朝の書評 -15ページ目

小説の技法―視点・物語・文体

レオン・サーメリアン, 西前 孝
小説の技法―視点・物語・文体
4.ハウツー本を斬る・其の一
http://juji.hp.infoseek.co.jp/text/howto00004.htm
19.小説の構造って何だ・其の三
http://juji.hp.infoseek.co.jp/text/howto00019.htm
278.そろそろ新人賞の獲り方を考えてみる・其の二
http://juji.hp.infoseek.co.jp/text/howto00278.htm

月の影 影の海

小野 不由美
月の影 影の海〈上〉十二国記
小野 不由美
月の影 影の海〈下〉十二国記
60.分節を構成する要素・其の三
http://juji.hp.infoseek.co.jp/text/howto00060.htm
61.分節を構成する要素・其の四
http://juji.hp.infoseek.co.jp/text/howto00061.htm
62.分節を構成する要素・其の五
http://juji.hp.infoseek.co.jp/text/howto00062.htm
64.分節を構成する要素・其の七
http://juji.hp.infoseek.co.jp/text/howto00064.htm
67.分節を構成する要素・其の十
http://juji.hp.infoseek.co.jp/text/howto00067.htm
70.モチーフを繋ぐ力・其の三
http://juji.hp.infoseek.co.jp/text/howto00070.htm
72.モチーフを繋ぐ力・其の五
http://juji.hp.infoseek.co.jp/text/howto00072.htm
73.モチーフを繋ぐ力・其の六
http://juji.hp.infoseek.co.jp/text/howto00073.htm
74.プロの分節構造を抽出する・其の一
http://juji.hp.infoseek.co.jp/text/howto00074.htm
75.プロの分節構造を抽出する・其の二
http://juji.hp.infoseek.co.jp/text/howto00075.htm
80.謎と答・其の一
http://juji.hp.infoseek.co.jp/text/howto00080.htm
81.謎と答・其の二
http://juji.hp.infoseek.co.jp/text/howto00081.htm
124.小説の本丸は構成である・其の参
http://juji.hp.infoseek.co.jp/text/howto00124.htm
190.ロスチャイルドのバイオリンを読む・其の五
http://juji.hp.infoseek.co.jp/text/howto00190.htm
220.シンプル・ストーリーを考える・其の一
http://juji.hp.infoseek.co.jp/text/howto00220.htm
221.シンプル・ストーリーを考える・其の二
http://juji.hp.infoseek.co.jp/text/howto00221.htm
224.シンプル・ストーリーを考える・其の五
http://juji.hp.infoseek.co.jp/text/howto00224.htm
228.シンプル・ストーリーを考える・其の九
http://juji.hp.infoseek.co.jp/text/howto00228.htm
349.再び長編化を模索する・其の三
http://juji.hp.infoseek.co.jp/text/howto00349.htm

【書評なしリンクについて】
 ホームページのほうで取り上げた本で、あらためてこちらに書評を書く予定のないものについても、こちらで紹介しておきたいものだと考えたんですが、ホームページのほうはもう五年くらいやってるので、そっちで取り上げた本はけっこうな数になるので、数編ずつおいおいリンクを貼っていこうと思います。ホームページの元記事へのリンクも一緒に書いておきます。

アンドロメダ星座まで グレゴリオ・C・ブリヤンテス(新潮2006/04)

 
新潮 2006年 04月号
(宮本靖介・土井一宏 訳)

