突然(番組の途中でもなんでもありません)ですが、山梨県の甲府に来ております。この間、信州諏訪に出かけた折に立ち寄れればよかったところながら、その時には見たいと思っていた山梨県立美術館の展覧会がまだ始まっておらず、またしても中央本線沿線に。

 

そんな個人事情はともかくも、盆地故に暑い暑いと言われる甲府。確かに暑いですなあ。で、展覧会の話はちと後回しにさせてもらって、まずは甲府駅北口広場で開催されていたイベントを覗いたお話を。甲府の夏の恒例行事となっているらしい「地ビールフェスト甲府2025」でありますよ。

 

 

到着したのはそろそろ開場時刻になるちょいと前でしたので、炎天下で開場待ちの行列を避ける知恵が甲府っ子にはあるのか、夕方狙いの人が多いのかもしれませんですね。おかげで出店するブルワリーを巡るのも並ばずに済みましたですが…。

 

 

あまりの暑さにぐびぐびと行きたいところでしたが、会場内に「熱中症アラートが発令されています。ビール以外の水分も適切に摂取してください」てなアナウンスが流れる始末。へべのれけにならずに済むよう、今回はお試し参加ということにして、大・中・小あるグラスで我慢することにいたしました(ちと悔いが残りました…)。

 

ちなみに小グラス(持ち帰り可)は試飲券4枚とセットで1700円(前売りだと1500円)ですので、差し当たり4つのブルワリーからオリジナルのビアフライトを作る感じになりましたですよ。

 

 

出店でビールを受け取るとすぐさま中央の大テントの日陰に退避したものでうすぼんやりした写真ですが、まずは最初の一杯を(手前になにやら棒のようなものが写ってますけれど、これはビールのお供にと購入した鹿肉ソーセージです)。で、この手始めの一杯はといえば、「アンドビール」という勝沼に醸造所を構えるブルワリーから『ヴァイツェン発酵中』というネーミングに釣られて。

 

元よりヴァイスビア系には目が無いもので、「発酵中」というからには出来立て最初の一口を味わう的な思い込みを勝手に。「酵母由来のバナナとクローブの独特な香りが強め」という触れ込みに違わず、実にフレッシュな爽快さ、皮切りの一口に打ってつけ…ながら、すでにして小グラスを後悔したりも(笑)。

 

 

お次はこれも勝沼(ワインで知られる勝沼でビールが旬なのですかね…)の「イワイブルワリー」から「スパイシーなフレーバーが特徴的」という『IWAI IPA』を。独特の苦みが印象的ですな。

 

ビールの苦みといえば、子どもの頃に親戚の寄り合いか何かがあって、どこの親族にも一人はいそうな変わり者の叔父さんから「ビール、飲んでみる?」と唆されたことを思い出しますですね。大人がぐびぐび飲んでいるだけに「どんな味?」とひと口、口をつけて「にっが~っ!!」と。よくまあ、こんなものを大人は飲んでおるなあと思ったものですが、いつしか大人になってみますと、日本のメジャーブランドの主力商品ではもはや苦さを感じることは全く無い。味覚の変化なのですかね。

 

ともあれ、そんなことからも改めて感じるビールの苦みは新鮮な感覚でもあり、ともすると癖になる味ともいえようかと思うところです。で、三種類目のビールへと。

 

 

またしてもソーセージが登場しとりますが、「八ヶ岳山麓の間伐山桜を使用し香り豊かに仕上げた」というご当地もの。ビールにはソーセージだあね!というのもありますが、それ以外にも数多出店しているブースで販売するフード類はとても一人では食べきれないようなものばかりでしたので、ソーセージ頼みとなってしまい…。

 

ともあれビールの方は甲府地元の「ペルソナブルワリー」から『ベイビーヴァイツエン』で、最初のアンドビールのものより麦芽使用量がやや多い分、落ち着きあるビールらしさといいましょうかね。わざわざ爽やかを選んでおきながら、今度はまた苦みが恋しくなる…という感じでしょうか、最後に富士急行線沿線の西桂町にあるという「TPMブルーイング」から『TPM IPA』を〆の一杯に。

