アメリカのフロリダ州タンパより;


末期の皮膚がん(メラノーマ)のため、余命1年の宣告を受けた女性が、4年後に雑誌の懸賞に当選、10万ドルのドリームウェディング。


競争率はなんと4万倍、今年9月に結婚式を挙げる予定。


婚約者とは、余命宣告のあった1年後以降に出会ったという。


またファーストネームがコートニーで、夫になる人のラストネームがコートニー。


1千万円を超える超豪華ウェディングで、コートニー・コートニー新婦が誕生する。


まさに、ウェディンGOOD!


これを偶然と呼ぶにはあまりにも…、言葉が見つからなくて…、崇高とでも言おうか。


こんなことが実際にあるんだ。


あきらめないこと、希望を持つことがいかに大切かを教えてくれる彼女、今は33歳だが、余命1年宣告は29歳くらいのはず。


そのときはどんな気持ちだったろう。


パンドラの箱に最後に残ったものは「希望」だったと言う。

だから人間は希望を捨てないで生きられるとも言う。

(たった)3日間(しかない)洞爺湖サミットが終わりました。

まずは、福田首相に、
「お疲れさまでした。ありがとうございました。」
と言いたいと思います。

誰も言っていないだろうから。

成果がどうの、利害がどうの言う前に、あんな国際会議を議長国として仕切るのが、どれだけたいへんかを考えるべきだと思います。

時間に対するメンタリティひとつ違う人々を集めて、しかも総理になって日も浅い福田さんが、アメリカから一定の譲歩を引き出し、最終的に宣言として発表できたというのは、偉業だと思います。

そりゃ実際比べたら、もっとどでかい成果というものはあるでしょうが、本来比べるものでもないでしょう。

洞爺湖での開催を決めた阿部首相の時には、このサミットがここまで重要になるとは誰も予想しなかったでしょう。

サブプライムに端を発した経済の混乱から、食糧危機、地球温暖化まで、ありとあらゆる問題が人類に試練を与えようとしているかのように降ってきた2008年。

このサミットが日本で開催された意味は非常に大きいと思います。

でもひとまずは、福田さんとウィンザーホテル、全国から借り出された2万人を超える警察官の方々に、
「よくやった!エライ!」
韓国との間で長年懸案となっている、竹島をめぐる領土問題で、「竹島は日本固有の領土」という表現に対する見直しが始まっています。

もともとは、中学校の学習指導要領の解説書に日本の領土と明記する方針を文科省が固めたことに端を発する問題。

サミット会場近くの札幌でも日本の高村外相と韓国の柳明桓(ユ・ミョンファン)外交通商相の会談で問題になっています。
高村氏は「まだ決まっていない」と結論を避けたようですが。

韓国側への配慮は当然必要だし、未解決の問題に対して先走った記述をするのはよくないと思います。
解決済みとかという表現で既成事実として譲らない、数々の隣国と同じレベルに堕してしまっているのは、文科省のレベルを疑うところです。

ただ私が気になるのは、誰が主役かということです。

中学校の学習指導要領というのは、誰が主役なんでしょうか。
文科省?韓国?

中学生でしょう。

中学生が読んでどう思うか。
中学生に何を教えるべきなのか。
それをまず考えたら、おのずと解決策は見えてくると思うのですが。

官僚主導で問題になるものって、いつも主役不在の感がありますね。
後期高齢者、年金、消費税、暫定税率

いったい誰が主役なのでしょうか。

中学生でもニュースは見ているでしょう。
新聞だって読んでいる、いろんな人と話もしている。

教科書に書いてあることが全部真実だとは思っていないでしょう。
また、教科書がすべてではない、と教えるのも教育の義務だと思います。

主役不在というのは、
「どうせ国民には考える力がないんだから」
という軽蔑が底流にある気がするんですね。

「人に迷惑をかけるな」
と教えられて育った子供たちが、ニートになって本当に迷惑かけてないという事例を見るに、教育には可能性と多様性が必要なんだと思います。

「当然かもしれない…」


そんな感じを受けました。


日本の世界遺産は14あって、それぞれがすばらしいものだと思います。
法隆寺、姫路城、屋久島、白神山地を筆頭に、原爆ドーム、日光、知床など、どれも名だたる文化・自然遺産でしょう。