【完全ネタバレ全あらすじ】
 フィリピンに住む12歳の少年ベンは映画館で映画を見終わり、お金は十分に貯めてあるので、一ヶ月間は毎週末映画を見に来ることができるだろうと思った。映画の内容は、第三次世界大戦で崩壊した地球をロケットで脱出した人たちが、美しい緑に恵まれた第二の地球を発見するまでを描いたものだった。
 ペンは友人のペペと共に映画館を出て、何人かの知り合いに挨拶しつつ宵の口の街を歩いた。広場まで来てベンチに腰を下ろしローラースケートで遊ぶ子供たちを見ていると、友人のチトがやってきた。ベンはさっき見た映画の話をして、星空を見上げ、火星人やら月への移住やらのことを話したが、チトは現実離れしてくだらないと言った。それじゃあチトがマリータにラブレターを出した話をしようとベンは言った。そのことをクラスの女子全員が知ってると言うと、チトは恥ずかしがってベンチから転げ落ち、三人の少年は大笑いして、くすぐりっこして、レスリングごっこして、それから教会の前まで競走した。
 友人たちと別れて歩き出し、発電所の傍の橋の上に立ち夜空を見上げた。川向こうには平野が地平線のかなたまで続き暗闇の中に星が湧き出ていた。ベンは宇宙の果てからの合図のような振動を感じ、自分が無力で小さな存在であると思った。
 帰宅すると、父はまだ帰っておらず、母とドラ叔母とルス姉とフィアンセのチトンが庭にいた。家の中には祖父母の肖像画とポル兄とレイミー義姉と彼女の赤ちゃんがいた。ベンは赤ちゃんに催眠術をかける真似をし、赤ちゃんが粥を吹いた。ベンは再び庭に出て芝生に寝そべった。我が家という入江の中で寝そべっておれば、星空を見上げても安全だとベンは思った。
 宇宙について考えていると、父がシボレーに乗って帰ってきた。甘ったるいガソリンの匂いは、父の葉巻、兄のパイプ、長雨の後の晴れ上がった朝と同じ、ベンの好きな種類のものだった。父と子の深い愛情を込めた儀式として、ベンは父の書類カバンを受け取った。チトンが父に挨拶し、ルス姉を素晴らしい方だと言って帰っていった。お気に入りの椅子に座った父にベンがスリッパを持って行き、夕食が始まった。
 家族の団欒があり、夕食後みなは庭で涼んだ。ベンは流れ星を見て、橋の上で感じた振動の響きが胸に蘇ってきた。それはもはや苦痛ではなく、彼自身と一体化した思想であり、神の存在と同じものになり、恐怖心は去った。父の家の中なら、愛に包まれどのような邪悪なものも手出しできないのだ。
 いつの日か、少年時代の思い出も夢もほとんど色あせてしまった頃に、ベンはまた永遠の名前の反響に似たこの振動音を感じるかもしれないし、この神秘を理解できるようになるかもしれないし、そうはならないかもしれない。ひょっとしたら自分の大罪のために永遠に理解できないかもしれない。しかしそれは今夜ではない。ベンは、父が帰ってきたこと、家族全員が夏の夜長を家で平穏無事に過ごしていること、明日の日曜日には全員揃ってミサに行くこと、そのあと友人と泳ぐことを考えた。そして昼からは、今度は父と一緒にまたあの映画を見よう、と思った。

【感想】
 少年の平穏無事な半日が描かれている。どうやらかなり裕福な家庭であり、大家族である。それをどう考えろと言うのだろう。フィリピンのことはよく知らないが、おそらく多くの貧しい人たちがいる格差社会という印象がある。こんな裕福な家族は珍しいんじゃないか。それについては何も書かれてないので、つまりはそのような話ではないのだろう。とすると、単に金持ち一家を羨ましがれという話なのかな。親子愛とか大家族の楽しさとか何不自由なく暮らす少年とか、あるいはルス姉が、弁護士のフィアンセの言うとおり、素晴らしい方であることとかを、どうだ素晴らしいだろう、と思うべき小説なのか。
 最後まで読むと、この少年は、「少年時代の思い出も夢もほとんど色あせてしまった頃」に何かを理解するかもしれないし、しないかもしれない、そしてそれは今夜ではないとある。ここで読者は、未来のある時点から過去を振り返る視点を提供される。そして、「自分の大罪のために永遠に理解できないかもしれない」という唐突な言葉と、「家族全員が平穏無事に過ごしている」という結末とが対照されてくる。
 つまり、平穏無事ではないかもしれない未来から平穏無事な「今夜」を振り返る視点が読者の中に形成される。これは「なつかしさ」を喚起する技法なのだ。そう言えば、「沖で待つ」を最近読んだのだが、冒頭と結末に幽霊が登場し、幽霊が心残りを解消してこの世から消え去るところが結末になっている。これもまた、幽霊が消えた現在から、新人社員時代をなつかしく振り返る視点を提供するのだ。
 やっぱりこれは、どうだ素晴らしいだろう、と思うべき小説なのだ。ここに書かれてある平穏無事な少年の状態は、滅多にない奇跡的なことであるらしいということが結末で示されたのだ。少年は「父さんが帰ってきた」と何度も繰り返すが、だとすると、この父は滅多に家には帰って来ないのかもしれない。

天の穴 高樹のぶ子(新潮2006/04月号)

