気ままに生活。 -259ページ目

気ままに生活。

西宮より発信。日記とかニュース記事とか旅行記とか。
すっかりほったらかしてしまいましたが、ぼちぼちアップしたいと思います。
よろしくお願いします。


久しぶりに推理小説を読了しました。

↓こちらです。





『Φは壊れたね』(講談社ノベルス) 著:森 博嗣




ストーリー:
★★★☆☆

文章力:
★★★★☆

人物:
★★★☆☆

総合:
★★★★☆





最近この著者の方は話題になっているそうです。

正直全く知らなかったんですが。



例によって、フィーリングによる衝動買いです。



密室殺人がテーマで、それに巻き込まれてしまった主人公がそれを少しずつ紐解いていく…

はずだったんですが。





何だか自動的に話が進んでいった感じですね。

いや、話自体は面白かったと思いますし、文章も読みやすく、そこそこのめり込んで読むことができたんですけれども。



気になったのは、文中の特にストーリーと関係ない部分。

「五秒間悩んだ」とか「二秒間~した」とか。



まったく関係ない部分で、妙に意味ありげな描写が出てきます。

いや、意味はなかったんですけれども。

どうでもいい描写がやたら詳しかったりするのも気になりましたね。



まぁ、『リアル鬼ごっこ』に比べたら月と鼈、気になる部分のレベルが違いますが(笑)



ワタシはけっこう好きです。


以前、「タイムパラドックスについての考察」という記事を書きました。


※以前の記事は↓以下を参照ください。
考察①
考察②
考察③



で、その記事にコメントを頂きまして。





ごんたれ様より。

「過去へ行ってその世界が別次元ということは、それは本当の過去にならないんじゃないですか?」





というものです。

今回は、コレについてワタシの思うことをかいつまんで書きたいと思います。

考えるの楽しいので。








まずは、パラドックスのおさらいをば…。



以下のような時間の流れを考えます。

(※横軸は時間です。右に行くほど未来です)



───B────A──→  (1)

───────────→ 時間



仮にA地点を2006年B地点を1976年としましょう。

ここで登場するのはノビタさん(仮)とノビスケさん(仮)です。

ノビスケさん(仮)は、ノビタさん(仮)の父親だという設定にします。

(※めんどくさいので「(仮)」は今後書きません)



そして2006年にいるノビタさんが1976年に戻り、まだノビタさんを作っていない状態のノビスケさんを殺すとします。

そうするとどうなるか、という問題です。



時間の流れが1本である場合だと、当然ノビスケさんは1976年に死んでしまったことになります。

こうなると、2006年にいるはずのノビタさんは初めから存在すらしないことになりますね。



では、2006年にいたはずのノビタさんはどうなるのでしょう?

当然、自分が生まれる前に父親が死んでしまったということになるので、ノビスケさんを殺した瞬間にノビタさんの存在は最初からなかったことになります。



…そうすると、ノビスケさんを殺したのは誰だということになるわけです。

ノビスケさんを殺す張本人が最初からいなかったことになりますから、ノビスケさんが殺されることはなくなります。

ノビスケさんが殺されないと、ノビタさんが生まれてくるわけで。

ノビタさんが存在すると、過去に戻ってノビスケさんを殺すわけで…。



要するに、この矛盾がタイムパラドックスというやつです。








さて、これを回避するには。

ノビタさんが全く別の次元に飛ぶ必要があると思います。

つまり、こういうことです。



────────A──→  (2)


───────────→ 時間



この(2)も横軸も時間です。

ですが先ほどと違うのは、このA地点(2006年)からノビタさんが過去(1976年)にタイムスリップするんですが、「この時間直線上の1976年」には移動しない、というものです。

つまり、ノビタさんはこの2006年のタイムスリップを最後に、この次元から完全にいなくなるということです。

出発点からすると、タイムスリップしたとしてもそれは「歴史上の事実」であり、変化ではありません。

「ノビタさんが2006年に消える」という事実が歴史上の流れとして存在するだけです。





では、どこに行くのかというと。





まず、ノビタさんを主観とした時間の動きを示したいと思います。



───B────A──→  (1)

───────────→ 時間



ノビタさんがA地点(2006年)からB地点(1976年)に移動したとして、ノビタさんが体験する時間の流れは以下のような感じになります。



───B────AB’──────→  (3)