 

 

ここまで来たところで、試飲券(4枚セット)の追加購入という誘惑が襲ってきたわけではありますが、なんとか自制いたしましたよ。本当のところは、あちこちのブースによってラガー系やらスタウト系やらもぐびっと行きたいところでしたし、今回は出店している中でこれまでに市販されている缶ビールなどで飲んだことのあるブルワリーを選択肢から外していたりしたこともあり、また別の機会に(それこそへべれけ覚悟で?)立ち寄ってみたいものです。

 

 

甲府の夏は暑いけれども、暑い最中に冷たいビール。清涼感あるひとときでありました。と、それにしても甲府でビールフェスタとは「そりゃ、暑いからでしょ」というだけではないようで。当該イベントHPによれば、甲府は「東日本初の地ビール発祥地(市販国産ビールとしては日本初)」という謂われと絡んでいるそうな。そのあたりを引用していると話は長くなりますので、やめときますけれどね。

東京・京橋の国立映画アーカイブを覗きに。ロビー奥にずいぶんと人がおるなと思えば、折しも映画上映の入場待ちをする人たちだったのですな。レアな映画を一般520円で見られるとあって、リピーターが多いのではと。

 

個人的には一度だけここで『丹下左膳』(大友柳太朗版)を見たことがありますが、映画が映画だからでもありましょうけれど、観客の年齢層はかなり高かったような。ま、65歳以上は310円で見られるとあって、今の季節はクールシェアがてらの人もおるのではと思ったり。

 

ところで、今回は映画上映がお目当てではなくして展示の方でして。企画展として『ポスターでみる映画史 Part 5 アニメーション映画の世界』が開催中だったものですのでね。

 

映画の誕生から130年の節目を迎える本年、当館は、初期作品から現代の新作まで幅広い年代や国のアニメーション映画の系譜を、所蔵する豊富なポスターコレクションなどの資料から網羅的にたどります。ハリウッドのカートゥーン映画、欧州各国の特徴ある名作、そしてもちろん日本が誇るアニメーションの名作にも重点を置き、この映画文化が形作った大いなる潮流を振り返ります。(本展リーフレット)

アニメ制作草創期の話は「ほうほう」と思いながらじっくりと見ていったですが、その後自らが子供の頃に見た作品、ああ、この頃にアニメを離れていったのだなあ…という作品、さりながら大人になって改めて「必ずしも子供向けのメディアではないのだな」と思うようになった作品と、現在に至るまでを網羅してポスターが所せましと展示されておりましたですよ。

 

残念ながら、取り分けディズニーや東映動画、ジブリといったあたりは著作権の関係か、撮影禁止になっておりましたので、画像無しに振り返るのはちと寂しいかぎりですけれどね(同館HPではいくつかレアものが見られれます)。

 

ともあれ、アニメーション映画の始まりはかなり早い時期にあるようですね。フランスのリュミエール兄弟により1895年に「シネマトグラフ」が公開され始めますと早々に、その後のアニメに通ずる作品作りがはじめられたようで。これは映画以前、すでに「フェナキストスコープ」(1831年発明)によって仮現運動をに基づく作品が存在していたからのようですね。早い話がぱらぱら漫画のような発想は早くからあったということなのでしょう。

 

でもって、展示でアニメ映画の始祖として紹介されていた、J・スチュワート・ブラックトンは「コマ撮りアニメーションの創始者」と言われ、エミール・コールは「世界初のアニメ作家」と言われるとか。1900年代初頭の作品がモニターで見られましたですが、いずれも線描でシンプルな動きがほのかな笑いを誘う感じ。前者が至って素朴なのに対して、後者は少々ファンタジックな風味がありますが。

