
ビーサン履いて裁判所で通訳
もう四半世紀も前のこと。当時、私は、ヘルピング・ハンズ・ハワイと言う非営利団体で働いていました。所長は現連邦上院議員のブライアン・シャッツ氏。私の仕事は、病院や警察など、主に公共施設に行って通訳をすることでした。仕事と言っても、アルバイト程度でしたが、上司に頼まれて、団体のオフィスで電話番をすることがよくありました。
ある朝、日本人通訳を移民裁判所にすぐに派遣して欲しいという電話がありました。私は早速、日本人の通訳に連絡しましたが、急だったので、行ける人がいません。そこで、私が行くことにしたのですが、家に帰って着替えをする時間がありません。当時、家内は裁判所の近くで働いていたので、事情を説明し、仕事に行くときに私の着替えを一式持ってきてくれと頼みました。ちょうどいいタイミングだったのです。
裁判所に行くときは、本当は背広を着なければいけないのですが、ここはハワイ。アロハシャツとスラックスで大丈夫です。家内の職場に行って着替えをしたのですが、家内は靴を持ってくるのを忘れたのです。私は、いつも通りビーサンを履いていました。しかも、移民裁判所の判事は、厳しいことで有名でした。ほかの日本人通訳が行けなかったのも、もしかしたらこの判事の通訳をしたくなかったからかもしれません。
私は、家内の職場で夫婦げんか。家内の同僚が私の味方をしてくれました。しかし、決着をつける時間もないので、ビーサン履いて裁判所へ。判事は、気が付かなかったのかどうかは分かりませんが、何も言われなくて助かりました。夫婦喧嘩は犬も食わないと言いますが、後で笑える夫婦喧嘩は、いいのではないでしょうか。
ゲーム・オーバー
進化論に関する記事は、今回が最後になります。今回は結論ですので、まだの方は、進化論に関する今までのすべてのブログを先にお読みください。これは、化学進化のブログも含めた結論ですので、そのブログも参考にしてください。
科学革命は、16世紀から18世紀における科学的な進展と考え方の変革を指します。コペルニクス、ガリレオ、ケプラー、ニュートン、ベーコンなどが代表的です。彼らは、神がデザインされたからこそ宇宙にはインテリジビリティー(理解できるという特性)があると考え、今風に言うとID(インテリジェント・デザイン)論者でした。
当時、神抜きで科学を説明することは、今より容易だったと言えるかもしれません。ビッグバン、宇宙の微調整、DNAがコードであることなどが判明した今は、それらの裏に何らかの知性が働いていたのでなければ、説明することが困難になっています。なのに、どうして現代の方が無神論者の学者が多いのでしょうか。
当時、有神論を否定した学者は、迫害されたか、少なくとも冷たい目で見られたことでしょう。それが大きく変わったのが19世紀で、この変化に最も貢献したのが1959年に出版されたダーウィンの「種の起源」だったと言えるでしょう。進化論的思想は、人文科学にも取り入れられ、有神論と無神論の社会的立場が逆転したのです。現在、米国のほぼすべての大学は、一部のキリスト教系の大学を除いて、思想的にも政治的にも、無神論で革新派です。
例えば、2020年のアンケートによると、ハーバード大学教授の41.3%がリベラル、38.4%が非常にリベラル(通常米国ではレフト「左派」、あるいはプログレッシブ「進歩主義者」と呼ばれる)だと自称しています。18.9%が穏健派、1.4%が保守派です。2015年から18年までに政治献金をした2,000人の大学教授を調べると、95%が民主党、共和党はわずかに1%でした。
共産主義は無神論に基づいた政治理論で、社会進化論を提唱しています。共産主義でなくても、左派は無神論者が多いですが、欧米の大学に無神論者が多いことは、左派が多いことと深い関係があります。
そのため、ID論者でなくても、有神論者であるというだけで風当たりが強いと述べる大学教授は多いです。授業中に有神論の学生に対するパワハラ的発言があったと言う話もよく聞きます。宗教に無関心な人が多い日本では想像できないかもしれません。
