海外生活を乗り切るコツ
皆様こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。さて、前のブログで書きましたが、今日は職場のゴリさん担当イベント二日目です。今日も外でわざわざイベント受付をする役になると思い、準備万端で会場に向かったところ、彼女の上司が来て、「今日は他の人が受付やるからしなくていいよ」とのこと。理由を聞くと、今日は関係者が多く、同僚達の方がゲストを知っているからとのこと。とはいえ、私に与えられた受付の仕事は、リストを確認するのみなので、とくに知ってるかは必要ないのですが。多分それは、昨日いつものように、もう一人の同僚、チキンさんの旦那がおそらく客に提供される昼ご飯に預かるため、顔パスで、当然のごとく会場に入ろうとしたところ、登録していなかったため、名前を確認したからか?(20代のチキンさんは、なぜか旦那をたびたび職場に呼び、時々旦那が彼女の机で仕事をしています。)それは、むしろこちらも午後からの会議準備ができるので非常にありがたいのですが、そもそもこれを、なぜ直前に彼女の上司に彼女が言わせるか気になるところ。かつ、なぜいつも当日直前に役割を変えるのか?これは含みがありそう。何が原因か、彼女の上司に問いただそうかと思いましたが、いずれにしろゴリの悪意は含まれていそうですし、私にとっても、チームにもまったく悪い話ではないので、やめときました。早速、私の上司に、「こういう理由のようだから、今日はゴリ担当のイベントは補助せず、午後の役員会議の準備します。」というと、「オッケー」とのこと。私の上司には、手際よく、事前に通した模様。早速ゲストリストを今日の受付担当に渡し、私は時々片付けなど、裏の仕事を陰ながら少し手伝いました。さて、私の担当の午後の役員会議は、一時間半英語の会議で、また皆様政治的な言い回しをするので、頭が思考停止になり、一部話が追えませんでした。とはいえ、会議の議事録作成が私の仕事です。以前なら、こういう、英語ネイティブではない故の様々な職場での問題や、言葉の壁にもどかしさやショックを感じていたでしょうが、今日はなぜか終わってやれやれすっきりと思うだけでした。この職場で、この一年ほど色々痛い目にあい、今日ようやく、「こういう環境では、できないことに拘るのではなく、なにがあろうと、ありのままの自分で、できることに最善をつくせばよい。」ということに気づいたからです。議事録は、AIの発達のお陰で、英語力が不足しているため、その場で、内容が理解できなくても、後でいくらでも フォローする方法はあります。そもそもAIで、議事録も書けるようですが、それを使うと、私の英語の勉強にならないので、使いませんが.....。また、言葉をネイティブのように話せなくても、それはそれで、その他自分が出来ることで、補ったり、自分をいかせばいいのです。今回のようにネイティブでないから、表に出さないのであれば、それはそれで、自分の役目ではないので、関わらずとも良いのです。外国で働く場合、とくに言葉の壁があれば、どうしても自分の本来持っている能力を日本にいる時のように、発揮できない場合があります。思い悩みましたが、このような環境の場合は、カッコ悪くても、思ったように出来なくても、どんなに言葉の壁やらなにやらがあっても、ありのままの自分て良しとすること。制限が現地の人の何倍もあるのですから、自分がその時できる最善のことをすれば、それで良し。それで、軽蔑したり、差別したりして、尊敬できない人とは、わざわざ向き合って、相手しない。(薄く付き合い、受け流す) 海外で生きるとは、語学力によりますが、感覚的には、何らかの要因で、いきなり障害をかかえ、今まで難なくできたことが、かなり苦労しないとできなくなる状態になるのと同じ状況です。ですので、かなりの制限があるなか、なんとか工夫して生きていく必要が出てきます。ですので、今まで日本で、できたことができない。人間関係の作り方も、ビジネスのやり方も違うという状況に常に置かれます。であれば、出来ないことに拘るのではなく、出来ること、やれること、やりたいことに最善を尽くす。そして「もっともっと成長する。」制限、負荷が日本の倍かかる環境で得た有形無形のスキルは生涯の宝になります。今回は、海外生活を乗り切る心構えをみつけた気がして嬉しいです。つまらない事でしたが読んでくださってありがとうございました。