 

これがほんの少々後、ウィンザー・マッケイの1918年作品『ルシタニア号の沈没』になりますと、第一次大戦下、ドイツのUボートによる魚雷攻撃にさらされた英国客船ルシタニア号がじわじわと沈んでいくさまを描き出している。それまでの滑稽味主体とは違ったニュースの再現映像てな感じでしょうか。後の初期アニメ、例えば『鉄腕アトム』などでも使われたような撮影手法を思う作りになっておりましたですよ。

 

特に、潜望鏡だけを海上に覗かせたUボートが悠々と大洋を行くルシタニア号の前を静かに横切っていくあたりの描写は、『ジョーズ』のテーマ音楽が聞こえてきそうな感じでぞくりとさせられたものでした。

 

ですが、動きを自在に操れる(実写映画の俳優にはとても無理な体勢やら動きやら)だけに、観客が笑って楽しめるような作品が多く誕生する方向になりますが、やはりウォルト・ディズニーの存在は大きいですよね。

 

ミッキーマウス誕生作として知られる『蒸気船ウィリー』の登場は1928年だそうです。今見ると、やはり素朴な描画と思うわけですが、この9年後の1927年には短編でなしに長編に、モノクロでなしにカラーとなって、世界初の長編カラーアニメ『白雪姫』が誕生するとは、アニメ制作の世界に加速度的に技術が注ぎ込まれたということなのでしょう。

 

『蒸気船ウィリー』はいざ知らず、その後のディズニー作品はおとぎ話的なところを題材としながらもすでにして大人の鑑賞にも堪える内容を想定していたような。そんな流れがあった上で、戦後の日本では東映動画(現在は東映アニメーション)が頑張っておりましたなあ。

 

記憶する限りで最も早い映画館でのアニメ体験は『太陽の王子ホルスの大冒険』だった気がしますけれど、決して子供向けとはいっておられない、後のジブリ作品を彷彿させるような(実際演出は高畑勲だったわけで)ものであったような。ただ、『東映まんがまつり』というイベントの中で上映されたことは「子供向けであるよ」と宣言するかのごときでしたが。

 

 

これは(かろうじて「写真撮影可能です」コーナーにあった)1977年夏の「東映まんがまつり」のポスターでして、ロシアの有名な童話『せむしの仔馬』をメインにしながらも『ドカベン』やら『キャンディキャンディ』との抱き合わせ上映とあっては、いかにメイン作を丹念に作ってあったとしてもどうしたって子供向けと思われましょう。折しもこの1977年当時、個人的には「漫画は卒業済み」くらいに考えて、『せむしの仔馬』を見てはいませんし、これがソ連制作のアニメ映画ということさえ知りませんでした…。

 

と、この後のアニメ映画は日本でもアメリカなどでも(ディズニーはもとよりピクサーとかドリームワークスとか)百花繚乱の状況となっていくわけですが、今回の振り返りは思い出話を中心に。おそらく今では、アニメというだけに「子供向けだあね」と思う傾向はおよそ薄れておりましょう。どこまで大人の鑑賞を意識しているかはそれぞれながら、例えば劇場版『クレヨンしんちゃん』などは「大人が見てこそ懐かしい」的なところへ狙っているようでもあったりしますし。

 

一度は卒業したかに思った漫画、アニメの世界、単に子供向けというにとどまらず、実写映画とはまた別の表現方法なのであると受け止められるようになった昨今、これからもまだ見ていく作品はいろいろと出てくるのでありましょうね、きっと。

先日聴いてきた読響演奏会@東京オペラシティコンサートホールのことで、触れておらなかったのが最初の一曲について。タクトを振ったのがブルガリア出身のデリヤナ・ラザロヴァだけに、同郷の現代作曲家ドブリンカ・タバコヴァによる『オルフェウスの彗星』なる作品が披露されたのでありまして。「2017年にユーロラジオ50周年を記念してBBCと欧州放送連合(EBU)の委嘱で作曲されたのだそうな。