平泉と言えば、源義経と弁慶の話や、国宝の中尊寺金色堂など、確かに決して見劣りのするものではないかもしれませんが、
記事や、偶然ラジオで聞いた関係者の話では、
「仕方ないだろうなあ」
と思ったのでした。


主な落選(というか見送り)の理由は、普遍的価値の証明が不十分ということですね。
これはとりもなおさず、プレゼンテーションが下手だったということです。


たぶん、平泉自体に価値がないのではなく、その価値をプレゼンできなかったということでしょう。

ラジオで話していた関係者の肩書きなどは忘れましたが、結構中心的な役割のような人でした。
でもそれが私でも、
「ああ、この人ではだめだ」
と思うくらいだから、相当ひどかったと思います。


浄土思想というのが、価値訴求の中心的テーマだったようですが、平泉イコール浄土思想という発想には無理があるでしょう。
少なくとも私は歴史で両者の密接さは習っていません。


ひと言で言えば、相手がどう考えるかを無視して、自分の視野だけで勝負した結果が惨敗、ということでしょう。

ユネスコ(国連教育・科学・文化機関、という名前だったとは知りませんでした)世界遺産委員会が、何をポイントに審査をするか、想定せずに手前味噌を並べた上にフォーカスがなかった、これが敗因でしょう。


物を売る仕事にもよく言われることですが、相手が何を望んでいるかが重要なのであって、自分の売りたいものがどれだけいいものかを並べ立てても売れるものではないでしょう。


でも、11年にはまたチャンスがあるそうで、そのときにはちゃんとしたプレゼンテーションをしてほしいものですね。


私も訪れたことがありますが、特に金色堂はすばらしい芸術だと思います。
圧倒された覚えがあります。


先進国というのは、独立性とバランスが必要だと思います。

たとえば三権分立、民主党が望んでいるのも、日銀総裁人事の、財金分離。

各々が独立していて、よいバランスを保っているのが、先進国だと思うのです。

それが平和というものだと思うのです。

政教分離ももちろん、軍と政治の分離も必要ですね。

パリで聖火リレーが妨害に遭い、中断やバスでの移動、何度かは聖火が消されたりという騒ぎになっています。

これは本当に悲しいことですね。

サルコジ大統領が、開会式不参加を表明するなど、かなり中国政府に抗議の色を出していることから、その波紋が広がっているのでしょうが、本来、オリンピックがそんなものでよいのでしょうか。

政治とスポーツを混同するのが、本当に先進国の人々のすることでしょうか。

チベットの暴動は、中国の強硬姿勢があるように、報道からは見受けられます。

でも中国に対する抗議を、政治・外交の世界ではなく、スポーツを引き合いに出すのは、あまりほめられたやり方ではないと思います。

確かに中国は、国家の威信をかけて北京オリンピックを成功させようと思っているでしょう。

言ってみれば、中国政府の弱みがそこにあるのかもしれません。

その鼻先にボイコットをちらつかせて、揺さぶりをかけるというのがどうにも賛成できないのです。

オリンピックは、4年に一度しかありません。

そしていうまでもなく、スポーツの世界一を競う、すばらしい祭典なのです。

サルコジ大統領の子供が、オリンピック選手だったら、彼は開会式欠席を表明したでしょうか。

私の子供が、あと数ヶ月に迫ったオリンピック代表選手に選ばれていたら、日本政府がボイコットすることを望むでしょうか。

そしてさらに、私たちの国の代表である彼らが、4年という長い年月に及ぶ努力を重ねて、やっとつかんだ夢をあきらめなければならないかもしれないとしたら。

代表選手たちは、どんなにいたたまれない思いで、チベットの暴動を見ているでしょうか。

政治というのはもちろん、いろいろなステークホルダーの利害を調整する必要があるので、きれいごとばかりも言っていられないでしょう。

でも、政治家とは、自分を選んでくれた人々の気持ちも代表しているのではないでしょうか。

世界中の人々が楽しみにしている、待ち望んでいる、中には命をかけているオリンピックを、ぜひとも成功させてほしい思います。

城下町けんぞう

92年前に戦場から出したハガキ、ようやく配達 英国

2007.02.27  Web posted at: 20:59 JST  - CNN/AP

第一次世界大戦中に、戦場から無事を知らせるため恋人に送ったハガキが92年ぶりに見つかり、ようやく届けられるという出来事が、英国で起こった。しかし、送り主も受取人も、すでに亡くなっており、実際に受け取ったのは2人の娘だった。

