東京オペラシティ・コンサートホールで開催される「ヴィジュアル・オルガンコンサート」に出かけてまいりました。「普段見ることができないパイプオルガンの演奏や操作の様子、足鍵盤の動きなどをスクリーンでリアルタイムにご覧いただけます」という点でヴィジュアルなこの演奏会、昨2022年11月に初めて出かけて二回目の鑑賞となりますですが、前回はトランペットとオルガンの競演で、奏者をクローズアップするカメラも双方に気配りされていたのに対して、今回は全てオルガン独奏ですのでカメラは手元、足元、さらに鍵盤に向かう奏者の真上からとさまざまに演奏のようすを映し出しておりましたですよ。
登場したオルガン奏者は清水奏花という方で、芸大修士修了の後、フランス、ドイツに留学してオルガン・コンクールに優勝したり入賞したり。今ではさまざなに演奏活動を行っているのでしょうけれど、日本基督教団下谷教会オルガニストという肩書をお持ちのようで。全くもって余計なお世話ながら、日本で教会のオルガニストという立場はどんなものなのでしょうねえ。それこそフランスやドイツでは、伝統的にただオルガンを弾くというにとどまらず、音楽のプロフェッショナルとして町全体(まあ、町そのものが教会の教区とかぶるのかもですが)の音楽教師、音楽的指導者といったところもでもありましょうけれど…。
まあ、それはともかくとして、「オルガンの旅~ドイツ・アメリカ・フランスを巡って」という演奏会タイトルを冠したプログラムは、それぞれドイツ3曲、アメリカ1曲、フランス2曲と、それぞれの地域の作曲家の作品から選びだしたものでしたですが、J.S.バッハの「ライプツィヒ・コラール集」より 「装いせよ、わが魂よ」 BWV654 の前後に、BACHの名前に基づく音型を使ったシューマンの作品と現代アメリカの作品が並んでおりました。やはりオルガン曲といえば、バッハといったところもありますですね。
さりながら、大曲「マタイ受難曲」が長らく忘れ去られていたところをメンデルスゾーンが復活演奏したことは夙に知られておりますですが、いかな大曲とはいえ、要するに機会音楽であったが故に使い捨て状態だったのかも。この蘇演(1829年)がバッハの再評価を促したようで、今回演奏されたBWV654も「1840年にライプツィヒ(ドイツ)の聖トーマス教会で、バッハの記念碑のために開催された演奏会にて、メンデルスゾーンが演奏しました」とプログラム解説にありましたので、バッハの今日があるのはメンデルスゾーンによるところが大きいわけですな。
で、盟友のシューマンも「バッハの名による6つのフーガ」を作ったりして援護射撃といいますか。ちなみに今回演奏されたのはそのうちの第2番で、バッハ作としては超有名なトッカータとフーガ 二短調BWV565のフーガ部分から持って来たと思しきフレーズが時折顔を覗かせていたり。ただ、この曲に偽作説があることは先に読みました『クラシック偽作・疑作大全』なる一冊でも触れられておりましたなあ。シューマンの時代にはバッハ作として疑問無く受け止められてもいたのでしょうか。
と、バッハの作品に忘れられたものがあったにせよ、バッハの存在自体が知られなくなっていたわけでもないだろうと想像しますのは、今回演奏されたプログラムの第1曲目を作曲したヨハン・ハインリヒ・クリスティアン・リンクはどうやらバッハの孫弟子にあたるようで。こうした系譜が続いている以上、大師匠が忘れられるということはなかったでしょうなあ。ただ、孫弟子世代ともなりますと、リンクは1770年生まれでベートーヴェンと同年ですな。音楽を取り巻くっ状況はどんどんと変化していく中では、音楽全般の中におけるオルガンの位置づけも変わってきてはいたでしょうねえ。
ところで、演奏されたリンクの曲と言いますのがフルート協奏曲ヘ長調op.55というもので、曲目だけ見たときにはオルガン編曲版であるか?と思ったものですが、実はこの(フルート協奏曲という)タイトルでありながらも元来オルガン独奏用の作品であるとか。パイプオルガンはさまざな音色が作り出せるようになっておりますけれど、フルートに模した音色を独奏部としつつ、伴奏合奏も併せてオルガンで演奏してしまおうという曲だったのですなあ。
そんなふうにプログラム解説に接してから聴いてみれば、なるほど独奏フルートの音(というより、らしき音)が聴き取れ、協奏的な曲になっていることに妙味がありまして、頭の中ではさもフルート奏者がソロを吹いているイメージが湧いてもくるのですな。が、今回の演奏会のヴィジュアル・オルガンコンサートであることがいささか裏目に出まして、どうしてもオルガンを操る手元、足元の大写しが目に飛び込んでくるものですから、「やっぱりオルガンじゃん」といささか夢破られるような気にもなったのはご愛敬でありましょうか(笑)。
特に知られたいくつかの曲を除けば、何を聴いても同じように聞こえてもしまうオルガン曲でしたですが、こうして耳にする機会が増えるといささか理解が深まるような気になりつつ、堪能してまいったものでありましたよ。