タイで12回目のボランティア旅行:全面的サポートを止めることに
孤児院サポート、奇跡の引き継ぎ
私は、103歳の母の介護で日曜日に教会には行けないのですが、去年2月、まだ元気だったころ母が通っていた松山の教会を訪ねる機会がありました。その日は東京に行かなければならない用事があり、朝、母にショートステイに入ってもらったのです。私は、その後教会に行って、礼拝後、空港に行きました。教会では、母が元気にしていることを皆さんに伝え、翌月タイに行くことを話しました。
私が以前牧師をしていたハワイの教会は、同じ教団のタイの教会が運営している孤児院を全面的にサポートしてきました。しかし、母の介護で5年前に牧師を辞めなければならなくなったのです。教会に残っていた献金を孤児院のサポートのために使っていたのですが、あと1年でそのお金もなくなるという状態でした。その事情を説明して、後を引き継いでくれる教会、あるいは人を探しているという話をしたのです。
その教会にSさんという中小企業の社長さんがいます。忙しい方で、日本だけでなく、世界を駆け巡っており、教会に来ることはめったにないのですが、その日はたまたま来ていました。その彼が、礼拝後、金額がいくらかも聞かないで、サポートを買って出てくれたのです。来年は一緒に行きましょうという話をして別れました。正に、神の摂理による導きでした。
こうして、去年3月、タイで孤児院の運営費1年分を渡したのですが、それで終わりではなく、続けてくれる人が見つかったことを伝えることができました。そして今年3月、Sさんは、お子さん二人と仕事仲間を一人連れて来ることになりました。こうして、今年は過去最高の11人のチームメンバーが日本やハワイから集まりました。
Sさんと子供さんたち
特殊詐欺とイラン攻撃
孤児院はミャンマーとの国境に面したメソトという市にあり、国境の向こう側は、去年特殊詐欺事件で有名になったところです。そのため、今年も当局の取り締まりが厳しく、4人がメソト市に入る直前の検問所やメソト空港で止められ、教会の人に迎えに来てもらわなければなりませんでした。私は歳のせいか無視されました。
しかし、今年の最大の問題はホルムズ海峡閉鎖によるガソリン不足。6人はバンコクやチェンマイの空港からレンタカーやハイヤーで行きましたので、ガソリンが買えるかどうか不安でした。特にメソトはほかの市に比べて不足しがちで、ガソリンスタンドには車やトラックの長蛇の列。幸い、全員無事に往復できました。
全種類売り切れのサイン
ホテルアメニティーが人気
次男は職場で今回の旅行について同僚に話し、何人かが寄付をしてくれました。その中に、ホテルなどでもらえる旅行用のアメニティーなどを大量にくれた人がいました。次男はホームレスシェルターで働いているのですが、多分そこに寄付するつもりで集めた物のお裾分けでしょう。中サイズのスーツケースが一杯になる量で、重量制限の23キロぎりぎりでした。
問題は、これを30人の子供たちにどう分けるか。結局、全部大きなテーブルの上に並べ、全員に袋を渡し、欲しいものを一斉に取ってもらうことにしました。
孤児院のダイニングはバーゲンセール状態。英語なので何がなんだからわからないままとりあえず袋に入れる子もいて、スマホで翻訳してあげました。生理用のタンポンもあったのですが、小さな女の子や男の子たちが取って袋から出し、何だろうと不思議がっているのを見て、みんな大爆笑。意外に好評で、これはまたやる価値あり。
開店前の準備中
滞在中の毎日の仕事は?
