大野純司のブログ
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ゲーム・オーバー

 進化論に関する記事は、今回が最後になります。今回は結論ですので、まだの方は、進化論に関する今までのすべてのブログを先にお読みください。これは、化学進化のブログも含めた結論ですので、そのブログも参考にしてください。

 

 

 

 

 

 

 科学革命は、16世紀から18世紀における科学的な進展と考え方の変革を指します。コペルニクス、ガリレオ、ケプラー、ニュートン、ベーコンなどが代表的です。彼らは、神がデザインされたからこそ宇宙にはインテリジビリティー(理解できるという特性)があると考え、今風に言うとID(インテリジェント・デザイン)論者でした。

 当時、神抜きで科学を説明することは、今より容易だったと言えるかもしれません。ビッグバン、宇宙の微調整、DNAがコードであることなどが判明した今は、それらの裏に何らかの知性が働いていたのでなければ、説明することが困難になっています。なのに、どうして現代の方が無神論者の学者が多いのでしょうか。

 当時、有神論を否定した学者は、迫害されたか、少なくとも冷たい目で見られたことでしょう。それが大きく変わったのが19世紀で、この変化に最も貢献したのが1959年に出版されたダーウィンの「種の起源」だったと言えるでしょう。進化論的思想は、人文科学にも取り入れられ、有神論と無神論の社会的立場が逆転したのです。現在、米国のほぼすべての大学は、一部のキリスト教系の大学を除いて、思想的にも政治的にも、無神論で革新派です。

 例えば、2020年のアンケートによると、ハーバード大学教授の41.3%がリベラル、38.4%が非常にリベラル(通常米国ではレフト「左派」、あるいはプログレッシブ「進歩主義者」と呼ばれる)だと自称しています。18.9%が穏健派、1.4%が保守派です。2015年から18年までに政治献金をした2,000人の大学教授を調べると、95%が民主党、共和党はわずかに1%でした。

 共産主義は無神論に基づいた政治理論で、社会進化論を提唱しています。共産主義でなくても、左派は無神論者が多いですが、欧米の大学に無神論者が多いことは、左派が多いことと深い関係があります。

 そのため、ID論者でなくても、有神論者であるというだけで風当たりが強いと述べる大学教授は多いです。授業中に有神論の学生に対するパワハラ的発言があったと言う話もよく聞きます。宗教に無関心な人が多い日本では想像できないかもしれません。

 ID信奉者が口をそろえて言うことは、公表はしていないが自分も実はID信奉者である、と内密に彼らに打ち明ける教授が多いということです。先述したケニオン氏のように終身在職権のある教授はまだいいですが、若い教授は職を失うことを恐れているのです。終身教授は、その大学や機関において安定した地位を獲得し、解雇が難しくなり、研究と教育に専念できる環境を提供されているのです。

 しかし、ディスカバリー・インスティチュートが主催した声明「科学的立場からのダーウィン進化論への異議」には、千人以上の学者が署名しており、その数は増え続けています。これはID論者でなくても署名して差し支えない内容です。しかし、主催がIDの本家本元であるディスカバリー・インスティチュートですので、IDに賛同しない学者が署名することは少ないのではないかと思われます。以下は、その声明文とリンクです。

 「我々は、ランダムな変異と自然選択によって、生命の複雑さを説明することができるという主張を疑問とする。ダーウィン理論の証拠を注意深く吟味することを要求する。」

 

 

 「化石記録における過渡的な形態の存在が極めて稀であることは、未だに古生物学の企業秘密だ。」「この進化的自然史の伝承に基づく『とにかくそうなんだ』と言う語り口は、何の証明にもなっていない。」(ハーバード大学進化論学者、スティーブンJグールド)

 「私たち古生物学者は、適応的な段階的変化を生命の歴史が立証すると言ってはいるが、実はそうではないことを知っている。」(アメリカ自然史博物館、ナイルズ・エルドリッジ)

