1911年1月、ヴァシリー・カンディンスキーはミュンヘンのとある演奏会に出かけて行った。
そこではこれまでに耳にしてきたどの音楽とも違う楽曲が演奏されている、
あるいはこれまでとは異なる音楽の方向性が示されていることに出くわし、深い感銘を受ける。
絵画の革新を目指す者が、音楽の革新に出会った瞬間でもあろうか。
彼はウィーンに住むその作曲家に手紙を書くとともに、その演奏会の印象を絵に描く。
絵のタイトルは「印象Ⅲ(コンサート)」、作曲家の名はアルノルト・シェーンベルクであった。
その後ほどなく、カンディンスキーとシェーンベルクは束の間ながらも
おそらくは濃密だったであろう交友関係を結びますけれど、
第一次世界大戦の勃発によりカンディンスキーはロシアに帰ることになり、
それが実質的に彼らのつながりを断つことになったようでありますね。
と、今年2016年はカンディンスキーの生誕150年で、その周年記念的なイベントのひとつでしょう、
「カンディンスキーとシェーンベルク~見る音楽、聴く絵画~」という演奏会に行ってきたのでありますよ。
演奏の合間にあったカンディンスキー、シェーンベルクそれぞれの研究者によるトークでも
触れられていたことですけれど、果たしてカンディンスキーがシェーンベルクの音楽を
どれほど理解していたのかははっきりしない。
シェーンベルクの音楽は素人目ならぬ素人耳にもその革新性は明らかながら、
単なるはちゃめちゃではないブレイクスルーを感じ取ることが
カンディンスキーにはできたのかもしれませんですね。
そこらへんが先のコンサートの一般聴衆とは違っていたと言えるのかも。
「印象Ⅲ(コンサート)」の解釈として、真ん中に大きくある黒いものがピアノ。
(曲目はシェーンベルクの「3つのピアノ小品」作品11であったそうな)
そして、何やらざわついているやに見える聴衆側を覆う黄色が聴衆の戸惑いやら、
ともするとブーイングなんかを表しているとも言われます。
こうした感情表出を色彩化している点で
カンディンスキーは共感覚の持ち主なのだなと思ったりするわけですが、
シェーンベルクの音楽的可能性を信じて自ら主宰する雑誌「青騎士
」に
シェーンベルクの楽譜を掲載するといったあたりは、
新しい音楽への肩入れということもあったにせよ、実はその楽譜そのものがすでにして
絵画の可能性を示唆するものにもなっていたと考えたのかもしれませんですね。
それまでの音楽の流れるようなメロディーは楽譜に書き出した場合、
いかにも流れるような音符の羅列として表出されるわけですけれど、
記譜されたシェーンベルクの音楽はおそらく相当に自在な配置がなされているように
カンディンスキーの目に映ったのではなかろうかと。
それが故か、カンディンスキー自身描くところに
あたかも楽譜の断片を組み込んだかに見える作品もちらほらあったりしますですね。
以前、東京都現代美術館で開催された「アートと音楽」展で見た「活気ある安定」などは
とても顕著な例でありましょうか。
一方で、カンディンスキーが楽譜を絵画に持ち込んだことは、
(全くの思いつきで書いてますが)後に続く作曲家たちに影響を与えたりしたではないですかね。
カンディンスキーの絵を垣間見たりする中で、
絵のように楽譜を描いて、それで実際に音を出してみる試み。
つまりは図形楽譜ですけれど、これの発展形はもはや絵画の中で楽譜と認知する以上に絵画的で
一般には楽譜と認識するよりは抽象画の領分と見た方が受け止めやすいような。
ですが、そんな楽譜で音楽が演奏できてしまうのですから、
演奏家という人たちも大変な技量(読解力?)の持ち主だなと思うわけですが、
とにもかくにもこうした現代音楽に繋がる一脈はもしかしたら
カンディンスキーとシェーンベルクの交友から連なるものであるのかも…てなことを
考える一興に繋がった演奏会なのでありました。