回廊を行く――重複障害者の生活と意見 -8ページ目

メイキング・オブ・邦画字幕--『バベル』をめぐって

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1月30日の深夜に『日本映画が見たい… ~忘れられた「聞こえない人達」の存在~ 』という番組がフジテレビで放送されました。『バベル 』というアメリカで製作された映画には、「言葉が通じない」ことを表現するためか、多くの日本のろう者が出演しているのですが、出来上がった作品は洋画だから日本語字幕がつくのに、日本人が出演して日本語を話す部分には字幕がない。これでは出演したろう者たちにストーリーがわかりません。ろう者をコーディネイトした女性がこれをおかしいと思って運動し、日本語部分も全面的に字幕化することになった顛末をまとめたものですが、その間に聴覚障害者が社会においてどのような位置にあるかなども織り込まれていて、啓発の意味でも優れた番組でした。

それにしてもろう者が大勢出演した映画を、ろう者が楽しめないというのは実に説得的な問題提起です。また聴覚障害の状況というものは健聴者に説明しても表面的にしか納得してもらえないことが多いので、聴覚障害者の実情を織り込んだこの番組の展開はとてもよかったと思います。聴覚障害者の社会でおかれた状況にも、あの番組で初めて気のついた人が多いのではないでしょうか。

ただやはりひっかかったところはあります。まず番組自体に字幕が付いていましたが、せっかくの字が小さすぎました。背景によってはよほど画面に近づかないと読みにくいこともありました。テレビ局ではなく番組の制作者があらかじめ入れた字幕でしたが、聞くところによるとデジタルのテレビで見るとちょうどよいようにしてあったそうです。私のところのようにアナログで見るところもまだ多いわけで、過渡期にはいろいろ技術的にも問題はあるものです。

番組中では「ろう」「ろう者」で一貫していましたが、全国難聴者中途失聴者連合(全難聴)の関係者も一人ならず出てきていましたから、「聴覚障害者」の方が内容にふさわしいと思われました。日本での公開の前にプレミアショーが行なわれ、監督や出演者が挨拶をする場面もありました。大勢来た聴覚障害者のために、運動を起こした女性が手話通訳をつとめていたのですが、手話が得手でない中途失聴者などのための要約筆記者が画面には映らなかったのが残念でした。せっかくの機会ですから、パソコンによる要約筆記を舞台の端なりでスクリーンに表示して、世間の認識を得るようにすればよかったと思います。

以下蛇足ですが、『バベル』のDVDは出ていますが、もちろん字幕は全体についていると思います。劇場用とは別ですから、安心していたら日本語部分には・・ということになっていないかと、ちょっと心配しました。と言うのはDVDはビデオと違って字幕も入れやすいし、ON-OFFの選択もできると聞いていましたので、テレビ放送の時に字幕入りだったのはDVDになっても当然ついていると思ってたら、そうでもなかったという経験があったからです。CMの有無などで字幕を入れるタイミングが違い、字幕制作の手間がまたかかるからということですが、それこそIT技術で何とかなりそうなものです。一度使った字幕データはあるはずで、これを情報資源とみなして、「モッタイナイ」でアピールするのも効果的ではないかと思いました。

それと、前から思っていたのですが、聴覚障害者は日本映画の古典的な作品に、一部を除いては接していません。新作を民放が放送するときは字幕付がほとんどですが、古典の場合はもっぱらNHKで、これが字幕をつけていません。NHKには質問しても回答がないことが多いので、ツテをたどって聞いてみたら要するに字幕付加用の予算の問題で、優先順位に入っていないということです。黒沢明作品シリーズなどというのを年末年始にやっているのを見ると悔しいのですが、ぜひNHKには考えを改めてほしいと思います。

この番組を見ていて気づいたことは、字幕をつける運動をされた方々の主力は手話ユーザーだったらしいことです。これはちょっと意外でした。というのは著作権法が2000年に改正され、字幕関係にも少しばかり前進があったのですが、その時に力を入れていたのは全難聴で、ろうの方はあまり関心がないようだと誰かが言っており、私も当時通っていた手話クラブでも似たような印象を持っていたからです。当時すでに聴覚障害者はほとんど携帯電話でメールをしていましたが、そのことと、テレビで字幕番組が急増したこととで、手話ユーザーも文字による情報保障に抵抗感が薄れたということでしょうか? とすれば、いささか大げさですが、現在我々は歴史的な時期に遭遇しているのかもしれません。

実はこの映画に関して、ろう者の女性を健聴者の女優が演じることは妥当かなどの問題も論じられていますが、ここではそういう論議 があるというに留めておきます。なお、このような地味な番組を深夜とは言え放送されたフジテレビに敬意を表します。聴覚障害者を採用し、ウェブサイトには「お台場発字幕情報 」というページを設けているだけのことはあります。

