カーペンターズ | ビートルズやメンバーへのミュージシャンの発言集 The Beatles  影響 評価 

ビートルズやメンバーへのミュージシャンの発言集 The Beatles  影響 評価 

 ビートルズやビートルズのメンバーに対するミュージシャンの発言は今までたくさんありました 。おそらくこれから先もたくさん発言される事でしょう。ここはビートルズが与えた影響を記録していく場所です。

リチャード部分を追記しました

 

 カレンカーペンター

 

          米 ピープル 1976

◎あなたが最初に歌った歌を覚えていますか?   

 

ああ。 えーと。それはきっと、(エブタイド)と(イエスタデイ)や(ヘイ ジュード)ですね。私はビートルズに夢中だったんですよ。彼らは私たち兄弟がいつでも大好きなグループなんです。

 

 ◎今でもそうなんですか? 

 

 ええ そうです。彼らとビーチボーイズがそうです。 

 

◎ロックは好きですか。 

 

 はい。でも私はロックは歌わないでしょう。私がレッドツェッペリンの様なバンドが好きだと言ったとしてもあなたには想像できないでしょうね。

 

 

 

 

リチャード カーペンター

 

 

        ゴールドマイン  2022

 

◎カーペンターズが大ヒットを飛ばしたその時期、カレンと貴方のお二人のステレオで最もヘビーローテーションしていたレコードは何ですか?


  そうだね。その頃なら。。少し後になるかもしれないけど、ビーチ ボーイズの『Surf's Up』、シカゴの最新アルバム、ポール マッカートニーの『Ram』は間違いなくヘビーローテーションしていたね。キャロル キングの『ミュージック』もあったし、その前には『タペストリー』もあったよ。ちょうど "Rainy Days and Mondays "の頃に出たんだ。


◎あなたとカレンが70年代初期に撮った面白い写真があるんですが、レコード コレクションと一緒に写っていて、カレンは『バラッド オブ トッド ラングレン』のアルバムの中面を持って見ています。あなたとカレンは、トッド ラングレンのアルバムのファンでしたか?

 

 ああ、とてもね。トッドは才能のある人だ。だけどバート バカラックの音楽はそれをはるかに凌駕している。コード進行もコードの構造も違う。ユニークなサウンドだったのはトッドラングレンも同じだけどね。

 

 

「I Saw the Light」や「Hello It's Me」のような曲が収録された『Ballad of Todd Rundgren』に続く、彼の最大のアルバム『Some-thing/Anything』はどうでした?

 

  そうだね。カレンも私も『Something/Anything』のファンだった。

 

 


◎ソングライターとしてだけでなく、特にプロデューサー、アレンジャーとしてのあなたの仕事ぶりにはとても感心しています。プロダクションとしても、アレンジの面でも、『Close to You』のような絵に描いたような完璧なレコードを作るために、いったいどうやって早くから知識とノウハウを身につけたのですか?当時、あなたにインスピレーションを与えたプロデューサーやアレンジャーは誰でしたか?

 

  カレンも私も古い人間だった。昨日たまたまラジオで『Close to You』を聴いて、なんて素晴らしいレコードなんだろうと思った。本当にそうだ。ほとんど完璧なレコードだ。カレンはこの曲を歌ったとき、まだ20歳になったばかりだったのに、解釈に関しては年齢をはるかに超えていた。カレンはまだ20歳になったばかりだったのに、彼女の解釈は年齢をはるかに超えていた。でも私たちは、父がレコード コレクションで持っていたり、50年代初頭や50年代半ばにラジオから流れてきた古いレコードを買って聴いたりしていた。だから、インスピレーションの多くはそれらのレコードから得たものだと思う。メアリー フォードのオーバーダブ ハーモニー、レス ポールとメアリー フォードのレコードはタイトなヴォイシングで、オーバーダブされている。1950年か1951年だったと思うから、私が4歳半の時だった。
 

 


◎『Close to You』でのプロデューサーとアレンジャーとしてのあなたの選択は見事なものです。あなたが下した決断はすべて完璧な選択でしたし、レコーディング・キャリアの初期にそれを行えたことは驚くべきことです。


