17年ぶりの嬉しい再会 2 | オーストラリア移住日記

オーストラリア移住日記

憧れから、移住決行、移住後の生活、起業、子育て、そして今・・・

再会から1週間の昨日、彼は日本に帰任するためメルボルンを出発したはずだ。

オーストラリアはイースター(復活祭)のホリデー中であり、彼もまさに日本での仕事への復帰(復活)の時であり、更なる活躍を期待したいものだ。

思い出を辿るために、彼はメルボルンからシドニーまでの約900kmを車でやって来た。

午後5時、仕事を終えてからメルボルンを出発、途中、ヒュームハイウェイに隣接するトラックドライバーなどが休憩するRESTエリアで車中泊を試みたようだ。

"やっぱり若いんだなぁ" と考えればその通りかもしれないが・・・ 

私の持つ日本企業の駐在員のイメージからすれば、途中それなりのホテルに一泊と考えてしまうのだが、仕事とプライベートを区別する彼の生真面目さがそうさせたのだろう。

待ち合わせしたホテルに17年ぶりの宿泊を勧めたが、シドニーに何度も出張しているという彼から返信は無く、きっとシドニー中心街に会社御用達の定宿があるのだろうと考えた。

後日、日本で言えば郊外のビジホ・クラス、私が勧めたホテルを予約したと連絡があった。

 

正直、私は彼の人となりや性格までは知らない。

彼本人との何回かのやり取り、中でも「日本への帰任前に17年前の思い出の地を訪ね、記憶に残していきたい」という言葉、彼の一連の真摯な姿勢に触れ、彼と会うのが楽しみだった。

 

私には彼の顔つきや堂々たる体躯に確かな記憶があった。

もちろん、そう聞けば誰もが「そんなのウソだろう!」と笑うに違いない。

実際、1998年から2019年までに100以上のチームの遠征を請け負い、日本で数十回のセミナー等も開催し、その間に出会った選手の数はゆうに5,000人を超える。

 

旭丘高校ラグビー部が遠征に訪れた当時、私は訪日の度に慶應義塾大学BYBラグビークラブのコーチングをサポートしていたが、その遠征の翌年、BYBクラブのクリニックで彼に再会し、「慶應に入学し、BYBでラグビーを続けていたんだね !?」と声を掛けた記憶があったのだ。

遠征中、彼は一番目立っていたし、端正な顔立ちで体格も一番良かった。

 

BYBクラブは、旭丘高校ラグビー部と同じ2007年7月にシドニー遠征を行い、双方の遠征の記憶が冷めやらぬ内だったこともあり、彼に声を掛けた記憶が私の脳裏に残ったのだろう。
BYBクラブの遠征中の写真を見ると、彼が私に送ってくれた旭丘高校ラグビー部の写真と同様シドニー・ラグビークラブで歓迎セレモニーを開催したのが分かる。

旭丘高校ラグビー部はBYBクラブの半月後に到着、同じホテルに宿泊し、同じコーチ陣が同じグラウンドやビーチでセッションを行った。

偶然なのか? 必然なのか? それとも、何かに導かれているのか?

いずれにしても、私の記憶に残る彼が17年ぶりに連絡をくれ、やって来るという。

私は "一期一会" を大切にしているが、今回の再会はまるでボーナスのようで本当に嬉しい。

 

話題を彼の "17年目の思い出巡り" に戻そう。

高校ラグビー部のほとんどは日本の夏休みを利用して遠征にやって来るが、日本に戻れば、間髪を入れずに菅平や地方の高原等での夏合宿が待っている。

私は、そんな選手達に夏休みらしい体験をさせたくて、シドニー最北のパームビーチ近くにあるカラウォング・ビーチ・キャンプ場(コテージ)での一泊を遠征日程に加えていた。

バーベキューやキャンプファイアーを囲み、選手達にありのままのオーストラリアの文化を学び楽しんでもらいたかったし、庭先に飛び出してくる野生のワラビーも見せたかった。

そのキャンプ場には、ピッツウォーターと呼ばれる大きな湾を超えて対岸までボートで渡らなければならなかったため、今回は遠く眺めるだけだったが・・・

「覚えてます! とても寒かったのですが、全員、ショートスピーチをさせられましたよね」

コーチとして参加したクレイグやエディーの発案だったが、それは正にオーストラリアならではの教育プログラムであり、自分をしっかり主張するためのカリキュラムだった。

それが彼だったのかどうかまでは定かではないが、素晴らしいスピーチをした選手がいた記憶があり、彼にその話を振ってみたが、彼は謙虚に笑うばかりだった。

 

その少し先にあるパームビーチまで私は彼を連れて行った。

キャンプ場に向かう日の午前、しっかり2時間のセッションを行った "地獄のビーチ" なのだ。

「うわー! あの坂登りは一生忘れませんよ!」

ビーチ北端の丘の下に見える砂のスロープは、泣く子も黙る "坂登りセッション" の場であり、過去にはトヨタ、東海大学、桐蔭学園・・・ の選手達が音を挙げたスロープだった。
写真では分からないが、その場に立てば、斜度と砂に足を取られて上に進めないほどなのだ。

パームビーチに別れを告げ、途中、この地域で人気のある日本レストラン「もなか」に寄った。

帰任を間近に、家族は先に日本に戻ったようで、ちょっと日本食に飢えているだろうと考えた。

「美味しいです! こういうのを食べたかったんです!」

私は一生懸命食べる人を好むタイプで、食事中に仕事や自己中の話題を語り続けたり、最近は、スマホを片手に食事をするような輩とは同席するのも嫌になるのだ。

私の注文した "からあげ" を勧めると、嬉しそうに「頂きます!」と言って美味そうに食べる彼を見ているだけで、何かこの日が更に良い一日だったように感じられた。