回廊を行く――重複障害者の生活と意見 -10ページ目

政治より政治的なオリンピック--北京東京枢軸

オリンピックミュンヘン・オリンピック

石原東京都知事に中国の招待状が届いたことが1月10日に発表され、知事は北京オリンピックの開会式に出席する方向にあるということです(毎日新聞)。 石原氏はかつて「三国人」「支那」などという嫌がられる言葉をことさらに使い、その後も「江沢民はヒトラーと同じ」(00年)、「民度が低い」(04年)など中国を敵視、蔑視する発言を連発し、北京五輪についても06年、「ヒトラーのやった政治的なベルリン五輪に似ている気がする」と発言し、これに対して中国側も知事について「軍国主義の落とし子」(00年)と応酬するなど、一時関係が著しく悪化していたことは明らかです。「しかし、都の五輪招致本格化に伴って知事の中国批判は消え、昨年12月の都議会本会議では『友好都市・北京が大会を成功させることを祈念します』とエール。昨年の定例会見などでも「(北京から)招待があったら行く」と前向きな姿勢を示していた。」というのです。

正直言ってどっちもどっちという感は拭えません。石原氏は2016年の東京五輪開催に向けて他の重要問題はそっちのけのような入れ込み方ですし、中国も北京五輪の応援団を増やすのになりふりかまわないというところでしょうか。これまでを考えても石原氏が急に中国と中国人を尊重しだしたとは思えません。一方で中国にしてもあれほど言われたのですから、政治的思惑も入らないではない靖国批判に比べれば、石原氏を軍国主義云々と批判するのはよほど純粋で真っ当だと思うのですが、国際政治の現実とはこういうものでしょう。

オリンピックが平和の祭典などという神話を元々私は信じていません。古代ギリシアで戦争を中断してまでオリンピックを開催したというのも、どこまでが史実でどこまでが伝説かを追究して認められているものでしょうか? 現代、とくにこの2、30年は、事実はむしろ「平和」の逆方向の感じのときもあります。1980年のモスクワ五輪をボイコットしたのがカーター大統領であったことを確認して、その後の彼のイメージと差があると思ったのですが、要は同じ年の11月の大統領選挙を意識した政治的行動であったと今は思います。これが84年のロス五輪をソ連圏がボイコットしたのにつながるのですから、オリンピックというものの存在がむしろ平地に乱を起こさせたものです。

そうでなくても日本はマスコミを先頭にして、そこのけそこのけスポーツが通るというお国柄です。文化的事業や福祉にはなかなかお金が集まらないのに、スポーツに対する出費には寛大です。ボブスレーとかスキーのジャンプとかの、競技人口が3桁あるかどうかのスポーツのための施設にも、オリンピック競技だというだけで大金が投じられています。長野オリンピックがそうであったように、今度の東京五輪も優先順位を無視したお金の使い方の免罪符になることが目に見えています。

今度の北京五輪についても彼の地の事情は似たようなものでしょう。加えて中国には国威の発揚という大目的もあります。ならぬ堪忍をして石原知事を招待したのも、その目的の実現のための一環であることは明白です。国と国との関係で原理主義的思考は危険ですが、国益至上主義に偏りすぎるのも考えものではないでしょうか。折も折、1月10日の朝日新聞に「東京五輪 大穴ではない?」という大きな記事が出ました。これはWEBでは読めないようですが、大きく載せた予想表によると16年の五輪開催地の招致レースでは、東京はよく言われるように泡沫候補ではなく、何とシカゴに次ぐ対抗馬だというのです。これはこれまでの懐疑的な態度を転換させるおそらく第一歩でしょう。そしてそれは反石原知事であった姿勢にも及ぶものかもしれません。だからオリンピックは困りものだと言うのです。

☆五輪だと ならぬ堪忍 いずれ勘弁


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ブログ二題-2-引用とリンク

BLOG2 ブログ2

ブログに限らずインターネットで見られる文書は、すべてと言ってよいほど多くの引用を含んでいます。「 」で囲んだ直接の引用、その文書の作者による要約的引用、そしてもちろんリンクによる引用元へのジャンプです。実を言うと私は著作権法は少々かじっているのですが、それは著作権が視聴覚障害者を損な立場におくことが甚だしいので、それを改善すべきだと主張するための泥縄式の知識にとどまっており、ブログと引用といった普遍的テーマを論じる力はありません。