今年頼まれた作業は、孤児院の塀の塗装と、その裏の土地のフェンスの修復作業。修復と言うより、取替でした。これは結構大変な仕事なので、教会の人主導で私たちはそのお手伝い。塗装は、子供たちに手伝ってもらった以外は、私たちでやりました。塗るより、その前に塀の汚れを取る方が大変でした。
Y君はワーキングホリデーを利用してオーストラリアの鉱山で働いています。一週間働いて一週間休むというシフトで、その休みを利用して短期間ですが今年も来てくれました。鉱山の機材の錆を防ぐための塗装も彼の仕事の一つで、大型トラックでなければ運べないサイズのコンプレッサーを使っているそうです。彼が近くの店で小さなコンプレッサーを買ってくれて、塗装が終わった後、教会に寄付してくれました。
塀がきれいなピンクに
私が属しているIREM(全米不動産管理協会)や教会にも、個人的にサポートしてくださっている方が複数いらっしゃいます。Gさんもその一人で、今回もタイに来て塗装を手伝ってくれました。彼は不動産会社の社長さんですが、一緒に来てくれたAさんは保守担当ですので、こういうことは知識が豊富。ボロボロになった孤児院のソファーも直してくれて、見違えるようになりました。(続く)
一つの脳、二つの心——ケチャップが解き明かす「感情共有」の謎
去年6月、神経外科の教授であるマイケル・エグナー博士の、魂の存在と不死性に関するブログを書きました。今回も彼の研究をご紹介します。
https://ameblo.jp/junjiono/entry-12913623165.html
カナダに住む結合双生児、クリスタとタチアナ・ホーガン姉妹は、頭部が結合しているだけでなく、「視床(ししょう)」という脳の中枢部分を共有しています。頭部でつながっている双生児は数多くいますが、彼女たちのように、視床を共有すると言うことは、極めて珍しいそうです。
まず、視床の共有によってどういうことが起きるか、簡単にご紹介しましょう。クリスタがテレビを見ていると、タチアナにも見えています。後頭部で結合していますので、二人は逆方向を向いているのですが、二つのスクリーンを同時に見ているような感じなのでしょうか。
クリスタがコップを取ろうとして、それがタチアナのそばにある場合、タチアナの手を使って取ってもらうことができます。相手の体は全部完全にコントロールできるわけではないのですが、タチアナは、頼まれたわけでもないのに、手が勝手に動くのだそうです。
喧嘩をするときは大変。クリスタがタチアナを叩いても、痛いのはタチアナだけではありません。自分も痛いので、喧嘩はほどほどに。
前回のブログでは、脳を二つに分けても人格は一つのままと言う例が出て来ましたが、今回はその逆。視床を共有しているのに、人格は二つなのです。これも、エグナー博士の脳と魂の分離のエビデンスの一つなのですが、視床共有の医学的影響を十分に理解できない私には、判断できません。ただ、今日は、感情の位置づけについて考えさせられましたので、共有したいと思います。
不思議なことに、「感覚は共有しているのに、感情は共有するものとしないものがある」という現象です。彼女たちの事例が教えてくれる「共有できる感情」と「共有できない感情」の違いについて掘り下げてみましょう。
1. ケチャップのパラドックス:同じ味、違う反応
ホーガン姉妹の「意識の分離」を最も象徴的に表しているのが、幼児期の「ケチャップ事件」でした。クリスタはケチャップが大好きですが、タチアナは大嫌い。ある時、クリスタが美味しそうにケチャップのかかった料理を食べていました。すると、何も食べていないタチアナが顔をしかめ、まるで自分の口の中の汚れを拭うかのように舌を拭き始めたのです。
ここで脳内に起きていることを整理してみましょう。
- 共有されているもの(入力): 「酸味」「甘味」「冷たさ」などの味覚の電気信号。これらは視床と言う架け橋を通って、二人に平等に流れています。
- 共有されていないもの(出力): 「美味しい!」という快感と、「不味い!」という不快感。これは、それぞれの人格がその信号をどう評価したかによる結果です。
この事実は、私たちに重要なことを教えてくれます。それは、「感覚データ」と「心の反応」は別物であるということです。
2. 共有される感情:身体の叫び
