3月7日、私のFacebookのメッセンジャーに一通のメッセージが届いた。
突然のご連絡申し訳ありません。
2007年冬、愛知県旭丘高校がシドニーにラグビー遠征をした際にお世話になった者です。
現在メルボルンに駐在中ですが、今月末に帰任となります。
日本に戻る前にどうしても思い出の地を訪ねていきたいと考えていますが、遠征中にどこで練習や試合をしたかご記憶にあるでしょうか?
メッセージには、シドニー・ラグビークラブを訪問した際の写真が添付されていた。
写真を見ながら、17年前の記憶が私の脳裏に蘇って来る。
私は日本から到着したばかりの遠征チームを、いわばオーストラリアのラグビー博物館のような古いクラブハウスに案内し、歓迎レセプションを行うのを恒例にしていたのだ。
私は1998年に正式な仕事として日本チームのオーストラリア遠征のプランニングやコーディネートを開始したが、旭丘高校ラグビー部は、開始から10年、50番目の遠征チームだった。
全ての遠征記録はデータとして保管しており、私は日程表を添えて彼に返信をしたが、何回かのやり取りで、3月23日に、当時彼らが宿泊したホテルで待ち合せをすることになった。
このホテルで彼に会うのは17年ぶりだった。
シドニー北部地区に在するこのホテル、彼に出会った2007年当時は「Travelodge Manly Warringah」だったが、2022年7月に「Mercure Hotel」にリブランドされたようだ。
2000年頃からこのホテルを数十回使ったが、外観はほとんど変わっていない。
このホテルはもちろんだが、トレーニングを行ったグラウンド(ルーブハドソン・オバール)、ビーチセッションを行ったカールカール・ビーチ、巨大なショッピングセンター(ワリンガモール)、ラグビーリーグ「マンリー・シーイーグルス」のスタジアムやリーグスクラブ・・・
それらを懐かしく思う日本のラグビー選手(今はほとんどがOB)やコーチは多いはずだ。
ホテルからグラウンド(ルーブバドソン・オバール)までは徒歩10分、今はクリケットのシーズンであり、ラグビー場が3面とれるフィールドにはゴールポストが立っていない。
それでも、芝の匂いを嗅ぎながら、彼の脳裏に17年前のセッションがハッキリ蘇ったはずだ。
「Toshiさん、こんな環境が日本にも欲しいですね」
住宅地の目の前にある整備の行き届いた広大な芝生のフィールドやそれを囲む緑の木々を暫く眺めながら、彼の言葉には将来を担う子供達への心が感じられた。
彼はメルボルンに3年間駐在したようだが、地球環境への負荷を低減し、SDGs(持続可能な開発目標)、いわゆる人類が安定して暮らし続けることのできる世界を築くための製品開発を目指す企業の駐在員として、彼の言葉にはどこか実感が籠っていた。
途中、ビーチセッションを行った美しいカールカール・ビーチに立ち寄り、その後は17年前に試合やファンクションが行われた名門「ワリンガ・クラブ」に向かった。
シーズン前のメインフィールドは、まるでぶ厚い緑の絨毯が敷かれているようだった。
サブグラウンドでは、2024年シーズン開幕を前に「ワリンガ VS ノース」のトライアル・ゲーム(選手選考試合)が行われており、私自身、久々に実戦を目の当たりにした。
共にNSWクラブ選手権(シュートシールドカップ)の優勝を狙えるチームであり、オープン戦とは言え、レベルの高い試合に彼は興奮を隠さず、大きな刺激を受けたようだ。
「やっぱり、ラグビーはいいですね。僕自身、もう少しプレーを続けようと思います!」
彼はメルボルンでラグビーを続けていたようだが、高校時代の思い出の地を再訪し、本格的な試合を目の当たりにして、彼のラグビーへの熱き思いに更なる炎が点火されたようだ。
ワリンガクラブのキャップを購入し、身を乗り出して観戦する彼を眺めながら、私自身がオーストラリアを訪れた頃を思い出したが、あの頃の私はちょうど今の彼と同年代だった。
ここに彼を連れて来て本当に良かった!
W杯の結果を基準に、オーストラリアでは今後のラグビーユニオンの衰退が懸念されているが、それでもこの日、この場所にそんな不安や心配はどこにも感じられなかった。
地元のラグビーを愛する老若男女がグラウンドを囲み、良いプレーに歓声を挙げる様子を観ながら、土曜日のラグビー文化が何ら変わっていないのを感じるばかりだった。
そう、匂いに誘われて、ソーセージサンドにかぶり付いたが、正に変わらぬ土曜日の味だった。
「息子二人が地元のクラブやハイスクールでラグビーをプレーし、私達家族の土曜日は、いつもこんな生活が当たり前だったんだよ、やはりそれが文化なんだろうね」
つづく