 これらのコメントは、ダーウィニズムに反対する進化論者によるものであり、ID論者のものではありません。ID論者でなくても、このようにダーウィニズムを厳しく非難する有名な学者は増えていますが、ダーウィニズムにとって代わる説はまだありません。

 対照的に、ダーウィニストのリチャード・ドーキンス氏は以下のように述べています。「進化論を信じていないと主張する人に出会った場合、その人は無知、愚か、狂気じみているか邪悪だと断言しても全く差し支えない。」この違いはどこから来るのでしょう。彼は、生物学者としてより、むしろ無神論者として有名ですが、無神論という彼の信仰以外には、考えられません。

 カリフォルニア州立大学バークレー校は、カリフォルニアの州立大学の中では最も優秀な大学です。その進化論学者、リチャード・ゴールドシュミット教授は、「ダーウィンの進化論は種の中における変化しか説明できない」と述べました。このコメントに対するダーウィニストからの批判に関して、彼は、「今の私は狂気であるばかりか、ほとんど犯罪人だ」と述べています。ドーキンスに同調する学者がいかに多いかが伺えます。

 方法論的自然主義とは、科学的な研究や探求において自然の法則や物質的なプロセスのみを考慮し、超自然的な要因や干渉を排除するアプローチを指します。対するIDは、必ずしも超自然的な要因や干渉を説いているわけではありませんが、生命の起源やカンブリア爆発には知性が必要だと主張しています。イースター島の石像が、知性によらなければ作れないものであり、自然にできたものではないと考えるのと同じです。

 イースター島の巨大な石像を誰がどうやって作ったのかは未だに謎ですが、だからと言って自然の法則や物質的なプロセスでできたと考える人はいないでしょう。ID論も同じで、具体的なプロセスはまだ分からないが、知性なしには無理だと主張しているのです。石像と違って、生命の起源やカンブリア爆発は、人間が起こすことはできませんので、超自然的存在がそれをしたのではないかと言う推測ができます。

 リチャード・ドーキンス氏は、生命が自然に発生した可能性が著しく低いと言う計算結果の有神論的意味合いについて、以下のように述べています。冗談ではないかと疑いたくなるような記述です。

 「一般的な人間の意識には分かりにくいが、生命の起源に関する問題について、奇跡のような理論がまさに私たちが探し求めるべき理論だ。進化が、我々の脳を、寿命が1世紀に満たない生物に適したリスクと不可能性の主観的な意識で装備したためだ。…とは言うものの、計算には非常に多くの不確実性があり、もし化学者が自然発生的な生命の創造に成功した場合、私は動揺しないであろうことを告白しなければならない。」

 筋の通らない論理を説明するのは難しいですが、試みてみましょう。「人間は弱い存在なので、リスクのあることや不可能なことを主観的に考える傾向がある。客観的に見て奇跡的と思われる化学進化論は、そのような人類にとっては最も適した理論だ。」奇跡的な理論だが、人間にとって受け入れやすい理論だから正しい、とでも言いたいのでしょうか。と言いながら、この奇跡的理論が正しいと証明されても驚きはしないと言うのです。

 「たとえすべてのデータがインテリジェント・デザイナーを指し示しているとしても、そのような仮説は自然主義的ではないために科学から排除される。」(カンザス州立大学生物学者スコット・トッド)

 「我々は、科学の一部の概念が極めて不合理であるという事実、多くの健康や生命に関する誇大な約束が果たされていないこと、科学者のコミュニティーが未検証の話を容認する姿勢などにかかわらず、科学の側に立つ。なぜなら、我々は、前提として物質主義への忠誠心を持っているからだ。科学の方法論や機関が、何らかの形で、現象の世界の物質的な説明を我々に受け入れるよう強制するわけではなく、逆に、我々は物質的要因の先験的な信奉によって、どんなに直感に反するものであろうと、初心者にはどんなに神秘的に見えるものであろうと、物質的な説明を生み出すための調査体制と概念を作り出すことを余儀なくされている。さらに、この唯物論は絶対的だ。なぜなら、神聖なるものが入り込む余地を許すことができないからだ。」(ハーバード大学進化論教授リチャード・レウォンティン)