では、彼女たちは何もかもがバラバラなのかというと、そうではありません。「感情」の中でも、より本能的で身体に近い部分は共有されているようです。つまり、より動物的な感情です。痛みや快不快といった、生存に直結する生理的な情動は、脳のハードウェアに強く依存しているため、脳がつながっていればそのまま伝わってしまうのです。
3. 共有されない感情:魂の領域
一方で、高次の感情や「意志」は驚くほど独立しています。クリスタがおしゃべりで冗談好きなのに、タチアナは静かで時に気難しいなど、性格は全く異なります。
また、彼女たちは自分の手足を動かすだけでなく、相手の手足を動かすこともできますが、「私の手」「彼女の手」という所有感覚は幼いころから区別できています。理性、信念、複雑な好みといった「人格の核」となる部分は、たとえ脳を物理的に共有していても混ざり合うことはないのです。
4. 結論:私たちは「入力」以上の存在である
ホーガン姉妹の事例は、「感情」には階層があることを示しています。
- ベースレイヤー(共有可能): 痛み、空腹、単純な快・不快。これらは生物としての「OS」のようなもので、ケーブルをつなげば共有できます。
- トップレイヤー(共有不可能): 好み、知識、価値観。これらは、その人が生きてきた記憶や意志によって作られる「アプリケーション」であり、誰とも取り替えることができない「私」そのものです。
好み、知識、価値観は共有できないと言うことですが、ちょっと気になることがありました。まず知識ですが、勉強は、試験に備えるために、私は英語を勉強するからあなたは数学を勉強して、と言うのはだめ。二人とも全部勉強しないと落第です。これは納得できますし、知識と感情は直接的な関係が薄いので比較対象から外しましょう。問題は、もっと感情に深い関係にある好みや価値観です。
私のいとこが大学時代に魚の心理を研究していました。どのような状況下で餌を与えるかによって、その餌の好き嫌いが決まるのだそうです。「金魚すくいをしながらやった餌は嫌いになるのか」などと言ってからかっていましたが、好き嫌いも学習するものだそうです。味覚は肉体に直結しているのに共有されない理由が、ここにあるようです。
しかし、魚でも学べる食べ物の好みと、ホーガン姉妹が大人になるにつれて築いていく価値観などとは、階層が違うと思いませんか。ケチャップが健康に良いかどうかは別として、その好き嫌いはどちらでもよいことです。しかし、価値観は単なる好みの問題ではありません。ですから、先述したトップレイヤーも、さらに二つに分かれていると思うのです。
去年のブログに書いたことですが、てんかん手術のパイオニアであるワイルダー・ペンフィールドが、患者の脳表を電気刺激し、様々な反応を観察しました。感情は誘発できましたが、抽象的な思考や理性を誘発することは一度もなかったと報告しています。
彼は、「知的な発作」が存在しないことにも注目しました。てんかん発作では、感情が爆発することはあっても、複雑な計算や論理的思考を強迫的に行い、それを止めることができないといった種類の発作は報告されていません。これも、抽象的思考や理性といった心の高度な側面が、脳の特定の部位から直接生じるものではない可能性を示唆しています。
そこでですが、好みと感情は常に連動しています。好物を食べると常にうれしいですが、自分の感情に逆らって価値観に沿った決断をしなければならないことは多いのです。例えば、人を憎むことは良くないという価値観を持っていても、それで「憎い」という感情が消えるわけではありません。特に、私がクリスチャンになった時のように、価値観が急変したときなどはそうかもしれません。
この価値観と感情の乖離は、価値観が理想的であるほど大きくなります。私も、クリスチャンになってこの乖離が大きくなりました。理想は高くても、行動や感情はついていかないので、偽善者と呼ばれても仕方がありません。
それに比べて、成熟している人、精神的に健康な人は、この乖離が少ないように見えます。神は人ではありませんが、精神的に完全な人格(神格)を持つ方として、比較してみましょう。
例えば、神が私を愛していると言うとき、「神なんだから私みたいな人間でも愛するのは当然」と言う価値観だけで愛しているわけではありません。神は本当に私が好きで、私が悲しんでいるときは共に悲しみ、私が人を傷つけたときには怒ることもあるでしょう。
