人形だったボク 〜内側と外側〜
ボクは虐待を受けた記憶も激しい苦痛に晒された記憶もない。でも気づくと心を失い人の形をした人形になっていた。なぜだろう・・・。その問いの答えを見つけ、人としての心を取り戻した経験をここに書いていこうと思う。いつかボクの体験が誰かの役に立ちいつか誰かの心を取り戻すキッカケになれば嬉しい。顔も名前も知らない子供たちのことは気にかけるのに自分の子供たちを全力で幸せにしようとしていなかった。この事実はボクにとってこれ以上ないほどのショックだった。子供たちがやりたいことは100%YESと言っているのか。この問いに「もちろん」とは決して言えない。我慢させている部分もある。もちろん全てを許容してわがままに育てるつもりはない。我慢だって時として必要だということはわかっている。でも我慢する必要のないところでも我慢させていることに気づいたんだ。例えば習い事。子供たちは馬が好きで、乗馬を習いたいと言われた。でも乗馬を習うなんて、ボクの中ではセレブの子供たちがすること。だからボクの答えはNOだった。一応、タダだからと思い、見学に行き、月謝の確認までしたがやっぱりセレブの習い事だった。本当であれば我慢するところではないけれどもボクは子供たちに我慢をさせた。いや、させている。今も、現在進行形だ。ボクの心はいつも外側を向いていた。内側の自分や自分の家族ではなく外側の社会にボクの心は囚われていた。なぜだろうと考えると、やはり子供の頃の記憶に立ち返るのだ。「承認欲求」この一言に尽きると思う。そしてそれを気づかせてくれたのがMさんだ。Mさんと話をしていると、自然と自分で気づくことができる。気づくように誘導してくれるのだ。だからこそ、不思議なんだが素直に受け入れられる。子供の頃の記憶が今の自分をこじらせているという事実を。