過去と現在と未来を繋ぐ喜び | オーストラリア移住日記

オーストラリア移住日記

憧れから、移住決行、移住後の生活、起業、子育て、そして今・・・

「お久しぶりです。私がオーストラリアでコーチングコースに参加した際、私を実の弟のように可愛がって下さった方の名前がどうしても思い出せないのですが、名簿とかは残っていますか? 当時、日本のどこかの大学でコーチをされていたと記憶しています」

*写真は02年の「第2回豪州コーチングコース」/シドニー・フットボールスタジアムにて

 

心温まるメッセージに、「何とか見つけてあげたい」という思いが募る。

そうだ、写真なら一目瞭然だろう! 

写真箱をひっくり返し、古い写真を一枚一枚確認したが、彼が参加した01年の「第1回豪州コーチングコース」の写真は見つからなかった。

初めての開催だったため、写真を撮る余裕が無かったのかもしれない。

 

99年W杯で2度目の優勝を果たしたオーストラリア(ワラビーズ)、そのコーチングコースはAIS(豪州スポーツ研究所)とARU(豪州ラグビー協会)によってプログラムされ、世界が注目する優れたコースであり、日本からも熱心なコーチがシドニーを訪れた。

01年~03年/シドニーで4回開催、レベル1/3回、レベル2/1回

04年~15年/日本で14回開催、レベル1/10回、レベル2/4回

 

メッセージをくれたのは、鹿児島県大崎町でピーマン農園をやりながら、昨年、大崎町ラグビーフットボール協会とジュニア向けのラグビークラブ "Beach Wave Osaki" を起ち上げ、ラグビーの発展やラグビー人口の増加を目指す若きコーチである。

彼は2001年にシドニーで開催した「豪州レベル1コーチングコース」に10代で参加、試験やコーチングレポートの審査をパスし、オーストラリアの公式コーチ資格を取得した。

昨年5月、「来月は大崎町ラグビー元年のこけら落としが出来そうです」と彼からメッセージが届いたが、オーストラリア政府公認の "コーチ認定書" が添付され、「オーストラリアで公式なコーチ資格が取得できた事は最高の財産です」と書かれていた。

彼にとってコーチやコーチングの原点となった「豪州コーチングコース」、最年少の参加だった彼を何くれとなく実の弟のように面倒を見たコーチへの感謝をずっと忘れていないようだ。

 

私の最近のブログ「17年ぶりの嬉しい再会」から、私が遠征やセミナーに関する古いデータを大切に保管しているのを知って、彼が私に連絡をくれたのなら嬉しい限りだ。

さて、今回は23年前のデータであり、古いパソコンから検索して返信を書き始めたが・・・

 

申し訳ありません。

参加者名簿は残っているのですが、個人情報ですのでそのまま送ることはできません。

 

と、書いたものの、正直、私は彼の純粋な心や切なる願いを裏切りたくなかった。

01年の豪州コーチングコースへの参加者は29名だったが、その内大学関係のコーチは8名、私は彼への返信に8つの大学名だけを列記した。

 

彼から直ぐに返信があり、23年前の会話を思い出したかのように大学名が記されていた。

特定されたコーチは私にとって歳の離れた弟のような存在で、なるほど、かつてオーストラリア留学も経験した〇〇君なら最年少で参加した10代の若者の面倒を見たに違いなかった。

感激家の〇〇君ならきっと喜ぶだろうと考え、名前と所属先だけを彼に知らせた。

個人情報のため連絡先等は知らせず、本気なら彼自身が探すはずだと考えたのだ。

新手の詐欺や勧誘が横行する昨今、嫌な時代になったものだ。

 

思い出しました。〇〇さんです。
所属先のホームページを見ると、お顔もそのままでした。

本当にありがとうございます。嬉しくて涙が出そうになりました。

 

〇〇さんに連絡が取れました。

〇〇さんも私を覚えて下さっており、今後も連絡が取れる状況になりました。

本当にありがとうございました。

 

23年前の体験や感動、それと感謝の気持ちをしっかり心に秘めて原点回帰しながら、少年少女にラグビーの魅力を伝えようとする若きコーチ、そんな彼の努力を垣間見れば、かつてオーストラリアの進んだコーチングを日本に伝えようとした頃の私自身に重なるのだ。

 

そんな彼の作るピーマンは、ふるさと納税の返礼品として人気アイテムになっているようだ。

いつか、彼の作ったピーマンを食べてみたいものだ。

*写真は彼のFacebookより