 
新潮 2006年 04月号
【完全ネタバレ全あらすじ】
 福岡在住で大学に勤務する豊子はフィリピンマンゴーを落とした老婆のためにそれを拾ってやるが、内心マンゴーは若者のお洒落な高級フルーツであり老婆には似合わないと思った。大阪に単身赴任している夫から今日は帰れないと電話があったが理由を聞きそびれた。
 豊子はつまらない意地を張るタイプで、周囲からは気の強いひねくれ者だと思われていた。台風の日にむしろ残業して、暴風雨の中を車で帰宅途中、人影を見た気がして車を止めると、野球帽を被った少年が立ち上がるのが見えた。車で引いてしまったのかと思い、声を掛け車に乗せ、転んだだけで引いてないことを確認し、家まで送ると言った。しかし豊子は子供が嫌いだった。ついでに、夫も仕事も嫌いで、そんな自分も嫌いだった。豊子はしばらく車を走らせたあとで、名前を言わない少年をコンビニかどこかで降ろそうかと思うが、彼は台風の目を見るため来た、何年も待っていたと哀願するように言った。豊子は退いたら負けだから意地でも行くところまで行ってやると思い直し、少年の指示する方向に車を走らせた。
 少年がここだと言った場所に車を停めて待っていると、台風の目に入り風雨が止んだ。少年が車を降りて出て行き、しばらく待っていたが戻ってこないので後を追った。少年は海岸に立ち、やってきた豊子に台風の目についての薀蓄を語った。年齢を聞くと答えなかった。
 少年は、レイテ島の戦争で死んだと思っていた友人が台風に運ばれて目の穴から落ちてきて、そのあと結婚して二十年も生きたという話を祖父から聞いたと言う。そして今、やはり南の島で死んだ母が落ちてくるのをここで待っていると。
 少年は水辺に入り、台風の目の穴を見つけたと叫び、銀河の話をし、野球帽を脱いだ坊主頭を豊子に触らせる。一部骨がなくてアンドロメダの楕円銀河のようにふにゃふにゃの部分があった。とても触りごごちが良くて豊子は指が離せなくなった。少年は「いい匂いがする」と言い、「言ったとおりになった、台風の目の穴から落ちてきた」と甘えた声で言った。豊子の指からマンゴーのようないい香りがした。豊子は確かに新しい自分が、空の穴から降ってきたような気がした。二人はしばらく辻褄の合わない話をして、手をつないで車に戻った。
 少年を病院の前で降ろした。数日のうちにひどく彼に再開したくなるだろうがそれでも会いに行くことはないだろうと豊子は思った。少年が脳障害患者でありその病の結果の行動であったほうが心が安らぐ、そうではなくて、健常な子供の悪戯か気まぐれなら、生涯立ちなれないような気がする、と豊子は思った。そしてこの全く新しい感情に戸惑いを覚え、自分もどこかに穴が開いてしまったのではないかと思った。

【感想】
 シナリオの定石に、結末の裏を冒頭に持ってくるというのがあるそうだ。結末が仲直りなら冒頭に諍いを、結末に勝利する主人公なら、冒頭に負け犬の主人公を持ってくる。この作品の、冒頭に性格の悪い豊子を出し結末に彼女の精神的再生を持ってくる手口は、教科書どおりの常道だ。
 三島賞選評で「がんばれポー」と言い、中原昌也を罵倒する高樹のぶ子の物語への揺るぎない信頼は、評論家の空理空論ではなくて、このような手堅い実作品によって裏打ちされている。

まーやー 遠藤徹(新潮2006/04月号)