  そうだね。というのも、私は選曲や作曲だけでなく、編曲も担当していたからだ。アレンジャーはこの業界の縁の下の力持ちなんだ。実績のあるシンガーがいて、実績のある曲があったとしても、あるいは大ヒットするような曲があったとしても、アレンジが適切でなければ、どこにも行くことはできないからね。バートバカラックのアレンジは、私たちの曲が完成するまで聴いたことがなかったけれど、『Close to You』は間違いなく影響を受けている。だからバカラック的な影響があるんだ。
 

 

◎「Close to You」のような曲であなたとカレンが奏でるような豊かなハーモニーを作るという点で、カーペンターズのトレードマークであるハーモニーを作るために採用したプロセスを教えてください。

 

  ファースト アルバムでは8トラックを使ってオーバーダブ ヴォーカルをやりたかったので、かなり制約があったんだ。でも『クローズ トゥ ユー』からは16トラックになった。典型的なカーペンターのコードでやったのは、"Close to You "の最後の部分みたいなもの。4声のハーモニーで、それを3倍にしたんだ。だから4パートを12人で歌うんだ。その冒頭のコードは変ニ長調7の転回だ。カレンと私が外側のハーモニーを一緒に歌うトラックはそれほど多くなかったから、カレンがトップを、私がボトムを取って、納得がいくまでやって、それを2倍、3倍にして、内側の2つのハーモニー(私たちはBG、バックグラウンドと呼んでいる)に入る。つまり、BG1が外側のハーモニーで、BG2が内側のハーモニー。それが私たちのやり方だった。でも、あのレコードについて考えてみてくれ。ストリングスも入れたかった。チャック フィンドリーのトランペットのオーバーダブも欲しかった。もちろんトラックはあったし、最後のほうにはウーリ(ウーリッツァー)のエレクトリック ピアノが少し入っている。


◎カーペンターズのレコーディングの中で、本当に素晴らしいベーシック トラックを作るのが難しかったものを覚えていますか?
 

  ああ、"Close to You "だ。


◎なぜ難しかったのですか?


  非常にごまかしの効く曲で、ごまかしの効くアレンジなんだ。全体的に簡単な曲のように聴こえるが、あの曲で困ったのは、タイミングとリズムがとても厳しかったことだ。急ぎ始めるのはとても簡単で、結局のところ、クリックトラックが必要だということを認めたくないんだ。最終的に私たちはこう言った、「それで「Close to You」はベース、ピアノ、ドラムの基本的なトラックを作るのに40テイクくらいかかった。」

 


◎「恋にさよなら」、「イエスタデイ ワンス モア」、「トップ オブ ザ ワールド」などでの作詞家ジョン ベティスとのコラボレーションはとてもうまくいきましたね。あなた方の共同作業の本質的な魅力、創造性をかき立てる火種は何だったのでしょうか?


  1966年に大学の合唱団のディレクターから紹介された。ディレクターは私がポップソングを書いていることを知っていたし、ジョンにも少し会ったことがあって、彼が曲を書いていることも知っていた。でも私にとっては、彼の歌詞が特別なものだったから、一緒に仕事ができると思ったんだ。でもカーペンターズがヒットする前に、彼は未知の世界に行ってしまい行方知れずになった。だから、A&Mレコードの出版社は、"ポール ウィリアムスや他のライターと仕事をするのはどうだろう?"と言ってきた。だけど私は「ジョンを知っている。一緒に仕事ができると思うので、彼を探してほしい」と言った。彼がどこにいるのかは知らなかった。北カリフォルニアか中央カリフォルニアにいたと思うんだけど、A&Mの人たちが彼を探し出してロサンゼルスに連れてきてくれて、契約してくれたんだ。私には他人の才能を見抜く才能があるんだ。

 

◎あなたとカレンはビートルズの大ファンでしたね。カーペンターズが "Help "と "Ticket to Ride "をカヴァーしたのは有名です。ポール マッカートニーと10ccのストロベリー スタジオで会ったときのことを教えてください。


  74年にイギリスをツアーしていたとき、ポール マッカートニーから弟と一緒にレコーディングしているというメッセージを受け取ったんだ。彼らはマイク マクギアのアルバムをレコーディングしていたんだ。それでポールが僕らも立ち寄ってみないかと聞かれたから、もちろん立ち寄ったよ。それで立ち寄って(笑)、彼が弟のマイクと一緒にいるのをただ見ていたんだ。しばらくして、もちろん彼らは忙しかったから席を外したんだけど、尋ねることが出来たのは本当に嬉しかったよ。ポールは私たちを褒めてくれたし、カレンの歌についても本当にいいことを言ってくれたんだ。

 


◎カレンは自分がいかに優れた歌手であるかということに自信を持っていなかったようですが、ビートルズにおけるポールの作曲パートナー、ジョン レノンと遭遇したことがありませんでしたか?


