天の穴 高樹のぶ子(新潮2006/04月号) | 朝の書評

天の穴 高樹のぶ子(新潮2006/04月号)

 
新潮 2006年 04月号
【完全ネタバレ全あらすじ】
 福岡在住で大学に勤務する豊子はフィリピンマンゴーを落とした老婆のためにそれを拾ってやるが、内心マンゴーは若者のお洒落な高級フルーツであり老婆には似合わないと思った。大阪に単身赴任している夫から今日は帰れないと電話があったが理由を聞きそびれた。
 豊子はつまらない意地を張るタイプで、周囲からは気の強いひねくれ者だと思われていた。台風の日にむしろ残業して、暴風雨の中を車で帰宅途中、人影を見た気がして車を止めると、野球帽を被った少年が立ち上がるのが見えた。車で引いてしまったのかと思い、声を掛け車に乗せ、転んだだけで引いてないことを確認し、家まで送ると言った。しかし豊子は子供が嫌いだった。ついでに、夫も仕事も嫌いで、そんな自分も嫌いだった。豊子はしばらく車を走らせたあとで、名前を言わない少年をコンビニかどこかで降ろそうかと思うが、彼は台風の目を見るため来た、何年も待っていたと哀願するように言った。豊子は退いたら負けだから意地でも行くところまで行ってやると思い直し、少年の指示する方向に車を走らせた。
 少年がここだと言った場所に車を停めて待っていると、台風の目に入り風雨が止んだ。少年が車を降りて出て行き、しばらく待っていたが戻ってこないので後を追った。少年は海岸に立ち、やってきた豊子に台風の目についての薀蓄を語った。年齢を聞くと答えなかった。
 少年は、レイテ島の戦争で死んだと思っていた友人が台風に運ばれて目の穴から落ちてきて、そのあと結婚して二十年も生きたという話を祖父から聞いたと言う。そして今、やはり南の島で死んだ母が落ちてくるのをここで待っていると。
 少年は水辺に入り、台風の目の穴を見つけたと叫び、銀河の話をし、野球帽を脱いだ坊主頭を豊子に触らせる。一部骨がなくてアンドロメダの楕円銀河のようにふにゃふにゃの部分があった。とても触りごごちが良くて豊子は指が離せなくなった。少年は「いい匂いがする」と言い、「言ったとおりになった、台風の目の穴から落ちてきた」と甘えた声で言った。豊子の指からマンゴーのようないい香りがした。豊子は確かに新しい自分が、空の穴から降ってきたような気がした。二人はしばらく辻褄の合わない話をして、手をつないで車に戻った。
 少年を病院の前で降ろした。数日のうちにひどく彼に再開したくなるだろうがそれでも会いに行くことはないだろうと豊子は思った。少年が脳障害患者でありその病の結果の行動であったほうが心が安らぐ、そうではなくて、健常な子供の悪戯か気まぐれなら、生涯立ちなれないような気がする、と豊子は思った。そしてこの全く新しい感情に戸惑いを覚え、自分もどこかに穴が開いてしまったのではないかと思った。

【感想】
 シナリオの定石に、結末の裏を冒頭に持ってくるというのがあるそうだ。結末が仲直りなら冒頭に諍いを、結末に勝利する主人公なら、冒頭に負け犬の主人公を持ってくる。この作品の、冒頭に性格の悪い豊子を出し結末に彼女の精神的再生を持ってくる手口は、教科書どおりの常道だ。
 三島賞選評で「がんばれポー」と言い、中原昌也を罵倒する高樹のぶ子の物語への揺るぎない信頼は、評論家の空理空論ではなくて、このような手堅い実作品によって裏打ちされている。