で、さらに泥縄式の勉強をすることは避け、ここではこのブログを書きながら引用について心がけていることを書いてみます。まず巻頭につけることにしているカットの図像ですが、これはたまにある自作の写真を除き、内外の著作権フリーのサイトから収集し、原則としてタイトルをそのサイトにリンクすることにしています。イメージ通りの図像が見つかるとは限りませんが、一つの枠の中で按配する楽しさも味わっています。他の方のブログを見ていると内容にフィットした様々な図像が出てきますが、あれだけのものをどこから仕入れたのかと考えてしまうことも少なくありません。

次に「 」で囲む引用ですが、元々著作権法は引用を認めているのですが、その範囲については諸説あります。私の場合は長くて4,5行でしょうか。なるべくは自分の文章で要約して引用というか紹介することにして、新聞記事などをリンクします。この場合ヤフーのニュースなどに出ているのにリンクするか、それを提供している新聞社や通信社のサイトに行ってそこの記事にリンクするかですが、この方法だとわりと短期間に元の情報が消されてしまいます。それを覚悟でやることもあり、その場合その記事は保存しておくのですが、時として早々と他のブログとかに載ったのがグーグルの検索に引っかかったりすることがあり、こちらの方が寿命が長いので、内容に相違がないか確認の上こちらにリンクすることもあります。これは孫引きならぬ孫リンクというべきで、いささか忸怩たるものはありますが。もう一つ、ブログなどの場合リンクするのは関連情報のあるページだけで、ブログ全体は出てこないようにしています。気休めにすぎないことでしょうが。

著作権の元締めである文化庁もリンクは認めているようです。つまりリンクで参照することは著作権を侵さない。しかしこの判断にも揺れがあるようで、ちょっと深入りはできません。ある方は、ブロがーではなく御自分のサイトを運営している方ですが、リンクは自由だと心得ながら、後々のトラブルの防止と、もう一つは御自分のやってらっしゃることのPRのために、ある文書やサイトをリストアップする時は元の作者の了承を得ることにつとめてらっしゃるということです。これはそれぞれのポリシーですが、私としてはインターネットで公開した以上、変造したり利益を得るために使用しない限り、公開した文書の利用は大幅に許されるのではないかと思っています。

ただ、これを書くための予備的行為として、「ブログ」+「リンク」で検索すると、ちょっととんでもないものが出てきました。「とんでもない」というのは主観ですが。これは朝日新聞の「リンクについて」という文書 で、早速リンクしてしまいましたが、まず「
asahi.comへのリンクは、営利を目的とせず、フレームなしで行うなど一定の条件を満たしている限り、原則として自由です。」という一文で始まりますが、さらに続けてリンクを張った際はそのホームページの内容、リンクの趣旨、名前、連絡先、以下の注意事項を了解した旨を知らせるようにと述べ、リンク自体を断る場合もあるとあります。「リンクを張った際は」というのは原文通りですから、発表後に通告するということでしょうか。すると後からリンクに関する部分は削除訂正しなければならないケースも出るわけですね。

他の通信社や新聞社にもそれぞれこういう原則があり、検索すれば出てくる可能性がありますが、今日のところはそれをする勇気がありません。今回のテーマについてかけるのも目下はこの程度です。ブロガーにはこの辺様々な考えの持ち主がおられると思いますが、コメントでもいただければ幸いです。

☆著作権 文化と営利と 福祉かな


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ブログ二題-1-コメント

BLOG ブログ

(1)コメントについて

他の方のブログにコメントを投稿すると、すぐには反映されないことがあります。これはあらかじめことわってあることもあるのですが、まず管理人が見てスパム的なものを削除し、そうでないものを承認して反映させるという手段をとっているからだそうです。私のブログは人の目に触れないせいか、あるいは内容がぬるいせいか、幸か不幸か問題のあるようなコメントは滅多に来ないのですが、玉石混合の多数のコメントが殺到する経験をすると、そのような手段を選ぶのは当然でしょう。