分かりにくいかもしれませんが、A地点(2006年)のすぐあとにB地点(1976年)が来ている形です。

ノビタさんは「過去に来た」と思っていますが、実際は過去をコピーした別の地点に来ているという感じです。

この、2006年よりあとに来るB地点を、仮にB’地点とします。

そして、同じ1976年でも、B地点とB’地点はノビタさんがいる分だけ別物です。



で、このB’地点でノビタさんはノビスケさんを殺すわけです。

すると、ノビタさんからするとこのB’地点以降は「改変された1976年以降」という風になりますが、

実は「ノビタさんが生まれる過去(B地点~A地点まで)」も存在するため、ノビタさんの存在が消えることはありません。

ですので、ここではタイムパラドックスは起こらないということになります。





時間直線上に無理矢理ノビタさんの移動軌跡を書くと、以下のようになります。


───B────A
   ┌─────┘
   B’──────→  (3’)


───────────→ 時間



見てもらえば分かるように、これでは「1976年」と時間を指定しても2つの点が存在することになってしまいます。

(A地点からB’地点までの移動は一瞬として考えないこととします)



こういうわけで、この(3)の地点を一意に定義する新しい横軸が必要になるわけです。

(3)は、時間が横軸ではないですから。

「ノビタさんの体感時間」ともいえますが、ノビタさんがこの世界で絶対の存在ではないですので、別の名称がいるわけです。



───B────AB’──────→  (3)

─────────────────→ 五次元軸



で、「考察③」ではこれを「五次元の軸」として扱ったわけです。





この五次元の軸を遡ろうとすると、同じ理屈で六次元に行くことになります。

(これに関しては説明が重複するので割愛します)





…何だか考察③を言い換えただけのような感がありますが、ちょっと今回の方が話を整理できた感じです。








そして本題。



ごんたれ様の

「過去へ行ってその世界が別次元ということは、それは本当の過去にならないんじゃないですか?」

という質問には、



「本当の過去ではない」

という回答になると思います。



ですが、ノビタさんが存在する以外はまったく同じ過去のコピーということになります。

少なくとも、ノビタさんにとっては「そっくり同じ過去」であるので、コピーだとは思わないんじゃないですかね。



さらに言うと、時間は絶対的なものではありませんので、時間を絶対の尺度にするのは微妙です。

(↑これは「相対性理論」に基づきますが、詳しい話はまたの機会に…)


…失礼ですが、やってることは小学生レベルですね。

記事は↓こちら。





「君が代」替え歌ネットで広まる 斉唱義務への抗議として(ロイター)


「Kiss Me」という題の「君が代」の替え歌が、インターネット上で広まっている。学校行事での「君が代」斉唱を義務づける圧力が強まる中、抗議運動の一形態として広まっているようだ。

日本の国歌「君が代」は1999年になってようやく法的に国歌として認められた。内容は天皇を讃える古代の詩がもとになっているが、これが日本国内およびアジア諸国で、かつての軍国主義のシンボルとして批判の的になっている。

アメリカでも最近、国歌をめぐる論争が起こっている。スペイン語バージョンの「星条旗」がリリースされ、保守派から怒りの声が沸きあがったのだ。

東京都が2003年に「君が代」の起立斉唱を命じて以来、それに従わなかった教師たち数百人が罰せられている。

現在、流布している「君が代」の替え歌は、英語詞だが本来の日本語詞と同じように聞こえる。

本来の「君が代」では、19世紀のメランコリックなメロディにのせて、天皇の治世の永続が歌われる。

替え歌の歌い出しは「Kiss me, girl, and your old one」。

保守派の日刊紙『産経新聞』が月曜日の第一面に記事を掲載し、この替え歌は「サボタージュ」の手段として広がっているようだ、と紹介した。

替え歌の作者は不明だが、国歌斉唱に反対する運動を展開するグループのウェブサイトでは「心ならずも『君が代』を歌わざるを得ない状況に置かれた人々のために、この歌が心の中の抵抗を支える小さな柱となる」と述べられている。