 
新潮 2006年 04月号
【完全ネタバレ全あらすじ】
 灼熱の砂漠で、薙と阿南は、崇拝する天照に「生き延びよ! 生き延びて七面、毛無らと合流し、強羅を倒せ!」と命じられた。巨躯の天照が去った後には、彼の足跡である大きな穴に彼の汗が溜まって、二つの湖ができた。しかしその水は非常に塩辛くて飲めなかった。薙と阿南は大きな岩をひっくり返してその下に隠れている、普段なら決して口にしない奇怪な虫を食べ、日に焼けやせ細りつつ、苦しみながら、かつては川であった場所を、かつて七面が教えてくれた海へ向かった。
 七面は人面疽によって七つ顔があった。彼はかつて強羅の家で働いていた。強羅には幼い少年たちが仕えていて、彼も幼い間は、そして人面疽に冒されるまでは、その一人だった。強羅には摩訶耶という美しく残酷な娘がいて、彼女には赤石という大男の侍従がいて、摩訶耶は赤石に命じて、幼い少年たちを些細なことで死に至るまで痛めつけた。少年たちは、殺した少年の血を啜ってますます妖しく成長する摩訶耶を崇拝にも近い気持ちで恋慕した。
 毛無は、アメーバのようなぐにゃぐにゃした無口な生き物だった。薙と阿南と七面の前に天照が初めて現れたとき、強羅を倒すため共に戦う仲間として紹介された。そして天照は薙と阿南から頼りにしていた七面を毛無と共に連れ去った。薙と阿南は太陽の熱にうなされながら抱き合ったまま海へ向かって転がり続けた。
 七面は失意を感じつつ毛無と共にかつて海であったところを歩いていた。海は干上がり、かつての海の生き物は化け物と化しており、しかし天照の命令に従い生き延びるためには、それら化け物を食わねばならなかった。七面は失意と怒りから毛無を罵倒し殴り続けるが、毛無はまったく痛痒を感じてない様子だった。
 七面は疲れ果て眠り夢を見た。夢の中で、七面は強羅の寵愛を取り戻し、摩訶耶も彼に秋波を送った。七面が土産として差し出した天照の首が料理として出され、七面は驚愕して目を覚ます。七面は夢に見たとおりに天照を裏切りすべてを取り戻そうと決意する。そして海が干上がった今こそ、深い海の底に棲むと言われる魔の元に行き、その力を借りようと思う。
 天照は魔の元に行き、昨夜の夢のお告げどおり自分は殺されるのかと尋ねる。「然り、そして否」と魔は答えた。
 薙と阿南は瑞々しい森に辿りつき、天照の命令も海に行って七面に会うこともどうでもよくなってしまった。その森は人面をした豊かな果実が実り、二人は健康と退屈を取り戻し森に安住した。やがて阿南が子供を生んだ。いつも眠っていて可睡と名づけられた。 天照は遠い所で毛無が死んだことを感知した。天照は毛無が絶命した地へ向かい、変わり果てたわが子、毛無しを撫でてやろうとしたが、その途端、黒い虫が一斉に飛び立ち、天照を刺した。虫によって毛無を殺し、天照も殺す、それは魔に力を借りて七面がしかけたことだった。
 七面は美しい少年に戻り、天照の首を土産に強羅を訪れた。強羅は女性だった。強羅と摩訶耶は彼を誉め、捕虜たちに天照の首を見せた後で残酷な方法で処刑した。天照の首を巨大な鍋で煮込みつつ、強羅は七面をも殺し、鍋に投げ捨てた。魔によって取り戻すことのできた美少年の顔を赤石に剥ぎ取られ、人面疽に冒された醜い七面の体は天照の口の中に落ちた。天照の口が動き出し七面を噛み砕いた。そして食い終わると、天照の首は強羅に元気そうだなと声を掛け、摩訶耶をわが娘と呼んだ。
 強羅と抵抗勢力との闘いは、灼熱の太陽と地下に残された水脈との闘いでもあった。カリスマ指導者天照の死の知らせにより、消沈した抵抗勢力は次々破られ、秘密の地下水脈を襲われ、地下水脈から水を得ていた、薙と阿南が住んでいる森も危機に瀕した。太陽の熱はさらに強く激しくなり、森はからからに乾燥し火事が発生し、薙と阿南は逃げ出した。森の外でうっかり強くなった太陽を見て二人ともめくらになってしまった。二人はどうしていいかわからず、昔みたいに抱き合って(可睡を腹に挟んで)ころころ転がり始めた。すると記憶が蘇って、海へ行って七面に会って、強羅を倒すんだと思った。
 強羅と摩訶耶は嫌がる忠臣の赤石の首を落とし、その体を夫の天照に与えた。天照は体を取り戻したが、毛無を連れてこの家を出たときからの記憶をなくしていた。強羅は、天照が、天照と摩訶耶との不義の子供である奇形の毛無を捨てに行くとき、毛無の夢に捕らわれてしまったのだと言う。毛無は自分を捨てる天照を恨み、天照と強羅が争い、太陽が二つに割れ落ちて大地に向かって降りていくという夢をみて、現にそのような事態を引き起こした。しかし毛無は途中から七面に夢を乗っ取られ、七面は自分の夢の通り強羅の家に戻ってきたが、そのことを予め魔から聞き及んでいた強羅たちは、七面の裏をかいて彼を殺したのだという。
 しかし、七面を殺しても太陽の熱は強まり続けた。誰かが毛無と七面の夢を引き継ぎ、この世に破滅をもたらそうとしているようだと強羅は言う。天照は、薙と阿南が夢を引き継いでいると気付くが時すでに遅く、まずは熱に弱い摩訶耶が倒れて溶け始め、続いてあたりの美少年たちも強羅も天照も溶け始めた。
 薙と阿南は転がるうちに焼け焦げた肉の塊になり、岩の下に隠れた虫たちの餌になったが、その肉の塊に挟まれて、可睡がすやすやと眠っていた。その子が今ようやく目を覚まそうとしている。その唇が動いた、まーやー、と。