☆一斉に 笑える映画は 字幕あり


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特派員は何故特派されているのか

メモ取り メモ

10年以上前ですが、ちょっとしたマスコミ批判が『アエラ』の投稿欄に掲載されたことがあります。もっともストレートなマスコミ批判ではありませんでした。路面電車の復権ということで、ミュンヘンやサンフランシスコや他の都市で健在なのを紹介し、今の言葉で言えばエコでバリアフリーと称揚した記事が出ていたので、日本でモータリゼーションが始まった頃は、ロンドンもパリもニューヨークも路面電車はとっくになくなっていると、それが時代の趨勢というように報道されていた。当時は自分でそれを確かめる機会などまずなかったので、報道がそうなら多くの日本人はそれを信じるしかなかったと投稿したのです。掲載されたときにはコメントで編集者が反省めいたことを書いていました。他にも新聞などに投書して掲載されたことはありますが、マスコミ批判に類する記述があるとほとんど必ず削除されていたので、珍しいこともあるな思ったのが記憶に残っています。

こういうことを書いたのは衒いからではなく、その後もマスコミの報道、というよりは報道しないことに不満を感じることがあるからです。中でも最も知りたいのは日本以外にある米軍基地に関連するニュースです。日本で基地の拡張・移転や、米兵の犯罪について報道されるとき、海外の米軍基地にはこういう事件は起こらないのかと思います。ヨーロッパでも米軍が駐留している国はドイツを筆頭に、イタリア、イギリス、トルコなどがありますが、中には人口密度が日本に劣らないところもあります。そういうところで米軍基地に提供する土地をめぐって紛争はないのか。また米軍人は犯罪を犯さないのか。犯した場合裁判権はどうなるのか。これらについての報道は皆無ではありませんが、乏しいとしか言えません。大新聞社には海外特派員というものがあって、出世コースでもあるようですが、今書いたような問題は見聞きしないのでしょうか? また語学に通じた記者も多いでしょうが、英語は多少読めても検索語がわからない我々に比べて、インターネットから情報を得られるのではないのでしょうか。

要は問題意識でしょうが、それを言うならば例えば食生活についても案外外国のことはわかりにくい。グルメとか名物食品のことはテレビでも出てきますが、食品添加物や遺伝子操作食品についての、一般国民の意識はどうなのかよくわかりません。法的な規制のことは案外情報が出ることはありますが、国民の意識としてどの程度気にしているかは様々でしょう。ファーストフード店が各国で増加していることはよく知られていますが、それに対する各国民の心情はまた様々でしょう。直接インタビューしてそれらを聞くというのは、特派員を活用するにふさわしいことと思うのですが。国際会議とか、日本から来た有名人のことを報道するのも大事でしょうが、こういう現地でなければわかりにくい情報も集めて報道してほしいものです。

先にも書いたように語学に堪能であればインターネットから得られる情報はより豊富でしょう。その方面の才能を集めているらしいマスコミは、それを活用してほしいものです。しかし検索だけではわからないことも当然あるので、そういうときこそ現地にいて現地の人々と接する特派員という存在の意味があるのだと思います。元どこかの特派員だったという記者出身の人の書いた本には、優れたものがいくつもあります。現地の人々の心のひだにまで分け入って、読む者を納得させることも少なくありません。しかしこういったものが書ける人は、現役時代にその才能が新聞紙面、あるいは今ならテレビでどの程度に発揮していたのでしょうか。日本で何かの問題が生じたとき、直接その問題に関係する国のみでなく、他の国ででも参考となる事例がないかという取材と報道が望まれます。

☆外国で 記者と学者が 箔をつけ


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ペットによる癒しとペットの癒し

dogs2 dogs

施設に収容された犬猫に国がえさ代を支給し、収容即処分となることを避けるようにするという記事が朝日にあったので、改めて検索すると「地球生物会議ALIVE 」というサイトが見つかりました。その朝日の記事も解説と共に採録されていました。それらによると、全国の自治体では06年度、11万8000匹の犬と23万5000匹の猫が殺処分されましたが、国が収容された犬猫の3日分のえさ代と、飼い主となった人への譲渡の際のワクチン接種代について地方交付税措置がとられることになり、これは今年の4月1日より実施されるとのことです。

年間30万匹以上の犬猫が殺処分されるとは、改めて言われるとショッキングですが、同じサイトの別のページによると犬の登録数は増加を続けている一方、殺処分を受ける犬の数は1974年の120万匹弱から2003年の20万匹程度へと、一貫して減少しているそうです。猫の方の殺処分は1990年頃から03年まで30万匹前後と変化がないそうです。それでは犬の登録数が増えたというが、それはどういう犬なのかと興味を感じました。よく散歩に行く公園のようなところでは、時間によっては犬を連れた人が多いのですが、連れてきている犬はどれもこれも私の目には純血種に見えるからです。純血種を称するには条件があるそうで、それらの犬は実際には○○系という程度なのかもしれませんが、子どもの頃にはほとんどがそうだった雑種の犬はどこに行ったのかと思っていました。