 

のっけは「ああ、現代音楽であるな」的な、といっても至って穏やかな響きで満たされ、暑い夏には現代音楽が冷ややかさを運ぶてな気分にもなりましたですが、やがて聞き覚えのあるファンファーレが高らかなに鳴り響く。タイトル『オルフェウスの彗星』の由来とも言えましょうけれど、現代音楽から遠く離れたバロック初期の作曲家クラウディオ・モンテヴェルディの歌劇『オルフェオ』冒頭のファンファーレそのままが立ち現れたのでありました。

 

モンテヴェルディの『オルフェオ』は1607年初演ということですので、今回聴いた『オルフェウスの彗星』とは400年以上もの時の隔たりがあるのですけれど、およそ違和感は無し。それ以上に(個人の印象ですが)そもそも『オルフェオ』のファンファーレはバロック・オペラの始まりに置かれた曲にしても、バロックというにはあまりに勇壮かつ鋭角的な音の世界であることが「バロックらしくない…」ような気がしてならなかったものですから、なにかしら収まりどころを得たような気にもなったものです。

 

『ルネサンス・バロック名曲名盤100』(音楽之友社刊 ON BOOKSの一冊)によれば、「このモンテヴェルディの作品(『オルフェオ』によってはじめて近代オペラの基礎が確定されたと言ってよいでしょう」とまで言われる画期的な作品なれば、そのことを自覚したモンテヴェルディがことさら高らかに歌い上げる曲を冒頭に置いたのかもと思ったりもしますが。

 

と、そんなこんなのついでですので、モンテヴェルディのオペラ『オルフェオ』全曲を聴いてみるか、あわよくば動画でもあれば全編を見てみるかということに。さすがに都合よく日本語字幕付きなんつうのは見当たりませんでしたけれどね。

 

見始めて「なるほどなあ」と思い出したのが先ごろに読んだ『ヴェルサイユの祝祭 太陽王のバレエとオペラ』という一冊にあった「バロックオペラなるもの、かくのごとし」と紹介されていたことごとです。先ほど引き合いに出した「ON BOOKS」に「近代オペラの基礎が確定された」一作とありましたけれど、古くは古代ギリシア悲劇からその後現代に続くオペラに至る過程の中で、ものの見事に過程度合いを示す形であったのであるな、というのがなるほど感の正体でありますよ。

 

ギリシア悲劇と聞けば純然たる演劇であるかとも思うところながら、ご存じのようにそこには「コロス」と呼ばれる合唱隊が付き物であって、バロック・オペラにもその名残というか、より積極的な使い方というか、そうしたものが息づいているのですなあ。

 

進行的にはその後のオペラのように、独唱、重唱、合唱、あるいはそれぞれの絡み合いといったバリエーションを場面演出に合わせて使い分けるといったところまで深化を遂げてはいませんから、基本的にはタイミング、タイミングでクローズアップされるアリアこそメインで、後にイタリア・オペラで歌唱のヴィルトゥオーゾこそが聴きどころ化していくことをも予感させるような。

 

一方で、近代のイタリア・オペラで聴かれるようなベルカント唱法といったことが意識される以前、やはり古代ギリシア悲劇の伝統はコロス以外の出演者にも受け継がれたのではなかろうかと。日本でも「歌は語れ、セリフは歌え」て言葉がありますように、演劇的な言葉の伝え方の一端を表しているのだと思いますが、感情の起伏を語りに込める、場合によってはそれはメロディーを伴う歌のようにもなる方向の初期型でしょうかね。

 

そんなところまで思いをいたしますと、日本の古典芸能のひとつ、「能」を思い出したりもしたですよ。古代にはもそっと鄙な、洗練されない形の芸能があったと思いますけれど、それが「能」という形に形式化して確立された。そして後には、もそっと見せ場を大衆受けしやすい形の「歌舞伎」が生み出されていった…と、かような想定をするならば、バロック・オペラの立ち位置は日本でいえば「能」であるかと思ったりしたものなのでありました。

