのは11月2日の入社日。


会社にいる間は特に異常を認める事はなかったのだが、会社が退け、家に着き靴下を脱いだ時だった。


靴下の痕が食い込む程にくっきりと輪郭を描き、ひと目で「浮腫」が確認出来た。


「えぇ…、ま、まさか、やばいよなぁ」


言い知れぬ不安が身体全体を包んだ。


同窓会の直後が初出勤でもあったし、疲れがWパンチで身体を襲ったからだろうとその時は思った。


事態が更に深刻になろうとは全く予想もしていなかったからだ。


3日は祝日だし、一日ゆっくり休めば直ぐに回復するだろうと高をくくっていたのである。


浮腫みは消えたものの、最も気をつけなければならない「体重」が徐々に増え始めていたのである。


「3キロ体重が増えたら病院へ逆戻りですからね…」


半年ほど前の退院時に言われた言葉が重くのしかかってくる。


退院後、食生活を大幅に変更し、自分なりに努力をして来た事は皆さんもご存知の筈。


何ゆえ、この大事な時期に来て身体に異変が起こり始めたのだろうか。


確かに同窓会の疲れもまだ残ってはいたが、それは心地良い疲労感となってわたし自身もその余韻を楽しんでいたではないか。


心電図、レントゲンの所見を見ても特に際立って悪化している様子もなかったが、明らかに身体が感じる異常は「心不全」だった。


唯一異常値と思えるものは「血液検査」の結果だった。


明らかに薬が利いておらず、尿量は極端に少なくなっていた。


僅か数日の内に体重は3キロ増え、歩くだけでも息切れは酷く横になって眠れない日々が続いていた。


仕事が出来ないことへの焦りも病態に影響し、気分も深く暗い水の底に沈んだようだった。


取り合えず、薬の量を2倍に増やし様子を見ることにしたが、もしそれでも良くならないようであれば、入院して一気に元の良かった状態に戻すという事になった。


この心臓では働くことすら出来ないのであろうか?