神にも感情はあるのですが、神の感情は、神の価値観に一致しているのです。私たちも、その一致に近づくことが人間としての成長ではないでしょうか。もちろん、このレベルの感情は私たちの人格の一部なので、脳を共有していても共有できないと言うのは納得できます。
例えば、なかなか人を赦せないとしましょう。神は私を赦してくださったのだから、私も赦すべきだということは分かっていても、なかなかその気にはなれません。赦す気になるのを待っていたのでは、いつになるか分かりません。
私は、「赦す」と言う決断をしなければならないのです。しかし、「赦せない」と言う感情がすぐになくなるわけではありません。赦しのプロセスについて詳しく考察することが本題ではないので止めますが、私の感情が癒されれば、私の価値観と感情が一致してくると言うことになります。これが、私が成長すると言うことなのだと思います。
さきほど「決断」という言葉を使いましたが、誘惑や衝動から起きる意志と、自由意志は違います。多くの唯物論者は自由意志を否定しますが、その論拠は因果的決定論(物理法則と過去の状態が現在を決定する)に基づくものです。唯物論者でありながら自由意志を肯定する学者(両立論)も多いですが、彼らは、それらを両立させるために自由意志を再定義しています。
純粋な唯物論は、「行為の原因は脳内の物理過程に還元され、主体的な非物理的選択は存在しない」と結論づける点に集約されます。つまり、例えば動物がバナナを食べようとするとき、それは自由意志ではなく、空腹と満たそうとする神経回路によって促された行為に過ぎないのです。人間の決断はもっと複雑ではあるが、基本的に同じという考え方です。
しかし、ほとんどの方は自由意志を認めるでしょう。人間は、バナナを食べようと思っても、「カロリーが高いので止める」と言う決断をすることができます。
ベンジャミン・リベットは、被験者が自発的に手首を動かそうと意図する約0.5秒前に、脳活動(準備電位)が記録されることを発見しました。これは一見、意志決定が無意識的な脳活動によって先行されることを示唆すると解釈されているようです。
しかし、彼は、意識的な意図が生じた後、実際に行動を起こすまでの短い時間(約0.15秒)に、その行動を「拒否する」自由があることも示しました。バナナを食べないと言う決断です。そして重要なことに、この「拒否」の際には、準備電位のような先行する脳活動は見られなかったのです。
これは、誘惑(行動への衝動)は脳から生じるかもしれないが、最終的な選択は自由意志によるものである証拠と解釈できます。そして、その自由意志を司る部位は脳には見当たらないのです。
人生は、自然発生的な衝動や誘惑と、私たちの価値観から来る自由意志の戦いです。これは、例え脳がつながっていても、ホーガン姉妹を二人の人格たらしめる人間の本質です。私は、自由意志の存在を否定しません。自由には責任が伴いますが、人間として、責任ある人生を送りたいものです。
日本の選挙は米国でどう報道されたか。
今回は、日本の選挙が米国でどう報道されたかについてまとめました。これには理由があります。
米国のレガシーメディアが民主党寄り、つまり革新派寄りであると言うことは、ご存じの方も多いと思います。日本では、米国保守派の報道機関、例えばフォックス・ニュースや、経済関連ニュース以外のウォール・ストリート・ジャーナルなどの報道は、ほとんど見かけません。日本では、これらを比べる機会が少ないので、レガシーメディアにどの程度の偏りがあるのかは、分かりにくいと思います。
それが今回参院選のニュースを選んだ理由です。日本にいる皆さんは、当然のことながら、そのニュースを日本のマスコミから聞くでしょう。もし、米国での報道が国内での報道とほぼ同じであれば問題ないのですが、そうでないとしたらどうでしょうか。極端に左寄りの報道がされていたら、日本をそんな風に見ないで欲しいと思うでしょう。また、米国レガシーメディアの報道がいかに偏っているかにも気付くはずです。
という訳で、これは実験です。公正を期すために、日米報道の比較はAIのディープリサーチに一任しました。私自身、never Trumper(トランプだけは勘弁して)派の中道保守なので、そのバイアスを避けるためです。果たしてどんな結果が出るでしょうか。
リサーチ方法と結果