ただ、ブログによって投稿の手順が微妙に違うこともあり、私自身がその辺の扱いが苦手であることも加わって、反映されないのはまず承認が必要だからなのか、それとも投稿のやり方をミスしたのかと悩むことがあります。しばらくして再訪しても反映されていない場合、何も変なことを書いた覚えはなくても、どうなったかのとすっきりしません。承認の手順をとると明記していないブログもありますから、その場合はなおさらです。

コメントを投稿した場合、こちらのHNあるいは投稿のタイトルのみがとりあえず機械的に反映され、その後に承認されないものは消えるというシステムはとれないでしょうか。あまりに多数のコメントが殺到する場合は非現実的かもしれませんが、そういう場合も管理人さんは投稿されたものを全部チェックするわけですから、まったく不可能ではないでしょう。これは私だけが気にしていることかもしれませんが、他にも同感の方がもしおられるようなら、ブログの運営会社にも考慮していただきたいものです。

☆コメントの 行方の果てが 気にかかる


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ミュージシャンの失聴--浜崎あゆみの例

音響 音響

歌手の浜崎あゆみさんが左耳の機能を失ったということです。朝日新聞 などが報じていますが、所属会社によると浜崎さんは今後も音楽活動を続けるそうで、これに対して芸能リポーターの梨元勝さんは「病気を乗り越えて活動を続ける姿は共感を得るだろう」と話していいるとのことです。浜崎さん自身も左耳の不治を認めたうえで、「右耳がいけるところまで、限界まで、歌い続ける」と歌手続行への強い意欲を示したとのことです(日刊スポーツ )。突発性内耳障害の症候がすでに2000年の頃からあったとも言われ(スポーツ報知 )、舞台から転落したことがあるというのはその影響で平衡感覚を冒されたせいかもしれません。

こう書くのは厳しいかもしれませんが、障害に負けずに頑張るというのはいかにも日本人好みです。もちろん彼女の意志を否定的に見るのではないのですが、いくつかのマスコミ報道をWEBで見る限りは、この事件で見落とされた側面もあると思われます。まず大分以前から突発性内耳障害の診断が下されていたというのに、積極的に治療させなかった所属会社の責任に、どのマスコミも触れていないようなのは不可解です。それが舞台転落による負傷につながったのならば、なおさらです。報道のニュアンスから見ると、早期の治療が行なわれていれば失聴しないですんだ可能性もありそうなのに、今後も音楽活動を続行すると公表する会社というのは、音楽を、それを奏する人間を、どう考えているのでしょうか。

もう一つは彼女の聴力障害が、普段大音響の中で歌ってきたことと関係はないのかという視点の欠如です。加えて、ある難聴の方のブログで読んだのですが、現代の若い世代の人々の中に、は音響機器の発達、とくにその軽量小型化により、四六時中大音量にさらされている者がいる。その聴力に対する悪影響をもっと研究し、警告しなければならないというのです。こういう面の報道は見当たらないのですが、これは機器を製作し販売する大メーカーの意向をはばかったという可能性はないでしょうか?

同じ方のブログではまた、両耳を失聴してもいいと言わんばかりの彼女の言葉にも注意を向けています。聴力を失うということは社会生活においていかに重要なことであるかに気がついていないのではないか? 聞こえないという障害は他の多くの身体障害に比べて外見からわからないのですが、そのことからこの障害が軽視されてはなりません。このことは前記の朝日の記事にも軽く触れられていますが、結局のところストレスを軽減して難聴に至らないようにするというふうに流れています。しかし失聴、とくに中途失聴はそれまでの人間関係を一変させるものであることは、もっともっと認知されてもいいことだと思います。私自身は幼時の失聴ですが、これが社会人となってからのものであれば、耐えきれたかどうか自分で疑問に思います。

浜崎あゆみさんについてはファンでもなんでもなく、かろうじて写真で顔を覚えている程度で、その音楽が常に大音量のものかもよく知らないのですが、当面音楽活動は中止することをお勧めしたいと思います。その上で医師とも相談し、今後は残された聴力の保持をするにはどうすべきかを考えるべきでしょう。同時に、そのネーム・バリューを生かして、難聴・失聴ということについての発信源の一つとなってもらえたらよいのですが。

