家出した2年前の夏は、私は教祖からの食事制限により体重30キロを切っていて、所持金は1万円。
お財布取り上げられて、身分証明書もクレジットカードもない。
携帯も持っていない歴10年でした。
教祖は外国人で、1年に1~2度来日し、来日するとY家に3ヶ月滞在し、その間は私達家族はほとんどの時間をY家ですごし、自宅には寝泊まりだけに帰るということが多くなっていきました。
10人くらいの集団生活なのですが、教祖からは私達は1つの家族だと言われていました。
実際、私は家出するまで、15年くらいその人達を心の底から家族と思い、大切に思って生きてきました。
ただ、始めは私達家族を大切にしてくれて、私達家族の絆を深めてくれていた教祖が、「私は神だ」と言うようになり、日本に来日しても、私達家族の家に滞在することがほとんどなくなり、代わりにY家に滞在するようになるにつれ、私達家族、特に父と私を非難することが増えていきました。
初めは父が非難され、段々と、潤子も父の悪い影響を受けてしまった、と叱られることが増えていきました。
私達家族はY家を大事にしなさい、と教祖に言われ続け、月に二回、Y家のお墓参りにも一緒にお参りに行くようになり、私達家族のお墓参りにはもう何年も行けない、という状況が続きました。
教祖は集団の中で、父や私、特にY家の長男を猛烈に非難するようになり、Y家の長男と私がよく暴力を受けるようになりました。
私は幸いなことに体にいくつかあった痣は消え、今では体重も増えて元気ですが、1番ひどい暴力を受けていたY家の長男は、目と耳に深い傷を負い、大好きな車の運転もできなくなりました。
Y家の長男は私が家出する1週間前に家出し、1度もY家に帰ってきていません。
私の母は私の家出中に自宅を出てY家で暮らせと教祖の指示があり、Y家で暮らすようになり、現在にいたっています。
私は家出した半年後に来日した教祖から連絡を受け、Y家に行きました。
母に会いたかったからです。
教祖から、Y家で暮らすようにと言われ、母ともう離れたくなかった私はY家で3ヶ月暮らしました。
母と一緒にいられることは嬉しいけれど、再び教祖の支配下にいることの拒否反応が日増しに増していきました。
Y家では母と一緒に寝ていたのですが、母が寝る前に、
「潤子も帰ってきたし、いつかはまた潤子と一緒に自宅に帰りたい」と1度だけ言ったことがありました。
Y家から勤めていた保育園に通っていたのですが、昨年の4月、5月はコロナで休園になり、私はもう教祖から自由意思を制限されたくない、という自分の本音に向き合うことになりました。
私はその間、心から信頼するサイキックカウンセラー晶子さんにメールですべてを打ち明け、相談に乗ってもらっていました。
私は昨年の1月に初めてサイキックカウンセラー晶子さんのセッションを受けていました。
https://ameblo.jp/psychicakiko/entry-12572973734.html
神様に悪魔が憑いていると言われましたと晶子さんに告げると、晶子さんは、
「潤子さんは天使のような人ですよ。潤子さんは前世でクリスチャンだったことが多かったので、マリア様の御加護があります」と伝えてくれました。
それが、私が教祖を真に疑うようになるきっかけになりました。
晶子さんに背中を押してもらい、私は5月に教祖に独立宣言をして、父の待つ自宅に帰りました。
家出してから、10ヶ月ぶりの我が家でした。
自宅に帰って5ヶ月後の昨年の10月から、父が寝込み、検査の結果、末期の膵臓癌でした。
自宅に帰って、元気な父と2人で暮らせた5ヶ月間は、父と私にとってプレゼントのような時間だったと思います。
教祖に独立を宣言し、Y家から出て行こうとする私に、母は、
「もう2度とY家の経営するお店を手伝えなくなるわよ。それでいいの?」
「いいです。このままだと私の人生は教祖のための人生になってしまう。いつか死ぬ時に、後悔することになってしまう。」
「じゃあ、早く行きなさい!」
そう言う母の目には、私の意思を尊重しようとする心が感じられました。
母は子どもの頃から、私の自由意思を尊重してくれる人でした。
母自身が過保護に育った経験から、子どもを束縛したくない、自由に育てたいと思っていたそうです。
子どもの時から、勉強しなさい、と父と母に言われたことは1回もありませんでした。
私が司法試験を20年近く続けられたのも、教祖の影響は確かにありますが、父も母も私の意思を尊重する姿勢を変えなかった、ということでもあります。
私は昔から、友達や周りの人に、
時には感心したように、
時には半ばあきれたように、
「純粋だよね~」
と言われてきました。
私から見ると、父も母もそれぞれに生きることに不器用で、ものすごく純粋で、
この両親のもとに生まれたら、
純粋なところはあるだろうな!という感じです。
ただ、純粋でも、母は真面目過ぎて、自分を愛する姿勢が脆弱で、
父はいい意味で、真面目過ぎない柔軟なところがあり、自分を愛する姿勢がどこかありました。
そういう、自分を愛する姿勢の有無が、教祖のことを見破ることができたか、愛する子供の自立を応援できたか、を分けているな、と感じています。