あの辺は見栄を張る人が多いからそうなので、他のところならそんなことはないのではという人もいますが、あちこちを見て回るわけにはいきません。そこであれこれ検索したところ、「ペット大自慢 」というサイトを発見しました。自慢のペットを写真と共に投稿し、品種も自己申告で載せているところです。フェレットとか爬虫類まで含まれていますが大部分は犬で、猫はその1/4くらいの数です。雑種というのもありましたから、とりあえずはいいデータだと思って、1000件ほどのうちの240件(12ページ)ほどをカウントしてみました。雑種とそれ以外に分けてみたのですが、雑種には「ミックス」と申告しているのも含みます。ミックスというのは親の品種が異なる場合のようで、「雑種」とは違うでしょうが便宜上一緒にしてみました。すると犬では約11%、猫では約78%が雑種もしくはミックスでした。、これほどの差があるとは予期しなかったのでびっくりしました。というわけで、あれほど多かった雑種はどうなったのかという疑問はまだ解けません。

犬に限らずペットを飼うことにより、飼い主は癒されるというのはよく聞く話です。実際老人や独身者などがペットを飼うことによって慰められるのは事実で、それがどうと言うことではないようです。しかしあるブログにあったように、「動物って赤ちゃん以上に癒してくれるから、結婚したら絶対に飼うの!」というのはどうでしょうか。赤ちゃんを育てることで癒されるのは間違いないでしょうが、この場合赤ちゃんのために行動することにより、育てる人は成長します。赤ん坊という、なかなか思うようにならない存在と付き合い続けることによって成長するのです。ところが人間とペットとの関係は本質的に主従関係です。ペットは一見してわがままを通しているように見えることもありますが、結局は飼い主に服従します。まれな例外を別として、そうするようにできているのです。ここで飼い主は癒されることはあっても、成長するとは言えません。

ペットに癒しを求める以外ないという場合もあることはよくわかりますので、あまり断定的なことは書くべきでないと思いますが、このような考え方が一般化するのは、あまり好ましいことではないと思われます。
小さな哲学~雑想の世界 」というブログから引用させていただきます。「ペットショップの住人たちに飼い主を選ぶ権利はない。ただ選ばれるがままだ。飼われる側にはなんの権利もなく、すべての権限は飼う側にある。だが、かといって、飼う側にはなにも負うものがないということにはならない。なんの落ち度もなく飼われるに至った者をせめてやさしく飼い続け、いよいよ飼い続けられなくなったときには処分するという責任がある。処分することのなかには殺すことが含まれるが、生きたまま放置することは含まれない。」これは直接にはピラニアが琵琶湖で発見されたことについて書かれたものですが、人間とペット一般について当てはまります。「癒し」という情緒的な観念では律しきれないものがあります。さらに、これは飛躍かもしれませんが、犬猫の品種にあまりこだわることは、人種主義とは無縁でないとも考えられるのですが、これは神経過敏でしょうか?

☆犬を見て 平等主義が 口ごもり


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地名表記と文化

フジザクラフジザクラ(マメザクラ:山梨県県花)
(撮影者:春日健二 kasuga@mue.biglobe.ne.jp)

家人が山梨県小淵沢の知人の家に行って一泊するというので、寒さが続くときに山沿いのところに行くのだからと、WEBで天気予報を見ようとしたら山梨県のページで小淵沢の地名がありません。今度は地図を検索したりして、ようやく市町村合併で北杜市になっていることがわかりました。「北杜」ではどこになるのか、作家の名前とは違うのか。山梨県とわかってもどのあたりなのか、さっぱり見当がつきません。


著名な観光地としては清里などがありますが、それも鉄道の分岐点である小淵沢も使っていないし、「峡北合併推進協議会ホームページ 」にある合併前の7町村のどれとも関係がないようです。このホームページには「『北杜』の『杜』は、『と』又は『もり』と読み、山野に自生するバラ科の果樹『やまなし』と『森』という意味があり、『北杜』は山梨県の北部を意味します。」とありますが、地名というのは改名しても元の名とつながりがあるか、あるいは他の地名との関係があって、初めてイメージを生じて記憶されるものではないでしょうか。地元の方は「北杜」の語に以前から親しんでおられたということはあるかもしれないので、このように取り上げるのは失礼かもしれませんが。いささかベタですが、「北山梨市」とかならわかりやすいのです。

ここで思い出したのは「
岡、奈、熊……新たに常用漢字へ 府県名の11字やっと」という1月28日のasahi.com の記事です。「文化審議会国語分科会は28日、大阪の『阪』、熊本の『熊』など都道府県名に使われている表外字11字を新たに常用漢字に加える案を承認した。」というもので、他に加わるのは「奈」、「岡」、「鹿」、「梨」、「阜」、「埼」、「茨」、「栃」、「媛」だそうです。私はそれを読んでこれらの字が表外字であったことに本当に驚きました。ずっと以前ですが、新聞社で使用することを取り決めている表外字に「此」があり、あまり使い道はなさそうだが大阪市に「此花区」があり、その関係で大阪が地盤の新聞社が頑張ったのだという話を読んだことがあります。新聞社でこういう適宜な取り扱いを決めるくらいですから、国レベルだと都道府県の名称に使う文字くらいは常識として必要だとして、少なくとも常用漢字にはしていて当然だからです。

フランスではフランス語に関係のある事柄はすべてアカデミーが統括するそうです。ちょっと憧憬を感じる話です。そのフランス語を貶めて
「国際語として失格している」と発言した石原慎太郎氏が東京都の知事で、おまけに文学者をもって任じているというのですから、日本の文化度が察せられるます。そして、常用漢字に入れる入れないを文科省の外庁である文化庁の一審議会で決めるのですから、政治の文化度も推し測られるというものでしょう。