☆難聴は ミュージシャンゆえの 労災か


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「社会奉仕命令」--ルールと罰

cleaning cleaning

1月7日の読売新聞 によると、政府は裁判の判決で懲役刑などの執行を猶予する条件として、公園の清掃や落書きの消去などを無報酬で行うことを命じる「社会奉仕命令」を導入する方針を固めた、ということです。これは実刑と執行猶予では大きな差があるところから、中間的な処遇が必要という発想からだそうで、どのような罪について適用されるかはよくわかりませんが、いやでも目に付くことの多い悪質な社会的マナー違反には是非この「命令」を課して欲しいものです。

日本の法体系は甘いというか、どうすることが違法かは定義しているのに、それに対する罰則は定めないということが多いようです。よく新聞種になる政治資金に関するルール違反などはその最たるものでしょう。罰則を強化しても犯罪は減らないとはよく言われることですが、強化しても減らないのが事実であっても、罰則の有無はある行為の犯される頻度は影響するのではないでしょうか。従来訓示的規定にとどまっていた多くの法律の違反は、懲役や罰金を課するにはためらうものであったのかもしれませんが、その間隙を今回の「社会奉仕命令」で埋めて欲しいものです。

国連の障害者の権利条約 に日本も署名しましたが、これが批准されると国内法の多くも障害者差別禁止の見地から改正されねばなりません。当然罰則が規定されることもあると思われますが、上記のような日本の法風土では、今の障害者基本法がそうであるように訓示的なものになってしまう恐れがあります。そのあたりでこの「社会奉仕命令」を活用すれば法意にもそぐい、意味のあることだと思います。

☆セレブらが 掃除をするのに 人だかり


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おかげ参り--伊勢参拝を考える

130伊勢志摩国立公園(1964)

これが慣例だそうですが、仕事始めの日に合わせて福田首相が伊勢神宮に参拝したそうです。同じ日に民主党の小沢代表も。共に記者会見を行なったようですが、「参拝は私人としてですか、公人としてですか」とか、「肩書きは何と書いたのですか」とか、あるいは「お賽銭は私費ですか」とは、誰も質問しなかったようです。これでわかるのは靖国参拝は政治問題だということで、伊勢参拝は宗教問題。そしてマスコミは宗教問題には無感覚なのか、政教分離がよりストレートにかかわりそうな伊勢参拝については、全然問題意識を持っていないということです。

昨年12月25日の「首相の年頭行事として定着 伊勢神宮参拝」という産経新聞の記事 によると、首相による年頭の伊勢参拝は70年代の佐藤内閣の頃からほぼ定着し、クリスチャンであったという大平首相の時も、社会党首の村山首相の時も例外でなかったとあります。また民主党代表の伊勢神宮参拝も2002年に当時の菅直人氏が党役員とともに参拝して以降定着したということです。野党はまだしもとして、時の首相が閣僚を同行して、あたかも公的行事のように伊勢神宮に参拝するのは、明確に政教分離に反すると私には思えるのですが。ましてや、1月5日の毎日新聞配信の記事 によれば、福田首相は
2礼2拍手1礼の神道形式で参拝したのだそうです。この形式での参拝はあまりに宗教的にすぎるということで、あの中曽根首相や小泉首相も意識的に避けたと言われるものです。これを堂々とやってのけたとすれば、福田首相は「内閣総理大臣 福田康夫」と記名したのはもちろん、賽銭ないしは初穂料というようなものを、公費から出した可能性も否定できません。「2礼2拍手1礼」を報道したのはマスコミの名誉へのせめてもの貢献でしょう。

何故伊勢参拝についてはマスコミもこうもたがが緩むのでしょうか? これはあるいは「おかげ参り」の伝統を引くものではないかと思います。これは江戸時代に繰り返し起こった一般庶民による伊勢参拝のいわばブームですが、三重県の『県史あれこれ』といウェブサイト中の「多くの民衆伊勢へ『おかげまいり』」 というページを読むと、「彼らは多く集団を作って旅し、のぼりや万灯を押し立て、『おかげでさ、するりとな、ぬけたとさ』と歌い踊り歩きました。日頃の生活を離れて自由に旅ができ、十分な旅行費用を用意しなくても、道筋の家々が食べ物や宿泊の場所を与えてくれました。」とあります。費用は他人持ちで集団で旅行し、おまけに口にするのは「
おかげでさ、するりとな、ぬけたとさ」という歌というのは、政治家の理想の境地ではないでしょうか。

