大野純司のブログ -67ページ目

33年前に家内と見なかった映画


まだ若かった頃の私たち
 高校を卒業してすぐ米国に留学した私は、
1975515日木曜日、大学1年を無事終えて、長い夏休みをどう過ごそうかと考えていました。風邪気味の私は、ほとんど誰もいなくなった寮で、話し相手を探していました。昼間フルタイムで働きながら自活して夜学に通っていた家内のキャシーは、親元に帰ることもせず、ロサンジェルスのダウンタウンで働いていました。大学は、犯罪物の映画でよくロケをやっている環境の良くないエコーパークのそばでしたので、夕食は男女生徒が誘い合って近くのレストランに行くのが習慣になっていました。「今晩はキャシーを誘おう。あの子はまじめないい子だし、おしゃべりしていて楽しいから。」二人とも、近くのレストランでスパゲティーとミルクを注文したのを覚えています。

翌日の夕方、私の部屋のブザーが鳴ったのでロビーに下りてみると、キャシーが、仕事の帰りに風邪薬を買ってきて、届けてくれました。そのまま食事に行って、映画を見に行くか、それともキャシーの友人のアパートに遊びに行くか、どちらがいいかと聞かれました。まだ英語が得意でなった私は、映画を見ても分からないと思ったので、友人のアパートに行こうと言ったのですが、何を上映しているか見に行ってから決めようということになりました。ディズニーの、「ラブ・バッグ」という、人間の心を持ったフォルクスワーゲンの映画でした。見たくないわけではありませんでしたが、やはり私は友人の方を選びました。家内の友人は、シャーロット・ライスさんという同じ大学の上級生でした。ずいぶん物静かな人で、正直言って、あまり楽しくはありませんでしたが、そのまま、特に変わったこともなく、その晩は終わりました。

その週末、家内は寮から大学のアパートに引っ越しました。この二日間のデートがなければ、付き合うこともなく終わっていたでしょう。私は、それまで女性と真剣に付き合ったことはなかったのですが、毎日のように家内が仕事から帰ってくるのをアパートの階段で待つ日が続きました。初めてのお付き合いは、スムーズには行きませんでした。

ある日、普段よりいっそう不機嫌な顔をしながら帰ってきた家内を見て、私は、別れ話でもするつもりじゃないかと思いました。「話があるからエコーパークに行こう。」やっぱりと思ってついて行ったところ、意外なことを聞かれたのです。「シャーロット・ライスを覚えてる?」名前は忘れていましたが、付き合い始めたときに訪ねて行った人だと言われて思い出しました。そのシャーロットさんが亡くなったというのです。彼女は、1年前に白血病になったのですが、奇跡的に癒されました。ところが、1年後、また同じ白血病で亡くなったというのです。なぜ神様はそんなことをするのだと聞かれた私は、返す言葉もない自分を情けなく思いました。

その日はそれで終わったのですが、案の定、新学期が始まろうとしていたその数日後、この一学期の間、付き合いを止めて、二人が付き合うことが神様のみ旨かどうか祈ることにしようと言われました。家内は夜学でしたので、大学でキャシーに会うことはありませんでした。私は、早速、自分が取らなければならないクラスのなかで、夜取れるものがないか調べました。一つだけあったのが演説法のクラスです。私は、一学期間、水曜日の晩だけ家内と会えることになりました。

最初の授業で、5分くらいで読めるものを探してきて来週みんなの前で読みなさい、という課題が出ました。何か探そうと思って図書館に行った私は、入り口のすぐそばにあった雑誌の棚に目を向けました。最初に目に入ったのが、今はもうお年寄りになりましたが、当時はまだ二枚目俳優だったディーン・ジョーンズの顔写真がでかでかと載っていた、私たちの教団の月刊誌でした。私は彼のことはほとんど知らなかったのですが、私たちの教団の教会のメンバーだったのです。あれっ、3ヶ月前に家内と見なかった映画の主演男優じゃないかと思った私は、手にとってぺらぺらとページをめくりました。そのときに目に留まったのが、なんと、シャーロットの写真だったのです。