わたしは健康で丈夫な心臓がどんなものかを知らない。


もし夢が叶うとするならば、一時間でもよいから健康な心臓の感触をこの肌で味わってみたい。


漲る健康な鼓動をこの耳で聴いてみたい。


プールサイドの人魚姫-同窓会

11月1日午前中、天竜特別支援学校にて撮影。

真夏日を思わせる陽射しが白い雲の切れ間から、天竜川の流れに乱反射していた。

「北風と太陽」ではないが、朝から気温がぐんぐんと上昇し、たまらず上着を脱ぎ捨て半袖シャツになった。

天竜の山々は既に秋の紅葉で赤や黄色に模様替えをしているというのに、一体この暑さは何だろうと思いつつ、友人と二人で天竜荘に立ち寄った。

天竜病院に元看護婦の渡○さんが入院中だったので、最初から見舞う積もりでいたからだ。

前回の同窓会では元気な姿を見せてくれた渡○さんが、僅か3年余りのうちにベッドの人となっている。

ALS(筋萎縮性側索硬化症)という聞きなれない難病に冒され、意思の疎通はかろうじて眼の動きのみという過酷な状況であった。

わたしが養護学校に入って最初の外泊許可が出た時、親がいないも同然のわたしには外泊先がなかった。

そんなわたしに当時20歳という、うら若き乙女の彼女が声を掛けてくれ、彼女の実家に連れて行って貰ったのである。

恥ずかしさと嬉しさが入り混じった風呂を今でもはっきりと覚えている。

多くの病人や子どもたちの支えとなってきた彼女が、今はベッド上で絶望的な日々を送っている。

神様は時に残酷な仕打ちを人間に与えるが、これが彼女に与えられた最後の試練だとは到底思えない。

見舞って声を掛け、励ます事しか出来ない自分の無力さを痛感した瞬間だった。

天竜病院を後にし、一路浜松サゴーインへ。

同窓会を開くに当たり、わたしは不安と焦りを抱いていた。

本来であれば3年おきに開催する同窓会であり、去年の5月が丁度3年目だったが、ご存知の通りわたしは病床にあり、とても会を開く元気はなかった。

そして今年に入っても暫く不調が続き、漸く元気を取り戻したのは7月に入ってからだった。

その頃から同窓会の事が気になり、何としても今年こそは開催しようと言う思いは募った。

会長に連絡を取ったのは8月に入ってからだったと思う。

今回は場所も前回と同じだったため事前打ち合わせは行わず、わたしは名簿を最新のものにする仕事のみで、同窓会通知の葉書などは地元の実行メンバーに任せることにした。

会場一時間前に顔を合わせた実行メンバーたちは、会長を筆頭に明るい笑顔で受付準備を済ませた。

そしていよいよタイムスリップへ。

この4年の間に3名の同窓生が亡くなっているので、会長の号令で黙祷。

前回出席出来なかった人たちが数名出席してくれ、わたしにとっては今回も大収穫の同窓会であった。

40年前の時間を全員が笑顔で共有し、互いの元気な姿を祝うことが出来た。

外はいつしか冷たい雨が天気予報通りに降り始めていたが、会場だけは時間が止まり懐かしい昔話と熱気がいつまでも木霊していた。


プールサイドの人魚姫-メンテ

皆さまからの応援、励ましとアドバイスを多く頂き、活力と気力が戻りつつあります。

まだ、全回復とまでは行きませんが、ブログを更新する気持ちを取り戻しました。

同窓会と初出社が目前に迫っております。

28日には、入社前の事務手続きと健康診断を済ませましたが、これからが正念場だと思います。

何分にも、2年近くに渡り殆ど自宅療養の生活を強いられていた訳ですから、そう簡単に社会復帰が果たせるとは思っておりません。

無理をせず、先ずは通勤に慣れ、新しい職場の環境に一日も早く馴染む事が先決だと思っております。上司が非常に気を使ってくれ、何か辛い事があれば遠慮せず相談するようにと言われており、そういった面からも、それほど不安を抱く事はないかも知れません。

心配なのは体力、フルタイムでの仕事については主治医からもOKを頂いておりますが、長い間の自宅療養で、身体は相当疲弊していると思われますが、そこは持ち前のポジティブ志向で切り抜けたいと思っております。

パソコンやサーバーなどの精密機械になるほど、定期的なメンテナンスは必要不可欠ですが、人間の身体は精密機器より更に複雑なものです。

中でも「心」は僅かな変化にも敏感で、他人から見れば些細な事柄でも個々によっては、大きなストレスの元になるもの。

風邪を引いただけでも、人は普段の元気だった自分とは一転して気持ちは「うつ気分」になってしまいます。

どんなに元気な人であっても、不安やストレスを抱えれば、うつ状態に陥ることは多いでしょう。

短期間でそんな自分から回復出来る場合はよいのですが、そこから中々立ち直れず、いつの間にか「鬱の深淵」に足を踏み入れてしまう人は多いものです。

景気の悪化が雇用問題に大きな影を落とし、相変わらず職に就けず路頭に迷う人たちの切実な声が社会全体を覆いつくし、不透明な将来像に希望を見出せず、自ら命を絶つ人は増える一方です。

ですが、最後まで諦めることなく自らを信じ、大きな壁に挫けず前向きであって欲しいと切に思います。

機械と同じように人の身体も心も「メンテナンス」が大切です。

油が切れて動けなくなってしまう前に、心に潤滑油を与えてあげて下さい。

希望は絶望の中から見出すもの。

人生、死ぬまでチャレンジなのですから。


プールサイドの人魚姫-救急

10月に入ってから体調不良が続いており、それが限界を超えたため、10月15日の夕刻に三井記念病院の救急外来に駆け込んだ。

今年に入り2回目、昨年の分も合わせると通産4回目になる。

風邪を引いて多少の熱があるくらいでは、家の近くの内科で済ませてしまうのだが、急激な体重の増加や動悸・息切れ、左肩から左腕の痛みとしびれなどの症状もあり、狭心症の再発・脳梗塞などの可能性も考えられたので迷うことなく三井記念病院の救急外来に決めた。

かかりつけ医でもあるし、症状を言えばまず断られることもなく早急に対応してくれ、徹底的に調べてくれるからだ。

わたしの病気の全てはこの病院にあるから、判断は迅速かつ正確である。

心電図・心臓の超音波・動脈からの血液採取などを経て、約2時間の間緊急用の一回り小さなベッドで入院の可能性も視野に入れながら結果を待っていた。

循環器内科の担当医が、結果を告げに来たが、深刻そうな表情もなく、心臓が特に以前と比べて悪くなっている兆候は見られなかった。

心機能に対する不安はこれで払拭出来たが、首の痛み、肩、腕の痛みとしびれは整形外科でないと判らないということなので、日を改めて、家の近くの整形外科に受診したところ、頚椎が大きく変形しており、このまま症状が悪化すれようなら、MRIで精密検査を受けたほうが良いと言われた。