【感想】
 長々要約してご苦労なことだと思われるかもしれないが、私は私のためにやってるので気にしてくれなくていいですよ。むしろこの私独自の要約を真に受けて、こんな小説なのかとあなたが思い込んでしまったとしたら心配だ。いや、こんな小説なんですけどね。
 これはやはり、なんだかんだ、いわゆる説話論的物語というやつじゃないですか。頼りになる兄貴分と見えた七面が天照を裏切り、抵抗勢力のカリスマと信じられていた天照が実は強羅の夫であり、毛無は自分を捨てた父母を恨み、といったストーリーの起伏は、面白いし意外性もあるし、でもそれは神話とかファンタジーとかで繰り返されてきた定型であるところの「意外性」ですね。
 神話のパロディが現代文学足りうるためには、神話的物語のプロットから現代文学すなわち小説への跳躍がなければならず、神話的予定調和にとどまっているこの作品をそもそもパロディとは言えず、目新しい表現やモチーフをいくら入れ込んだところで、できのいいエピゴーネン以上のものではないでしょう。
 あれ? なんだか、面白く読んだ割には辛口の感想になってしまいました。批評家の悪い影響を受けてしまったようです。実際のところ、要約では書き落とした、奇怪な虫たちの描写や、人面果実について薙と阿南が言い合うあたりなど、十分に面白かったです。

ニナンサン 中上紀(新潮2006/04月号)