2ページの短い記事でしたが、それは、彼女の元ルームメイトの書いたものでした。シャーロットは、1年前に白血病で死にかけていたとき、神様に、後1年命をくださいと祈ったのだそうです。祈りが聞かれた彼女は、その1年間、自分の経験を生かして、臨終前の患者の伝道など、ずいぶん活躍したのだそうです。そして、1年後、約束どおり、また同じ白血病で亡くなりました。

私は、23週間前に家内に聞かれて答えられなかった質問の回答を知ったのですが、それ以上に驚くことがあったのです。9月の第一週末は、月曜日が労働感謝の日で、3連休です。私の大学では、1学期が始まったばかりのこの週末を使って、いつもほとんどの学生がキャンプに行っていました。私も行ったのですが、ある日、みんなで礼拝をしていたときに、司会者が、病気の人のために祈りたいから、祈ってもらいたい人はその場に立ってくださいと言ったのです。私の目の前に座っていた人が立ったので、私もその人のために祈りました。翌日、その女性が、みんなの前で、病気が癒されたことを涙ながらに話していたのですが、留学したばかりの私は、癒されたということ以外は何も分かりませんでした。しかし、その記事を読みながら、それがシャーロットであったことを思い出したのです。

私は翌週その記事を授業で読みました。名前のアルファベット順に読みましたので、家内は私のすぐ後だったのですが、泣いてしまって、声がほとんど出ていませんでした。まだまだ英語が下手だった私はC、家内はDの成績でした。

4ヵ月後、私たちはお付き合いを再開しました。その2年後、まだ二人とも22歳で結婚しました。それから30年、いつか一緒にラブバッグを見ようと思って、DVDを買って置いてあります。

奥さんが殺された!

私の教会のある信徒さんは、10年ほど前、奥さんを亡くしました。ある友人夫婦の家に奥さんと一緒に遊びに行ったときに、隣のご主人が気が狂ったように銃を持って入ってきて、全員撃ち殺したのです。そのすぐ後、犯人も自殺しました。信徒さんは、たまたま家の外にいたので助かりましたが、奥さんと友人夫婦は亡くなりました。ハワイでも、こんな事件はめったにありませんので、大きなニュースになりました。友人の奥さんが泣き叫びながら911番に電話して、銃声とともに声が途絶える様子が、テレビでも流れました。

普通なら、刑事裁判とは別に、民事訴訟も起こして、損害賠償を請求するところですが、彼は、犯人の奥さんも悲しんでいるに違いないと考え、教会の人と一緒に、奥さんを慰めに行ったそうです。

人を赦すということは、私たちが思っている以上に大切なことです。夫婦の間でも、お互いを傷付け合うことは、必ずあります。赦しなしに結婚生活を続けることはできません。

「私たちの負い目をお赦しください。私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦しました。」(主の祈り)


おじいちゃんとおばあちゃんの結婚式

ハワイで結婚式をしていると、いろんなカップルに出会います。

ある日、ビーチの結婚式を頼まれて行ってみると、70代のおじいちゃんとおばあちゃんの結婚式でした。

二人は、お孫さんの結婚式に出るために、ハワイに来たのでした。

ところが、家族は、二人に内緒で、若いときに式を挙げることができなかった二人のために、結婚式をプレゼントしたのです。

衣装合わせだと騙して二人を衣装屋に連れて行ったのだそうですが、花嫁衣裳を着て出てきたおばあちゃんを見たときのおじいちゃんの顔が、目に浮かぶようです。

多分、結婚してもう50年は経っていたでしょう。

おばあちゃんは、ハイヒールを履くことができないので、白い運動靴でした。

若い花嫁さんでも、ハイヒールで海岸を歩くのは大変ですから、これは当然。

でも、楽な靴を履いても、両足をそろえることができないのです。

右足と左足が、肩幅くらいは開いていたでしょうか。

海水浴に来ている人がまわりにいましたから、二人も恥ずかしかったでしょう。

それでも、最後はちゃんとキスをしました。

偉い。

ほほえましい結婚式でした。