日の丸・君が代問題です。

あまりつつきすぎると戦争や天皇制などの話に発展しますので、外角から攻めたいと思います。





この「Kiss Me」を広げているのは、「日の丸・君が代に対抗するネットワーク」(略称:反ひのきみネット)という団体です。
HP:http://www1.jca.apc.org/anti-hinokimi/Jindex.htm



歌詞とその訳、そして解説文は以下の通りです。
反ひのきみネットHPより引用




き  み が  あ よ  お  わ
kiss me, girl, and your old one
ち  よ  に い い や ち よ  に
a tip you need, it is years till you're near this
さ   ざ  で   い  し  の
sound of the dead "will she know
し わ お と な り  て
she wants all to not really take
こ  け の  む う す う  ま あ で
cold caves know moon is with whom mad and dead"


訳:
 僕にキスしたら君のその古臭いジョークにも(サヨナラの)キスをしておやりよ
 君に必要な忠告をあげよう 死者たちのこの声が君に届くまで何年もかかったんだよ
 「国家ってのは本当に奪ってはならないものを欲しがるけど
 そのことに気がつく日が来るんだろうか?
 冷たい洞窟だって知ってるんだ
 (戦争で傷つき)気が狂ったり死んでしまった人たちを
 お月さまはいつも見てるってことを」

註:古臭いジョーク (old one)
 たとえば「南京大虐殺は無かった」とか、
 「鉄道や学校の建設など植民地にも良いことをしてあげた」とか、
 「従軍慰安婦は商行為」などの嘘八百。

心ならずも「君が代」を歌わざる得ない状況に置かれた人々のために
この歌が心の中の抵抗を支える小さな柱となることを願って




要するに「『日の丸・君が代』には反対だけれども、学校などで歌わざるを得なくなった場合は音韻が似ているこの歌を歌って適当にやり過ごそう」ということですよね。



これを見た率直な感想としては

「小学生レベルの発想やな」

というものです。



「掃除をやりたくないから、箒で掃いているマネをしとこう」というのと同じイメージです。





そこまで確固たる意思を持って反対するのなら、

「反対したら謹慎になるから適当な歌詞を歌っとこう」

というのではなく



辞表を出してでも反対すればいいんじゃないかと思うわけです。

実際問題としては難しいですけれども。



もしくは、君が代を国歌として制定したときの解釈である

「天皇の治める世が末永く続くことを願う歌」

の意味ではなく、そのルーツである

「平安時代の和歌で、家族の者の長寿を祝う歌」

の意味を込めて歌えばいいんじゃないかと思います。





…ワタシとしては、戦争を経験していないというのもあるからか、

「日の丸・君が代」にそれほど(プラスの意味でもマイナスの意味でも)執着はありません。

賛成意見の考え方も反対意見の考え方も言いたいことは判ります。



オリンピックなどで選手が日の丸をつけ、表彰式で君が代を歌うのに抵抗を感じたことはありません。

こういう立場だから言えることなのかも知れませんけれども。



ですが、願わくば、教育に従事する立場の方々が

「子どもに反対の考え方を植えつけるよう仕向ける」

というのは避けて欲しいと思います。

こんなことが起こってしまっては、悪い宗教と似たようなものになってしまいますので…。





不本意でも、学校の方針上そうなっているのであれば、まずはルールを遵守する方向で行って欲しいと思うわけです。

子どもには、まずは「ルールを守る人間になる」という教育が必要だと思いますので…。

反対の考え方を持ち始めるのは、充分成長してそれ相応の判断力をつけてからでいいんじゃないかと思います。

そして、それを判断するのは強制ではなく、子ども自身であるべきだと思います。



「思想の自由」はあってもいいと思いますが、

そのせいでルールを守らない教師が輪を乱す様を子どもたちには見せないで欲しいです。


長年にわたり、半ば慣用句と化してしまっていたあの疑問に結論が出たとイギリスの新聞が報じました。

記事は↓こちら。





「ニワトリより卵が先」 英学者らが「結論」(CNN)【ロンドン】


卵が先か、ニワトリが先か。長年にわたり、学者から酒場の酔っ払いまでを巻き込んできた疑問に、英国の遺伝学者と哲学者、養鶏家の計3人でつくるチームが結論を出したと主張している。