つまり伊勢神宮は聖地ですから、当然にアジールでもあるのです。世間のルールからは無礼講の場所で、日頃はできなくて窮屈な思いをしていることを、追究されることなくのびのびと行なえる場所なのです。マスコミもその辺を考えて「野暮」は言わないことにしているのでしょう。それなら伊勢参拝とその後の発言など無視してしまえばいいのですが、そうも行かないのがマスコミの業なのでしょうか。実に日本人の宗教的心情というものには複層的で測りがたいものがあります。そう言えば福田首相はネズミ年だそうで、このことは自分でも言っていましたが、そういう習俗的なものも入り込みやすいことが、その複層をさらにわかりにくくしているようです。

☆小ネズミが 堂々と行く 赤絨毯


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何か問題が? 銃をめぐって

何か問題が?Do we have a problem?

タイトルの「何か問題が?」は、著作権フリーのサイトで ”gun”を検索して見つけた画像の原題を訳してみたものです。銃器の写真はたくさんありましたが人も写っているのはあまりなく、サイト作成者の考え方がわかるような気がします。一方で日本の射撃関係の組織を探していたら、「射撃人の分類」 というウェブページを発見しました。2000年作成とちょっと古いデータなのですが、日本ライフル射撃協会日本クレー射撃協会大日本猟友会日本ベンチレスト射撃協会 と四つの組織があげられています。

射撃を趣味として続けるにはどの組織に入るのが適当かを論じているのですが、どういう人がどこへというその分類が八つあり、
「標的の中心に命中させられるようになりたい」、「空を飛ぶ標的を撃破する技術を磨きたい」、「リボルバーやオートのピストルを撃ちまくりたい」などの人というですが、中に「身体障害や聴力障害があるが、標的の中心にライフルやピストルを命中させられるようになりたい。筆記試験には自信がある」というのがあり、虚を衝かれました。何かを学んだり習ったりする資格や条件について書いたもので、福祉分野でもないのに身体障害について、それも困難というのではなく前向きに触れているものを見たのはこれが初めてです。なお、それぞれにふさわしい組織は「標的の中心」がライフル射撃協会、「空を飛ぶ標的」がクレー射撃協会、「身体障害や聴覚障害」が日本身体障害者ライフル射撃協会(ライフル射撃協会の傘下のようです)で、「ピストル」は「海外の有料レンタル射撃場へ行く。または海外移住する」だそうです。

念のために各協会のトップについて調べると衆議院議員が二人おり、ライフル協会が坂本剛二氏、クレー射撃協会が麻生太郎氏で、ともに自民党です。上の四つの協会はいずれも全国組織ですから、地方支部のレベルの幹部にはそれぞれの地方の政治家もいるかもしれません。

こういうことを調べて書くのは、言うまでもなく昨年の12月中旬に長崎で散弾銃乱射事件が起こったからですが、この際銃器とか射撃についての基礎的情報を知っておく必要があると思いました。この事件や、相次いで起こった銃器関連の事件の後での変化はわかりませんけれど、少なくともその前までは、射撃に携わる人のメンタリティは「何か問題が?」に近いものがあったように推測されます。長崎の事件の容疑者が銃を持っていて危険だという隣人の通告に、取り合わなかったという警察官の態度も、それに近いものであったのでしょう。

とりあえずの防止策は何かと考えて、想起したのがアメリカのミーガン法でした。これは性犯罪の履歴のある者の情報をインターネットなどで公開するものですが、銃器所持の許可を得ている者のリストを公表してはどうか。それが社会的評価に関連するということにはなっていないわけですし、プライバシーの侵害ということにはならないでしょう。車を持っていることを隠すことがないのと同様のはずです。一方で隣人はそれなりの警戒をすることができます。しかしその後銃器を警察や銃器店に預ける制度、あるいは銃器に不可欠な部分を預ける制度があることが報じられたので、何故それを悉皆的に実施しないのがと今では疑問に思っています。銃器を護身のために用いることは認められていないはずですから、狩猟を業とする人以外の個人の銃器所持を禁止するか、少なくとも個人の家には保管できないように法律を改正することが急がれます。