先に信州諏訪を往復する列車では、JR中央本線の富士見駅でもってぞろぞろ乗降する登山姿の人たちが見受けられたのですな。この駅が入笠山登山の入口にあたることは、個人的にも昨年6月に出かけてますので知っておりましたから、「ああ、こぞって入笠山であるか」と。

 

しかしまあ、それにしても年齢層が高いような…と、自らも結構な年齢にも関わらず、かように申してしまうほどの人たちに登山人気があるのであるなと改めて実感したりするわけで。ともあれ皆さん、お元気というか、お達者というか。

 

と、そんな光景を目の当たりにしてあと、たまたまにもせよAmazon Primeで『イーディ、83歳 はじめての山登り』なんつう英国映画のあることに気付かされ、見てみたのでありますよ。

 

 

長年にわたって関白亭主(支配欲至って強い系か)の支配下におかれ、後年には介護の日々に明け暮れることになったイーディ、夫から解放されたとき(要するに亭主が亡くなった時)にはすでに83歳になっており…。

 

そんなある日、一人になってがらんとした家の中を片付けていると(断捨離ですな)、古い古い絵ハガキが目に留まる。子供の頃には共にアクティブに過ごした父親が送ってきた絵ハガキには奇妙な形の山が写っており、「いつか登りに行こう」というひと言が。これを見たイーディ、矢も楯もたまらず、スコットランドのスイルベン山を目指すのでありました…。

 

子供時代、父親とキャンプをしたりする少女だったことが語られますので、「はじめての山登り」とは得心しにくいところですが、すでに何十年も経って昔取った杵柄があったとしても頼りにはならない。イーディがそうだとはいいませんが、往々にして過去の経験値を過大に見積もってしまうことは現実にはよくありますですねえ(かく申す自分自身にも…)。

 

ともあれ、初めはただただ登る(つまりは単独行で)ことしか頭になかったわけですが、スコットランドに到着したところでひょんな出会いをした青年にガイドを依頼することになり、着々と準備を進めていきますが、はたして登頂は?…とまあ、そんな展開になっていくのですね。

 

いわば起死回生の果敢な挑戦が描かれるところで、イーディを演じた女優さんの実年齢が83歳だったようで。見ていてもハードそうな道々を踏破するすべてをこの方が実際に歩いたとは思いませんがですが(実際はわかりませんけど)、ともかく若いときにできなかったことをやるといった話は多くありますですねえ。

 

ただ、思いついたときにはそれこそ体力的というか、身体的というか、もはや無謀という段階に入っている場合もあるわけで(イーディもまた)、「思い立ったが吉日」はいつも念頭に置いておきたいところではなかろうかと。

 

イーディの場合には日頃馴染みのコーヒーショップの店主に「閉店間際で、オーダーはもう遅い?」と問いかけたところ、「Not too late for you」という応えが返ってきたことで、一念発起の背中が押された恰好でして、この「Not too late」という言葉もまた心しておきたいところです。

 

で、イーディの山行のようすは映画そのものでご覧願うといたしまして、これまたたまたま見ることになった同工異曲?のもう一本のことにも触れておくとしましょうかね。

 

 

アメリカ映画の『ロング・トレイル!』という作品でして、老境に入ったロバート・レッドフォードとニック・ノルティの共演作。これまたやおらアメリカ東部を縦断する「アパラチアン・トレイル」という全長3500Km近い自然歩道を踏破しようと思い立ったビル(レッドフォード)に対して、妻のキャサリン(エマ・トンプソン)は大反対。妥協点として見出したのが「一人ではいかないこと」なのでありました。

 