一兵士だったウォルター・バトラーさんは1915年、ロンドンの西約100キロのウィルトシャーで暮らす当時の恋人エイミー・ヒックスさん宛てに、無事を知らせるハガキを書き送った。

しかし、このハガキは届いていなかった。

92年がたってから、郵便局でハガキが見つかり、ヒックスさんが暮らしていた近くに配送された。

当然のことながら、ヒックスさんはすでに亡き人。

そのため、ハガキは2人の娘ジョイス・ハルバートさん(86)の元へ届けられた。

3人の孫があるというハルバートさんは、両親が戦時のことはほとんど話していなかったと回想。「少し遅すぎたと思う。ハガキが92年たってから届くっていうことより、世の中にはもっと興味深いことがたくさんある」と、届いたハガキはあまり意味がないと述べた。

んともロマンのない結末であって、娘のジョイスという人は、もう少しましなコメントが言えないものなのだろうか。
とは言え、手紙がブームなのは、アカデミー作品賞「硫黄島からの手紙」のアメリカだけなのであろうか。

92年という時を経て、宛先に届けるという、言ってみれば偉業をなしとげたイギリス(は国営なのか、すでに民営化されているのか知らないが)の郵便局を称えるどころか、もっと興味深いことがたくさんある、という陳腐なコメントしか残せない人は、失礼だが少し心が貧しいのではないかと思ってしまう。

やっぱりイギリス人だな、というのはあまりにも偏見に満ちているだろうが。

手紙で思い出す映画といえば、「硫黄島…」はもちろん、「ポストマン」「メッセージ・イン・ア・ボトル」そして「バック・トウ・ザ・フューチャー・パートⅡ」

ケビン・コスナーの出ている映画が2本もある。
「ポストマン」は最悪の映画だった。
特に予告編にも再三出ていたあのシーン、子供が掲げる手紙を馬で走ってきたケビンが、さっとつかみ上げるシーン。噴飯ものなのが(久しぶりにこの表現を使うほど、なんか古臭い)このシーン、もちろん映画の中で、後に銅像になっていたのである。

誰が見ていたんだろうか。それが気になる。

そういえば、「ナイロビの蜂」に変なシーンがあった。

部屋でレイチェル・ワイズと話しているダニー・ヒューストン、クリケットのスティック(と呼ぶのだろうか)にグリップテープをくるくる巻いている。
カットの後でアングルが変わると、巻いていたテープがかなり後退してしている。つまり、何周か戻っているのである。

こんなところが気になるのは、細かすぎる私の欠点なのかもしれないが、「ライオンキング」で花びらで「SEX」と書いてあるのよりは見つけやすい。

1888年の西部から書いたドク・ブラウンの手紙を、どしゃぶりの雨の中、1955年のマーティに届けたアメリカ郵便の人はたいしたものであった。

手紙が届くというのは、当たり前のようで、実はたいへんなことなのではないかと思う。
いまやEメールで当たり前になってしまったが、ここ数年に比べると、途方もない時間にわたって手紙に頼っていた人間のコミュニケーションなのである。

逆に言うと、手紙文化とはEメールなどよりもずっと定着した文化であって、忘れてはいけないと思う。
特に1日1000字書くと脳に良いといわれているが、手書きというものを忘れてはいけないのだろう。