☆地理国語 比べて歴史の 重さかな


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「公務」と「公務員」--けちらせば済むのか

霞ヶ関霞ヶ関  

大阪府知事に当選した橋下徹氏は、選挙演説などで「職員に汗をかいてもらう」「役人をけちらす」などと発言しており、府職員は戦々恐々としているということです(産経新聞1月27日 )。「汗をかいてもらう」はいいとしても、「けちらす」というのは扇動の言葉としか思えません。もっとも役人=公務員を仮想敵として世論をあおるのは、小泉・安倍・福田の3内閣とも共通していることです。しかしその結果がどうかというと、公務員の上層部はほとんど無傷で残り、定員減などの痛みを受けているのは現実に第一線で働いている公務員です。そして組織が改変され、公務員が減らされることによって、「公務」がなされることは確実に少なくなっています。

この辺、何かがおかしいと思います。私が定年退職した元公務員であることはここで明らかにしておかねばなりません。今私の感じている疑念に、公務員経験が影響していることは否定しきれないでしょう。しかしそれだけかどうかは以下を読んでみてから御判断ください。


公務員が遂行すべき「公務」とは何でしょうか? 「公務 定義」で検索してみると鈴木宗男議員の昨年の質問主意書に「個人情報保護と外務省職員の公務との関係に関する質問主意書 」というのがあり、その中に「公務の定義如何」という質問があって、これへの答弁書 では「公務とは、一般に、国若しくは公共団体の事務又は公務員の職務を意味するものと承知している。」とされています。このような「公務員」が先行する定義はヤフーの辞書中の大辞林でも「おおやけの仕事。国家や公共団体の仕事。」と同様です。他の検索結果でも分野を限定しない場合はすべてこのような定義です。公務員がすることが公務というのなら、攻撃を受けるのがもっぱら公務員になるわけですが、果たしてこれでいいのか?

私はこういう疑問を持つきっかけの一つになったのは、TBSの番組『噂の東京マガジン 』が社会保険病院のことを取り上げたのを最近見たからです。全国に53ケ所あって
社会保険庁が設置し、全国社会保険協会連合会が運営してものですが、社保庁の解体にともない存続するかどうか決まっておらず、なくなる可能性すらあるというのです。しかもその決定まで後1年の猶予もないのに、方針が決まっていません。ただでさえ医療機関が減少しているというのにです。どこかで引き取ればいいようなものですが、自治体は、ほとんどの自治体病院が赤字な上に財政難で受け入れは困難。国は、受け皿となる独立行政法人をこれ以上増やせないので難しく、民間は採算性に問題があると手を出しません。

こういうことを知って私が感じたのは、病院が必要不可欠なのはわかっているのだから、これほど沢山の病院がなくなりかねない事態に手を打つことが、それこそ「公務」ではないかということでした。またNHKの認知症を扱った番組などによって、認知症の高齢者の状態によると施設による受け入れが困難であったり、介護保険を利用すると十分な薬が与えられないことを知りました。これらの高齢者も生きる以上は何らかのサポートは必要ですが、これらを提供するのが「公務」なのではないでしょうか。さらにいつも拝見しているブログで、治癒した高齢者が退院しないので困った病院が、公園に置き去りにした事件について書いてあったので、行路病患者を受け入れる施設はないのかと医師である執筆者にうかがったところ、そういうものはほとんどなく、病院が収容せざるを得ないのだと教えられました。これこそ「公務」だと思うのですが。

私が「公務」について持つイメージは、社会の存続と人間の生存についてサポートする機能が、欠けている場合にそれを埋める役割をすること、というものです。この場合採算は別問題です。採算を理由にしてサポート機能を縮減するのは大きな誤りであると思います。行政の改革で経費の減少に目を奪われ、組織の改編と公務員数の削減をのみ念頭に置いていると、その組織、その公務員のそれまでの仕事は何であったかということについてはスキップしてしまうようです。結果として大きな間違いを犯しかけているのが上記の社会保険病院の問題であり、また障害者自立支援法の「受益者負担」によって施設が立ち行かなくなり、障害者が授産所に通えなくなり、在宅の高齢者や障害者が最低のヘルプも受けられなくなっているのも、この「公務」観念の不在が原因の一つだろうと思います。

それでもない袖は振れない、財源がないという声は上がるでしょう。たしかにそれは正論です。高齢化社会が現実になっている以上、増税を正面から考えてみるべきだと思います。それをしないで縮小再生産を図ろうという態度に今日の事態の原因があります。ただし増税と言っても、それがすなわち消費税率のアップだというのは安直にすぎるでしょう。高額所得者の所得税の引き下げや、法人税の引き下げなど、過去の政策をもう一度見直すべきでしょう。また1989年の消費税法の施行に伴って廃止された物品税の復活も考えられるべきだと思います。物品税は財務省の資料 によると大型ヨット・貴金属製の時計・猟銃等に30%、真珠・さんご製品・毛皮製品等に15%、普通車に23%、小型車に18.5%、時計・香水・ビデオディスク等に10%、炭酸飲料・コーヒー・ココア等に5%、とそれぞれ小売価格に課税するものですが、内容は再検討を要するとしても、消費税の逆進性を緩和するものでしょう。こういうまずやるべきことをやらないで、安易に人員減、施設減、サービス減に走っているのが日本の現状なのではないでしょうか?

