大垣市で城郭ライター・萩原さちこさんの講演会があったので、その前に大垣城を訪問しました。
大垣城は大垣駅から徒歩5分、市街地の中にあります。かつては「水の城」とよばれ、三重に堀をめぐらせていましたが、現在は内堀・中堀が埋め立てられ、本丸のすぐ近くまで建物が立ち並んでいるので、天守も城にかなり近づかないと見ることができません。
大垣城は美濃守護・土岐一族の宮川安定により、天文4年(1535)ごろに創建されたと推定されています。城主はその後転々と変わりますが、大垣城が歴史上の表舞台に登場するのは慶長5年(1600)関ヶ原の戦いです。石田三成率いる西軍の前線基地となりますが、三成が関ヶ原で敗退後は3日間の籠城戦の末あっさり開城しています。江戸時代にはいり、寛永12年(1635)に戸田氏鉄が入城後は明治維新まで戸田氏11代の居城となりました。本丸には天守のほか4基の櫓がありましたが、本丸の面積はとても狭かったため、政務は今は大垣公園となっている二の丸の御殿で行われていました。
維新後は廃城となりますが、全国的にも珍しい4層4階の天守は破却を免れ、昭和11年(1936)に旧国宝に指定されます。しかし残念ながら昭和20年(1945)戦災により焼失してしまいます。
現在の天守は昭和34年(1959)に鉄筋コンクリートで外観復元されたものです。平成29年(2017)続日本100名城に選定されました。
大垣城見学のあと、大垣市郷土館、奥の細道結びの地などを回って講演会場の大垣スイトピアセンターへ向かいました。図書館や文化会館、学習館がある大垣市随一の文化施設です。
講演会場は定員100名ほど。お客さんは老若男女幅広く満席状態でした。ここでも最近のお城ブームの広がりを実感します。
テーマは「城の魅力と大垣城」
とはいうものの、大垣城そのものの内容は少なく、城めぐりを楽しむための視点を中心にしたお話でした。
①築城の目的と城の役割-城に必ずある目的や歴史的背景を読み取る
②立地から読み解く重要性-城が築かれる場所にも本質を知るヒントがある
③城の変遷が示すもの-築城者・築城年にとらわれず、ひとつの城の中に息づく歴史を見る
④個性・地域性にも注目-気候・地質・築城者などによってい城の素材や工夫が異なる
それぞれ実例を挙げながらわかりやすく解説をされました。萩原さんの講演を聞くのはこれで何回目でしょうか。まったく原稿に目をおとさず、流れるように90分間お話をされました。内容自体はかなりマニアックにも関わらず、極力初心者の人にもわかりやすようにお城の魅力と伝えようとする姿勢にはいつもながら頭が下がります。
天守
昭和34年(1959)に鉄筋コンクリートで外観復元されましたが、名古屋城などと同じく観光用に窓を大きくするなどの改変がなされたものでした。平成23年(2011)に行われた改修工事では戦前に撮られた写真などをもとに焼失前の外観に近いものに戻されています。
最上階から見る関ヶ原方面
この日は曇っていましたが、まさに関ヶ原は目と鼻の先です。
左側の山が毛利軍が陣を張った南宮山です。
大洪水の跡
明治29年(1896)木曽三川が決壊し、大垣市内は大洪水に見舞われ、大垣城の石垣にもその跡が刻まれています。積みなおされた部分も多くありますが、大垣城の石垣には全国的も珍しい石灰岩が多く使われています。
奥の細道結びの地
大垣城の外堀ともなった水門川は今も大垣の市内を流れています。綺麗な散策路にもなっている四季の道を南に下ると「奥の細道結びの地」があります。元禄2年(1689)松尾芭蕉が東北・北陸地方をめぐる「奥の細道」の旅を終えた地が大垣といわれています。松尾芭蕉の銅像のほか、芭蕉の句碑が建てられています。
近くには大垣のシンボルともいえる住吉灯台と船町港跡があります。また最近建てられた奥の細道結びの地記念館などもあります。
今回は最前列で聞かせていただきました。
次週も萩原さんとクリス・グレンさんのお話を聞きに豊橋まで出かけてきますよ。
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