このブログのここまでの文章をAIにコピペし、その続きを書くためのdeep researchをしてもらいました。結果は7ページほどの長いものでしたし、全体的な解説や、関係ない内容も多かったので、それらを削除して以下にコピペします。なお、訳語の適切性など、気付いたことは{}内に説明を加えておきます。
2026年衆議院議員総選挙における日米メディアの言説比較
2026年2月8日に投開票が行われた第51回衆議院議員総選挙は、日本国内のみならず、世界の主要メディアによって、東アジアの安全保障環境とグローバルな政治経済のパラダイムを再定義する歴史的イベントとして報じられた。高市早苗首相率いる自由民主党が、戦後最多となる316議席を単独で獲得し、憲法改正の発議が可能な3分の2の議席を確保したこの「歴史的勝利」は、各国のイデオロギー的背景や地政学的利害を反映した極めて対照的な言説を生み出している。本レポートでは、米国のリベラル派と保守派メディアの報じ方を詳細に比較分析し、それらが示唆する第2次・第3次の政治的インサイトを明らかにする。
「サナエ・マニア」と個人的人気の分析
米国メディア、特に英国系のガーディアンなどは、日本の現象を「サナエ・マニア(Sana-mania)」と名付け、従来の日本政治には見られなかった「パーソナリティー・カルト」的な盛り上がりを報じている。
文化現象としての政治:ピンクのペンとK-POP
高市首相の熱狂的な支持層は、彼女が使用する「ピンクのペン」や、身につけているアウトフィット、スナック菓子に至るまでを模倣し、SNSを通じて拡散させている。韓国の李在明大統領との首脳会談でK-POPヒット曲に合わせてドラムを叩く映像がバイラル化したことなどは、彼女の「遊び心と強さの両立」を象徴する場面として引用された。
これは、政治的無関心層であった若者が、彼女のデジタル戦略と「戦うリーダー」というイメージに惹きつけられた結果であり、リベラル派メディアが危惧する「右傾化」が、文化的なエンターテインメント性を伴って浸透している事実を示唆している。
米国リベラル派のスタンス:日本の右傾化とアジアの安定に対する警戒
キーワード:Ultraconservative(超保守派), Firebrand(過激論者;扇動者;過激派), Personality Cult(個人崇拝), Japan First(日本ファースト)
米国保守派のスタンス:中国への抑止力強化と経済的相乗効果への期待
キーワード:Strong Ally(強力な同盟国), Protege of Abe(安倍の弟子), Impressive win(見事な勝利), Peace through Strength(力による平和)
米国リベラル派メディアによる批判的言説の深層
ニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポスト、CNNなどは、今回の選挙を「高市首相自身に対する国民投票(referendum)」と定義し、その勝利が日本の戦後平和主義の終焉を加速させることを懸念している。
安全保障と「市民権{通常「公民権」と訳される}」への懸念
特にAP通信やPBSなどは、高市氏の「武器輸出禁止の解禁」や「攻撃的軍事能力の強化」が、単なる防衛力の増強に留まらず、日本国内の「市民権(civil rights)」を損なう恐れがあると警告する専門家の声を伝えている。これには、彼女が提唱する「反スパイ法」や、外国人による不動産取得の制限、さらには移民政策の厳格化が含まれる。リベラル派の視点では、これらの政策は「排外主義的」{原語のxenophobiaの文字通りの意味は外国人恐怖症}であり、民主主義の根幹である多様性を脅かすものとして描写される。
ジェンダー政治のパラドックス
興味深いことに、高市氏が「日本初の女性首相」であるという事実は、米国リベラル派メディアにおいて必ずしも進歩的な象徴として扱われていない。ガーディアン紙は、彼女が夫婦別姓に反対し、女性天皇を認めない立場であることを強調し、むしろ「家父長的な制度を強化する保守派のアイコン」として描き出している。一方で、ワシントン・ポストは彼女を「マーガレット・サッチャー」と比較し、その決断力あるスタイルが日本のような家父長制の強い政治システムにおいて驚異的な支持を得たというパラドックスを分析している。
米国保守派メディアの反応