 
新潮 2006年 04月号
【完全ネタバレ全あらすじ】
 妊娠中の「私」はソウルで交通事故に遭い現地で入院した。幸い母子共に無事だった。見舞いにきた母は「ニナンサン」の方角に向けて手を合わせた。ニナンサンとは母の聞き間違いで、韓国語ではインウァンサン(仁王山)と発音する。ソウル近郊の霊山であり、「私」の母が弟を妊娠中に、当時ソウルにいた父がこの霊山で子供のことを祈り、その後、弟が無事生まれてきたという。
 交通事故から一年後、「私」は友人の晴美と共に再びソウルを訪れる。その夜、二人は大酒を飲み、晴美は恋人に妻子が居た、最近偶然知ったと言って泣いた。翌朝、まずは入院していた病院へお礼を言いに行こうとするが、入院時の辛い思い出が蘇り、病院の前で引き返す。
 ホテルに戻ると、晴美は昨夜の深酒で沈没していた。「私」も少々腹が痛かったが一人で霊山に行った。タクシーで近くまで乗り付け、近所のおばさんに道を聞くと祈祷場まで案内してくれた。「私」は去りゆくおばさんの後ろ背に、私は何を祈ろうとここまできたんですか? と問いかける。直後腹痛が激しくなり、「私」はすぐにおばさんの家まで戻ってトイレを貸してもらう。
 その後ホテルに戻ると腹痛は嘘のように消えた。晴美が不在だったので再び外出し、なんとなく遊覧船に乗って缶ビールを矢継ぎ早に飲む。「私」は夕日を見ながら、破水して緊急入院したこと、そのとき同居していた男が不実であったことなど、出産時の苦労を回想する。また、生まれてきた子供がかわいいと思う。
 晴美の携帯に何度か電話したがいずれも不通だった。夜になって晴美から携帯に電話があり、晴美は「私」が出て行った後すぐ起きて、一日中観光していたと楽しそうに言った。「私」は置手紙くらいしてくれと晴美の勝手な行動を責める。それから観光中に晴美が知り合ったという日本語の堪能な韓国人の男と三人で焼肉を食い酒を飲んだ。「私」は同居男がいて、晴美は不倫関係の男がいるが、二人ともカレシはいないと韓国男に言う。「私」は繊細な晴美が不実な不倫相手を忘れて韓国男とうまくいけばいいと思う。
 ダンスフロアの隅で、「私」が子供や同居男のことをウジウジ考えていると、晴美が、昨夜の話には嘘があった、実は相手が結婚していることは知っていた、騙されたのではないと打ち明ける。しかしそう言いながら晴美はまた涙声になった。晴美は美しい女だった。「私」は晴美と共に踊った。「私」は踊りながら酔いながら涙を流しながら黒服の男に手を引かれながら、突然霊山に行きたいと言い、黒服の手を振り払い走り出す。タクシーに乗り、深夜女一人で異国の見知らぬ路地で降り、歩き出す。
 「私」はソウルで入院したとき世話をしてくれた女性から、トッケビという韓国の妖怪の話を聞いたことを思い出す。やんちゃな子供のことをトッケビと呼ぶこともあり、「私」の悪戯好きな弟が母に連れられソウルに行ったとき、トッケビと呼ばれたこともあった。男がずっとトッケビのままなら、「私」も晴美も苦しまずにすむだろうと「私」は思う。
 誰か男が近づいてきて、「私」は捕らわれると思う。男に手を取られ空を飛ぶうち、光にみちあふれている山が目の前に聳えていた。この山こそが私のニナンサン、私の祈りの山に違いない。「私」は上空から祈祷場で祈る清美や母親や若いころの自分を見たり、花畑で花を摘む小さいころの「私」の弟や「私」の息子や彼らを連れて行くたくさんの白い鳥たちなどを見る。そしてふとベッドで目が覚めるとそこは病院だった。一年前に逆戻りか?
 と思いきや、目の前には空を飛ぶ前の路地が続いていた。「私」は、思い出したくなかった記憶を遂に思い出す。一年前退院が近づいたとき、迎えに来てくれたのは、同居男だった。彼に車椅子を押してもらい、異国の市場を散歩した、今思えば男と過ごした最上の時間だった。男はそのときまたここに来ようと言ってくれたが、その後男はまた「私」の家に寄り付かなくなってしまった。そしてその後、「私」は久しぶりにやってきた男の携帯をリダイヤルしてみた。女の声が出た。結局、「私」の相手にも妻がいたのだった。
 気がつくと、「私」はダンスフロアにいて、晴美に介抱されていた。晴美に聞くと、「私」はずっとここにいて酔っ払っていたらしい。
 ホテルに戻ってこんこんと眠った後、「私」と晴美は、冒頭で霊山を案内してくれたおばさんのやってる食堂で肩を寄せ合って唐辛子の利いたネンションを食べた。「私」は晴美に韓国男のことを聞かなかった。晴美も日本の恋人のことばかり話した。帰りの空港で「私」と晴美は別々の飛行機に乗った。成田に着いた後で、携帯に晴美からメールが入り、「私」は家で待つ男にあと二時間くらいで帰宅しますと書いたメールを打った。

【感想】
 病院にまつわる辛い思い出を、病院へ行こうと決め、出かけ、病院の前に来るまでまったく思い出さず、そこで突然思い出してやっぱり病院へは行かない。深酒のせいで腹が痛いと言っておきながら、その後トイレでしゃがみつつ、山の神に拒否されたのかと心配する。でもその後で、すでに祈祷場で子供が無事出産したことのお礼参りをしたとも言う。では、おばさんの背中に「私は何を祈ろうと……」とかトンマ過ぎる問いかけをしたのはなぜ? そして腹痛が収まるやすぐに出掛けまたビールを飲みだす。その日のうちにさらに焼肉を食って酒を飲み、酒を飲みつつ踊りまくる。とにかく主人公がバカすぎ。そう思って読んでいたので、突然店を飛び出してタクシーに乗ったところからずっと夢だったのは、うまく騙された感じがした。
 さて、不倫男とラストの家で待つ男が同一人物ならば、男の心変わりがあったはずだが、それが全然書かれてない。両者は別人で今は新しい男と一緒に暮らしているのかとまで考えてみたが、そんな描写もまったくないので、どうやら「私」と不倫男は腐れ縁が続いているということのようだ。
 おそらく晴美の不倫を軽蔑していたはずの「私」自身が実は不倫していた、というオチなんだろうな。つまりこの話のメインは、晴美との友情のほうだ。冒頭から晴美が不倫をしたり旅先で自分勝手な行動を取ると責めてみたりしつつ、実は自分も不倫をしていた、そしてやっぱり晴美は親友であるという結末。
 なるほど、そう解釈してみると、なかなか構成に工夫があって良かったと思います。