 彼が持っている「物質主義への忠誠心」、「物質的要因の先験的な信奉」とは、「唯物論」、つまり無神論という信仰です。科学者たちがどういう動機で自説を主張しているかは、その真実性とは関係ありません。しかし、これらの引用を見てもお分かりのように、この論争は単なる科学的なものではなく、思想的なものでもありますので、どういうバイアスがあるかを知ることは、理解に役立つと思われます。

 多くのダーウィニストが守ろうとしているのは、ダーウィニズム自体ではなく、物質主義的自然主義です。物質だけが実在するとし、超自然的な要素や存在を否定する概念です。つまり、物質の法則とプロセスだけが宇宙を説明する基本的な要素であると考える立場で、簡単に言えば無神論なのです。

 その点、動機やプライドに反する結論を出した人の意見には、説得力があります。アンソニー・フルー氏は、世界で最も有名な無神論哲学者の一人でした。ところが、2004年、一転して神を信じ、哲学界を驚かせ、バッシングを受けました。その後、彼の考えが変わった理由について、以下のように述べています。

 「特に二つの決定的な要因があった。一つは、アインシュタインや他の著名な科学者たちの洞察に共感するようになったことだ。彼らは物理的な宇宙の統合された複雑さの背後に知性が存在するに違いないと考えていた。二つ目は、私自身の洞察であり、生命そのものの統合された複雑さ、これは物理的な宇宙よりもはるかに複雑だが、その源は知性であるとしか説明できない。

 私は生命の起源が生物学的な観点から単純に説明できないと信じている。これについては多くの試みがなされてきたが、そのいずれも説得力がない。毎年新たな発見があり、生命の豊かさと内在的な知性について知られるようになるにつれ、化学的な混合物が魔法のように遺伝子コードを生み出す可能性はますます低くなった。私にとって明白になったのは、生命と非生命の違いは化学的なものではなく、存在論的(存在や実在、実体に関する研究や考察)なものであるということだ。

 この根本的な隔たりを最もよく示しているのは、リチャード・ドーキンスが『神は妄想である』で、生命の起源を幸運な偶然に帰すると主張した滑稽な試みだ。ベストを尽くした議論がこれなら、ゲーム・オーバーだ。私は(神の)声を聞いたわけではない。私をこの結論に導いたのは、証拠そのものだ。」

進化論を否定する学者はブッシュ政権のスパイ

 これまでのブログで、ダーウィニズムを疑う学者が増えていることと、その理由について簡単に述べました。今回は、米国ではダーウィニズムを非難することができないと述べた中国の古生物学者、陳氏の言葉が本当なのかどうかについて、お話しします。「ダーウィンの死」と「進化のビッグバン」をお読みになってからでないと、理解できない部分が多いと思います。

 

 

 

 進化は信じているがダーウィニズムは信じないと言う学者も、「ダーウィンの死」で述べたように厳しく非難されますが、ここで挙げる例はすべてID論者(インテリジェント・デザイン)に関するものです。IDとは、生命の起源や大進化は、本質的に自然な過程だけでは説明できないもので、外部からの情報、つまり知的デザインが必要だと主張するものです。化学進化のブログで詳しく説明していますので、参考にしてください。

 

 化学進化のブログで、カリフォルニア州立大学サンフランシスコ校のディーン・ケニオン教授が、化学進化論者からID論者になったという話をしました。化学進化とは、生命が化学物質から進化してできたというものです。一般的に受け入れられている説ですが、その過程については、70年の研究を経て、まだほとんど解明されていません。それどころか、疑問点ばかりが増えて、ゴールラインが見えなくなっている状態です。