☆なすべきを なして初めて 国家なり


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学力は国語力

教室教室

「正答率高い学校『書く・読む』重視 全国学力調査」というのは1月23日の朝日 の記事です。版によっては「書く・読む」でなく「読み書き」となっているのは意味がわかりませんが、記事内容は昨年4月に行われた全国学力調査の結果を文部科学省が分析したものだそうです。

調査の対象は小6と中3でしたが、「公立学校のうち
国語、算数・数学のA問題(知識中心)とB問題(活用中心)すべてで、平均正答率が全国平均より5ポイント以上高い「A群」(小学1024校、中学321校)と5ポイント以上低い「B群」(小学1320校、中学523校)に分類。その結果、『国語で書く習慣をつける授業をよく行っていた』のはA群で小学28.8%、中学37.1%に対し、B群では小学16.5%、中学21.6%。「様々な文章を読む習慣」を狙った授業をよく行っていた場合も、同じ傾向だった。ということです。

何を今さらというのが、これを読んでの率直な印象ではないでしょうか。国語数学に限らず社会系や理科系の科目でも、読み書きの能力の高いものが好成績であるということは、これまでも常に言われていて、わざわざ書くことも気恥ずかしいほど当たり前のことです。それを目新しいことのように発表する文科省も、報道する新聞もいささか見当違いのようです。あるいは国語の能力を軽視して、他の科目の力と同等のものだと考えているのでしょうか。さらには自然に覚えるものとして、国語の教育そのものも軽く考えているのでしょうか。

まさかと思われますが、日本では諸外国に比べて国語教育の比重が低いことを示す数字が、文科省の前身文部省のまとめた『わが国の教育水準(昭和45年度) 』に掲載されています。つまり初等教育(小学校)の第2学年の授業時間の比率は日本では36.0%。これに対して米(カリフォルニア州)では47.9%、英の一例では44.7%、仏で38.4%、ソ連で41.7%とあります。前記中等教育、つまり中学校では日本では14.9%、米は16.7%、英ではグラマースクールでは10.7%ですが、他に古典語の授業に12.2%を費やしています。モダンスクールでは18.6%。フランスでは24.4%、西独のハウプトシューレでは15.2%、ソ連は19.2%ということになっています。
「初等教育(第2学年)についてみると,各国とも国語を重要視しており,これに最も多くの時間を費やしている。アメリカ合衆国,イギリス,ソ連においては特に顕著である。」という記載もあります。なおこれらは古いデータですが、文科省からこの題の報告書はそれ以降発行されておらず、新しいデータは見当たりませんでした。

はっきり書いてありませんが、上記の記述から日本では国語の授業時間が少ないという認識は当然あったと思われるので、その後は改善されていると予想しました。ところが現行の学校教育法施行規則 を見ると、小学校第2学年で国語の授業時間数は他の科目に比べて最多ですが、それでも33.3%で、前記のデータ(おそらく1969年度のもの)の36.0%よりも減っています。中学校では3学年を平均すると11.9%で、これも前記の14.9%より減少です。念のために言っておきますが、これは授業時間数そのものではなく、全授業時間に対する比率なので、いわよる「ゆとり教育」などの影響とは無関係です。

若い世代の言語能力についての危惧が語られているというのに、教育関係の学者や文科省のお役人は、それと自分たちの仕事とに関連があることは考えていないのでしょうか。読み書きを始めとする国語能力が、学力の基礎という認識がないのでしょうか。国語の時間の増加は、世界と競争するための理数科や英語などの時間を圧迫するということでためらい、理由がつけばむしろ削減までしたいと考えているのでしょうか。教育改革とか再生とかで集められて審議会委員になる人々もこの辺に気がつかないようでは、制度いじりはともかくとして、教育そのものを考えているとは思えなくなります。最後に私事になりますが、学齢に達してまもなく失聴した私は、言語そのものこそ習得済みでしたが、その後は新しい言葉は耳からは入らず、すべて教科書か読書によるものでした。それでも何とか文章が書けることを思えば、国語の授業および読書の重要性がわかるのではないかと思います。

☆言霊を 恐れぬ者が 政(まつりごと)


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字幕とCM--デジタル化の後効果

東京タワー東京タワー上部
(特別展望台の上の白い帯が地上デジタル放送用アンテナ)

地上デジタル放送が普及して、これまでほとんど聴覚障害者だけが接していた字幕が一般にも認識されるようになっています。念のためですが、ここで言う字幕は視聴者が選択して表示するもので、映像と一体になったキャプションとかスーパーとは別物です。一般化した一つの例としてはテレビドラマに関する掲示板で、これまではよくあった新しい登場人物の名前を漢字ではどう書くかという問題が、字幕を見ている人が多いので簡単にけりがつくようになっています。このように多くの人が字幕を知ることはいいのですが、字幕が本来聴覚障害者のためのものであるということが閑却される気配もあります。