チェーホフ小説選

アントン チェーホフ, 松下 裕
チェーホフ小説選

チェーホフがねえ、好きになってしまったんですよ。なんかこのしみじみ胸焦がれるってやつですか。でもねえ、戯曲はとりあえず今のところ守備範囲外なんですね。シナリオ読むのってなんかね。小説を全部読んだ後でいいよね、読むとしてもさあ。
そんなわけでチェーホフ少しずつ買い揃えようかなと思ってたんですけど、チェーホフ小説選。なにこれ、ななせんさんびゃくごじゅうえんですよ、これ。相場ってあるよね。それに無意識のうちに支配されて無駄に金を使ったり必要なところでケチって結局損したりするのが人間だよね。
本当に必要なものは高くても買っとくべきなんだよ。安いからって百円ショップでまとめ買いしたって結局無駄になるんだよ。本当に好きだった人にもっとちゃんと好きだって言っときゃ良かったんだよ。今更後悔したって空しいだけなんだよ。
けれどもそこで、アマゾンのマーケットプレイスですよ。ごせんえんで手に入れました。
やっぱ、中二階のある家、なんか好き好きなんですよねえ。もうとにかくリジヤとミシューシが愛らしい。ミシューシ(ミシュス)の名前だけを挙げる人はチェーホフ業界ではモグリ。真のチェーフォニストはリジヤも愛しています。一家に一冊チェーホフ小説選と強く訴えたい。

収録作品リスト

おかかえ猟師
子どもたち
ふさぎの虫
アガーフィヤ
聖夜
ワーニカ

家庭で
幸福
牧笛
脱走者
くちづけ
少年たち
曠野
美女
退屈な話
気まぐれ女
六号室
ロスチャイルドのヴァイオリン
学生
頸にかけたアンナ
中二階のある家
箱にはいった男
すぐり
恋について
かわいい女
犬をつれた奥さん
谷間
いいなずけ

251.中二階のある家を捜索する・其の一
http://juji.hp.infoseek.co.jp/text/howto00251.htm
253.中二階のある家を捜索する・其の三
http://juji.hp.infoseek.co.jp/text/howto00253.htm
254.中二階のある家を捜索する・其の四
http://juji.hp.infoseek.co.jp/text/howto00254.htm
293.描写を発見する・其の三
http://juji.hp.infoseek.co.jp/text/howto00293.htm
314.知らないことを想像してみる・其の三
http://juji.hp.infoseek.co.jp/text/howto00314.htm
小説の基本構成
http://juji.hp.infoseek.co.jp/essay/kihonkosei.htm
登場人物の登場過程
http://juji.hp.infoseek.co.jp/essay/tojojinbutsu.htm
中二階のある家は感傷的か
http://juji.hp.infoseek.co.jp/essay/tojojinbutsu.htm
文学は社会と関係がない
http://juji.hp.infoseek.co.jp/essay/bungakuhashakaito.htm

文明崩壊

ジャレド・ダイアモンド, 楡井 浩一
文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (上)
 
ジャレド・ダイアモンド, 楡井 浩一
文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (下)

東京のヒートアイランド化は明らかで、最近では、毎年のように、五月初めに気温が30度を超えて、冷房なしでは過ごせません。このようなことは、二十年前は、確かになかったのです。いくら夏が暑くても、一夏冷房なしで過ごすことも可能でした。大阪や京都に比べれば、東京のほうが涼しかったのです。ところが、ここ十年くらいの東京の夏の暑さは殺人的であって、エアコンがなければ死の危険すら感じるほどです。実際、東京で夏に熱中症に掛かり病院に運ばれるお年寄りのニュースを耳にします。
温暖化なのか都市化なのか両方なのか。原因は知りませんが、現に十年前、二十年前とまったく環境が変わってしまったのに、歴史的文化的伝統から、東京に一極集中し続け、高層ビルの建築ラッシュが続いています。私は、そろそろ東京が、マヤの古代都市のような状況になってきたのではないかと思います。クールビズなんて言ってますけれども、首都として機能するにはすでに暑すぎるのです。技術的な問題ではなくて、江戸や東京の今までの伝統文化は、このような暑さに対応できないのです。
そうすると、本書の、ノルウェー領グリーンランドやオーストラリアで起きた数々の過ちが、自分たちのこととして感じられます。オーストラリアって、土地が痩せていて、羊や牛を育てるのに不適だということを、本書で初めて知りました。けれども、グリーンランドでもオーストラリアでも、入植民たちの故国イギリスの伝統に従って、牛や羊の飼育が続けられ、回復不可能なほど土地が痩せてしまったのです。さらに、オーストラリアでは、ヨーロッパから持ち込まれたキツネやウサギが、環境を著しく悪化させたそうです。
東京でも、いくら暑くなろうと、サラリーマンが取引先に挨拶に行くのに、背広に代えてアロハシャツを着ていくなどありえないでしょう。なまじだれもがエアコンを買えるために、ビルは建設され続け、ヒートアイランド化が進み続けるでしょう。なるほど、今は、五月初旬に何日か30度超、八月に十日ほどの36度超、といった程度ですが、十年後、二十年後に、五月初旬に36度、八月に40度になったら、どうなるでしょう。私たちが東京を放棄しなければならないときが、意外と早く来るかもしれません。
話題のベストセラー、評判通りとてもおもしろく、とても考えさせられました。