対照的に、フォックス・ニュースやウォール・ストリート・ジャーナルのニュース部門は、高市氏の勝利を「西側の勝利」として称賛している。
ベッセント財務長官と「強い日本」論
スコット・ベッセント米国財務長官は、フォックス・ニュースの「サンデー・モーニング・フューチャーズ」に出演し、高市氏の勝利を「アジアにおける米国の立場を強化するもの」として歓迎した。彼は「日本が強ければ、米国もアジアにおいて強くなる」というロジックを展開し、高市氏が安倍元首相の「志を継ぐ者(protege)」であることを強調した。これは、日本を単なる依存的な同盟国ではなく、応分の防衛負担(burden sharing)を担う対等なパートナーとして扱う、トランプ政権の「力の平和」戦略に合致している。
地政学的フラッシュポイント:台湾海峡と日中関係
「普通の国」への最終段階:憲法改正
米国のシンクタンク、カウンシル・オン・フォーリン・リレーションズ(CFR)などは、自民党が単独で316議席を得たことで、憲法9条を改正し、自衛隊を「国軍」として明記する法的・数的な基盤が整ったと分析している。高市氏は「なぜ自衛隊を憲法に書き込めないのか。彼らの誇りを守るために改正は不可欠だ」と訴えており、この強硬な姿勢は若年層の愛国心{レガシーメディアの報道ではpatriotismではなく、国家主義、時には国粋主義と訳されるnationalismが多く使われている}に火をつけた。リベラルメディアがこれを「軍国主義の復活」と懸念するのに対し、保守派メディアは「地域の安定のための当然の進化」と報じている。
第2次・第3次インサイト:報道の背後にある構造的変化
本調査を通じて浮かび上がったのは、単なる「報道の差」ではなく、情報空間における「真実の分断」である。
「トランプ化」する日本政治の受容
高市氏の勝利は、SNSによるバイラル化、敵対勢力の「古い政治」としてのラベリング、そして「自国第一主義」の強調という点で、トランプ現象と極めて酷似している。米国のリベラルメディアがこれに「恐怖」を感じるのは、それが単に日本の現象に留まらず、民主主義国全体の右傾化とポピュリズムの勝利を象徴しているからである。一方、日本の国内メディア、特に読売などの保守系紙がこれを「正常化」と捉えるのは、長らく続いた「決められない政治」への国民の疲弊を、高市氏という強力なリーダーシップが解消したという物語を肯定しているためである。
結論
2026年衆議院議員総選挙は、日本が「戦後」という長いモラトリアムを終え、明確な意思を持った「普通の国」として再起しようとする意志の表れであった。米国のリベラル派メディアは、そのプロセスに伴う人権や外交的なリスクを強調し、多角的な警告を発した。対して保守派メディアは、それを中国に対抗する「強固な同盟の再生」として肯定的に捉え、トランプ大統領との蜜月関係をその象徴に据えた。
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どうでしたか。想定範囲内と感じられた方もいらっしゃるでしょうし、米国の主要メディアに驚き、憤慨された方もいらっしゃるのではないでしょうか。実は私も、高市氏が首相に就任した時、PBSが氏をultra conservative(超保守派)と紹介したのを見て、驚きました。
予想以上に偏っていると思われた方は、米国レガシーメディアのすべての報道にこの偏りがある可能性を疑うべきでしょう。米国に関する日本での報道のほとんどが、米国レガシーメディアのものであるからです。これは、例えばNHKの「キャッチ!世界のトップニュース」を見ても、一目瞭然です。私の知る限り、保守派メディアが紹介されたことはありません。
ただし、日本人の多くが変だと思うような極端に革新的な報道は、されていないと感じます。今回の選挙翌日の「世界のトップニュース」でも、紹介された米国レガシーメディアの報道は、表面的なものでした。しかし、日本人には受け入れがたい報道を排除することが、返って日本における米国レガシーメディアの信用度を上げてしまっているのではないかと懸念します。
この偏りは同様に保守派メディアにもあります。ですから、私はいつも両方見ているのですが、まるでパラレルユニバース。米国のような分断を生み出さないためにも、双方の意見を聞いて、エコーチェンバーにならないようにしたいものです。