ただ、これは憶測ですが、銃器所持の認可を得るのが意外に簡単なのが今回の事件で明らかになりましたが、元来は趣味的な狩猟は土地の名望家のすることであり、警察はそれへの干渉に控え目であり、その姿勢が続いていたということはないでしょうか。話が飛ぶようですが、ある時期までの交通安全の標語には歩行者の注意を促すものが大部分でした。車利用者と歩行者の社会的地位の差ということが暗黙にでも意識されていたのだと思われます。その意味で法の改正に圧力がかかることは考えられないでもありません。あの事件を聞いて、せっせと日本社会のグローバル化=アメリカ化に励んでいた人たちは、ここまでアメリカ社会に近づいたかと内心悪い気はしなかっただろうと思ったのですが、それは言い過ぎとしても、これ以上の銃器規制はアメリカを批判するようなものだと足を引っ張ることはありそうです。『鉄砲を捨てた日本人』 で、日本人は世界史上でまれなことをやり遂げたとしたのは元米国軍人です。胸を張って鉄砲を捨てるところを見せたいものです。

☆鉄砲を 捨てた国こそ 美しい


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名無しの機器

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聞こえない私にはコンピュータは文字通りの情報機器で、個人的な情報のやり取りにも欠かせないものです。だからこの分のカテゴリーも「情報保障」にしてあるのです。私は近代的なもの大しては懐疑も多いのですが、メールのない時代にはとても戻れそうにありません。問題は故障や消耗品の調達ですが、故障の際はメーカーがサポートしてくれるらしいですが、電話経由のようです。この辺も私には大問題なのですが、ここでは後の方の消耗品の調達について書きます。

日常使う機器としてはパソコン本体とプリンター、それとデジカメなのですが、これらは何故機種というか、型番というか、はっきり同定できる文字が正面にないのでしょうか。まずパソコンですが、ディスプレイとキーボードにはNECとしかありません。縦型のシステムが入ったケースも同様です。VALUESTARであることは覚えているのですが、FだったかHだったか。プロパティで見てもVALUESTARまでしか出ていません。プリンターはCanonとあるのみで、プリンターのプロパティでようやくiP4100とわかります。これがはっきりしないのでインクを間違えて買ったことがありました。デジカメもCanonのもので、IXY DIGITALとしかないと思ったら、その次の飾り文字の商標みたいなLの字に意味があって、IXY Lという機種だそうです。

マニュアルや保証書の類をきちんと整理しておかないからだという苦言は甘んじて受けますが、それにしても機器の本体の見てすぐわかるところに機種をはっきり記さない理由がわかりません。目下デジカメとパソコンをつなぐUSBコードが行方不明で、場合によれば新規購入も必要なのですが、機種名がはっきりしないのではうっかり買えません。他の周辺機器などについても同じです。NECとかキャノンとかの大メーカーが謙譲の美徳をこんなところで発揮しているとは思えないので、同じ外函に異なったシステムを詰めて、別機種として売るためなのでしょうか。それはそれなりに理解できますが、そうであれば売る時点の具体的な機種名を書いたシールなりを、正面に貼っておいて欲しいものだと思います。

考えてみるとこのあたりの電子情報機器というものには、従来の商品とは相当違った売り方が通用しているものです。上記のように商品名が曖昧であることもそうですし、売る者が売る商品に必ずしも通暁していないのもそうですが、それよりも欠陥品を完成品として売りつける商売が成り立っていることは、改めて考えると驚くべきことです。マイクロソフトのOSは数年前に最初に発売されたものでも未だに欠陥が見つかるようですが、こういう事態が当たり前のようになっており、その手当てはユーザが自分で処置しなければならないといった商品は、他にそうそうはないものでしょう。OSでないソフトでも似たようなものです。パソコン関連の分野は、製造物責任法(PL法)というものについては治外法権なのか。とすればいつからそうなっているのか。いずれ調べてみたいものだと思っています。