  うん。彼女はそのことを電話で話してくれたんだ。彼女は恋人と一緒にビバリーヒルズのあるレストランに向かっていた。ジョンレノンがその店から出てきて、通りすがりにジョンがカレンに「素敵な声だね、ラヴ」とか「美しい、あるいは素晴らしい声だね、ラヴ」とかそんな事を言ったんだ。

 

  私は彼女にこう言った。「カレン、もちろんこの人たちはみんな、君が素晴らしい歌手だから、君が素晴らしいって言うんだよ!」。私は彼女が、自分がどれほど偉大な歌手なのかをわかっていなかったと思う。バーブラ ストライサンドと遭遇した時も同様だったんだよ。彼女に遭遇して、彼女は "あなたの楽器は素敵ね "とか言ったんだ。
 


◎「雨の日と月曜日」は、美しさと哀愁が融合したカーペンターズの名曲です。カレンの歌には深いメランコリーがありました。哀愁とつながる彼女の能力の源泉はどこにあると思いますか?


  自分の遺伝子と、父親が音楽を置いていた地下室に戻ってきたこと。あそこで音楽を聴くんだ。あそこに行くたびに、私がクラシックを演奏していなければ、彼女はそれほど夢中にはならなかった。でも、私が他の種類のレコードをかけていれば、彼女は降りてきて一緒にレコードを聴いてくれた。父は好きな音楽の種類がかなり多様化していた。だから彼女は年配のシンガー、ナット コールやペリー コモスを聴いて、そのすべてを吸収したんだ。彼女は受け皿だったけれど、天性のものだった。彼女はこういうものを歌うために生まれてきたようなものだった。

 

  トム ノーランが『ローリング ストーン』誌の表紙で彼女の人生について書いたように、彼は「あの素晴らしい歌声は、レコードで聴くのと同じようにライヴで聴くことができる」と言った。そして彼は、それが "若さと知恵の融合 "だと言った。
 

 

◎最後に仮定の質問をしましょう。もし、もう一度カレンと一緒にいられるとしたら、たとえ1時間でも、いろいろなことを話して、ピアノを弾いて、何曲か一緒に歌ってもらえると言われたら、どんなことを話して、どんな曲を選んで歌ってもらいたいですか?


 

  そうだね、彼女がいかに素晴らしい歌手であるかを改めて知ってもらいたい。彼女と一緒に歌う曲のひとつは、"But Beautiful "だね。この曲はビング クロスビーのロード ピクチャーの中の一曲で、スタンダードになったよね。
 

 

 

◎あなたが影響を受けたポピュラー音楽のソングライターを一人挙げるなら誰ですか?

 

 

 一人選ぶとは難しい質問だ。私には50年代の音楽がとても大切なものだから、たくさんの古い名前が頭に降り注いでくる。一人に絞るのは本当に難しい。絞るならたくさんの素晴らしい曲を持つバート バカラックかな。でも、ポールマッカートニーも同様の理由で好きなんだ。要するに共通する点としてコード進行と楽曲のユニークさが私にとっては何よりも大事なんだ。キャロル キングも名前が浮かんでくる。いずれにしろ、私にとっては音楽的に成長していた古い時代こそが大事なんだよ。

 

 

 

 

 

       カレンカーペンター 栄光と悲劇の物語

 

 

 

 1950年3月2日、カレンアンが生まれた頃には、三歳半のリチャードは既に音楽において早熟なところをのぞかせていた。カレンは音楽、特にビートルズが大好きになった。カレンが憧れていた二人のドラマー、ジョーモレロとリンゴスターが使用していたラディグ製のドラムセットを両親にねだった。独習したカレンは生涯続くことになるドラムスとの恋に落ちた。

 

 

 1969年レノン=マッカートニーが何の未練もなく分裂に向かった。

 

 