 彼は、彼の著書が化学進化の教科書として広く使われていたほどの学者でしたが、生物学の授業から外され、実験室監督に格下げになったのです。しかし、大学でこの処分についてヒアリングがあり、25対8票で教授に復職することができました。何と、生物学部の教授は全員復職に反対したそうです。なぜこれほど多くの生物学者が反対したのでしょうか。

 英国の無神論ダーウィニスト、リチャード・ドーキンスによると、英国王立学会の物理学会員の68%が無神論者であるのに比べて、生物学者は89%だそうです。この統計に無神論と有神論以外の選択があるのかどうかは知りませんが、ないとすれば、物理学の有神論者は32%、生物学の有神論者は11%で、約3分の1です。

 これは進化論、ビッグバン、宇宙の微調整などが哲学的宗教的にどういう意味を持つかということと関係があると思われます。統計学者ではなく、自身熱心な無神論者であるドーキンス氏の記述ですので、この数字自体はあまり信憑性がないかもしれません。ノーベル賞を受賞した科学者の4割ほどが有神論者であると言う統計もあります。しかし、生物学者に無神論者が多いと言うのは間違いないでしょう。

 有名な無神論科学者のカール・セイガン氏は、多くの物理学者が「ビッグバン教会に集っている」と言って彼らをバカにしました。ビッグバンが広く受け入れられ、宇宙に始まりがあったと知った多くの物理学者が、有神論者になったことを嘆いたコメントなのです。過去100年の物理学の発見は有神論的意味合いがありますが、ダーウィニズムは哲学的宗教的にどのような影響を及ぼしたのでしょうか。

 リチャード・ドーキンス氏は、「ダーウィン以前でも、無神論は論理的には成立したが、ダーウィンの理論が知的に満足できる無神論者であることを可能にした。」と述べています。つまり、進化論は無神論的意味合いを持つと言えます。ケニオン教授がこのような仕打ちを受けたのも、これと関係がありそうです。

 ID自体は、超自然的な要素を肯定も否定もしませんが、進化論に無神論的意味合いがあるのと同様、ID論には有神論的意味合いがあります。そのため、ID論の動機は有神論であり、科学ではなく宗教だ、と非難されるのです。ウィキペディアなどを見ても、IDは疑似科学と呼ばれています。

 進化論の無神論的意味合いに比べると、ID論の有神論的意味合いの方が強いことは確かです。しかし、これは、進化論は科学ではなく、無神論あるいは無宗教だというのと同じようなものです。だとすると進化論も疑似科学ということになりますが、もちろんそんなことはありません。

 無神論の科学史学者マイケル・シャーマー氏は、IDに反対していますが、大切なことはIDが科学であるか疑似科学であるかではなく、正しいかどうかだと述べています。意外にも、科学の定義は統一されてはおらず、言葉の範疇の議論をしても意味はないというのです。しかし、一部の人は、自然科学は事象に自然以外の要因を見出してはいけないと考えるのです。

 そう考えたところで、自然以外の要因がないということにはなりません。臨死体験の研究をしていたある有名大学の教授が、これを科学と呼べるかどうかはわからないが、とテレビのインタビューで前置きしたのを見たことがあります。確かに、「自然」科学の範疇には入らないかもしれませんが、問題は、彼の研究が科学的であるかどうかではなく、事実であるかどうかです。

 

 2004年、IDで有名なスティーブン・マイヤー博士は、カンブリア爆発に関する記事を、スミソニアン研究所が発行するワシントン生物学会論文集に寄稿しました。ところが、スミソニアン研究所の学者だけでなく、国中の進化論者が、記事自体よりも、それを載せたリチャード・スターンバーグ編集長を非難したのです。