彼らの言う「結論」は――「卵」だ。

生物の遺伝物質は生きている間には変わらない、というのがその理由。ニワトリ以外の鳥が途中でニワトリになることはなく、ニワトリの遺伝物質をもった卵を生むこともないという理屈だ。

このことから彼らは、最初のニワトリは卵の中でニワトリの遺伝物質をもつようになったと主張。この「進化した卵」こそ、現在数多あるニワトリの卵の最初だったとしている。

「進化した卵」がニワトリ以外の鳥から生まれたのだとしたら、それはニワトリの卵とは呼べないのではないかという主張については、「ニワトリが中にいるのなら、それはニワトリの卵だ。カンガルーが温めていた卵からダチョウが生まれたら、それはカンガルーの卵ではなくダチョウの卵だ」(哲学者)と反論している。

この結論は、映画「チキン・リトル」のDVDの宣伝として、発売元のディズニーが学者たちに依頼してまとめた。





「卵が先か、ニワトリが先か」



この疑問は、タイムパラドックスの矛盾点の説明にも使われることがある、もはや慣用句ともいえる言葉です。

※タイムパラドックスについては、過去記事3本に亘ってやたら熱を入れて語りました。
 よろしければ↓以下を参照ください。

考察①考察②考察③





さて、「英国の遺伝学者と哲学者、養鶏家の計3人でつくるチーム」なる集団が結論を出したそうですが。

…少なすぎませんか、コレ?

3人て。

ついでに遺伝学者はともかく、哲学者養鶏家って。

メンバーのチョイスも微妙な気がします。





…しかも、結論の論拠として用いているのは、以下の1点の事柄のみです。

・生物の遺伝物質は生きている間には変わらない



…まぁ、言いたいことは解りますよ?

環境によって微妙な変化はあるものの、遺伝子レベルではニワトリ以外の鳥が成長過程でニワトリの遺伝子に化けることはない、と言いたいんですよね。

専門外ですが、こんな感じの論法だと言うなら何となく説得力はあるような気がします。

…でも、ホントにそうなんですかね?





あんまり専門外のことを突っ込んで書いていると、どんどんズレて行きかねませんので程々にしたいと思いますが。

単なる無知の人間の戯言として聞き流してください。





ひとつ疑問を書きますと。

後天的に生まれる、若しくは成長過程で形を変えるような突然変異の遺伝子とかは全くゼロなんですか?

もしコレがゼロなら、「卵が先」という理屈が通ると思うんですが。



今はわかりやすく全く違う種類の鳥を例に出しすが、

要は、何かの拍子で突然ニワトリの卵を産んでしまったスズメがいたかもしれないという話ですよね。

そして、それはスズメの卵ではなくニワトリの卵だとこのチームは主張したいわけですよね。





…しかしながら、この理屈が通ってしまう場合、別の問題が浮かんでくるような気がします。





この理屈で行くと、生物の進化は全て突然変異であるということになってしまいませんか?

たまたまカエルの卵を産んでしまった魚がいるとか。

たまたま始祖鳥の卵を産んでしまったワニがいるとか。

たまたま人間を産んでしまったサルがいるとか。



要はそういうことになるんじゃないかと思ってしまうわけです。








…まぁそんな崩し方をしなくても、この理屈には大きな穴があるわけですが。



記事中には、

『ニワトリ以外の鳥が途中でニワトリになることはなく、ニワトリの遺伝物質をもった卵を生むこともない』

と言っているにもかかわらず、

『最初のニワトリは卵の中でニワトリの遺伝物質をもつようになったと主張』

しているそうですが。





…ちゅうことは、ですよ。

「この卵がニワトリの遺伝物質を持っている」というのは彼らも認めているわけです。

ところが、「ニワトリの遺伝物質をもった卵を他の鳥が産むことはない」とも言っています。





…えっと。

書いててワケ分からなくなりそうですが。

スズメとニワトリを例に出しますと、この理屈を両方成り立たせるためには


・スズメが卵を産む
  →この時はまだスズメの卵です。スズメがニワトリの卵は産みませんので…。

・卵の中で遺伝子情報が変わり、ニワトリになる
  →生まれるまでに遺伝子情報がニワトリのものにならなければなりませんので、タイミングはここしかありません。

・ニワトリが生まれる


となるわけですよね。








…。








そんなワケないじゃないですかΣ( ̄ロ ̄;)





