天地創造の神の全能 | 海南島のヨハネの黙示録

海南島のヨハネの黙示録

キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

2019年 7月16日①

天地創造の神は全能で当然である。

最近、昔を思い出すことが多くなった。

ある時、知人の家でテレビで野球を見ていた。

ふと気が付くつくと、少し先の状況を映している。

アナウンサーの声も野球場も全く同じである。

ただ、回数は何回か先である。

それで家族に言った。

「この試合は何点で、なになに球団の勝ちでした」

と…。

もちろん誰も信用しなかったが、しばらく後、その通りになった。

その頃は、そんな事は普通に起きていた。

私は思った。

(将来が1日でも見えるなら、大儲けができるな)

と。

(然し、数分ぐらいではしょうがない)

と。

神様は、私如きにも未来を鮮明に見せて下さった。

神には時間を早送りしたり、バックしたりが出来る。

全能は当然である。


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2019年 7月16日②

天地創造の神の全能は当然である。

聖書を見ると、イエス様が将来を予言することが時々出てくるが、預言者の様に霊感ではなく、現に見ていたのではないか…。

私はそう思う。

昔であるが、教会で小学生くらいの子供とジャンケンをした。

その時、私はその子が何を出すか分かっていた。

それで、からかいの為に同じ手を何十回も出した。

ついにやめたが、何百回でも同じであろう。

その頃は、くじを引いても一等は当たり前であった。

正月にベンツの会社でくじ引きがあり、一等を引いた。

鐘が鳴り、大勢が見ていたが、ベンツはくれず、しょうもないものが景品であった。

その頃は、3〜4桁の数字は当てるのが普通であった。

イエス様は魚の口に貨幣を見つける…こんな奇跡も普通であったかも。


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2019年 7月16日③

天地創造の神の全能は当然である。

一時期、奇跡はドンドンと起こった。

どんな危険なことをしても、自分が傷つくとは思いもしなかった。

車の事故も何度もあった。

然し、いつでも自分の車は傷痕を探すほどで、軽微であった。

だから勿論、修理なぞ出した事はない。

奇跡が当たり前になり、神に感謝することを忘れていた。

奇跡も半年も続くと当たり前になる。

イスラエルも同じ様だ。

連戦連勝が当たり前になり、奴隷から解放した神に反き、大悲劇が国に臨む。

それは人類でも同じではないか。

奇跡の集大成の様な地球に生まれても、創造の神を認めず、いつ迄神様は忍耐をされるであろうか。

奇跡が起きてなお神様に感謝せず罪人になるよりも、奇跡が起きなかった方が人類にとっては幸福かも。


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2019年7月16日④

天地創造の神の万能は当然である。

色々と思い出す。

昔であるが、空調用の装置を設計して作成した。

ある日、担当者から呼ばれた。

たしか、

「専門家が来て説明するから聴きに来て」

だったと思う。

私は5分くらいその人の話を聞いていたが、最後に言った。

「この装置は私が設計して作ったのだが」

それで話は終わりであった。

この世界の創造者は全能である事は当然である。

どんな有能な修理人よりも有能である。

私はそれを知っていて、神よりも人を有能視してしまう重罪人である。

神様の泣き声、イエス様の叫び、それを知っていた犯罪者である。

重罰は当然か…。


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