指の骨を鳴らす。っというのは、よくスポーツや武道をされる方なら、簡単にしますよね。

ヨガやストレッチをするとき、背骨、膝、股関節、肩関節、首とか、、鳴ってしまうことがあります。

日ごろの体の使い方や、思考が、身体のどこかに緊張を与え、それをヨーガ、ストレッチをすることで緊張がほぐれ、それにともない、時々、

 

ポキポキ

 

っと

 

シッダアーサナで瞑想をしていると、

私の場合、、呼吸に合わせて、背骨や頸椎が

 

ボキボキ

 

と鳴ったりします。

いつも同じところが鳴る場合もあれば、普段と違うところが鳴ったり。

 

それによって、日々の身体の使い方、心の使い方がポイントが見えたりします。

 

最近の変化では、

 

頭蓋骨が鳴るようになって。。。

 

ピンとこないかもしれませんがw

 

蝶形骨や篩骨あたりが鳴るのです。

側頭骨と蝶形骨、蝶形骨と篩骨の関節といっていいのかもしれません。

(最初、頭のなかでポキって鳴ったときはびっくりしました!w)

 

その度に、脳に圧力がかかっていたものが緩む感じです。

 

なるべく脳に力が入らないように意識していますが、自然と力が入っているのでしょう。

瞑想が深くなるに従い、全身の緊張がとれ、脳の緊張もとれてきて、関節が緩み、もとに戻ろうとし、特に固くなったところが、ポキ、ポキっと。

そして、頭蓋骨もポキ

(と思っています)

 

 

それにしても、、脳にどんだけ力入れているのか!

ン十年やってきた思考の枠がそう簡単に外せないということか!

 

と気づかされます。

 

まぁ、気づいたということは、それを解除することもできるということで、

(楽観的にw)

 

常に身体や思考を意識しながら、固くなってたら、すぐに解除しよう!と意識するようにしています。

 

最終的には、

普段から瞑想状態、、

力がかからず、、そのままエネルギーを流す、流れる儘に合わせる。。

というイメージになりたいと思っています。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

20数年も経過すると、家もそれなりにガタがきたり、汚れが蓄積したりしてしまいます。

 

トイレの手洗いトレイ?

(なんと説明したらよいんでしょうか?w)

 

トイレで用をたすと、手をあらいますが、その度に手垢や石鹸の残りかすがついて、乾燥していくわけですから、掃除が欠かせません。

 

以前はずぼらな自分が掃除をするわけでもなく、段々と水垢がこびりついてきて、普通の洗剤では落ちないほどになってしまいました。

 

まめに掃除するようになってくると、その汚れが気になってしまします。

 

強力な洗剤を使って、それもペーパータオルでじっくりつけ置きして、時間をかけて、水垢を溶かすつもりで何回か試してみました。

 

そうすると、水垢が薄いところは取れます。でも固くこびりついているところは、しっかり残っています。

逆に目立ってしまいました。。

(写真、撮っておけばよかったw)

 

なにかいい手はないかと思っていましたら、ありました!

 

前にゴルフクラブのヘッドの傷や錆と取り除くのに買った、スポンジ形のヤスリ。

クラブヘッドも綺麗に磨けましたが、便器もセラミックということで傷つくことはほとんどないだろうと、チャレンジ!

 

 

 

水垢も綺麗にとれて、新品に見違えるように!

(言い過ぎ?w)

 

水回りですと、紙やすりでは使いずらい。

スポンジ系のものだと、曲面にもフィットしたり、排水口もゴシゴシできますね。

 

まぁ、写真に撮ると フツーかな?

でも、めちゃくちゃ綺麗になったんです!w

蛇口の根本あたりや、排水口は、水垢で茶色なってました。

水垢のくすみもなく、、ピカピカ。

 

これで、トイレに入って、見た目も綺麗だし、、

用を足したら、ほんとスッキリです。

 

綺麗なトイレを維持していきたいと思ってしまう次第。

(スポンジヤスリを使わないようにね!)

 

心の世界も、同じくいつのまにか沈着したもの(癖とか、凝り固まった考え方)が出来上がってしまいますよね。

 

心も、お掃除することが必要なのではないかと、、

 

それが、メディテーションではないでしょうか?

いろいろな想念を掴んでしまって離れられないことを丹念に整理して、本来の姿を見出す。

そんなことができるのはメディテーションでしょう。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

適切な判断をするには、冷静さが必要といわれます。

 

たしかに、テンパっているとき、正しい判断をすることはなかなかできないと思います。

 

テンパっているときって、いろいろの思案がぐるぐるめぐって、考えているのか、考えていないのか、全くわからなくなりますよね。

 

そこで「えいやっ」てやるったとき、結果は???