聞こえる人が字幕をチェックすることになるわけで、過度に正確度にこだわったクレームがテレビ局に寄せられることにより、テレビ局を萎縮させないかということがその一つです。とくに生放送に字幕をつけることについては、一部実行されてはいますがまだ模索中でもあるので、そこに正確度を要求する声が多ければ、とりあえず字幕を貴重な情報源とする聴覚障害者にとっては、字幕化の遅延というよくない事態を招くという危惧があるのです。

この問題については又別に書きたいと思っていますので、今回取り上げるのは字幕とCMについてです。アナログだけの頃はCMに字幕がつくということはなかったと思います。アメリカやカナダ では、そもそも一般番組に、生放送も含めて字幕がつくことが多いという背景もありますが、CMにも字幕があることがよく見られるということです。そう言えば私がパソコンを始めた頃に調べたら、米のサイトにCMに字幕をつける企業、つけない企業をリストアップしたものがありました。アトランタ五輪関係のCMについてものだったと覚えていますが、こういうことが企業の社会貢献度につながるのだと思ったことでした。

今の字幕は、アナログでもそうですが、生放送の字幕なので画面よりはどうしても遅れる字幕の終わりあたりが、CMになったので打ち切られることが度々あります。肯定か否定かを表わす言葉が日本語では末尾に来ると言われますが、まさにその通りで、わけのわからないままに終わることがあるのです。ずっと字幕モードのままにしておく人はやはり少ないと思うのですが、スポンサーに及び腰のテレビ局は、そんな人のためにもCMの画面をむくのままにして提示したいようです。CMによって字幕を中断させる回数の多いスポンサーを、上記の米の例にならってカウントしてみましょうか。

字幕とCMについてはハードの面にも問題があるようで、研究会 があったり雑誌の特集 (注)になったりしています。私にはまだ入手していないものが多いのでこの辺にしておきますが、もう一つだけ懸念を書いておきます。字幕が地デジによって一般的になると、音声と字幕でのいわゆるコラボ的なCMが出現し、字幕の原ユーザである聴覚障害者には何のことやらわからないものになるのではないかということです。これが杞憂であればいいのですが。グラハム・ベルが電話を考案したのは、聴覚障害のある家族のための補聴器を作るつもりからだったのに、その電話の存在が聴覚障害者の就職に対するバリアとなっています(口実もあるかもしれませんが)。またフォードがT型フォードを廉価で売り出したのは、障害者や高齢者の移動を助けるつもりであったと言われますが、今や車はこれらの交通弱者に対して加害者の役を演じることも多くなっています。こういう例があるので、字幕がいつの間にか聴覚障害者から遠いものにならないように、監視し発言し続けなければならないと思うのです。
(注)雑誌『ニューメディア』2007年2月号、特集「地デジと字幕放送 なぜ字幕付きCMがないのか」

☆庇から 入って母屋 乗っ取るか



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弁護士に向かない職業--某府知事選に思う

かまきり かまきりの威嚇

大阪府の知事選挙に立候補している橋下徹弁護士は、「相手が嫌がることをこちらの思い通りにさせるには、『合法的に脅す』『利益を与える』『ひたすらお願いする』の3通りしかない」と「自分の思い通りにする3原則」を語っています(「論理とは詭弁だ  異色の若手弁護士が語る説得法」ソフトバンクパブリッシング刊『月刊ビジネススタンダード』(2002年9月号)。これを敷衍すると、「相手の不利益になることを取り上げ合法的な脅しをかけたり、『この案件をまとめないとこんな損失がある。まとめるとその損失を回避できる』と仮の利益をでっちあげたりと、さまざまな交渉術を用いて対抗する」のだそうです(「一か月かかる仕事を1日でやる  徹底的な差によって今の自分がある」株式会社日経人材情報刊『日経キャリアマガジン』2004年4月号)。別のところでこれらをさらに具体的に述べています。

 僕が担当した案件に、ある地方議員にセクハラを受けた女性からの依頼がありました。この女性は、別の弁護士が担当していたのですが、一向に進展を見せないことから僕に話が回ってきたのです。
 そこで僕は、依頼人から聞いたセクハラの様子を事細かに記した訴状を作成し、そのコピーを地方議員のところへ持っていきました。
 そして、「(裁判所に)提出してもいいですね」と持ちかけたんです。
 訴状が提出された時点で、セクハラの一部始終が公にされることになるわけですから、それまでかたくなに否定していた地方議員も当然あっさりと折れ、示談を成立させました。道義的にはよくないかもしれませんが、自分の要求と裁判による公開を直接結びつけなければ合法です。脅しのレベルが違法か否かを判断するのが弁護士なんです。
(「テクニックと気構えが命  "負けたら死ぬ"橋下流、3つの交渉術」ソフトバンクパブリッシング刊『ビジスタ』2003年9月号)。

