隅田川の花火をニュースで観た。
江戸時代、八代将軍徳川吉宗の命で行われた「両国・川開き花火」が起源と言われるが、隅田川河畔のライオン東京本店ビルがオフィスだった私には懐かしい夏の風物詩である。
殺風景なビルの屋上、ただ、隅田川の花火には貴賓席と言えなくもない。
気心の知れた仲間と花火見物をしながら冷えたビールを酌み交わし、夕涼みを楽しんだ記憶が今も残っているが、それが墨田区両国の下町情緒に感じられたものだ。
あれから40年…
ニュースでは熱中症対策で多くの花火大会が9月に変更されていると報道されていた。
大相撲名古屋場所は平幕の琴勝峰の初優勝で幕を閉じた。
シドニーからNHKBSのダイジェストを楽しんでいるが、新入幕力士の活躍もあり、私には実に面白い場所だったし、特に小兵力士の活躍には目を見張るものがあった。
相撲にはラグビーに通じる要素が多く、特に「小よく大を制す」と指導された私にとって、小兵力士の鋭い当たりや機敏な動きにどうしても心が躍ってしまうのだ。
実は、9月にオーストラリアのハイスクール・ラグビーチームを連れて日本遠征を実施するが、大相撲9月場所の観戦を旅程に加えている。
もちろん、日本の伝統的なスポーツ文化に触れさせたいという大前提はあるが、私はオーストラリアのラグビーボーイズに小兵力士の当りや俊敏な動きを目の当たりにさせたいのだ。
このツアーのリーダーであるタイ監督は、小柄ながら元ワラビーズの経歴を持ち、日本のトップチームでコーチを歴任したことから、ボーイズの大相撲観戦の機会を切望している。
この5月、9月の日本ツアーの下見や準備を兼ねて訪日した。
85年にオープンした今の両国国技館、80年にライオンに入社した私は、東京本店ビルの目前で工事が始まった頃から知っているが、オープン後には得意先招待会で何度かホスト役を任され、当時の体格から相撲協会のスタッフに間違えられたこともあった。
88年に退社、1ヶ月も経たない内にシドニーに移住、それ以降で両国界隈を訪れるのは、98年にオーストラリアの友人を国技館の相撲博物館に案内した時以来である。
今回の下見の目的は、取組終了後の状況を見ることだった。
宿泊先は錦糸町のホテル、取組終了後に一目散に会場を後にするのは可能だろうが、それでも、ボーイズにとって一生に一度かもしれないと思えば、弓取り式まで見せたい。
そうなると、一駅だが千葉方面への帰宅時間が重なるため、30名が乗車するのは厳しそうだ。
まあ、それも日本の日常を体験させるチャンスではあるのだが…
駅前のロータリーの角で国技館からわき出すように増えていく客の流れ(渋滞)をボンヤリ眺めながら、シドニーで見るラグビーのテストマッチ後の光景と一緒だなぁと考えていた。
まあ、いいや、最悪、歩いて帰るのもアリだよなぁ、裏道の途中には「北斎美術館」もあることだし、オーストラリアで北斎画Tシャツを着た奴をよく見掛けるし…
ロータリーにはタクシーが詰め、取り組みを終えた力士が相乗りして帰宅する(銀座にでも呑みに行くのかも?)のを眺めていると、今場所大活躍だったウクライナ出身安青錦の姿があった。
あのキリッとした笑わない端正な顔が印象的で、どことなくオーラが感じられた。
ほとんどの客が笑顔で通り過ぎていくのを眺めている内に喧騒は一気に消えた。
懐かしい両国の街並みと言いたいところだったが…
国技館の目の前にあったはずだった私の第二の故郷、ライオン東京本店ビルは建て替えられて、2Fにステーキ・レストランのあるオフィスビルになっていた。
何か喪失感のような寂しさを感じながら、隅田川の1km上流、厩(うまや)橋の袂にあるライオン本社ビルまで歩いてみたが、人通りもなく、暗さもあってか、更に寂しい気分になった。
何と、本社ビルも無くなっていた。
跡地の周囲には工事中の幕が張られ、内部を見ることさえ叶わなかった。
かつて、ラグビー部の仲間達と駐車場でパスの練習をし、最上階の会議室まで駆け上がった白亜の美しいビルは跡形も無くなっていた。
2019年、ラグビーW杯観戦を兼ねたハイスクールの日本遠征の際、スカイツリーから、スタッフとして参加した次男に私達夫婦がこのビルで出会ったことを話したのに…
ライオン本社や東京本店が2年前に川向うからグレードアップ移転したと聞いてはいたが…
私達の歴史と言うかランドマークを失ったようで、寂しさを通り越して涙が出そうだった。
後輩に私の気持ちを投げ掛けてみたが、こんな返事が戻って来た。
先日、錦糸町でライオンの同期会があり、ぼくも本社、本店ビルがなくなっていることを知り、愕然としました。故郷の喪失はやはり寂しいものですね。











