少なくともワタシは納得いきません。

かといって仮説があるわけではないというのが弱いところですけれど。



ワタシの理屈も飛躍しまくってるような気がします。

「ここおかしいよ」と言うのがあれば、遠慮なくツッコんでやってください。

謝りますから。


…いや、かなりのおバカです。

記事は↓こちら。





エベレスト山頂に裸で立った男!? 登山協会が激怒(ロイター)


エベレスト登頂に成功したシェルパ族の男性が、その頂で全裸になったとの報道を受け、ネパール登山協会の会長は土曜日、この男性に対して何らかの対応措置を取ることを同国政府に要求した。

ヒマラヤン・タイムズ紙が金曜日に伝えたところでは、頂上で全裸になったのは登山ガイドをしているラクパ・タルケという名前の男性。標高8850メートルのエベレスト山頂で、凍えるような寒さの中、約3分間全裸でいたとされる。

もし事実が認められれば、同国で神聖な山とされるエベレストの頂に、全裸で立った世界初の人物となる。

ネパール登山協会会長は、「全裸になったというのが事実かどうか確認できておりません。もし本当なら、サガルマタ(ネパールでのエベレストの呼称、大地の母を意味する)を冒涜する行為です。政府は登山における厳しい倫理を定めるべきです」とコメントした。

現在、政府関係者からのコメントは得られていない。

しかし、タルケ氏が所属する登山ガイド団体は今回の件について楽観的なようで、「ギネスブックに申請しようと思っている」とヒマラヤン・タイムズ紙に語っている。

標高世界14位までの山の内、8つがネパールに属している。1953年以来、ネパール側、チベット側からを含めて少なくとも1345人がエベレスト登頂に成功している。





いや、この人は単なるおバカさんでしょうが。

ですが、例えば裸族の方がエベレストを制することだってあるかもしれないわけですしね。

(※実際問題として、極寒の中裸ではムリでしょうが…)

その場合は、別に裸であってもどうというわけではないでしょうし。

全裸が悪いとは思いませんが、「ギネスに申請する」とはちょっと調子に乗りすぎですねこの人





…ところで、このニュースを見て、こんなものを思い出しました



「酷寒のエベレストを制したひだまり健康肌着」。
何だこの画は。



「上の写真は、群馬県山岳連盟が世界で初めて冬季南西壁からのエベレスト登頂に成功した時、隊員達が着ていたのがこの肌着です」



という、何だか若干日本語のおかしい宣伝文句で売り出している「ひだまり健康肌着」という商品の宣伝写真です。

たまに新聞などで見られる広告です。


…とりあえず一番前の方、ムダに爽やかな笑顔です


宣伝サイト:http://www.anmin-ne.com/shop/hidamarihadagi.html





…これがもし合成ではなく本当にエベレストの頂に立った時の服装なんだとしたら、こっちのほうがナメてる感じがするのはワタシだけでしょうか?(笑)

そんな訳ないでしょうが…(笑)


けっこう好きです、こういうの。

しょうもないことを実行してみるという。



↓こちらです。



ココロミくん 著:べつやく れい
ココロミくん。





「人間は逆さまになった状態で飲み食いができるのか」

という試みや

「かっこいい鼻メガネをつくる」

「クレープの限界に挑戦」

など、



どっちかといえばどうでもいいことを試してみよう、という内容がもりだくさんです。





ですがこの方のマンガ、妙に間が良くて非常にワタシ好みです。





元々は、ワタシが好んで見ている「デイリーポータルZ」というサイトの一担当者の企画モノなんですが。

(他の方の記事もやたらいい味出してます。オススメです)



かなり素敵です。



文字が手書きであるため、「無駄」の「駄」という字のつくりの部分が「犬」になっていたり「専」という字の右上に点があったりと気になる部分もありますが、妙にツボです。





ぜひご一読ください。


さて、先日「ニンテンドーDSLite」を買ったわけですが。




すっかりパートナーさんが「おいでよ どうぶつの森」ハマってしまいました

今まさに「ニシキゴイ」を釣って喜んでいます(笑)

「2,000ベル」だそうです。(←このゲームの中の通貨単位)

