高瀬要害山城に始まった紀南の旅は、これまでずっと安宅氏に関連する城館を巡ってきましたが、龍松山城は安宅氏と最後までしのぎを削った有力国人領主の山本氏のお城になります。山本氏は源氏の流れだそうで、南北朝時代のどこかの時代に北朝方に転じてから幕府奉公衆にも名を連ね、室町幕府の権威の下で安定的な基盤を築いてきたとされる名族です。

 

龍松山城本丸

 

それが境を接する安宅氏と長い間丁々発止の戦いを繰り広げている間にどんどん時代が進み、いち早く豊臣方についた安宅氏への対抗上か豊臣方への帰順が遅れ、やっとの思いで帰参がかなったものの、大和郡山城の豊臣秀長にご挨拶に赴いた帰路に、藤堂高虎によって周辺領主ともども誅殺されてしまうという可哀想な一族でもあります。真相はいろいろあるのだと思いますが、時代の先を読めない目先の小競り合いが命取りになったとも言えそうですね。

 


そんな山本氏の龍松山城は、二の丸下まで現在も畑地化されているため、本来の構造がどうなっていたのかがよくわからないところはあります。それでも二の丸から見上げた本丸切岸の見事さや、城域の北東尾根に残された深い二重の堀切など、ちょっとした見どころに溢れていました。何より二の丸まで車で登れるというのが有難いです(笑)。この道、本当に車で登っていけるのかとちょっと不安になる道なのですが、そこは大丈夫。

 

 

「普通車通行可」と明記された大きな案内看板に背中を押してもらえば、あとはせっせと山を登るだけです。車で。あーありがたい(笑)。