 スミソニアン博物館は、彼のカギを取り上げて事務室から締め出し、博物館の化石サンプルなどへのアクセスを禁じ、彼に好意的だった上司の部署から彼を外しました。これが大問題になり、米国会で小委員会を作って調査したのですが、博物館関係者は、彼を辞めさせるために、故意に噓の情報を流したことが発覚しました。

 スターンバーグ氏は、進化生物学とシステム生物学の博士号を取得していましたが、彼は生物学の学位を持っていないという噂が流されました。「彼は神父だ。ブッシュ政権のスパイだ。賄賂をもらってこの記事を出版した。」これらの全く根拠のない非難をして、彼を降格させたのです。ちなみに、彼は、今はID論者ですが、当時はそうではありませんでした。

 この事件は、有名な科学誌だけでなく、ワシントン・ポスト、ウォールストリート・ジャーナル、NPR(ナショナル・パブリック・ラジオ)、フォックスニュースなどでも報道されました。当初、記事の内容自体に関する反論はなかったのですが、ワシントン生物学会は、反論する価値すらないと発表しました。ウォールストリート・ジャーナルも、ワシントン生物学会が記事の内容的な批判はしていないと指摘しています。

 通常、科学誌の記事は、他の専門家に依頼して出版前に査読します。何か問題があれば、それを指摘し、訂正した上で出版するかどうかを決めるのですが、学会会長は、査読では特に問題がなかったことを認めています。

 反論したのは、talkreason.orgと言う無神論のサイトに出た記事のみでした。著者は、ナショナル・センター・フォー・サイエンス・エジュケーションと言う進化論教育の促進を目的とする活動団体のメンバーでした。このような団体の会員が無神論サイトに寄稿していることを見ても、進化論の哲学的意味合いが伺えます。

 ところで、「化学進化」のブログで、ID学者がジャンクDNAにも何からの機能があるはずだと予測し、それが的中したと言う話をしました。進化論者は、進化の過程において役に立っていないDNAが多く残っているはずであり、それらはくず(ジャンク)だと考えたのです。大部分のDNAがジャンクであることが、進化論の証拠だと考えました。

 しかし、ID学者は、DNAが情報であり、情報の起源が知性以外にないとすれば、必要ないDNAはほとんどないはずだと考え、その予想が的中したのです。ジャーナル・オブ・サイエンスが、この発見を2012年の10大ニュースの一つに取り上げたとき、トロント大学の生化学者ローレンス・モラン氏は、こうやじったそうです。

 「まあ、仕方がない。多くの科学者もIDの創造主義者と同じくらい愚かだと指摘することで満足しなければならないのかもしれない。」これは、前述したセイガン氏の物理学者に対する皮肉に似ています。繰り返しになりますが、進化論=無神論でないのと同様、ID=創造論ではありません。

 「ダーウィンの死」で引用したジェームズ・シャピロ氏は、ダーウィニストではありませんが、有名な進化論者です。彼は、この発見の重要性と、この説を予測し発見した学者たちを称える記事をハフィングトン・ポストに寄稿しました。

 この記事には共著者がいたのですが、彼は、その共著者について、進化論に関する考え方は自分と全く異なると述べながらも、好意的に紹介しています。それはリチャード・スターンバーグ氏で、彼もこの発見に貢献した一人でした。

 

 シュツットガルト州立自然史博物館所長だったグンター・ベックリー博士は、2009年のダーウィン誕生200周年と「種の起源」出版150周年の展示計画を立てていました。IDが如何に馬鹿げているかを示すために、IDを提唱する書物を「種の起源」と一緒に展示しようと考えたのです。

 彼曰く、彼はそれらの本を読んでしまうという間違いを犯してしまいました。彼は無神論者であったにもかかわらず、ID論者になってしまい、「迫害」され、辞任しました。彼の名前は、ウィキペディアからも消されてしまったそうです。実際、検索してみましたが、出てきませんでした。