☆責任を とらぬ商売 花盛り


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表参道再訪--ホームから地上へ

表参道ヒルズ 表参道ヒルズ

表参道から原宿までは、歩くのに不自由がなかった頃は何回も通った曾遊の地ですが、酸素が必要になってからは初めてです。今日ここに行ったのは地下鉄の表参道駅がホームから地表までエレベータでつながっているのがわかったからで、先月から三越前、新橋、半蔵門と「探検」を続けている一環としてのものでした。JRの場合はエレベータがあってもとんでもない離れたところまで行かねばならないこともあり、地下鉄でもある程度覚悟していたのですが、駅の規模も関係するのかそうひどいのはありませんでした。

しかし東京メトロのウェブサイト中の駅情報⇒駅構内案内図 でエレベータの存在を確認できても、そのエレベータにたどり着くのは簡単ではありません。ホームからそこまでならば案内図で何とかわかりますが、道でエレベータを探すのは困難です。ホームからの場合「地上へ」というエレベータが何番出口に出るのか不明のものがありますし、何番であるかがわかった場合出たところの建物の名が書いてあったりしますが、その建物の場所の見当がつかない場合はどうにもなりません。ですからまず勝手知った駅から地下鉄に乗り、ホームを基点としてエレベータを利用し、どこに出るかを自分の目で確かめておかないと、外部からエレベータ経由で地下鉄に乗るということは困難なのです。

表参道駅の場合は地上に出るエレベータの出口付近は、案内図から予想していた以上に改札口に近く、表参道の交差点までわずかな距離のところでした。大銀行の隣で、正面から見ると割合わかりやすいものでしたが、交差点から見るとエレベータどころか地下鉄の出入り口がその先にあるという標識が全然ありません。道に出て他ので入り口ではエレベータのある出入り口への案内が出ているかと思ってみたら、これもないようでした。しかし表参道ヒルズに近い出入り口(A2)で案内図を見つけたので、復路で気をつけてみると交差点に近い出入り口であるA3とB4にも同じものがありました。これについては後述します。

以前は時々歩いた表参道-原宿の道のランドマークと言えたのは青山同潤会アパートでしたが、取り壊されて一昨年から表参道ヒルズという建築物になっています。私の歩行条件が変わっているので距離感に自信がなかったのですが、何とか行けるだろうと行ったらまもなく旧同潤会の建物の残骸のようなものが見えて、それが表参道ヒルズの言わばファサードでした。正確には正面でなく横ですが、歴史的建物である同潤会アパートを無視しているのではないというアリバイなのでしょう。地上3階、地下3階という造りはバリアフリーの点でいささか危ういなと思ったのですが、エレベータがあるのは当然として、各階をスロープでつなぐ構造は新築ならではで、なかなかのものでした。ただしB2FからB3Fへのあたりは、案内図 を見るとどうつながっているのかわかりません。さすがに疲れかけていましたし、平日でも行けるのだからと人混みをそれ以上は探索せずに出ました。出がけに気づいて戻り、壁にある1Fの案内図でトイレを確かめると、1Fのは一ヶ所だけで多目的トイレはなし。入り口にある全館の見取り図にはトイレは出ていませんでした。多目的トイレは全館に2ヶ所あるとウェブサイトにはありますが、この情報は偶然に見つけたもので、改めて同じところに行こうとして大汗をかかされました。このブログでは何回も繰り返していると思いますが、車椅子であればそうあちこちとトイレを探して動き回れないのです。この建物の設計者はかの高名な安藤忠雄氏ですが、国会図書館の上野分館(現国際子ども図書館)を改築した際、いろいろあったバリアフリーの提案に取り合おうとしなかったと聞いたのは本当だったかなと思います。建築家というよりデザイナーだとも言われますが、建築デザインならばなおさら案内図は基本的に重要なものでしょう。

復路にA2の地下鉄出入り口でエレベータへの案内図を見たと書きましたが、これは実は階段を数段降りたところの壁にあったのです。車椅子の利用者を想定しているとしたら、どうやって見ればよいと考えているのでしょうか。出入り口の覆いの外からその案内図は見られるのですが、見えるのは4mくらいの高さからですから、これも車椅子利用者には適合しません。で、一応案内図はあったのだからと思って、A3とB4の出入り口ももう一度チェックしたら、やはり横の壁に、これは降り口より前にありました。こういうものは注意を引くようにしておくべきで、正面の、路線を示す大きい掲示に並べて「エレベータについては壁の図をご覧ください」とでも書き添えるべきでしょう。