ただ、いまだに不思議なのが、Eメールには、何月何日何時何分何秒に送信、という指定ができない(あるいは私が知らないだけ?)ことで、時々不便を感じることがある。

さらに、最大の欠点は、Eメールでは一度けんかすると仲直りできないことである。

城下町けんぞう



ノルウェーの首都オスロ近郊の刑務所がこのほど、受刑者の情緒を安定させるため導入したヨガ教室を中止することにした。

ヨガを実践した受刑者が、期待された効果とは反対に、よりイライラして攻撃的になってしまったからだという。

地元紙によると、重要犯罪人を収容する刑務所で今年初め、受刑者の精神面を考慮し、試験的にヨガ教室が開講、8人が参加。

しかし、ヨガのレッスンを受けた受講者が、イライラして攻撃的になったほか、数人が不眠を訴えた。このため、ヨガ教室を中止することにしたという。

刑務所所長は、ヨガの呼吸法で受刑者の「心理的な壁」が消えたため、より攻撃的になったのではないかと推測している。

○○○ コメント ○○○

ああ、そうなんだ。

そりゃたいへんだ。

ヨガをやると攻撃的になるのか。いままで抱いていたイメージと正反対である。

まあ、刑務所という特殊な環境の中での話なので、一般論として、ヨガをやると攻撃的になるとは言えないけれど、なかなか示唆に富んだ話である。

この報道を読む限りでは、ヨガ導入後どれくらいの期間で、何%がどのように攻撃的になったのかは知る由もないが、即刻中止すべきほど顕著だったのか、もっと続ければ収まったのか、是非とも知りたいところである。

私の通っているスポーツクラブでは、毎週火曜日が「ヨガナイト」。

今流行っている「ピラティス」を始め、4つのプログラムが行われる。

私も普通のヨガに参加したことがあるが、あれで攻撃性が高まるとは間違っても思えないようなものだった。

もっと難しいと思っていたら、意外にそうでもなかったし。

刑務所の所長が言うように、呼吸法が心理的な影響を持っているのであれば、なおさら興味深い。

もっとヨガに積極的に参加しようと決めた私である。

  

城下町けんぞう

外国語辞書を出版するドイツのランゲンシャイト社がこのほど、男女間のコミュニケーションをより円滑なものにするため、男性の言葉の真意を「訳す」辞書を発売した。

ランゲンシャイト社によると、男性は日常生活で、女性の半分程度しか言葉を発さない。そのため、男女間で理解しあうことが困難になるのを防ぐため、辞書の発売を思いついた、としている。

辞書の中では、カップルで買い物に出掛けた時、男性が「それ似合わないよ」と言うのは、「高すぎる」という意味、と指摘。

逆に「それ買いなよ」というのは、「もう帰りたい」という催促、などと紹介している。

このほか、「太って、醜くなっても、愛してくれる?」や「どうして私を好きなの?」、「今、何考えているの」などという質問は、決して男性にしてはならないと主張。

これらの質問は男性にとっては、理解不可能だからとも述べている。

共同著者の女性、スザンネ・フレーリッヒさんは、この辞書が、男女間のコミュニケーション不足を補うことになればいいとコメント。

ドイツではコミュニケーション不足が、離婚の原因で6番目に多いという。

フレーリッヒさん自身は、幸せな結婚生活を送っている、という。

ランゲンシャイト社は昨年、男性コメディアンが共同執筆に当たった「女性の真意を訳する辞書」を発売、好評を得ていた。

○○○ コメント ○○○

同じ言葉を使っているようでも、男女間ではかなり違うものである。

それには、生物学的な原因があるそうだ。

女性の場合には、自我と社会の間に肉体が介在するという精神構造をして。これに対して男性の場合には、肉体が介在しない。

「ファルス」というと、心理学的に言う男根を表すのだが、同時に、意味のあるものという意味も持っている。

だからと言って、ファルスのない女性の言うことはすべて意味がないとは言っていないので、誤解のないように。

それにしても良いところに目をつけたもので、こんな辞書が日本語でもあれば、私自身買いたいと思う。

とにかく女性の言うことは理解しにくいものである。

  

城下町けんぞう

英首相府は26日、ブレア首相が過去2年間、賓客のもてなしのため費やした支出は45万3000ドル相当で、テレビ出演などに備え「美顔」の専門家に支払った額は過去6年で3202ドル相当との数字を公表した。AP通信が報じた。


議会で野党・保守党のメンバーの質問に文書で回答した。1999年以降、化粧品の支出額は1826ドル。商品名などには触れなかった。賓客は首相官邸を訪れた外国人指導者らが含まれる。


