ダイモス中井三郎氏ロングインタビュー その3
(パラダイス時代のメカギドラ、キングギドラについて)
-HJでは予定価格も出ていました
生産となると無理やった。キングギドラは型屋まで出向いたんやけどね。
型代が馬鹿高くなりすぎる。で、2つはポシャッた。あんだけデカクなると難しい。
―某社キングギドラについて
動くチャンネル数多すぎてな。首がな。バンダイのリアルアクション的なものやったらいけたんだろうけど「首をくねらす」という点を俺は譲れなかった。
そもそもは俺が作ったワイヤー制御のギドラ※。あれを見たみたいで、「やれる」と(笑)。で、俺のところ来たんで、ワイヤーによる首の稼働構造を教えた。でも金額的に難しかったみたいやね。試作品は完成してたらしいけどな。
※海洋堂アートプラ大賞にて発表された巨大モデル
首、羽のワイヤー制御による操作が可能だった。
首1本に尽き上下左右に4本のワイヤーが通っていたという。
―リアルホビーのコンセプトは中井氏の作品群に近いものがあります
ムクやもんな、アレ(笑)。針金入れても戻るやろう。
でも発売当時は感動したね。ゴム使ってたのみて、俺らがやってたことに近いし。
当時としては、凄い出来やったと思う。
―ラテックス造形について
当時、経年劣化についてよく聞かれた。ただ、うちに当時(86年)のサイクロプス置いてあるんやけど、撮影やら何やら、結構過酷な状況やったけど、大丈夫。
ガラスケースに入れて置いてくれてたら(中井氏の作品は)今のところは大丈夫ってことやな。気候とか地域にもよるけどな。
例えば、2mのゴジラのスーツを50cmサイズに縮小すると、同時にゴジラの皮膚は薄くなるわな。それも再現したら、薄い被膜の下のスポンジの感触がリアルになるわけや。
ただ、それはやっぱり(後々に)破れてくるわな。だから、人に譲った奴はゴムを3倍くらいに厚くしたやつやね。自分では(破れたときに)直せんやろうから。
厚ければ、厚いほど“持ち”はよくなる。
ラテで作って成功というのはやっぱりヘッドモデルやね。シンジェノアとかギルマンとか。
―ガレージキットに対するスタンス
海洋堂にしてもボークスにしても、そもそものスタンスが可動と違うからね。
だから、俺のスタンスとは違うよね。(ポーズを)一発で決めてしまういうのが、俺は嫌やってん。ガメラ※とかいろいろ俺もやってみたけど、やっぱり「これをラテックスでやったらどうなったやろ」とか考えてたな。
あの没ったメカギドラ、もう一回ラテでやりたいね。
東宝と同じこと、つまり生ギドラの上に装甲を嵌める、そういうの。パラダイスのやつも一部の奴しか見てないやろうし。展示だけでもやりたいね。
※ガメラ パラダイス作品
ダイモス中井三郎氏ロングインタビュー その2
―バスコークからラテックスへ
ある日、ラテックスが小分けして手に入ると聞いてん。ということは、原型作って型を取れる。
その1号が、自分(猫族)の好きな84な。あれが一発目。4か月から半年くらいかかったかなぁ。
↑モノリス広告にて発表されたコンテスト結果。
地図のイラストもまた、懐かしい。
で、丁度モノリスが造型コンテストをやってると。俺のやってることとはスタンスが違うと思っていたんだけど、締め切りの何日か前に電話入れると、「是非に持ってきてくれ」と。それが締め切りの2日前か。で、作品群の中に村上のゴジラ、サンダとガイラがあったわけね。で、「卑怯ですわ、最後にこんなん」と(笑)
で、優勝したんやけど、次選の村上から連絡を取りたいと言ってきて。
「実は僕等ダイモスいうのやってます。入ってくれませんか」と。
―ダイモス結成
直ぐにかな。モノリスで個展やった。
その後、京都に本拠地を変えたわけよ。「ムー帝国」いう店があってん。
その店はアンティックトイやらガレージキットを取り扱っててね。
で、店長の願いで一品モノ「ガイガン」作ってくれと。
その時に初めてガイガン観たんやけど(笑)、ビデオで。「恰好ええやん、こいつ」ってなってね。で、80cmフル稼働で造った。
で、そうこうしているうちに、ほんとは俺、洋モノ(ハウゼン)志向でね。ギルマン、サイクロプスを作りだした。だいたいゴジラは井上のおっさんがおったしね。85,6年か。その頃は村上も本職あったし、実質ダイモスは何年間か俺一人でやってた。で、関東でも名前が売れていって。
ただ、個人依頼される度に、ちょっと疲れてきた。
(アーマチュアを)一から組み直しやろ。ポンと複製するわけにいかんしな。