ここまで読んだ人の中には、あるいは快哉を叫んだ方もあるかもしれません。社会的地位をかさにきたセクハラに対しては、大抵の手段は許されると思いがちだからです。しかしこのセクハラのケースについての情報は上記に限られていますので、判断しにくい面も多いのですが、いくつかの疑問が感じられます。まず、「
セクハラの様子を事細かに記した訴状」あるいはその下書きというのは、依頼を受けた弁護士ならば誰でも一応は作成しておくものではないでしょうか。セクハラというのは被害者が被害を公にしたがらないという点が最大のネックなのですから、その訴状を法廷に提出するかについては被害者の心情が重視されねばなりません。それには触れていないだけかもしれませんが、ことがセクハラ事件ですからそれでいいのかと釈然としません。さらに訴状には被害者以外の証言も採録されていることでしょう。それでこそ訴状も力を持つわけですが、証人の名前などきちんと匿名になっているかどうか。これは危惧でしょうが、三つの原則と早い処理が自慢の弁護士ですから、気にかかります。

このケースはご自慢の三原則のうち「
合法的に脅す」を主にし、相手の地位を考える「利益を与える」を加味したものでしょう。「事細かに記した訴状」を公にするというのが「合法的な脅し」なのでしょうが、「仮の利益をでっち上げ」と自分で語っていたのがひっかかります。こう考えると「事細かに記した訴状」の内容も、よほど吟味しなければならないような気がしてきます。事実を調べて証拠を集め、それを相手方に突きつける。その際にこれこれの条件での示談を呑むのが相手方の利益だと説得する、こういうのが裁判以前の弁護士行動の基本だと思うのですが、多くの弁護士がそれを「仮の利益」もともかくとして、「でっち上げる」ものだと思っているのでしょうか。万一そうであるとすれば、現実を直視しなければならない政治家というのは、弁護士にとっておよそ不適な職業だと思わざるを得ません。

橋下弁護士のその他の言動については、以下のところにデータがまとめられています。

http://minnie111.blog40.fc2.com/blog-entry-709.html
http://minnie111.blog40.fc2.com/blog-date-20080112.html

いずれにせよこういう人物を大阪府の知事に選べば、府民は「仮の利益」でだまされ、「でっち上げられた」データで不透明な行政の下に暮らすことを余儀なくされるのかもしれません。

☆バラエティで 似つかぬキャラを でっち上げ


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靖国参拝と反捕鯨

yasukuni靖国神社

日本鯨類研究所のサイトにおいて「鯨類捕鯨調査に対する不法なハラスメント及びテロリズム 」というタイトルの元にビデオ2本を報道用資料として提供し、それには1月15日の日付で「海賊襲撃:反捕鯨団体シーシェパードのテロリストが目視採集船『第2勇新丸』に対し、酪酸弾襲撃をおこなう」という解説がついています。一方オーストラリアのニュースサイト では「私は捕鯨に強く反対する。連邦政府の行動を後押しするものとして法廷の決定以上のものはない。もっとも私は実際の行動を見るまで判断を控えるが。これまでのところラッド政権の反応のうちでは、報道陣を集めて『鯨の虐殺』という言葉を使ったことが最も強いものである。』といった投稿が見らます。さらにYoutubeに「Racist Australia and Japanese whaling 白豪主義オーストラリア 」という、自国ではカンガルーなどを駆除するために虐殺しているのに、日本の捕鯨のみを攻撃するのは人種差別主義的であると主張する映像作品が投稿され、論議を起こしています。

オーストラリア近海における捕鯨をめぐる紛争についての情報は以上のようなものですが、これについて考えてみました。そして思い至ったのは首相の靖国参拝をめぐる中国と日本の軋轢と、捕鯨をめぐる今回の日本とオーストラリアのそれには、似通った構造があるのではないかということです。戦死者を靖国に祭るということには反対者もいますが、遺族の間ではやはり根強く共鳴するものがありました。ただそれを宗教問題、政治問題から国際問題にまでもってきたのは小泉元首相です。いや、小泉氏が最初ではありませんが、国家間の関係がゆらぐような大問題に持ち込んだのは小泉氏です。

しかし小泉氏は首相になる前は、定期的に靖国に参拝するということはしなかったといわれます。これでわかることは靖国参拝は小泉氏の主義といったものではなく、自民党総裁に立候補するに当たって、ひとつのアピール・ポイントとして8月15日に靖国に参拝するということを掲げたということです。それは成功し、総裁になった後は日付こそ公約どおりではなかったが、年1回の参拝を続けるということで、「ブレない」として小泉氏はそれなりの信用と支持を得ました。一方でオーストラリアでは昨年11年9ヶ月ぶりに政権の交代があり、労働党のケビン・ラッドが首相に就任しました。労働党と前政権の自由党とはあまり制作に差はないと言われているそうです。オーストラリアでは一般に捕鯨に反対であり、捕鯨を行なう日本に対する反感があったという背景から、ラッド氏は捕鯨反対の強化ということを、環境政策の一環として強調したということだと思います。