ID信奉者が口をそろえて言うことは、公表はしていないが自分も実はID信奉者である、と内密に彼らに打ち明ける教授が多いということです。先述したケニオン氏のように終身在職権のある教授はまだいいですが、若い教授は職を失うことを恐れているのです。終身教授は、その大学や機関において安定した地位を獲得し、解雇が難しくなり、研究と教育に専念できる環境を提供されているのです。
しかし、ディスカバリー・インスティチュートが主催した声明「科学的立場からのダーウィン進化論への異議」には、千人以上の学者が署名しており、その数は増え続けています。これはID論者でなくても署名して差し支えない内容です。しかし、主催がIDの本家本元であるディスカバリー・インスティチュートですので、IDに賛同しない学者が署名することは少ないのではないかと思われます。以下は、その声明文とリンクです。
「我々は、ランダムな変異と自然選択によって、生命の複雑さを説明することができるという主張を疑問とする。ダーウィン理論の証拠を注意深く吟味することを要求する。」
「化石記録における過渡的な形態の存在が極めて稀であることは、未だに古生物学の企業秘密だ。」「この進化的自然史の伝承に基づく『とにかくそうなんだ』と言う語り口は、何の証明にもなっていない。」(ハーバード大学進化論学者、スティーブンJグールド)
「私たち古生物学者は、適応的な段階的変化を生命の歴史が立証すると言ってはいるが、実はそうではないことを知っている。」(アメリカ自然史博物館、ナイルズ・エルドリッジ)
これらのコメントは、ダーウィニズムに反対する進化論者によるものであり、ID論者のものではありません。ID論者でなくても、このようにダーウィニズムを厳しく非難する有名な学者は増えていますが、ダーウィニズムにとって代わる説はまだありません。
対照的に、ダーウィニストのリチャード・ドーキンス氏は以下のように述べています。「進化論を信じていないと主張する人に出会った場合、その人は無知、愚か、狂気じみているか邪悪だと断言しても全く差し支えない。」この違いはどこから来るのでしょう。彼は、生物学者としてより、むしろ無神論者として有名ですが、無神論という彼の信仰以外には、考えられません。
カリフォルニア州立大学バークレー校は、カリフォルニアの州立大学の中では最も優秀な大学です。その進化論学者、リチャード・ゴールドシュミット教授は、「ダーウィンの進化論は種の中における変化しか説明できない」と述べました。このコメントに対するダーウィニストからの批判に関して、彼は、「今の私は狂気であるばかりか、ほとんど犯罪人だ」と述べています。ドーキンスに同調する学者がいかに多いかが伺えます。
方法論的自然主義とは、科学的な研究や探求において自然の法則や物質的なプロセスのみを考慮し、超自然的な要因や干渉を排除するアプローチを指します。対するIDは、必ずしも超自然的な要因や干渉を説いているわけではありませんが、生命の起源やカンブリア爆発には知性が必要だと主張しています。イースター島の石像が、知性によらなければ作れないものであり、自然にできたものではないと考えるのと同じです。
イースター島の巨大な石像を誰がどうやって作ったのかは未だに謎ですが、だからと言って自然の法則や物質的なプロセスでできたと考える人はいないでしょう。ID論も同じで、具体的なプロセスはまだ分からないが、知性なしには無理だと主張しているのです。石像と違って、生命の起源やカンブリア爆発は、人間が起こすことはできませんので、超自然的存在がそれをしたのではないかと言う推測ができます。
リチャード・ドーキンス氏は、生命が自然に発生した可能性が著しく低いと言う計算結果の有神論的意味合いについて、以下のように述べています。冗談ではないかと疑いたくなるような記述です。
「一般的な人間の意識には分かりにくいが、生命の起源に関する問題について、奇跡のような理論がまさに私たちが探し求めるべき理論だ。進化が、我々の脳を、寿命が1世紀に満たない生物に適したリスクと不可能性の主観的な意識で装備したためだ。…とは言うものの、計算には非常に多くの不確実性があり、もし化学者が自然発生的な生命の創造に成功した場合、私は動揺しないであろうことを告白しなければならない。」