行為としての読書

ヴォルフガング・イーザー, 轡田 收
行為としての読書 美的作用の理論

抽象的な言葉が延々続いて実例がちょっぴりしか出てこないし、哲学者らしき名前が羅列されて、それを読んでいることが当然の前提であるかのように引用されるので、最後まで読み通すのに非常に時間が掛かりました。
でも、今のところ私が理解できた範囲では、イーザーの言ってることは、そりゃそうだろうな、と思えるような穏当な理論であると思います。イーザーは芸術の特徴を美的価値にあると言い、そのような美的価値は、読者が読書する過程を通じて生じる現象であり作用であると言います。
たとえば、「トム・ジョーンズ」という作品では、最初、ある登場人物が完全無欠な人間のように描かれますが、やがて詐欺師にあっさり騙されてしまい、そのような眼識のない人物であるとのテーマが新たに提出されます。ところが、彼はある若者の犯罪を善良な心から出たものだと見抜いて、彼を許します。
読者が読解の過程で引き出す作品の意味は、次々登場するモチーフによって段階的に取捨され、変遷していきます。そのような読書行為の過程を通じて、モチーフのイメージが強められ、異なる規範が比較対照され、より高次の意味内容に統合される中で、美的作用が生ずる、ということのようです。
この言われてみれば当たりまえのような気もする結論は、しかし、イーザー以前の新批評や構造主義批評の杜撰さを鋭く突いています。小説に書かれた言葉の意味と、その意味を読者が汲み取っていく過程で生ずる意味内容は、異なるのであり、作品と呼べるのは読書行為を通じて生じる現象としての意味内容のほうであるから、テキストの意味だけにこだわっていたのでは作品の解釈が行き詰る、ということのようです。

268.中二階のある家を捜索する・其の十八
http://juji.hp.infoseek.co.jp/text/howto00268.htm
273.技法と逸脱・其の二
http://juji.hp.infoseek.co.jp/text/howto00273.htm
275.技法と逸脱・其の四
http://juji.hp.infoseek.co.jp/text/howto00275.htm
中二階のある家は感傷的か
http://juji.hp.infoseek.co.jp/essay/chunikai.htm

短篇小説講義

筒井 康隆
短篇小説講義 (岩波新書)
筒井康隆の小説は外れがなくてどれも面白いのですが、エッセイはつまらないですね。テレビで和服を着て芝居のような台詞回しをしているのと同じくらいつまらないです。ついでに文学賞の選評もつまらない。どうも小説以外でも小説を書くときみたいにフィクション臭を前面に出すところがかえってつまらないのではないでしょうか。そんなわけで、 文学部唯野教授も敬遠してまだ読んでいないのですが、これはなんとなく買ってしまったのですね。そして読んでみると、ごく普通の肩の力の抜けた文章で書かれてあって、これなら全然問題ない感じです。
冒頭で短編小説の現状について概観が示され、その後、古典的短編小説の中から、あまり有名ではないが個性的な作品を9作品選んで解説してあります。短編小説の多様な可能性を示すという趣旨のようです。一番面白かったのは、やはり、スラップスティックの古典を取り上げて、その技法面を丁寧に説明してある最終章でした。なるほど、こうやって書けば面白いのか、と思えるようなわかりやすい具体的解説がいくつもあって、一章だけじゃなくて、このあたり、もっとたくさん教えてほしいものだと思いました。