 

実際どうなんでしょうね?

 

結果よかったり、、

 

やっぱり悪かったり。。

 

結果と結びつくのか、、科学的に証明されているのでしょうか?

 

おそらく算数とかは格段に能力低下することは間違いないでしょう。

 

でも、格闘技をしていて頭に血が上り、極限の世界で、拳と拳がすれ違うとき、その結果って、冷静さと関係あるのでしょうか?

 

格闘技の世界の強兵は、考えず、身体が勝手に動いてしまうらしい。

 

場面、場面で言葉で紡ぎ、ロジカルな思考をしようとすれば、将棋の世界でもあるように、何万通り、いや、何兆通りのパターンの創出と共に最善の一手を打つことを心がけれる。

 

AIがあれば、そこを補助してくれるかもですがw

 

それでも頭のなかはぐるぐる。CPU100%使って考え、結果は100%正解とはいえない。

 

結果も勝つときもあれば負けるときもある。

 

過去、それなりに修羅場なり、危機的な状況においこまれたりしたときことはありました。

 

その時、冷静でいられたか?

 

Gordon JohnsonによるPixabayからの画像

 

日々の生活の中でも、

 

その時々に判断をせざるを得ない状況もありながら、それまた冷静だったのか?

 

改めて考えてみるに、、

 

冷静さ、って何だろう?

 

と思う次第。

 

おそらく、その場では冷静に判断したと思ったとしても、振り返ってみれば、冷静さに欠けていたと思えることは屡々。

 

この頭の中の思考とは、その時々によって、変わってくる。

冷静さを保持するのにロジカルに考えるのがよいと言われています。

(そう、教育されていたと思います)

 

ロジカルに考えれば、世界が見える?

ロジカルに考えれば、正解が見える?

ロジカルに考えれば、自分はちっぽけな存在にすぎないとわかる?

ロジカルに考えれば、恐怖にしばられている自分がいる?

ロジカルに考えれば、成功する方法がわかる?

沢山の情報(知識)とロジカルな思考があれば、世の中わたっていける?

 

実は、そこには冷静さということは何ら加味されていません。

また、その結果は正解というものを与えてくれるのでしょうか?

ネガティブな結果を導くこともあれば、ポジティブな結果を導くことがあるだけです。

そこにまたバイアスがかかっているかもしれません。

 

むしろ、その背後にあるもの。

 

ロジカルに考えることを強制され、

ロジカル思考が前提、それが正解を導く正しい様式であると、

 

本当なのでしょうか?

 

いまは、ロジカル思考のパワープレーゲームの中にどっぷりつかって、皆が、知力、体力をつかった、総合戦てきな様相になってきていますね。

ロジカルにて競争や正誤を判断している状況では、自ずとゼロサム。。

 

その中にいることが果たしていいのでしょうか?

 

生活する上では、どっぷりとはいかなくてもつながっている必要はあるかもしれません。

しかし、この思考の枠に嵌ったままでは、ほんとほとんどの人々が窒息している状況に陥るような気がします。

 

冷静さということは、いいことかもしれませんが、

結果を良い方向に導くこととイコールとは言い切れません。

 

むしろ、冷静さが必要というロジカル思考を一旦取り払うことが必要なのかもしれません。

 

まだまだ、日々、襲い掛かる様々な状況において、ふと思ったことでした。

 

Don't thik it, Feel it.

 

 

すぐに結論でないこと、そこに思考を飛ばしても、堂々巡り。

それより、いま、ここにいる自分に何ら影響はないこと。

むしろ、ここに自分が存在していることが幸せであると思うこと。

 

 

最後まで、読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

メディテーションを継続してやっていると、

身体のあちこちで気になるところが出てきます。

 

がちがちに凝っているところ、

突っ張るところ、

力がはいらないところ、

 

気になるところが出てきて、それを都度、柔らかくしたり、ほぐしたり。

 

自分は、肩の古傷から、首、肩が固く、

眼も眼鏡かけているのもあるが、力んでいることがわかるようになり

それらろ解す。

 

 

 

すると、眼底骨付近が脳を支えているのだが、そこがまた、固くなっていることを気づき、それを柔らかくなるようにして、、

 

と繰り返しています。

解しても、やはり生活をしていると、

また、固くなったりしますので、

解し続けます。

 

次第に、気づきやすくなるし、解しを意識すれば、解けやすくなってきます。

 

このところ、肩の力がぬけてきて、心なしか、姿勢はまっすぐになってきているようです。

 

だって、そのほうが首から肩にかけて楽なんですから、、

 

自然に、腰も立ってきます。

 

