おかげ参り--伊勢参拝を考える | 回廊を行く――重複障害者の生活と意見

おかげ参り--伊勢参拝を考える

130伊勢志摩国立公園(1964)

これが慣例だそうですが、仕事始めの日に合わせて福田首相が伊勢神宮に参拝したそうです。同じ日に民主党の小沢代表も。共に記者会見を行なったようですが、「参拝は私人としてですか、公人としてですか」とか、「肩書きは何と書いたのですか」とか、あるいは「お賽銭は私費ですか」とは、誰も質問しなかったようです。これでわかるのは靖国参拝は政治問題だということで、伊勢参拝は宗教問題。そしてマスコミは宗教問題には無感覚なのか、政教分離がよりストレートにかかわりそうな伊勢参拝については、全然問題意識を持っていないということです。

昨年12月25日の「首相の年頭行事として定着 伊勢神宮参拝」という産経新聞の記事 によると、首相による年頭の伊勢参拝は70年代の佐藤内閣の頃からほぼ定着し、クリスチャンであったという大平首相の時も、社会党首の村山首相の時も例外でなかったとあります。また民主党代表の伊勢神宮参拝も2002年に当時の菅直人氏が党役員とともに参拝して以降定着したということです。野党はまだしもとして、時の首相が閣僚を同行して、あたかも公的行事のように伊勢神宮に参拝するのは、明確に政教分離に反すると私には思えるのですが。ましてや、1月5日の毎日新聞配信の記事 によれば、福田首相は
2礼2拍手1礼の神道形式で参拝したのだそうです。この形式での参拝はあまりに宗教的にすぎるということで、あの中曽根首相や小泉首相も意識的に避けたと言われるものです。これを堂々とやってのけたとすれば、福田首相は「内閣総理大臣 福田康夫」と記名したのはもちろん、賽銭ないしは初穂料というようなものを、公費から出した可能性も否定できません。「2礼2拍手1礼」を報道したのはマスコミの名誉へのせめてもの貢献でしょう。

何故伊勢参拝についてはマスコミもこうもたがが緩むのでしょうか? これはあるいは「おかげ参り」の伝統を引くものではないかと思います。これは江戸時代に繰り返し起こった一般庶民による伊勢参拝のいわばブームですが、三重県の『県史あれこれ』といウェブサイト中の「多くの民衆伊勢へ『おかげまいり』」 というページを読むと、「彼らは多く集団を作って旅し、のぼりや万灯を押し立て、『おかげでさ、するりとな、ぬけたとさ』と歌い踊り歩きました。日頃の生活を離れて自由に旅ができ、十分な旅行費用を用意しなくても、道筋の家々が食べ物や宿泊の場所を与えてくれました。」とあります。費用は他人持ちで集団で旅行し、おまけに口にするのは「
おかげでさ、するりとな、ぬけたとさ」という歌というのは、政治家の理想の境地ではないでしょうか。

つまり伊勢神宮は聖地ですから、当然にアジールでもあるのです。世間のルールからは無礼講の場所で、日頃はできなくて窮屈な思いをしていることを、追究されることなくのびのびと行なえる場所なのです。マスコミもその辺を考えて「野暮」は言わないことにしているのでしょう。それなら伊勢参拝とその後の発言など無視してしまえばいいのですが、そうも行かないのがマスコミの業なのでしょうか。実に日本人の宗教的心情というものには複層的で測りがたいものがあります。そう言えば福田首相はネズミ年だそうで、このことは自分でも言っていましたが、そういう習俗的なものも入り込みやすいことが、その複層をさらにわかりにくくしているようです。

☆小ネズミが 堂々と行く 赤絨毯


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