 ちなみに、彼はその後、理神論者になり、現在はキリスト教徒になったようです。理神論は、有神論と少し異なり、後者が宗教的であるのに比べて、前者は哲学的であると言えるかもしれません。アインシュタインも、ビッグバンの発見で理神論者になりましたが、セイガン氏の皮肉は彼にも向けられているということです。

 このような例を挙げればきりがありません。次回は、今までのブログをまとめたいと思います。

進化のビッグバン

 大進化に関する前回のブログでは、ダーウィニズムを疑問視する学者が増えていると言う話をしました。今回のブログは、その理由について簡単に話したいと思います。

 

 

 このような疑惑の一つの大きな理由はカンブリア爆発です。もう一つは、マクロ進化に必要な莫大な量の新しいDNA情報がダーウィニズムでは説明できないという点です。これは化学進化のブログの内容と似ていますので、そちらを参考にしてください。カンブリア爆発では、1千万年足らずの間に多くの新しい生物種が地球上に突然出現し、多様な動物の体制(身体的な特徴や組織の配置、構造、形態のパターン)が発現しました。

 

 

 生命の誕生は約38億年前と言われています。カンブリア紀まで、ほとんど単細胞の生物しか存在しなかったのですが、直前のエディアカラ紀、約5.6億年前に、シンプルな多細胞生物が現れました。これらは、現存する多細胞生物とは非常に異なるとされています。

 カンブリア爆発の時期についても、正確には言えません。ほとんどの場合1000万年の単位で表記されていますが、私が調べた限り、唯一100万年単位で表記されていたある大学の資料によると、5億4300万年前となっています。もちろん、数が細かい方が正確だということではありませんが、この数を基に計算してみましょう。

 生命の誕生から今までの38億年を1年に置き換えると、10月まで単細胞しか存在しなかったのに、11月8日辺りに海綿のような多細胞生物が出現し、10日の夜カンブリア爆発が始まり、翌朝には、現在地球に存在するほとんどの動物型が現れた、と言った感じでしょうか。現代の科学ではそこまで正確には言えませんが、どれだけ突発的であったか、分かっていただけると思います。

 単細胞生物のDNAの塩基対(A、T、G、Cのペア)は、多くても約100万対ほどです。しかし、カンブリア紀に出現した三葉虫は、現存の節足動物と同じだとすると約1.4億対で、その複雑さは比べ物になりません。

 ダーウィンは、カンブリア紀以前にそれまでの進化の過程があったはずで、それらの化石がまだ発見されてないだけだと考えました。「カンブリア紀系統前の、これらの仮定される初期時代に属する豊富な化石層が見当たらない理由について、私は満足のいく答を提供することができない(種の起源)。」

 「種の起源」出版の50年後、1909年、カナダのバージェス頁岩でカンブリア紀の海洋環境の化石が大量に発見され、最近では、1984年に陳興瑞博士によって発見された中国雲南省の化石が有名です。前カンブリア紀の地層にも、単細胞動物やシンプルな軟体動物など、保存されにくい化石が非常によく保存された状態で見つかりました。これらは、カンブリア紀の動物形態には程遠いものがほとんどだったのです。

 決定的だったのは、当時の海水の成分が保存に適していたためと思われますが、海綿と思われる生物の胚の化石が多く見つかったことです。この直径1ミリに満たない軟体が化石として保存されたのであれば、カンブリア紀の生物に至る進化過程の生物の化石が見つからない訳がありません。これ以上探して何かが見つかる見通しはありません。

 1995年、米国のタイムズ紙は、「進化のビッグバン」と題して、雲南省の化石の特集を組みました。副題には、「新しい発見は、生命が驚くべき生物学的激発で始まり、ほぼ一晩でこの惑星を変えた」とあります。ビッグバンで宇宙が無から生まれたように、カンブリア紀の動物群も突如として出現したので、このような題が付けられたのです。「一晩」とありますが、これは11月12日の晩のことかもしれませんね。