 レコード会社A&MのAであるハーブアルパートはデスクの上に積まれた何百本というデモテープのうちの一本を聴いて、すぐさま彼らに契約の申し出をすることにした。アルパートの背中には嘲笑が浴びせられはじめた。ギンギンのロックミュージックと独断に満ちたライフスタイルが珍重されるその時代にあって、感傷的で古くさいラブソングを歌い、タバコも吸わなければ麻薬もやらず、プレッピーのような印象を与えるデュオとの契約に走ったと。

 

 

 リチャードカーペンターは、もしカレンの声で聴く者を(ぞくっとさせる)曲を見つけることができれば、カーペンターズはポピュラーミュージックの世界において確実に承認されるはずだと気付いた。カーペンターズの曲は週を追うごとに上昇。その時代を覆う暗い影と鮮明な対照をなした。

 

「愛のプレリュード」

 

 

 

 何千もの若いカップルが結婚という門出でその曲を祝歌に選んだ。その曲に感動したカップルの中にはポールとリンダのマッカートニー夫妻もいた。

 

 

 カレンがニッキーチンといっしょに、ロサンゼルスのメルローズパレスにあるル レストランに食事に行った時の事だ。彼らが、レストランの外の並木に縁取られた綺麗な中庭を通って帰ろうとしていると、ジョンレノンが歩いてきた。レノンはカレンに気付き、足を止めて話しかけた。(君に言いたいと思っていたところだよ。君の声は素晴らしいね。)そして、名前を告げることさえせずにそのまま歩いて行ってしまった。

 

 

 カレンは幼い少女のようにどぎまぎした。ニッキーと車に向かいながら、彼女は興奮で息を切らしていた。(今の言葉、聞いた?ジョンレノンよ!)彼女はずっとビートルズの大ファンで、その一人からこんな褒め言葉がもらえるとは信じられないのだった。

 

 

 1974年の春、リチャードとカレンはポールマッカートニーから(会いたい)と招待を受けた事は光栄に感じた。彼はストロベリースタジオで弟のマイケルの〈マクギア〉というアルバムを作っていたのだ。リチャードは、あれほど影響を受けた作品を生んだマッカートニーと握手できると思うと心が浮き立った。

 

 彼らがスタジオに入ると、ポールは(トップオブザワールド)のコーラスラインを歌って迎えた。今、ポールは語る。(あの声の持ち主と直接顔を合わせるのが楽しみでした)。カーペンターズがビートルズのファンだったのと同様、マッカートニー兄弟はこの兄妹の賛美者だった。

 

 

 

 ポールもリチャードもカレンもみなロックンロールを愛していたが、三人とも活動を厳密なロックの枠の中だけには閉じ込めなかった。ロックの範疇から外れる美しいポピュラーソングを書いたことで、彼らは評論家たちから非難されていた。ラブソングを書き、それがヒットしながら酷評されることは、ポールとカーペンターズに共通する話題だったが、彼らは肩をすくめただけで、これに関してはさほど話題にしなかった。



 ポールが言う。(僕がカーペンターズを好きな理由の中心はカレンでした。あの素晴らしい声、音楽的にどうこうではなく、実に印象的なんです。それにあの曲、彼らはヘンリーマンシーニと友人なんですよね。彼らの音楽性については、この事実だけでも多くがわかるはずです。)(彼らには〈愛のプレリュード〉や〈遥かなる影〉といった素晴らしい曲があり、それを素晴らしく歌っています。これ以上は必要ないと僕の心に言わせるものを持っているんです。)


 リチャードが携えて行った(バンドオンザラン)に書かれたポールのサインは、(ディッキーへ。悪友より)。ポールマッカートニーは彼らと会った後、それほど時を経ずしてカーペンターズを呑み込むことになった悲劇に思いを巡らせて、首をひねる。(カレンが太っているなんて、まったく思わなかったけれど。)


 カレンは友人たちを見回し、ことに(グリース)のオリヴィアニュートンジョンに目を向けては、自分には美しさが欠けていると極めて親しい友人たちに嘆いたものだった。 不滅とさえいえるあんなに卓越した声とあれほど高く上り詰めたキャリアに恵まれてさえ、容姿に対する不満という彼女だけの思い込みのハンディが彼女を悩ませていた。

 

 

             ポールマッカートニーのインタビュー

 

  リチャードとカレン カーペンターが "Jet "のことを電話で伝えてくれたのを覚えている。彼らは "素晴らしいレコードだ!"って言ってくれたんだ。だから、実際に人々の心に響いていたってことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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