同行してくれそうな友人知己に打診するビルですが、断りばかりが続々と。そんな中、敢えて知らせていなかった腐れ縁の幼馴染スティーヴン(ニック・ノルティ)がまた聞きで話を嗅ぎつけて同行を申し出る。当然にして巻き起こるへたれた二人旅の行方やいかに…という、コメディでありますよ。

 

ただ、物事なんでもやればできる!的な話ばかりでは比較的元気な?老齢者をミスリードするばかりでしょうけれど、この映画のへたれ具合はほどほどリアルとでもいいましょうか。コメディ映画として出来がいいかは別として、無理と過信は禁物で、どの辺で折り合いをつけるか、その判断も人それぞれ、そのことをとやかく言ってはいけんねと思わせてくれるのですなあ。

 

定年後の人生が(平均値として)長くなってきている昨今にあって、それぞれに考えどころのある映画ではあったように思ったものでありました。

先ごろ出向いた諏訪湖畔ぶらりの余談をもうひとつ。タケヤ味噌会館で信州味噌ラーメンを食しつつ、窓外に目をやれば、諏訪湖周回道路の向こう側に大きめの建物が見えておりまして、諏訪湖間欠泉センターであると。

 

昨秋の諏訪湖ぶらりでは間欠泉センターの脇を通り過ぎついでに、かつては高さ50mと世界第二位を誇った間欠泉が今ではぶわっ!と噴き出すことがなくなってしまった…ということだけ触れて、建物に寄ることはなかったものですから、「どんな具合になっておろうか、実見を」とこのほどは立ち寄った次第でありまして。

 

 

何せ天然自然のものですから、何か具合で様相が変わってしまうこともありましょうけれど、諏訪湖観光のひとつの目玉にもなっていた間欠泉、それが今では空高く噴き出すことはないのですよと知れ渡れば、来場者も激減でしょうなあ。確かに夏の旅行シーズン前の平日ではあるも、およそ立ち寄る人もなく…というふうでありましたですよ。

 

 

で、肝心の間欠泉はといえば、建物の裏手、諏訪湖を見晴らす位置にあるのですな。今でも天然温泉が噴出しているというだけでもありがたいことでしょうけれど、以前の50m噴き上げに合わせて周囲に近づけないようにしてあるようすが、現在の噴出量をなおのこと寂しく感じさせてもいるような…。

 

 

ということで目玉を失った諏訪湖間欠泉センター、施設として何とか生き残りを図るすべとして考えられたのが(?)2階フロアの大部分を占める「諏訪のロケ地レビュー展」でもあろうかと。

 

 

諏訪湖ばかりでなくして、周辺にある霧ヶ峰などの大自然を背景に映画やドラマの撮影が多々行われているというのですな。直近では映画『怪物』で使われたことが大きく紹介されておりましたですよ(見てないですが)。ここに立ち寄ったならば、「諏訪エリアのあちこちに行ってみたくなるでしょ!」と誘いかける思惑なのでしょうなあ。

 

それにしても、自然光頼みと言えば聞こえはいいですが、この薄暗い展示スペースはどうしたものか…。客の入り具合のせいとはいえ、迎えられた側の印象としては「貧すれば鈍する」のであるかと思ってしまったりも。

 

 

もひとつ上の最上階、3階には花火館という位置づけ。今年2025年で77回目を迎えるという歴史ある「諏訪湖の花火」は地域にとって相当な観光資源となっていましょうから、花火にまつわる展示スペースがあること自体は至極当然とも。ですが、ご覧のように「単なる休憩所?」と化しているようすには2階と同様の印象が湧き起こる。せめて、花火大会のビデオ映像でも上映してくれておればと、思うところですが…。

 

いわゆる名所とされるところには、日本三大がっかりは言うに及ばず「これなの?」的なものがあったりするわけですが、どうやら諏訪湖間欠泉センターもそちらの路線をまっしぐらといったふう。天然自然のいたずらでもって、再び間欠泉が空高く噴き上がるようなことがあれば別でしょうけれどねえ…。