背筋が伸びたかんじで、

 

メディテーションもスタートから早く一定の心の状態に持っていくことができるようになっています。

 

で、今度は、骨盤から脚にかけて、違和感が出始めました。。。

 

股関節、膝関節、踝と

身体を支えるすべての関節に違和感を感じます。

 

特に歩くとき、、

 

筋肉も、なにか心もとない。

 

最初は運動不足もあるかと思いましたが、

ほかはなにも変なところはないのです。

 

で、想ったのが、

姿勢が変わり、

立ち姿も、伸びたような感じ。

 

どうやら荷重がかかる位置が変わり、各関節で加重支持している部位が若干ずれたことが大きいようです。

同じく、筋肉も併せて、荷重を支える筋肉部位も変わり、その筋力がまだ十分対応しきれていないと思われます。

 

関節部位、筋肉ともに再構築していくのが、当面の作業となるようです。

 

メディテーションは進んでいると思いますが、

それを支える肉体も併せて、調整、再構築が必要のようです。

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

真言密教の大本となる経典

「理趣経」

 

 

 

 

すごくわかりやすく説明されている本かと思います。

弘法大師空海が広めた真言宗。

空海自身、解脱し、その真理を広めようとした。

その根本の教義がこの理趣経といわれます。

https://discoverjapan-web.com/article/31151

曼荼羅は皆様もごらんになったことがあるでしょう。

最近では大谷翔平君がマンダラをチャート化し、願望実現のためのツールとしてつかっているという話があります。

もともと、宇宙の真理を図化したもので、大日如来を中心に、多くの如来、菩薩が描かれています。

その意図するところは、四方に大日如来の分身が生まれ、それぞれの役割をさらに、分身となり、その連鎖が宇宙を構成していることを表現しています。

 

その曼荼羅の図柄はそのまま、解脱にいたるためのステップを表示しているものとも説明しています。

 

そして、理趣経は、その解脱にいたるまでのトレーニングステップを解説しているもので、それぞれのステップを経ることで、解脱できるというものです。

 

状況によっては一旦元にに戻ることもあります。

 

しかし、継続していくことで、必ずや、ステップは上がり、最終的に大日如来と融合し、解脱に至る。

 

そこには、それぞれのステップ毎に菩薩・如来がいらっしゃり、ご加護していただける。

 

 

本人が帰依し、その菩薩・如来に導かれるように、ステップを順序にあわせていくことが肝要である。

 

としています。

 

最近多くある、スピリット系のアセンションや、解脱のススメについて考察する上で、

例えば、

ハイヤーセルフと会話する、

宇宙とつながる・一体となることを目指す、

スピリチャルガイドとつながり、導かれる、

意識の変革(脱構築、再構築)を行うトレーニング、

社会に存在するマインドコントロールから脱出する、

守護霊とつながる、

守護神とつながる、

様々な表現で、様々な人が提案したり、自分自身の体験を語られています。

 

いろいろな方が、自分自身の言葉やあるいは先人の言葉をお借りしながら説明(主張)し、解脱にいたるカリキュラムをご提案しています。
 
ヨーガにも解脱にいたるステップがあります。
仏教もインドから発生しているというところでは同様の源流であり、理趣経に語られているようにトレーニングステップとともに解脱を目指すための指針を提示しているもののと理解すると、現在の様々な提案は、根本的には古くからある、ヨーガや、仏教の世界のなかの目指す方向性や世界は、同じではないのかと思うようになっています。

ただ、時代が変わり、説明の仕方がかわり、現代の人々、人類に響きやすいように表現が変わったという印象です。(あとは、昔より効率よく解脱に至れることを強調される傾向があると感じています。)
 
キーとなる数字が「4」である
最近のトレンドはキーワードが「3」であるのでややその構成的に違いの解釈に深く考える必要はあるかと自分では思っています。
とはいえ、曼荼羅は
3×4
で構成されているので、3も重要な数字には違いありません。
 
東西南北「4」を意識するところは通常世界を感じるうえで必要なベクトルともいえますので、「4」も重要な要素にも思います。
 
 
西洋でも錬金術は、同じようにある種解脱するためのテクニックでありトレーニングメソッドであるという説もあります。
 
どの世界、文明にも、それぞれ、人類は、解脱を目指す人々がいて、それぞれの手法を編み出し、それを後世に伝えてきていて、それぞれが、またさらに解釈・工夫して、より効果的な解脱方法、真の世界観を目指しているのが、この世の中というものなんでしょうね。
 
一度、自分自身の立ち位置を確認する上で、古人の知恵をおさらいするのもよいかと思います。一読の価値はあります。
(CD付なので、お経を聴くのもよいでしょう。)