さて、ライプツィヒのトーマス教会に戻ってきました。バッハゆかりの教会です。
先に見た、近くの木立にある頭だけの記念碑ではなく、立派なバッハ像が立っておりました。
バッハの像はあいにくと生まれ故郷のバッハ博物館前にあるはずのものが何故か取り払われておりましたので、
ここで見上げてみて「おお!バッハ!!」と思ったものでありますよ。ちと近寄ってみます。
このトーマス教会でカントルを務めたバッハはライプツィヒ市の音楽の元締めのような立場で大活躍…といったあたり、
向かいにありますバッハ博物館の展示に詳しいわけですけれど、こちらを訪ねるのはまた次の機会として、
まずは教会の中へと入ってみることに。
教会の歴史は古く、発掘調査では1160年頃のものと思しき基礎壁が発見されたりしているそうな。
マイセン辺境伯オットーが当時リプツィと呼ばれていたらしいライプツィヒの町に都市権を与えたころだそうで。
ちなみに「リプツィ」というのはスラブ語で「菩提樹の地」であるとWikipediaにありますように、
スラブ系の民族が住まっていたということなのですね。ゲルマン民族大移動で一旦はゲルマンの地となるも、
その後にスラブ系が進出し、さらに後はドイツ系が東方に大きく植民を進めていったのであると。
とまれ、町として自立した最初期にトーマス教会は基礎が気付かれたのですなあ。
ところで、トーマス教会といえばバッハなわけでして、
このように会堂内にある墓碑の下にはまさにバッハの遺骸が眠っている…ということなのですが、
そも遺骸はヨハネス教会という別の教会の墓地で発見されたのであると。
先にアイゼナハのバッハ博物館で、掘り出された頭骨から再現したバッハの肖像が展示されておりましたですが、
こうした科学的調査(?)が行われたのはこの時だったのでもありましょうか。
一旦は埋め戻されたようですが、第二次大戦でヨハネス教会が破壊され、トーマス教会に引っ越ししてきたのだそうです。
とまあ、かようにもバッハと関わりあるトーマス教会では礼拝の雰囲気を味わえる演奏会が開かているのですね。
オルガン、少年合唱などによる演奏と聖書の言葉の語り聞かせを織り交ぜたプログラムです。
訪ねた当日も15時からこの演奏会があり、入場待ちの列ができたほどでありましたよ。
マックス・レーガーのオルガン曲、シャインの合唱曲、バッハのモテット「来たれ、イエスよ、来たれ」BWV229などが続き
メインにはやはりバッハのカンタータ「心せよ、汝の敬神の偽りならざるかを」BWV179が演奏されて、
その天国的な響きのあまりすっかり夢見心地に…とは、単に歩き回ったあとだけにやむを得ず。
バッハ先生には失礼ながら(笑)…。
演奏中には写真撮影禁止でしたので、これは撤収風景の図。
かつてバッハが指導にあたった聖歌隊の伝統を彼らが担い、つないでいくのでありましょう。
と、改めて会堂内部に目を向けてみますと、ステンドグラスに目が留まります。
元々はもそっと単純な装飾のガラスだったらしいのですけれど、のちに装飾豊かなものに替えられたとか。
よくよく眺めやってみれば、見知った肖像を見つけることもできますね。
バッハとメンデルスゾーンは判別のつきやすいところです。
とまあ、そのようなことで目でも耳でもバッハゆかりを感じることのできたトーマス教会、
そこでの仕事ぶりのほどは後から訪ねるバッハ博物館の方で教えてもらうことにいたしましょう。