おかえりなさい! | オーストラリア移住日記

オーストラリア移住日記

憧れから、移住決行、移住後の生活、起業、子育て、そして今・・・

2019年12月に「修学旅行 レガシーを作る豪州への旅」というタイトルでブログを更新したが、コロナ禍を挟んで、4年ぶりに宮城県利府高校スポーツ科学科の生徒たち(60名)がオーストラリアのゴールドコーストに戻って来た。

私は現地でのプランニングやコーディネートを任されている。

「文武両道」をモットーとするこの高校、全国にも珍しい「スポーツ科学科」を持つ高校であり、そこで学ぶ生徒たちとの数日間は、高齢者の域に達している私を若返らせてくれる。

言わば、私にとっては願っても無い最高の仕事なのだ。

 

シドニーに住む私はシドニー~ゴールドコースト間(片道850km)を車で往復するが、ゴールドコースト・エリアでの移動距離を加えれば、今回は約2,000kmの旅だった。

航空機で向かいレンタカーでも事足りるのかもしれないが、様々なアクティビティに使う用具の運搬や限られた時間で帰国する生徒たちを考えれば、私たちスタッフは先回りして、生徒たちのバスが到着する前に準備を整えておきたい、やはり使い勝手の良い車が必要になるのだ。

 

スポーツ科学科の修学旅行として、私は現地校とのスポーツ交流やゴールドコーストならではのサーフレッスンやビーチセッション、更にチームビルディングやリーダーシップ養成セミナー、著名人のスポーツ講演会等をプランニング、そしてそのコーディネートを担う。

内容的には2019年とほぼ同様だが、4年間のブランクの影響は否めない。

コロナ禍の影響から施設の経営者やシステムが変わっていたり、その間の落ち込みを取り戻すために軒並み値上げという状況を目の当たりにしなければならなかった。

ただ、そのような状況下でモノを言うのは、やはり長年積み重ねて来たオーストラリア側スタッフたちとの友情や信頼関係、そして彼らのサポートなのだ。

季節は真逆、仙台を出発する時は雪がパラつていたそうだ。

30℃を超えるゴールドコースト到着と同時に、現地ハイスクールとのスポーツ交流が開始され、オージー流の笑い溢れるウォームアップから始まり、グループ毎にクリケットやタグラグビー、サッカー、バスケットボール、バレーボール他を元気いっぱいエンジョイ・・・

初めてのクリケット、ソフトボール部女子の力強いバッティングには驚きだったが、なるほど、ソフトボール部女子は宮城県新人大会で優勝し、来年3月の全国大会に出場するそうだ。

 

交流先のスクールはすでにクリスマスホリデー(ロング・サマーホリデー)に突入していたが、たくさんの生徒が集まってくれ、日豪の少年少女にとって素晴らしい交流の機会となった。

生徒たちの元気な笑顔は最高だったが、私の最優先は生徒たちの安全なのだ。

真夏のゴールドコースト、炎天下のアクティビティに欠かせないのは水分補給である。

生徒たちにはマイボトルの携帯を薦めているが、それでも私の車の荷台には常に大型のクーラーボックスに水ボトルが100本ほど用意されている。

天候に恵まれ(?)毎日35℃を超える日々、幸いにも体調を崩した生徒の情報は無かった。

 

2日目、3時間に及ぶビーチでのサーフレッスン&ビーチセッション(ビーチバレー、ビーチサッカー、ビーチフラッグ他)の後に昼食をお腹いっぱい食べ、1時間のスポーツ講演、本来なら誰もが眠気に誘われるはずだが、生徒一人ひとりの突き刺すような視線がとても印象的だった。

そんな彼らを見れば、「今時の若者も捨てたものでは無い!」と思えて来る。

メモなど取らなくたっていい、生徒たちの心に何か残ってくれればそれでいいのだ。

 

3日目の朝、こんな話を聞いた。

2日目の午前午後はゴールドコーストならではのマリンスポーツに集中し、夜のスケジュールは海外実習として自由行動、夕食は自分たちで食べるという体験プログラムだった。

門限時間が決められ、数名が少し遅れてホテルに到着、先生はその理由を問い質したようだ。

どんな罰が課せられるか? 何となくその場のシチュエーションが浮かんで来る。

 

彼らはホテル近くのレストランでOZステーキを楽しんだようだが、若い彼らは夜食用にと更にステーキのテイクアウェイ(お持ち帰り)を頼んだようだ。

*日本ではテイクアウトが一般的だが、オーストラリアではテイクアウェイが一般的である。

*写真はイメージ

オーダーして食べるまでは想定内だったようだが、食べ終わって、時間を見ると、門限の時間が迫っていたが、お持ち帰りのステーキがまだ用意されていない。

レストラン側は熱々のステーキを持ち帰ってもらおうと気を使ったようだが・・・

時計を指さして焦る彼らを尻目に、レストランのスタッフはこのジャパニーズ・ボーイズたちの言わんとすることが分からないのだ。

 

「ダイジョーブ?」

たまたま、そのレストランで家族と食事をしてた若者(オージー)が声を掛けた。

何と、彼は前日のスポーツ交流に参加していたハイスクールの生徒だったのだ。

日本語を習う彼はボーイズの状況を理解し、レストランのスタッフに説明、優先的に焼き上げるのを急いでくれたらしいが、それでも少し門限に遅れてしまったようだ。

 

彼らが何らかの罰を受けたかどうかは知らないが、私にその話をした教師の「本当の意味で素晴らしい国際交流ができました」という笑顔から、おとがめは無かったのだろうと推測する。

いずれにしても、そんな思い出こそが国際交流の目的であり醍醐味なのだろう。

 

最終日、朝早くブリスベン空港へと向かうバスを見送り、私もシドニーに向け出発した。

4年前には工事中の多かったパシフィック・ハイウェイ、そのほとんどが完成して、シドニー~ゴールドコースト間の所要時間が随分短縮された。

以前は、往路も復路もグラフトンのマクドナルドを休憩地点と決めていたが、バイパスのような高速道路の完成で、その田舎町を通過する必要がなくなり、ちょっと寂しかった。

かつてグラフトン~バリナ間をクラレンス川に沿ってサトウキビ畑の中をひたすら走らなければならなかったが、クラレンス川には新しい真直ぐな橋が架けられていた。


往路も復路も、私の10月の誕生日に息子からプレゼントされたローリングストーンズの最新アルバム「ハックニー・ダイアモンド」をずっと聴きっぱなしだった。

ミック・ジャガーは80歳を超えても衰えが感じられず、キースとロニーのいぶし銀のギター、彼らの変わらぬリズムやサウンドが私に「変わらずストレートに進め!」と迫って来る。

まだまだ元気、もう少し頑張るぞ!と再確認した1週間だった。