無事にホームに戻ってから大失敗をしました。同じ方向にいく地下鉄のうち、渋谷止まりの方に乗ってしまい、終点で戻るにはホームを替えねばならず、それにはどうしても階段を使わなければなりません。幸いそちらの改札口を出たところでデパートのエレベータがあり、1Fに出て家まで1本のバスに乗り、ことなきを得ましたが、通勤等でその辺に慣れていなかったら大変でしたし、慣れていてもデパートが休日などだったらと思うと冷や汗ものです。

☆今一歩 考え足りず バリアなお
 
              ・・・・・♪・・・・・♪・・・・・♪・・・・・

地下鉄出入り口の写真を撮ってあるので掲載の予定でしたが、デジカメとパソコンをつなぐコードが目下行方不明なので、近日中に他のとまとめてアップする予定です。


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谷間の年末年始番組


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テレビの番組には改変期があって、NHKは多少違いますが、おおむね4、7、10、1の各月の初め1週間、その前月の終わりの1週間ほどです。この間はレギュラー番組の多くは休止し、ドラマであれば完結してしまいます。その間をいわゆるスペシャル番組がつなぐのですが、レギュラーのドラマはほとんど字幕が付いているのに、スペシャルの方は一貫していません。その方も最近は字幕付が増えてきたのはうれしいことで、感謝するにやぶさかではありませんが、見慣れないタイトルの番組が字幕付であるかどうかは毎日の番組表で確認する必要があります。この状況は年末年始番組を放送する12月下旬から1月上旬にかけて特に多くなります。

油断ならないのは、この時期には普段は字幕付であるレギュラー番組ですら、「視聴者参加」などとして生番組となり、字幕なしとなることがあることです。字幕付のマークというものがあるのですが、こういう場合も普段のマークのままということもあり、番組表の表現に神経を使います。何かテレビばかり見ているようですが、要は漫然とテレビを見ていたくはないので、計画的にオンタイムで見たりビデオを録ったりして、時間を効率的に使いたいわけです。また一方で、ほとんど民放の場合ですが、本来字幕付である番組でも再放送の際は字幕を抜くこともあり、見逃したものが見られると思ってもぬか喜びというケースが時々あります。字幕付与に対しては公けの助成金が出ているはずで、それなのに字幕を省いて放送するのは一種の背信行為でしょう。

そもそもが年末年始番組には地上波では見ても仕方のないものも多く、衛星放送やハイビジョン、それに地上波でもNHK教育などを選ぶことが多くなります。ハイビジョンには総合などで再放送ものも多いのですが(総合のように「再」と律儀にことわらない)、中で『鉄分補給』という鉄道マニアを集めた3時間番組は抜群のおもしろさでした。もちろんこれにも字幕がついていたから面白かったのですが、いかにもおもしろそうでも年末近くに放送した『ハプスブルグ帝国』三部作などは字幕なしだったので、大いに残念でした。中には今やっている4日連続の『日本の絵巻物』など、2回目と4回目にのみ字幕がつくという、たっぷりとフラストレーションを昂じさせるものもあります。

総務省の方針で(注)にあるように可能な限り字幕をつけることになっているのですが、これにはBSやハイビジョン、教育テレビは含まれていないようで、そのせいか字幕の有無はそれが最初に放送されたときの状態を継承しているようです。この部分ももっと前向きに願いたいものです。


(注)以前にも引用したと思いますが、総務省の昨年6月の発表 によると、2週間のサンプル週の調査でNHK総合の総放送時間に占める字幕放送時間の割合は43.1%、字幕付与可能な放送時間に占めるそれは100%となり、民放の在京キー5局平均では前者が32.9%、後者は77.8%であったということです。ここで「字幕付与可能な放送時間」というのは、午前7時から午後12時までの放送番組のうち、ニュース・スポーツ等の生番組、手話やオープン・キャプション(洋画の字幕など)がついている番組、外国語の番組、権利処理上の問題により字幕を付すことができない番組、再放送番組などを除いたものの放送時間を指します。

☆拾い読み 続けて過ごし 年明ける


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