…いやー、楽しんでもらえてこちらとしても嬉しいです。





…それはさておき。





昨日、「WiFi」と呼ばれるDS専用ネットワークキットを購入しました。

本来なら「ネット販売のみ」ということで、小さなゲームショップには置いてなかったんですが。



そこはさすがヨドバシカメラ。

普通に置いてありました



ついでに(?)「テトリスDS」も合わせて購入。





さっそくパソコンにこのキット(USBコネクタ)を接続し、まずは「テトリスDS」で初ネットワーク対戦です。





何か外人の女の人みたいな名前の方が釣れました

マジですか。



こんなちっこいゲーム機で、外国の人とテトリスできるんですね。





…で、結果は。








完敗でしたorz








とりあえず、このネットワークキット、今は対応ソフトが


「おいでよ どうぶつの森」

「マリオカートDS」

「テトリスDS」


の3本ということで。

(3本とも既に買ってしまっているわけですが…)





…夫婦してハマりそうな今日この頃です。


気持ちはわからんでもないですが。

これは殺人未遂にも問えるらしいですね。

記事は↓こちら。





「人生終わった」と逃走 事故に動転、連れ去りか(共同通信)


 佐賀県唐津市の小学5年生家原毅君(11)ひき逃げ事件で、逮捕された坂口三之治容疑者(53)が唐津署の調べに「子供をはね、人生が終わったと思った」と逃げた動機を供述したことが25日、分かった。
 坂口容疑者は逮捕直前、勤務先の土木会社経営者に「(毅君が)ぐったりなって、恐ろしかった」とも話しており、同署は動転した坂口容疑者が事故を隠ぺいしようと毅君を山中に連れ去り、放置して逃げたとみて追及する。
 また坂口容疑者は、取り調べの中で毅君が入院していることを伝えられると「反省している。生きていてほっとした」とも供述したという。






家原毅君ひき逃げ事件というのは、

5月20日の夕方、被疑者の勤務先の会社が所有しているトラックを被疑者が運転中に男児をひいて重傷を負わせたが、被疑者自体は逃走したという事件です。

ここまでであれば、「業務上過失傷害」「道路交通法違反」という罪のみに問われるみたいですが。

問題なのは、事故を起こした後男児をトラックに乗せて連れ去り、3キロ離れた山中に放置したという疑いがあることです。

これはどうなんでしょうか。





法律用語から言うと、これは「殺人未遂」と受け取られてしまうようですね。





専門用語で「未必の殺意」という言葉があるらしいんですが。



通常…というか、一般的な見識から言うと「殺人未遂」とは

「殺意」

がなければならないと思われるんですが、法律用語としての「殺意」は若干ニュアンスが違うみたいですね。



一般的には

「相手を死なせるつもりだった」

という場合に使用するように思いますが、

法律用語では

「相手が死ぬとは確実には思ってはいないけれども、相手は死ぬかもしれない。しかしそれでも構わない」

というような状況でも「殺意あり」ということになるそうです。





よってこの件は「殺人未遂」になり得る、というのが法律用語から語るこのひき逃げ事件なんですが。





そんな話をしなくても、山中に放置したというんであれば、これは一般的な見地から言っても「殺意があった」といわれても不思議ではないような気がします。

トラックで轢いた上、山中に捨てたんでしょ?

いくら「子供をはね、人生が終わったと思った」という理由を述べても、もっとひどいことしてるじゃないですか。

…まぁ、逃げたい気持ちは分からんでもないですが。

よけい罪が重くなるのは目に見えてるでしょうに。



逃げ切るなど、どれだけの代償を払わなければならないか分かりません

(「逃げ切れない」とは言いませんが)

それなら、過失としてしっかり家族などに対して誠意を見せ、罪は罪として償った方がよほどいいでしょうに。





最近は後先を考えずに行動する人が多いように思いますので、瞬時にメリットとデメリットを考えて行動して欲しいと思います(笑)


…買ってしまいました。

割と忙しいんですけど。








何を…って。



ニンテンドーDSLiteです。








昨夜たまたま行った店で大量入荷したらしく、

会社帰りの人やオバチャン達でいっぱいでした。

どっから入荷情報なんか集めてくるんでしょうか、オバチャン達。

インターネットでチェックしてるんでしょうか?

