皆さん、こんばんは☺
潤子です。
先日、大好きなかずみんさんの過去のVoicy#323を聴いていたら、
1番ありがとうと伝えたい人という回で、
それは自分だってお話していました。
それを聴いていて、
あ~私もそうだなぁ~としみじみ思いました。
私、今までの人生を振り返ると、
本当に正直、
よくここまできたなぁ~
もう1回同じ道繰り返すなんて絶対無理!!
本当によくここまで頑張ってきたね、、!!😭👍👌👏
と、自分に本気でスタンディング・オベーションしちゃうくらいなんです!!
このブログでは、教祖さんからの家族ぐるみの洗脳にあったことをお伝えしてますし、本当にすごい目にあいましたし、そこから抜け出す過程もまたすごい経験でした。
でも、よく振り返ると、私が本当に精神的に苦しかった時期は、小学校高学年、思春期から中学生、高校生の時に自分で自分のことが肯定できなくて、責めていて、そんな胸の内を誰にも相談できなくて、ずっとずっと1人で考えて悩み続けて、暗くて苦しくて光が見えなくて。
そんな時期が本当に暗闇の中にいるような気持ちだったんですよね。
そんな辛い心に光を届けてくれたのが、
なまけ者のさとり方という本でした。
その本に書いてあった、
自分のことを責める自分もすべて愛しなさいという言葉がとてもとても響いたんです。
すごくすごく自分を責めていて苦しくて、でも本当はもう苦しみから解放されたかったから。
私には一筋の光明✨のような言葉でした。
また、それだけ暗闇の中にいたからか、私はいつも綺麗なものにすごく敏感でした。
花の美しさにすごく心惹かれたり、感動していました。
空の青さやお日様の光。
夜空に光るお月様とお星様。
よくずっと眺めていました。
人の愛情にも敏感でした。
当たり前のように愛情をかけてくれる祖父母や2人のひいおばあちゃんの温かさが宝物でした。
父も母もそれぞれが何か心の悩みを深く抱えていて、2人とも私のこと愛してはいるけど、子どもの私のことを見守る感じが本当にあまりなかったんですよね~
小学生、中学生、高校生といつも友達には恵まれていて、内面では深く悩みながらも仲良くしてくれる友達が必ずいて、救われていました。
自分なりに自己肯定感を育て始めていた時に、
教祖さんと出会って。
教祖さんも出会った頃は本当に純粋な青年で、
私は本当に救われたんです。
家族ぐるみで仲良くなって、父も母も教祖さんのお陰で心救われて。
父と母の幸せを心から願っていたので、本当に教祖さんに出会えたことが有難かったんです。
そう、教祖さんに出会ったのは運命だったんだなと思っています。
結果的には、洗脳されかけて、自由を奪われて、というところまで行くのですが、それにも過程があり、始まりは愛があって感謝があったんです。
だからこそ、教祖さんのことを本気で長い間愛していましたし、信じていましたから、
あれ?でもなんかこんな人だったっけ?ということが段々と増えていっても、
変わってしまったんだという真実に中々気が付けなかったんです。
でも、段々と理不尽な目にあうたびに、自由を奪われるたびに、私の人生を生きなければ!という思いが無意識に強くなって、私は家を出ることができました。
家を出た時は食事制限を受けたりしていたこともあり、体重は30キロを切っていて、ほとんど無一文で。
今年の夏で家出してから4年なんです。
私の家出、自立を応援してくれた父が亡くなって1人暮らしを始めて2年。
保育士として社員になってまだ半年。
この4年は自由な人生の始まりの4年で、大変なこともあったけど、孤独な寂しさもあったけど、でも自分の人生を生きられる幸せを感じ始められていて。
本当に辛かった時期に比べたら、
全然楽ちんでした(笑)
事実は小説よりも奇なりという言葉がありますけど、私の人生、俯瞰して見るとこの言葉がピッタリ当てはまるんですよね~
ブログには書いていない、
それ、本当~!?😳みたいな事実もけっこうあったりして。
いつか自分の人生を振り返って小説書いてみてもいいかも、、とちょっと思うことがあります。
とにかく、もう1回同じ人生生きろと言われても、もう1回あんなにひたむきに一生懸命ここまでたどり着けない!と思うんです。
そういう意味では、私はここまでたどり着いた私自身を尊敬してると言っても過言ではありません。
私なんだけど、私を超えた何か、きっと色々な人や存在に守られて、私自身も頑張っての今なんだと感じています。
ここまで頑張ってきてくれて、ありがとう。
これからまた、素敵な景色を沢山、沢山見ようね✨💞🍀と私自身に心から伝えたいです。