○○○ コメント ○○○


最近、アイルランドのアハーン首相や、イタリアのベルルスコーニ首相のメークアップの記事があったが、イギリスでも(私は当然だと思うけれど)報道されていた。

http://ameblo.jp/jokamachi/entry-c64a1d736aa60f913e51360149fd5f0a.html


アイルランドのアハーン首相の、年間370万円に比べて、ブレア首相は6年で30万円強、桁違いである。

年間5万円程度だと、日本の一般女性でも足りないのではないか。


「一国の首相ならもっと金をかけろよ」

と言いたい。


ところで、最近クールビズの小泉首相はどれくらいかけているのだろうか。

郵政民営化に解散、造反と、メークどころではないだろうか。

息子とキャッチボールもしていないようだし。


法案で忙しすぎて、6か国協議なんて興味ないみたいだし。

いっそのこと、8月15日に靖国神社に参詣するという離れ業をやってくれないものだろうか。


つくづく考えてみると、なぜ男性は化粧をしないのだろうか。

なにかのドラマで、

「男の社会的地位は、女の化粧と同じ」

というセリフがあった。


私が以前よく言っていたのは、

「男のズボンのチャックは、女のバッグの口と同じ」


世界の、主に少数民族には、男性が化粧をするところも多い。

なのにどうしてほとんどの国では化粧をしなくなったのだろうか。


化粧をする理由が見当たらないと言えば見当たらないが、しない理由も分からない。

確かに面倒くさいものではあるが。

  

城下町けんぞう

ウガンダの地元紙は20日、国会議員のひとりが、地元選挙区の性体験のない少女には大学の学費を肩代わりすることにしたと伝えた。

アフリカのエイズまん延が深刻化するなか、責任ある行動を若者に促すと同時に、若い女性の教育を促進するためという。

ニュービジョン紙によると、バーレ郡選出のスレイマン・マダダ議員は「カユンガ地区出身で、性体験のない女子生徒に限り」、学費を肩代わりするつもりだとして、参加者を募った。

参加希望者は産婦人科の検査を受ける必要があるという。

性体験がなくても、男子生徒は対象にならない模様。

報道によるとマダダ議員は、「若いうちから、予防措置をとらないまま性経験をもつことがいかに危険か、子供たちは知る必要がある」と述べ、若者に責任ある生活をするよう呼びかけるほか、保護者に対しても、エイズなど性感染症の危険について子供に教えるよう呼びかけた。

ウガンダは1990年代当初、地区によってはHIV感染率が3割に達するなど、世界的なエイズ禍の中心地とされていたが、その後は政府の啓蒙活動などによって、感染率は6%前後にまで低下した。

人口30万人の中部カユンガは国内でもHIV感染率が高く、住民の8割以上が少なくとも近親者1人をエイズで亡くしているという調査結果もある。

○○○ コメント ○○○

先月、05年6月に、12番目の妻を決めたというスワジランドの独裁者 もいるが、同じアフリカでもこの、マダダ議員はすばらしい行いをしている。

スワジランドでは、40%がHIV感染者で、平均寿命が40歳に満たないというデータもある。

このウガンダでも、地区によっては30%も感染者がいたと言うから、まさに暗黒の国だったわけだ。

それでもやればできるのであって、今は5%(まだまだ多いが)にまで減っている。

ウガンダには、イディ・アミンという有名な独裁者がいた。

あだ名は”食人大統領”、極めて残酷な独裁者である。

故チャールズ・ブロンソンも出演していた「特攻サンダーボルト作戦」という映画がある。


'76年6月27日、実際に起きた大量人質ハイジャック事件から、7月4日、ウガンダのエンテベ空港、イスラエル軍特殊部隊による電撃救出作戦までをを克明に描いた大作である。

このときにアミンという男が、ウガンダの大統領だった。

こいつは人の命を何とも思わない、本物の独裁者だった。虐殺した国民は30万人とも40万人とも言われる。

しかも、驚いたことに、2003年、ついこの間まで生きていたのだ。

「憎まれっ子世にはばかる」の代表選手だ。

そのウガンダにも、このような心ある議員がいて、国民の教育レベルを上げようとしている。

非常にゆっくりではあるが、アフリカだって向上していくことだろう。


中国があれほどけ成長することを、資源や環境、食糧問題などで歓迎しない人も多いが、まさにアフリカは、繁栄から取り残されている。

それが地球のためかもしれないが、アフリカ人のためでないことは確かだ。


別に自然の中で生きることが未開だといっているのではない。

病気や災害、自然環境のあらゆる危険から、身を守る術が極めて少ないというのは、同じ人間という観点で見ると、やはり気の毒だと思う。

だからと言って、夢のエネルギーはなく、食料も有限、環境も脆い。

今のところ、しばらくは私にできることはなさそうである。それもまた悔しい気がするけれど。

  

城下町けんぞう