謎です。





たまたまワタシが行ったタイミングは落ち着いていたものの、

本体を購入してしばらく店内を物色しているうちに



とんでもない人だかりに



レジがジェットコースターの順番待ち状態です。

50人くらいは並んでいたでしょうか。

あっという間に品薄状態です。





幸い、何とか希望のホワイトを入手できました。

…ってか、まだそんなに売れ続けてるんですかDS。





…まだこの間買った「大神」も終わってないですし。

(※「大神」めっちゃおもしろいです。このゲームについてはまた別記事で触れたいと思います)

土曜日は用事ができてしまいましたし。

困ったもんです。





購入したソフトは

「ニュースーパーマリオブラザーズ」(←発売日前日だったので、前日でも売っている別の店で購入)

「スーパーマリオ64DS」

「マリオカートDS」

「もっと脳を鍛える大人のDSトレーニング」

「おいでよどうぶつの森」

「MOTHER3」(←これはゲームボーイアドバンス用ソフト)

です。



「ディグダグ ディギング ストライク」も買おうかどうか迷ったんですが、イマイチなようなので却下しました。





…ってか、買いすぎ





マリオ系が多いのは、ハズレソフトがあまりないこと。

…アクションに関しては、ですが。

「マリオ&ルイージRPG」はちょっと保留。

「スーパープリンセスピーチ」も保留です。





「おいでよどうぶつの森」はけっこうおもしろそうですね。

1日30分くらい、こまめにできそうなところがいい感じです。





かくれ読者さん、買いましたよー(私信)。





でも、通信をするためにはそれ専用のキット(WindowsXPパソコンに接続するタイプ)を別売で購入するか、

専用回線の無線LAN環境が整っている場所(対応のカフェとかゲームショップとか)に行く必要があるみたいですね。



…ってことは家から外部に通信する場合、DSやりながらパソコンをつけないといけないわけですか…。

パートナーさんに怒られそうな感じですね。


久々に本の紹介です。





『神様のパズル』(ハルキ文庫) 機本 伸司 著
表紙は若干アレな感じですが。





紀伊国屋で「裏表紙あらすじ買い」をした作品。

ワタシとしてはかなりおもしろかったと思います。



ストーリー…★★★★★

登場人物…★★★☆☆

文章力……★★★☆☆

総合………★★★★☆



総合の-1点については、ストーリーは非常によかったと思う反面、それ以外の部分(人物の心情とか)でもう少し書き込まれていればよかったかなぁ、という感じですね。

…もしかすると、心情が書き込まれていればそのぶんこのストーリーの流れが死んでしまい、作品としては逆効果になってしまうかもとか思ってしまうわけですが。

要するにないものねだりなんですかね。





以下あらすじ。


『ゼミの担当教授から頼まれたことは、不登校の穂瑞をゼミに参加させるよう連絡をつけること。留年ぎりぎりの成績の身としては、少しでも点数を稼いでおきたいところなので、天才少女と謳われていた彼女に会いに行ったが、追い返されてしまった。
腹いせのようにぼくは「宇宙が無から生まれたのであれば、無から宇宙を作ることはできるのか?」と疑問をぶつけたところ、彼女はゼミに現れ、宇宙を作ることを宣言したのだが……』





自他共に認める天才少女である穂瑞が、落ちこぼれ学生である主人公と共に『宇宙の作り方』を解明していくというのが大筋です。

作中に物理の専門用語は出てきますが、物理の知識がなくても楽しめる(何となく分かる)ように書かれています。

この点において、秀逸な作品であると思いました。



今回ワタシが読んだのは文庫版の方でして、もともとハードカバーで出ていた作品に加筆・修正を加えたものであるということです。

…ですので、もしかしたら「文庫版の方が読みやすかった」という事態が起こるかもしれませんのでその点はご了承ください。



これ、途中からかなりハマってしまい、物理学に興味を持つほどになってしまいました。

物理キライやったのに。



…ちなみにこの作品、映画化ゲーム化が決まったそうです。

映画化はともかく、ゲーム化ってどないやねんと思ってしまいました。

どんなゲームになるのか興味はありますが、やってみたいというのはありません。

めちゃめちゃメモリ食いそうやし。(←作品を読めば解ります)