前首相のロバート氏は日本との経済協調を重視し、捕鯨反対については積極的な行動をとりませんでした。そこを狙ったのがラッド氏の捕鯨反対強化という政策だったと考えられます。政治家というものは目的を達するために何でも利用するのだとつくづく思わされます。小泉氏は靖国参拝の他に郵政の改革というものに固執し、強引にそれを実現した後でいろいろなひずみが現われつつあります。郵政のみならず政治経済の全般にわたっての『改革』と称するものが、国民、とりわけ弱者を直撃しているのを見ると、政治家が覇を唱えるのもいいが、その手段についてはよほど考えてもらわねばならないと感じます。オーストラリアのラッド氏の方は、昔は鯨に無関心だったということはまさかないでしょうが、捕鯨反対の強硬策をバックアップすることによって日本との関係をぎくしゃくさせ、アジア太平洋における中国の比重をさらに高めることになるということにまで、果たして思考は及んでいるでしょうか。

☆政治家の 見る目が行くのは 利用価値


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おバカの時代--福田内閣とバラエティ

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鳩山法相の発言にはびっくりしました。記者会見前の閣僚懇談会で株安対策が話題になったことを紹介し、続けて、親譲りのブリヂストン社株が昨年秋から値を下げていることを踏まえ、「『資産公開を基に試算すると40億円損した』とか、そんなことばかり言われている。私が40億損したら、兄も40億損している。『兄弟同時損害』ということでしょうね」(読売新聞1/22 )と、苦笑したというのです。これが記者会見という公式の場で口にしてよいことでしょうか。兄である民主党幹事長の由紀夫氏も同じ超高額所得者の仲間であることを強調し、これは自民党の自分には今さらイメージダウンにはなるまいと計算の上だったかとも思われます。由紀夫氏が「余計なことを話す人だ」と記者団に不快感をあらわにしたのも、その辺を考えたものかもしれません。

しかし邦夫氏には他にも、「私の友人の友人がアルカイダ。(2002年10月の)バリ島の中心部の爆破事件に絡んでいたが、中心部は爆破するから近づかないようにというアドバイスを受けていた」とか、あるいは死刑執行について「自動的にそうした(執行ができるような)方法で進んでいけば、次は誰かという議論にはならない」などと発言して乱数表の使用を示唆するとか、あまりにも無思慮にして且つ不必要な発言があります。してみるとこれは邦夫氏の資質の問題という、単純なことであるかもしれません。

無思慮な発言といえば、福田首相の「公約を忘れた」、「正直申しまして、公約でどういうふうに言ってたのかなってことは、頭にさっと思い浮かばなかった」というのもあり、舛添厚生労働相の「社保庁は信用ならん。市町村はもっと信用ならん」、「小人のざれ言に付き合ってるヒマはない」というのもありますが、これらはどちらかというと苦し紛れのものであり、その点でも鳩山氏の発言の無思慮さと無意味さは際立っています。先日の額賀財政相の
(〔米大手銀行の決算〕により株価が)若干下がる恐れがある」などは地位を考えるとそれ以上かもしれませんが。

邦夫氏は東大法学部を優秀な成績で卒業し、すぐさま田中角栄元首相の事務所に入って私設秘書になったのですが、それを聞い た時は明治以来何代も続いた知的・政治的エリートの家系の出身者が、あのようなたたき上げの政治家の配下になるとは、権力に近づくためならプライドにはこ だわらないのだなと思った記憶があります。そう言えばこの秘書であった期間に、「毎月ペンタゴンがやってきて、その、食事をご馳走してくれて、大変美味し い食事を毎月ご馳走になっとった。」と発言して、CIAに飼われていたとでもいうのかと、自民党内の顰蹙をかったという話もあります。

しかしこうした、失言暴言というよりは言わばおバカな発言が福田内閣の閣僚に特に多いのは時代の風潮でしょうか。それは昨年からテレビのバラエティ番組に、「おバカ」で売るタレントが輩出しているという現象があり、「日経トレンディネット」 というのに特集されているほどなのに、符節があっているような気がするからです。クイズ番組で「日本語の敬語に丁寧語と尊敬語ともう一つあるが何か」という質問に「国語」と答えるような女性タレントに、「バカカワイイ」と人気が出るような類ですが、内閣のメンバーに「バカカワイイ」のがいるというのはいささか困ります。国家の存立を最優先とする考えの方には、亡国の危機を感じる向きもあるのではないでしょうか(そういう言論にはまだ接しませんが)。

ここで考えられるのは、ヨーロッパで見られる道化の系譜です。フール、クラウン などと呼ばれるものからピエロにつながるのですが、国王の権威を高める太鼓持ち的な役のほか、他の者には言えない苦言を口にできる存在であることもあり、日本でいう御伽衆のようにブレーンとなった場合もあります。バラエティのおバカタレントは視聴者の優越感をくすぐるという点で、道化の初期段階とも言えますが、一方で「賢い」キャラが進出する傾向があるとも前記の特集に書いてあります。それに引き換えおバカな発言を繰り返す政治家に展望はあるのでしょうか? 国家に至高の価値を認めるわけではない我々にしても、こういう閣僚からなる内閣をそのままにしている政治、そしてそれに異議を申し立てないマスコミ、さらにはおとなしい国民に危機感を感じざるを得ません。

☆四代目 やっぱり国を 滅ぼすか


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