取り合えず、痛み止めと筋肉を柔らかくする薬を処方してもらい、リハビリも受けることにした。

体調不良の原因が単にこれだけでないことは察しがついていた。

同じ日にわたしはメンタルヘルスクリニックに4ヶ月ぶりに受診した。

ようやく就職先が決まり内定を貰ったことを告げたのだが、その直後から急に元気がなくなった事を伝えた。

「荷降ろし症候群・燃え尽き症候群」

ある目標に向けて、全力で頑張って来た8,9月の二ヶ月間、わたしは就職活動の真っ只中だった。

約40社を受けただろうとおもう。

然しながら自宅に届くものは不採用通知ばかりだった。

それでも自分が諦めさえしなければ必ず自分に合った職場が見つかる筈だという信念を曲げることなく突き進んできた。

そしてようやく、住友グループのある企業から内定を貰うことが出来た。

うれしさと同時にその途端一気に気力が落ち始め、何もやる気がしなくなった。

食欲も無く一日一食食べるのがやっとの状態である。

寝つきも悪く、睡眠のリズムは大きく狂っている。

今、わたしは最大のピンチを迎えている。

これは「うつ再発」の前兆でもあるため、非常に厄介である。

11月から新しい職場で新たな人生をスタートさせるわたしにとって今年最も大きな難関になることは間違いない。

8,9の二ヶ月でかなりのエネルギーを使い切ってしまったことも大きな要因となっているが、僅か残された10日あまりで再起出来るだろうか…。

皆様、よいアドバイスをお聞かせ下さい。

コメントは時間がかかっても必ず返信しますのでよろしくお願いします。


プールサイドの人魚姫-ノーベル

原爆を投下した国の大領領がノーベル平和賞を受賞したのは、今回のオバマ大統領が初めてではないが、この賞のあり方に些か疑問が残る。

1974年には我が国の元総理「故 佐藤栄作」氏が受賞しているが、当時の世界情勢を省みると「ベトナム戦争」の話題で持ちきりだった気がする。

確かこの昭和49年は故田中角栄氏が日本のトップであり、日本列島改造論を実行していた時代ではなかっただろうか。

それと同時に国会は金脈問題で揺れ動いており、政治腐敗の根が密かに地下深くで息吹を上げ始めていたように思う。

ベトナム戦争に手を焼くアメリカは、北爆を再開しベトナムを焦土と化す作戦に出た。

それを佐藤氏は容認する発言をしていたと、わたしは記憶している。

オバマ大統領の受賞は「核廃絶」に尽きるが、核無き後の世界を想像すると背筋が凍りつく。

核兵器を全て無くすことは容易でないし、それを世界のトップと言われるリーダーが率先して新たな平和への道を切り開くのは称賛されることではあるが、世界の均衡を保っているものが「核」であることも事実であり、核なき後の世界が本当に平和なのかは、誰にも保障できるものではない。

通常兵器を利用しての諍いが世界のあちこちで勃発する可能性もある。

インドとパキスタンは核によって一応の均衡を保っている。

核はあってもなくても戦争は各地で起こっているし、イラクやアフガニスタンはいまだに真の平和からは程度遠い国である。

唯一の被爆国である日本は、再び自国のような悲劇を繰り返してはならぬと「核廃絶」を訴え続けているが、旧日本軍は戦争末期に原爆の研究に取り組み、製造しようとしていた。

たまたまアメリカが先に完成させただけのことであって、もしかすると日本が他の国に原爆を投下していたかも知れない。

その方が更に最悪な結果になったと言う事は想像すれば分かるだろう。

核は在ってもよいと思う。

大事なのは使い方である。

兵器として利用するだけが核ではない筈。

北朝鮮が大きく譲歩し国際社会へ復帰、核を放棄し拉致問題も解決、そして朝鮮戦争に終止符を打ち、南北統一となった時、果たして「金正日」にノーベル平和賞を授与する勇気を世界は持つだろうか。