一個作るたびに三週間とかかかる。そっちに取り掛かっていたら、新作が出来ん…。
ちょっとしんどいな、と。
その3へ
ダイモス中井三郎氏ロングインタビュー その1
―怪獣への興味
俺らの頃ってのは、誰でも怪獣見てるわな。俺が最初に連れて行ってもらったのは、「バラン」あの辺の記憶が残ってるわけやな。怖かった。本格的に怪獣に目覚めたいうのが「ウルトラQ」。
―初造型作品は
小学校三年か4年のころやったかな。他の学校から転校してきたやつが、お椀を合わせたようなやつを持ってきたんや。それを割ったら中からガラモンが出てきたわけ。スポンジで作ったリアルな。
その頃言うたらマルサンのとかしかなくて。それが超リアルなんや。それで俺が「どうしたん、これ」言うて。いっぺんに俺はそいつの虜になってしもうて、弟子入りしたわけや。そして家行って、30cmくらいのスポンジシートと、作り方を教えてもらって。当時車のシートとかに使われてた紅色のスポンジやった。
で、第一作が、バルゴン作ってん。バルゴンやってた頃やから、バルゴン好きやったから。
それがダイモスの原形なわけやな。「動く」いうね。歯は櫛を折って歯にしてん。リアル志向だったわけ。
―造型再開のきっかけ
中学生になって思春期になって興味変わるやん。怪獣も一旦そこで切れて、バイクいったり、音楽いったり。で、結婚して、25か6くらい。本屋通りかかったときに、偶然「宇宙船」があったわけ。創刊号を偶然見たわけ。その表紙にちっちゃいゴジラみてね。それが品田冬樹さんがつくった口パクゴジラやった。
「他にも(似たことを)やっとる奴おんねんなー」というので衝撃うけた。
それで「よっしゃ。もう一回やろか」と。
とりあえず同じもの造ったんやけど、リアルさを出すためにバスコーク塗った。当時は感動やったね。ラテックスは、ドラム缶でしか売ってもらえずに断念した。
その2へ
ルーツ・オブ・ダイモス
モス!猫族です。
以前からお伝えしてました「ダイモス中井三郎氏ロングインタビュー」を掲載します。
えっらい間が空いてスンマセン…。
はじめに
僕が造型集団ダイモスの名前を意識したのは、確か'92年ぐらいに津市の古本屋で立ち読みしたHJ誌からでした。
その記事には、京都の「ムー帝国」主催の展示会の様子が数カット納められており、その中にあったのが50cmの「84ゴジラ」でした。
92年当時は既にGK収集を始めており、各社のキットも所持、写真も収集しておりましたが、この84はそれらの中においても飛びぬけた再現性でした。
たった1カットの写真でしたが、それからも2号スーツ歩行時の角度、並びに、下半身の再現性が抜きん出ていることがわかります。
84ゴジラの2号スーツの特徴として、サイドシルエットが頭部を頂点に美しい3角形を描いている点があるのですが、現在までこの特徴を再現していたのはこの作品と、かなり後発の怪物屋(これはアレンジモデルでしたが)、あとは森山直哉氏によるHJEX用改造モデル くらいでしょうか。3点中2点がワンオフ(笑)
とにかく
50cmという巨大さ、ワンオフモデルという点、ラテックス製可動モデルという点
これらの要素に、先述した印象を加え、圧倒的な84というイメージがありました。
ただ、
ワンオフモデルですので当然入手は不可能。そういうこともあり、この記事を見たHJ誌は買って帰らなかった。
入手不可能なものの写真を手元においておくのは、精神衛生上良くないなぁとか思って(笑)
先日村上氏が保存しておられたHJ誌を見て20年近くぶりに再見したわけです。
当時受けた印象(下半身等)が間違っていなかったことを再確認すると同時に、やはり再び所持欲に駆られましたね(笑)
というわけで、ダイモスは僕の中では2000年代に入るまでは、やはり圧倒的に“あの84”を造った集団であり、巨大造型物製作集団だったのです。
2000年代、ダイモスは村上氏の主宰するガレージキットメーカー「DAIMOS」としてのメディア露出が多いのですが、その源流はまさしく80年代にあったわけで、景山氏、中井氏、村上氏からなるまさにユニットだったといえるでしょう。
ラテックス製巨大怪獣造型といえばヤマダマサミ氏もまた重要な位置づけにおられます。
80年代少年としては思い入れも深いですが、ヤマダ氏がその発表をほぼ雑誌媒体で行っていたのに対し、よりGK的なサイドから行ったのが、ダイモスと言えるかもしれません。
それではどうぞ。