適切な判断をするには、冷静さが必要といわれます。
たしかに、テンパっているとき、正しい判断をすることはなかなかできないと思います。
テンパっているときって、いろいろの思案がぐるぐるめぐって、考えているのか、考えていないのか、全くわからなくなりますよね。
そこで「えいやっ」てやるったとき、結果は???
実際どうなんでしょうね?
結果よかったり、、
やっぱり悪かったり。。
結果と結びつくのか、、科学的に証明されているのでしょうか?
おそらく算数とかは格段に能力低下することは間違いないでしょう。
でも、格闘技をしていて頭に血が上り、極限の世界で、拳と拳がすれ違うとき、その結果って、冷静さと関係あるのでしょうか?
格闘技の世界の強兵は、考えず、身体が勝手に動いてしまうらしい。
場面、場面で言葉で紡ぎ、ロジカルな思考をしようとすれば、将棋の世界でもあるように、何万通り、いや、何兆通りのパターンの創出と共に最善の一手を打つことを心がけれる。
AIがあれば、そこを補助してくれるかもですがw
それでも頭のなかはぐるぐる。CPU100%使って考え、結果は100%正解とはいえない。
結果も勝つときもあれば負けるときもある。
過去、それなりに修羅場なり、危機的な状況においこまれたりしたときことはありました。
その時、冷静でいられたか?
Gordon JohnsonによるPixabayからの画像
日々の生活の中でも、
その時々に判断をせざるを得ない状況もありながら、それまた冷静だったのか?
改めて考えてみるに、、
冷静さ、って何だろう?
と思う次第。
おそらく、その場では冷静に判断したと思ったとしても、振り返ってみれば、冷静さに欠けていたと思えることは屡々。
この頭の中の思考とは、その時々によって、変わってくる。
冷静さを保持するのにロジカルに考えるのがよいと言われています。
(そう、教育されていたと思います)
ロジカルに考えれば、世界が見える?
ロジカルに考えれば、正解が見える?
ロジカルに考えれば、自分はちっぽけな存在にすぎないとわかる?
ロジカルに考えれば、恐怖にしばられている自分がいる?
ロジカルに考えれば、成功する方法がわかる?
沢山の情報(知識)とロジカルな思考があれば、世の中わたっていける?
実は、そこには冷静さということは何ら加味されていません。
また、その結果は正解というものを与えてくれるのでしょうか?
ネガティブな結果を導くこともあれば、ポジティブな結果を導くことがあるだけです。
そこにまたバイアスがかかっているかもしれません。
むしろ、その背後にあるもの。
ロジカルに考えることを強制され、
ロジカル思考が前提、それが正解を導く正しい様式であると、
本当なのでしょうか?
いまは、ロジカル思考のパワープレーゲームの中にどっぷりつかって、皆が、知力、体力をつかった、総合戦てきな様相になってきていますね。
ロジカルにて競争や正誤を判断している状況では、自ずとゼロサム。。
その中にいることが果たしていいのでしょうか?
生活する上では、どっぷりとはいかなくてもつながっている必要はあるかもしれません。
しかし、この思考の枠に嵌ったままでは、ほんとほとんどの人々が窒息している状況に陥るような気がします。
冷静さということは、いいことかもしれませんが、
結果を良い方向に導くこととイコールとは言い切れません。
むしろ、冷静さが必要というロジカル思考を一旦取り払うことが必要なのかもしれません。
まだまだ、日々、襲い掛かる様々な状況において、ふと思ったことでした。
Don't thik it, Feel it.
すぐに結論でないこと、そこに思考を飛ばしても、堂々巡り。
それより、いま、ここにいる自分に何ら影響はないこと。
むしろ、ここに自分が存在していることが幸せであると思うこと。
最後まで、読んでいただきありがとうございました。