筋の通らない論理を説明するのは難しいですが、試みてみましょう。「人間は弱い存在なので、リスクのあることや不可能なことを主観的に考える傾向がある。客観的に見て奇跡的と思われる化学進化論は、そのような人類にとっては最も適した理論だ。」奇跡的な理論だが、人間にとって受け入れやすい理論だから正しい、とでも言いたいのでしょうか。と言いながら、この奇跡的理論が正しいと証明されても驚きはしないと言うのです。
「たとえすべてのデータがインテリジェント・デザイナーを指し示しているとしても、そのような仮説は自然主義的ではないために科学から排除される。」(カンザス州立大学生物学者スコット・トッド)
「我々は、科学の一部の概念が極めて不合理であるという事実、多くの健康や生命に関する誇大な約束が果たされていないこと、科学者のコミュニティーが未検証の話を容認する姿勢などにかかわらず、科学の側に立つ。なぜなら、我々は、前提として物質主義への忠誠心を持っているからだ。科学の方法論や機関が、何らかの形で、現象の世界の物質的な説明を我々に受け入れるよう強制するわけではなく、逆に、我々は物質的要因の先験的な信奉によって、どんなに直感に反するものであろうと、初心者にはどんなに神秘的に見えるものであろうと、物質的な説明を生み出すための調査体制と概念を作り出すことを余儀なくされている。さらに、この唯物論は絶対的だ。なぜなら、神聖なるものが入り込む余地を許すことができないからだ。」(ハーバード大学進化論教授リチャード・レウォンティン)
彼が持っている「物質主義への忠誠心」、「物質的要因の先験的な信奉」とは、「唯物論」、つまり無神論という信仰です。科学者たちがどういう動機で自説を主張しているかは、その真実性とは関係ありません。しかし、これらの引用を見てもお分かりのように、この論争は単なる科学的なものではなく、思想的なものでもありますので、どういうバイアスがあるかを知ることは、理解に役立つと思われます。
多くのダーウィニストが守ろうとしているのは、ダーウィニズム自体ではなく、物質主義的自然主義です。物質だけが実在するとし、超自然的な要素や存在を否定する概念です。つまり、物質の法則とプロセスだけが宇宙を説明する基本的な要素であると考える立場で、簡単に言えば無神論なのです。
その点、動機やプライドに反する結論を出した人の意見には、説得力があります。アンソニー・フルー氏は、世界で最も有名な無神論哲学者の一人でした。ところが、2004年、一転して神を信じ、哲学界を驚かせ、バッシングを受けました。その後、彼の考えが変わった理由について、以下のように述べています。
「特に二つの決定的な要因があった。一つは、アインシュタインや他の著名な科学者たちの洞察に共感するようになったことだ。彼らは物理的な宇宙の統合された複雑さの背後に知性が存在するに違いないと考えていた。二つ目は、私自身の洞察であり、生命そのものの統合された複雑さ、これは物理的な宇宙よりもはるかに複雑だが、その源は知性であるとしか説明できない。
私は生命の起源が生物学的な観点から単純に説明できないと信じている。これについては多くの試みがなされてきたが、そのいずれも説得力がない。毎年新たな発見があり、生命の豊かさと内在的な知性について知られるようになるにつれ、化学的な混合物が魔法のように遺伝子コードを生み出す可能性はますます低くなった。私にとって明白になったのは、生命と非生命の違いは化学的なものではなく、存在論的(存在や実在、実体に関する研究や考察)なものであるということだ。
この根本的な隔たりを最もよく示しているのは、リチャード・ドーキンスが『神は妄想である』で、生命の起源を幸運な偶然に帰すると主張した滑稽な試みだ。ベストを尽くした議論がこれなら、ゲーム・オーバーだ。私は(神の)声を聞いたわけではない。私をこの結論に導いたのは、証拠そのものだ。」
