11月1日午前中、天竜特別支援学校にて撮影。
真夏日を思わせる陽射しが白い雲の切れ間から、天竜川の流れに乱反射していた。
「北風と太陽」ではないが、朝から気温がぐんぐんと上昇し、たまらず上着を脱ぎ捨て半袖シャツになった。
天竜の山々は既に秋の紅葉で赤や黄色に模様替えをしているというのに、一体この暑さは何だろうと思いつつ、友人と二人で天竜荘に立ち寄った。
天竜病院に元看護婦の渡○さんが入院中だったので、最初から見舞う積もりでいたからだ。
前回の同窓会では元気な姿を見せてくれた渡○さんが、僅か3年余りのうちにベッドの人となっている。
ALS(筋萎縮性側索硬化症)という聞きなれない難病に冒され、意思の疎通はかろうじて眼の動きのみという過酷な状況であった。
わたしが養護学校に入って最初の外泊許可が出た時、親がいないも同然のわたしには外泊先がなかった。
そんなわたしに当時20歳という、うら若き乙女の彼女が声を掛けてくれ、彼女の実家に連れて行って貰ったのである。
恥ずかしさと嬉しさが入り混じった風呂を今でもはっきりと覚えている。
多くの病人や子どもたちの支えとなってきた彼女が、今はベッド上で絶望的な日々を送っている。
神様は時に残酷な仕打ちを人間に与えるが、これが彼女に与えられた最後の試練だとは到底思えない。
見舞って声を掛け、励ます事しか出来ない自分の無力さを痛感した瞬間だった。
天竜病院を後にし、一路浜松サゴーインへ。
同窓会を開くに当たり、わたしは不安と焦りを抱いていた。
本来であれば3年おきに開催する同窓会であり、去年の5月が丁度3年目だったが、ご存知の通りわたしは病床にあり、とても会を開く元気はなかった。
そして今年に入っても暫く不調が続き、漸く元気を取り戻したのは7月に入ってからだった。
その頃から同窓会の事が気になり、何としても今年こそは開催しようと言う思いは募った。
会長に連絡を取ったのは8月に入ってからだったと思う。
今回は場所も前回と同じだったため事前打ち合わせは行わず、わたしは名簿を最新のものにする仕事のみで、同窓会通知の葉書などは地元の実行メンバーに任せることにした。
会場一時間前に顔を合わせた実行メンバーたちは、会長を筆頭に明るい笑顔で受付準備を済ませた。
そしていよいよタイムスリップへ。
この4年の間に3名の同窓生が亡くなっているので、会長の号令で黙祷。
前回出席出来なかった人たちが数名出席してくれ、わたしにとっては今回も大収穫の同窓会であった。
40年前の時間を全員が笑顔で共有し、互いの元気な姿を祝うことが出来た。
外はいつしか冷たい雨が天気予報通りに降り始めていたが、会場だけは時間が止まり懐かしい昔話と熱気がいつまでも木霊していた。