 記事の中で、ある中国の学者は、どれだけ早ければ「進化」と呼ばなくなるのかと皮肉っています。つまり、こんなに急に多くの生物が現れたのにもかかわらず、それを段階的な進化と呼ぶのはおかしいと言うのです。

 陳興瑞氏は、その後、シアトルで講演をし、ダーウィンの「生命の樹」は逆様だと述べました。以下の図は、上がダーウィンのスケッチ、下はそれを元にヘッケルが書き直した「生命の樹」です。

ダーウィンによる生命の樹

ヘッケルによる生命の樹

 動物界の最上層の分類階層を門と言い、それに網、目、科、属、種と続きます。進化論は、すべての生命に普遍的共通祖先があると教えていますが、カンブリア爆発では、脊椎動物を含め、現存する門の過半数が別々に突如として現れたのです。つまり、共通先祖はないと言うことになります。

 今世紀、人間を含むいろいろなゲノム情報が解読され、コンピューターや数学などを専門とする学者が統計的にそれらを分析しています。それによって、各生物のDNAがどの程度似ているか、いないかが分かるわけですが、彼らも、その多くが、生命の樹は間違っていると指摘しています。

 ついでにつけ足しておきますが、下の絵に見覚えのある人は多いと思います。「ヘッケルの胚」と呼ばれ、かなり最近まで生物学の教科書などでよく使われていました。先述した「生命の樹」を描いたヘッケルは、発生進化論の代表的な提唱者でした。発生進化論とは、個体発生の過程において、さまざまな種が共通の胚の段階を経ると主張し、この類似性が進化の証拠であると考えたのです。

ヘッケルの胚

 1868年に描いたものですが、19世紀末に既に胚の類似性が実際以上に大げさに表現されていることが指摘されていました。発生進化論が広く支持されなくなった後もこの図が広く使われ続けたので、未だにこの図に見覚えのある人が多いのです。最先端の学者と一般レベルの知識の乖離が伺えますが、それは現在も続いています。

 私がこのブログに書いている事柄も、調べると簡単に出てきますが、知らない方がほとんどだと思います。科学界が意図的に隠しているのではないかと思うのは私だけではなく、このシリーズを終わりまで読んでいただければご理解できると思います。

 

 話を元に戻しますが、各地から進化論学者が集まって陳氏の講演を聞きました。ところが、ある教授が、ちょっと配慮に欠けているのではないかと思われる質問をしたのです。「あなたの国はとても権威主義的ですから、こうした化石がダーウィニズムに異議を唱えているなどと発言するのは、少し不安に感じませんか。」この教授がどういう理由でこの質問をしたのかは、本人にしか分かりませんが、推測はできます。

 共産主義は無神論に基づいたイデオロギーです。進化論は、無神論の発展に最も貢献した説であると言っていいでしょう。実際、マルクスもエンゲルも、進化論には非常に興味を持っていたそうで、エンゲルは進化論に関する論文も書いています。その進化論を覆しかねないようなことを中国で発言しても大丈夫なのか、という質問なのでしょう。

 もう一つの可能性は、欧米では進化論が通説として受け入れられており、それに反対すると、体制に逆らうものとして、学界から「迫害」されます。前回のブログ、「ダーウィンの死」にも書きましたが、ダーウィニズムに反対した英国自然史博物館が受けた仕打ちは、そのよい例です。欧米ですらそうなのだから、中国ならもっとひどい仕打ちを受けるのではないかと考えたのかもしれません。

 陳興瑞氏は、笑みを浮かべながら、「中国では、政府を非難することはできませんが、ダーウィニズムを非難することはできます。アメリカでは、政府を非難することはできますが、ダーウィニズムを非難することはできません。」と答えました。実際、彼の学説は、人民日報でも報じられたそうです。

 次回のブログでは、欧米でダーウィニズムを非難するとどうなるか、具体的な例をご紹介します。

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